Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その7

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次に扱われるのは批判というより,本書がなぜ多くの批判を受けることになったのかについてのピンカーのコメントになる,

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その10>
  • なぜ「Enlightenment Now」はあんなに人々を怒らせるのか

 

<応答>
  • もしかしたら,それは私が啓蒙運動を理解していないから,本当は啓蒙運動の敵だから,啓蒙運動の罪を拭い去ったから,データをチェリーピックしたから,苦しんでいる個人に冷たいから,啓蒙運動が今にも消えそうなことに気づいていないから,ニーチェを十分に精読できていないから,なのかもしれない.いや,私としては決してそうは思わないが,自分で判断するのはベストとは言えないだろう.というわけでなぜ現代のインテリが本書にこうも激怒しているのかについて憶測を巡らすのにおつきあい願いたい.
  • 【プルーストを読ませよう】
  • 多くの文芸批評は,偉大さについてニーチェ的ロマンティズムに従って芸術や歴史的な成果を念頭におき,子どもの死亡率,栄養状態,識字率などの散文的な指標に無関心だ.50年以上前にC. P. スノーが科学で貧困国の人々の苦しみを減らせると主張したときに,文芸批評家のF. R. リーヴィスに「偉大な文学は人生の糧となる」という理由で攻撃された.
  • 私も「人類の最良の日は未来にあるのか」というテーマで議論したときにアラン・ド・ボトンから同じ理屈で反撃された.ボトンは彼の住むスイスについて,スイスは健康,幸福感,平和,教育,繁栄において素晴らしいところだが,それらは市民がプルーストを評価する保証にならず,他国民からの賞賛に値しないというのだ.(それを決めるのは他国民にまかせてはどうかというのが私の感想だ)
  • この文学至上主義は人類の状況を改善させようとするエンジニアやビジネスピープルや官僚の緻密な努力をあざけることにつながる.これらのハードワーカーたちは組織の中で黙々と成功を積み重ねている.これに対して多くのインテリたちは「クリティカルセオリー」とか「ラディカルな敵対性」とか「懐疑の解釈学」とかのスタンスに立って現代西洋は基礎から崩壊しつつあってラディカルな社会変革が避けられないと考えているのだ.

 

  • 【2つの文化】
  • リーヴィスはスノーの「啓蒙運動のコンシリエンスの理想に沿って科学と人文学は第3の文化に統合される」という示唆に激怒した.科学と人文学に橋を架けようとする試みに対して人文学者が見せる激情は現代のインテレクチュアルライフの中で長年にわたってみられる特徴だ.
  • 科学者の方はこれに気づかず,「なぜ我々は一緒に上手くできないのか」カンファレンスに招待されて,例えば「視覚認知科学が芸術に新たな光を当てる」あるいは「音楽ユニバーサルの解明における定量的調査の有用性」などについて話をし,自分たちが不作法な還元主義ナチスだと扱われているのを発見する.
  • 他の私の著書と同じく「Enlightenment Now」もこの科学と人文学の「境界」を侵し,定量的リサーチ,認知科学.進化心理学を用いて歴史,政治,哲学の解釈を豊かにしようとするものだ.

 

  • 【コンフクト対ミステイク】
  • スコット・アレキサンダーは最近のエッセイで2つのマインドセットの違いに光を当てた
    • ミステイク理論は政治を科学やエンジニアリングや医学と同じに扱う:国家は問題を抱えている.我々はみな医者であり,ベストな診断と治療を巡って議論する.一部の者はいいアイデアを持っているが,一部の者は役に立たなかったり多すぎる副作用を与えたりする悪いアイデアを持っている.
    • コンフリクト理論は政治を戦争として扱う:異なる関心を持つ異なるブロックは永遠に戦う.国家とはエリートをより裕福にするためのものか大衆を救うためのものかを決めるために永遠に戦うのだ.

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  • 彼はいかに多くの調整不可能な違いがこの裂け目にあるのかを示した.それらの中には,議論と言論の自由の価値,人種差別の性質,民主制の利点と欠点,官僚制のメリットと革命的解決の有用性,知的な分析とモラル的な情熱の相対的有用性の問題が含まれている.(ミステイク理論家にとっては情熱は不適切で怪しいものだということになる.間違った者は正しい者と同じぐらい,あるいはそれを越えて大声を出すことがあるからだ.難しい患者の診断と治療を巡って医者が議論しているところに,頭のおかしい叔母が雇った男が割り込んで「それは狼瘡だ!」と大声で叫び続けても問題の解決には役立たないだろう)

 

  • 「Enlightenment Now」は単にミステイク理論に沿っているだけではなく,それこそ啓蒙運動の本質だとみている:「進歩は知識の応用にかかっている」のだ.コンフリクト理論家は啓蒙運動は単に特権の維持のための口実だと見る:彼等は「進歩は権力を巡る戦いにかかっている.」と考えるのだ.
  • アレキサンダーはなぜ共通の認識を得るのがこうも難しいのかを説明している.
    • コンフリクト理論家は,単に何が間違いかについて別のアイデアを持っているミステイク理論家というわけではないのだ.彼等はあなたの批判に対して,なぜあなたは間違っているのかを指摘したりはしない.
    • 「異なる立場を理解して,それを自分たちの言葉で説明できるようになったりしてはいけない」という立場を理解しようとするのにはメタレベルの問題がある.もし理解と説明に成功すれば,あなたは失敗するし,それに失敗すれば成功するのだ.


アラン・ド・ボトンのピンぼけぶりは動画でも見たが,いかにも見苦しかった.(この対談本についての私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20161113/1478991673,同訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20161113/1478991674) 芸術の高尚性を強調して現代文明をもたらす科学とその豊穣さを否定するというスタンスはいかにも似非インテリたちにとって居心地がいいのだろう.そしてもう1つの問題は問題解決ではなく相手を叩くことを優先するメンタリティだ.これらを打破していくためにも「今こそ啓蒙運動」というのがピンカーの趣旨ということになる.