Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Penguin Books
- 発売日: 2018/02/13
- メディア: Kindle版
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第20章 進歩の将来 その2
将来にどのような懸念があるのか.ピンカーはまず潜在的経済成長率が低下しているのではないかという問題を扱った.そして次に本命のポピュリズムの興隆を取り扱う.
- これとは全く異なる進歩にとっての新しい脅威は啓蒙運動の基礎を破壊しようという政治的な情勢だ.2010年代になって世界は「ポピュリズム」と呼ばれる反啓蒙運動を目撃することになった.これは正確には権威主義的ポピュリズム(民衆の主権を強いリーダーが体現する形をとる)と呼ばれるべきものだ.
- この権威主義的ポピュリズムはある意味ヒトの本性への押し返しと見ることもできる.すなわち部族主義,権威主義,敵を悪魔として扱う,ゼロサム思考を要素とし,それらを抑えようとしてきた啓蒙運動を否定するものだ.
- この権威主義的ポピュリズムには右翼のそれも左翼のそれもある.そして両者とも経済をゼロサムの闘争だと誤解する素朴理論(左翼は階層間の闘争,右翼は国家間あるいは国民対移民の闘争の文脈で用いる)に従う.問題は世界の現実から生まれる不可避のチャレンジであると捉えず,エリート階級,外国,マイノリティの陰謀から生まれると考えるのだ.そして進歩を全否定する.
- (このポピュリズムの起源については第23章で扱うが)ここでは近年の盛り上がりを考察しよう.
- 2016年にポピュリズム政党はヨーロッパ議会選挙において13.2%の得票を得て11カ国で連立政権の一角に参画している.ハンガリーとポーランドではリーダーシップを取り,英国ではブレクジットに大きな影響を与え,そしてアメリカでドナルド・トランプの当選を後押しした.「Make America Great Again」というトランプのキャンペーンスローガンほどポピュリズムの部族主義,後ろ向き思考をよく表しているものはないだろう.
- 私はこれまで進歩を扱う章を執筆してきたが,それぞれ各章の最後に「しかしここまでの進歩はトランプの登場によって脅威にさらされている」という警告をおくという誘惑に抵抗してきた.しかし脅威はリアルだ.2017年が歴史の転換点になるのかどうかはともかく,ここでレビューしておくことは重要だろう.
- 寿命と健康:トランプは「ワクチンが自閉症を引き起こす」という既に科学的に否定された主張を擁護している.またオバマケアを葬り何千万人もの健康保険をなくそうとしている.
- グローバル経済:トランプは貿易をゼロサムだと考え,はっきり保護主義をとっている.
- 技術革新,教育,インフラ:トランプはテクノロジーにも教育にも無関心だ.
- 格差:トランプは移民と貿易相手を悪魔視し,技術の変化による中流下層の仕事の減少を無視している.そして格差を和らげる累進課税や社会保障に敵対的だ.
- 環境:トランプは環境保全に有用な規制を経済を破壊するものだと決めつけ,温暖化をフェイクだとする.
- 安全:トランプは安全規制も馬鹿にする.そしてエビデンスベースの政策に全く興味を示さない.
- 平和:トランプは国際貿易をけなし,国家間の取り決めを無視し,国際機関の力を弱めようとしている.
- 民主主義:トランプは報道の自由に関する法を反ジャーナリムズの方向に変えようとし,自分の当選に関する異議について脅迫的に行動し,取り上げようとする司法システムの正統性を攻撃する.これらはすべて独裁者の特徴だ.トランプはロシアやトルコなどの権威主義的リーダーを礼賛し,民主的なドイツの指導者を馬鹿にする.
- 平等:トランプはヒスパニック移民を悪魔視し,イスラムからの移民を禁止しようとする.何度も女性の品位を傷つけ,人種差別・性差別主義者に寛容だ.
- 知識:トランプは馬鹿げた陰謀論をふりまわし,意見は真実に基づいて決めるべきだという考えをあざける.
- 核戦争の脅威:恐るべきことに,トランプは核戦争の脅威から世界を守ってきた規律を掘り崩そうとしている.彼は気軽に核の使用や核軍備競争についてツイートする.
- しかしドナルド・トランプは,そして他のポピュリストたちは,本当にここ250年間の進歩を破壊してしまうのだろうか.まだ悲観して自殺すべきではない理由がある.何世紀にも続いた動きがあるなら,おそらく背後にシステマティックな力があるのだ.そしてここ数年ですべてのステークホルダーが反転したと信じる理由はない.
- システムのデザインとして,アメリカの大統領制は任期のある君主制ではない.大統領は権力の分立の上にあるのだ.そこには立法府,司法,行政システムがある.トランプの権威主義はアメリカの民主制にストレステストをかけているが,ここまでのところ,このシステムはいくつもの戦線でトランプの攻撃を押し戻している.(司法,行政,ジャーナリスト,トランプ自身の政策スタッフたちの奮闘が解説されている)さらに州政府も抵抗しているし,他国政府も多くの大企業もトランプに唯々諾々と従うわけではない.多くのステークホルダーの利益は平和と繁栄と安定の上にあるのだ,そしてグローバル化のメリットも同じだ.これらを永遠に否定できるはずはない.真実を巡る戦いについても,真実の側にはビルトインされたアドバンテージがある.あなたが真実と共にあるなら,真実は決して消えてなくならないのだ.
