書評 「人類との遭遇」

人類との遭遇 はじめて知るヒト誕生のドラマ (早川書房)

人類との遭遇 はじめて知るヒト誕生のドラマ (早川書房)

 
本書は人類の進化史を22のトピックに分解してエッセイ風に解説する一般向けの本だ.著者のイ・サンヒは韓国出身で,アメリカで活躍する女性の古人類学者.韓国の雑誌に連載したものが元になり,それを一冊の本に仕上げたものだ.原題は「Close Encounters with Humankind」*1.


 
冒頭で著者自身の旅が語られる.韓国からアメリカに移り,東海岸で学者のキャリアを始め,西海岸で助教授のポストを得る.そして赴任に際して恩師ミルフォード・ウォルポルフから強く勧められて1人で自動車を運転してペンシルバニアからカリフォルニアまで大陸横断することになる.異文化との遭遇,キャリアへの思い.人種差別,アメリカの広大さに触れるエッセイはなかなか味のあるもので,読者は著者の世界に一気に引きずり込まれていくことになる.
そこからは順不同でいろいろなトピックが語られていく.私が興味深いと思ったのは以下のようなところだ.
 

  • クラビナ遺跡のネアンデルタールの化石人骨には部位の不揃いと特徴的な傷跡があり,当初古人類学者はこれを食人の証拠だと考えた.しかし1980年にメアリー・ラッセルは食人説に疑いを持ち,これは単に二次葬のあとではないかと考えつく.そして食べるために動物を解体した際に骨につく傷と腐敗した死体の骨を清めて二次葬にする際につく傷を比較し,クラビナのネアンデルタール人の骨の特徴的な傷は二次葬によるものであることを解明した.
  • 新生児の頭の大きさと骨盤の関係から出産時の女性のお産の容易さと運動性にはトレードオフがあることはよく知られている.サピエンスでは新生児は産道内で180度回転して骨盤の穴を通り抜ける.ネアンデルターレンシスの骨盤をCTスキャンしたところ.新生児は産道内で身体を二度回さなければならない*2ことがわかった.おそらくネアンデルターレンシスも社会的出産を行っていたのだろう.
  • 化石骨の年齢を推定し,集団の年齢構成を見ると,長寿化はエレクトゥスの時代ではなくサピエンスになってから生じたことがわかった.あるいは認知革命や芸術の出現は長寿化のおかげかもしれない.
  • 現在アフリカのエレクトゥスの最古の化石,ジャワのエレクトゥスの最古の化石,ドマニシのゲオルギクスの化石の年代は約180万年前でそろっている.これにより人類のアジア起源の主張がまた復活しつつある.
  • ドイツの古生物学者が香港の薬局で購入した「竜骨」の化石は中期更新世に栄えた史上最大の類人猿ギガントピテクスの大臼歯だった.その後ギガントピテクスの化石を求めて熱心に発掘がなされたが,これまで下顎骨と歯の化石しか出ていない.それでも大きさはゴリラの雄の2.5倍以上あったと推定されている.興味深いことに犬歯に性的二型がなく,この巨大化は性淘汰によるものではないと思われる.あるいは当時強力な捕食者として台頭してきたエレクトゥスに対する防衛として巨大化したのかもしれない.
  • ホモ・ハビリスが,いかにも雑多な化石の寄せ集めのようになり,はたして意味のある種として認められるのかどうかについては学界内でも紆余曲折があった.現在では頭骨の大きなものをルドルフエンシス,小さいものをハビリスに分類するという方向が有力になっている.(この話にはリーキー一家が様々に絡んでいて,詳細は大変面白い)

 
このような話が満載で本書はいろいろ面白いのだが,専門外の分野の記述には少しおぼつかない部分も散見される.
行動生態学周りでは,利他性の進化についての解説がズルズルになっていて,これに最初に取り組んだのがアリやハチをコロニー単位で利己的だと考えたE. O. ウィルソンであるみたいな書きぶりになっていたり,ハミルトン,ドーキンスの採用する遺伝子視点からの進化理論について「遺伝子決定論」*3であると説明していたりする.おそらく基本的によくわかっていないのだろう.配偶システムや排卵隠蔽の進化あたりの説明もかなり雑だ.このほか「種」とは何か,ジャンクDNAとは何か,中立説の意義あたりの解説もかなり危ういものだ.
また彼女がウォルポフの直弟子であるということもあるのだろうが,人類の多地域進化説についての肩入れが過ぎるように思われる.近年のサピエンスとネアンデルターレンシスの交雑があったという知見について多地域進化説の復活を可能にするものだというのは言い過ぎだろう.そもそもの多地域進化説は,基本的にヨーロッパ人種はネアンデルターレンシスから,アジア人種は北京原人から,アボリジニはジャワ原人から直接進化し,互いに交雑があって単一種となったというかなり無理のあるものだ.サピエンスの単一アフリカ起源説の根幹は揺るがず,ただ既に分岐して久しいネアンデルターレンシスと(そしておそらくデニソワ人とも)一時的限定的な交雑があったというように理解をすべきものだろう.
 
そのあたりについては注意しながら読む必要はあるが,しかし一般向けに興味深い話題をつないで大変よく書けている科学啓蒙書であることは間違いない.特に専門である古人類学に直接関係する話題は大変面白い.北京原人,フローレス原人,デニソワ人の話はいろいろなエピソードにあふれていて興味深く読める.総説的な記述も多いし,激しい論争を一歩下がって解説しているところも読みどころだ.ところどころのぼやき的なコメント*4にも味がある.人類の進化史に興味がある人には楽しい一冊だろう.

 
 
関連書籍
 
原書

Close Encounters with Humankind: A Paleoanthropologist Investigates Our Evolving Species (English Edition)

Close Encounters with Humankind: A Paleoanthropologist Investigates Our Evolving Species (English Edition)

*1:もちろん映画「未知との遭遇:Close Encounters of the Third Kind」をイメージしたものだろう.

*2:360度という意味なのだろうか,ちょっとよくわからなかった

*3:これはもしかしたら単なる誤訳なのかもしれない,原文には当たれていない

*4:単一起源説と多地域進化説の論争はウォルポフの直弟子としていろいろ複雑な思いがあるのだろう.1990年代にはこの論争が科学的なものからどちらが人種差別的かという政治的なものになってしまったことが語られている