- より深い問題は,このポピュリズムの興隆は,これから生じる大きな流れを体現しているものかどうかということだ.2016年に生じたことは世界が中世に戻ることを暗示しているのだろうか.
- まず第1に,今回の選挙は啓蒙運動に対する信任投票ではない.トランプは共和党のパルチザン候補としてスタートして共和党候補になり,投票全体ではクリントンに対して46:48で負けていた.就任時の支持率は40%に過ぎない.退任時の支持率が58%あったオバマは明確に啓蒙運動の精神を支持していた.
- ヨーロッパの選挙もコスモポリタンなヒューマニズムに対する信認投票ではなく,感情に訴えるいくつかの問題(共通通貨,ブリュッセルの官僚たちによる押しつけがましい政策,イスラムのテロと中東からの膨大な難民の受け入れなど)への反応と見るべきものだ.それでもポピュリズム政党は13%の票を得ているに過ぎない.トランプとブレクジットの後でも多くの選挙でポピュリズム政党は議席を減らしている.
- しかし,政治情勢より遙かに重要なのは社会と経済のトレンドだ.歴史的進歩は勝者と共に敗者も創り出す.そして明らかな敗者はグルーバル経済における敗者であり,批評家たちはまるで船の難破の原因を探るようにしばしばこれらの敗者がポピュリストの支持者だと指摘する.しかし我々はこの説明が間違っていることを知っている.アメリカの大統領選では経済が重要だと答える低所得者層はよりクリントンに投票し,高所得者層はよりトランプに投票している.そしてトランプ支持者は移民とテロが重要問題だと答えているのだ.
- 統計家のネイト・シルバーは「所得ではなく,教育水準がトランプ支持を予測できる要因である」と指摘している.なぜ教育が影響するのか.凡庸な説明は「高い教育水準がリベラルと相関する」というものだ.もう少し面白い説明は「高い教育はマイノリティーを悪魔視しなくなるようにする」というものだ.そして最も興味深い説明は「高い教育を受けると真実と理性による議論を好むように,陰謀論から背を向けるようになる」というものだ.
- シルバーは,さらにトランプへの地域別投票マップは失業,宗教,銃所有,移民比率のマップと重ならないが,Googleサーチの「nigger」サーチ頻度マップと重なることを見つけた.「nigger」サーチ頻度はダヴィッドヴィッツが人種差別感情の信頼できるインディケーターであることを示したものだ.
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- これはトランプ支持者の大半が人種差別主義者であるという意味ではない.しかし公然の人種差別主義は憤激と不信に姿を変える.そしてマップのオーバーラップはトランプ支持の強い地域は,何十年にもわたるマイノリティの権利擁護と統合の試みに最も抵抗する地域であることを示している.そして出口調査でトランプ支持と最も関連するのは悲観主義だ.トランプ支持者たちの多くはアメリカは間違った道に進んでいると答えるのだ.
- 大西洋の向こうで,政治学者のロナルド・インゲルハートとピッパ・ノリスは同じようなパターンを見いだした.経済要因はあまり効いていなかった.ポピュリストへ投票するのは,より老齢で宗教的で田舎に住み教育程度が低く男性で民族的なマジョリティである傾向があったのだ.彼等は権威主義的価値観を持ち,自らを右翼と規定し,移民とグローバル化を嫌っていた.ブレクジットへの投票も同じだった.インゲルハートとノリスは権威主義的ポピュリズムの支持者は経済ではなく文化的な敗者なのだと結論づけた.彼等は自国の価値観が進歩主義的に大きく転換していく中で疎外感を持つようになったのだ.そしてこれはアメリカでも同じだ.
- ポピュリストの興隆は,グローバル化,人種的多様性,女性の権利,世俗主義,都市化,教育という現代の潮流への反動だとしても,その選挙での成功は投票者をうまく誘導できるリーダーがいるかどうかに左右される.だからヨーロッパの各国でのポピュリスト議席の割合はそれぞれ異なっているのだ.
トランプの当選は啓蒙運動に対するリアルな脅威だ.そして本書が書かれるようになったきっかけでもあり,ピンカーは詳細にその背景を論じている.トランプ現象についての論評は膨大にあり,このピンカーの議論がその中でどういう位置にあるのか私には判断できないが,この文化的な敗者だという議論は説得的だ.
私がトランプ当選に至るアメリカの流れを見ていて感じたのは,リベラル側の道徳的な押しつけがやり過ぎだったのではないか(そしてそこには偽善の匂いが濃厚にある) ということだ.強烈にアイデンティティポリティクスをかまされると白人男性は何も言えなくなるだろう.自分たちが当然としてきた文化的な価値観が道徳的に劣ったものとして否定され,まさに新しい価値観の象徴のようなヒラリーが大統領になるのかと思ったときの彼等の鬱屈した気持ちが投票所で吹き出したということではなかったのだろうか.
日本の政治情勢はアメリカやヨーロッパとは少し異なる.露骨なポピュリズム政党は存在しないし(維新は少しそれに近いし,小池新党がそうなる可能性はあったかもしれない.しかしいずれにしても文化的敗者を支持基盤とするような政党ではないだろう.),陰謀論や硬直的な姿勢はリベラル寄りとされる政党にもよく見られる.安倍政権は思想信条的には過去のノスタルジアの理想化部分を持つが,実際の政策は女性活躍や働き方改革を見てもわかる通りリベラル寄りだ.そして何より若者が自民党をより支持している.私に論評する能力は無いが,興味深いところだ.