書評 「生き物の「居場所」はどう決まるか」

 

本書は生態学者大崎直太による,生物の「ニッチ」がどのように決まるのかの学説史についての一冊.生物にはそれぞれの生息場所あるいはニッチがあり,同じようなニッチを持つ生物は互いに排除しているように見える.かつてその理由は資源をめぐる競争だと考えられてきたが,それが覆されていく歴史が語られている.
 

第1章 「種」とは何か

 
第1章では生物のニッチを語る前の整理として「種」とその名前の問題が取り上げられている.
まずアリストテレスとその「存在の大いなる連鎖」,古代ローマ時代のディオスコリデスの「薬物誌」*1,17世紀スイスのギャスパール・ボアンの「植物対象図表」(同種の植物の異名を整理し,属(1〜2語)と種(1〜数語)を表すラテン語で標記した),種(species)を造語した17世紀英国のジョン・レイ*2,属の概念を成立させた17世紀フランスのトゥルヌフォールがまず紹介される.
そこからリンネによる二名法と雄しべと雌しべに注目した植物の分類法*3,ラマルクの分類と進化論,キュビエの比較解剖学,ダーウィンの種(明確に定義できないものと扱う)と分類(共通祖先から分岐した系統を元にすべきだ)についての考え方,メンデル,モーガン,ド・フリースに至る遺伝学の流れ,集団遺伝学の勃興と進化の総合説,マイアの生物学的種概念と異所的種分化,DNAの解明,木村の中立説,ヘニッヒの分岐分類学が簡単に解説されている.
よく知られている話とそれほど知られていないと思われる話がつながって語られていて,蘊蓄を楽しそうに語る雰囲気が楽しい.
 

第2章 生き物の居場所ニッチ

 
第2章からは本題のニッチの学説史.まず最初に描かれるのはリンネからダーウィンへの流れ,そして生物の個体数の上限を決めるのは資源競争だという考えの歴史だ.

  • リンネの時代にその母国スウェーデン・バルト帝国はロシアを盟主とする北方同盟に破れ(大北方戦争),ロシアへの報復のための経済力を得ることが最大の課題になっていた.リンネはスウェーデン王立アカデミーの初代会長としてその影響を受け,自然界は神が生き物の最大幸福を図るための「神の経済」「自然の経済」があると主張した.
  • ダーウィンはこのリンネの「自然の経済」とマルサスの「人口論」に影響を受けて,居場所をめぐる競争と自然淘汰の考えに行き着いた.(有名なウォレス*4との共同発表の経緯,ベイツによる南米のチョウの擬態の発見が自然淘汰の支持証拠とされるようになった経緯が書かれている)
  • マルサスの議論を生物に当てはめれば,生物は常に資源や居場所をめぐって競争していることになる.これを数理的に表すとロジスティック方程式となる.この数理モデルを1838年に最初に示したのはフェルスフェルトだった.これは1921年にパールにより再発見される.
  • パールによるショウジョウバエの実験では,個体数は実際にロジスティック方程式が描くロジスティック曲線に従い,最終的に一定になった.しかし話はそれほど単純ではなかった.一定になるには,競争に負けた個体が死亡するだけでなく,密度が高くなると1メス当たりの産卵数が減ることという現象も要因となっていた.これはその後様々な昆虫でも発見され密度依存要因と呼ばれる.その後密度依存要因には相変異を起こすものもあることもわかってきた.

 
ここからは群集生態学とニッチ概念の学説史が語られていく.

  • 1917年,グリンネルはカリフォルニア・スラッシャー(マネシツグミ科の鳥)の3亜種の分布を調べ,生き物の居場所を定義し,ニッチと表現した.この3亜種は(餌をとるためならそこである必要はなさそうにもかかわらず)常緑低木の茂みの中にのみ生息し,3種に分布の重なりはなかった.
  • 1927年,エルトンは「動物の生態学」を著し,動物群集を独自の構造を持つシステムとして特徴づけようとした.彼は草食,肉食,さらにその中の役割を重視し,「食物連鎖*5」「生態ピラミッド」の概念を示した.
  • 1931年,ロトカとヴォルテラは,それぞれ独自に,2種の生物がロジスティック方程式に従う場合の数理的挙動を確かめた.それはロトカ-ヴォルテラ競争方程式と呼ばれる.その挙動は2種の環境収容力や競争係数の値に依存して共存したり片方が排除されたりするというものだった.排除が生じうるという結果はグリンネルやエルトンの「2種の生物が同じニッチを持つことはない」という指摘を検証するものとされた.
  • ガウゼは2種のゾウリムシを用いてこれを実験的に検証した.これは「ガウゼの競争排除則」と呼ばれる.
  • 1957年,ハッチンソンは競争がない場合のニッチを「基本ニッチ」,ある場合のニッチを「実現ニッチ」として区分した.彼は小さな池での様々なミズムシの共存条件を詳しく調べ,大きさが1.3以上異なることが共存条件になることを見つけた.1.3は「ハッチンソンの比」として知られる.

 

第3章 ニッチと種間競争

 
第3章では引き続き群集生態学史が描かれる.

  • 具体的な群集の研究は島の生物群集から始まった.(ガラパゴス諸島とダーウィンフィンチ,ラックの研究,グラント夫妻の研究が簡単に紹介されている.ラックは各島のダーウィンフィンチの形態差について当初は異所的種分化の後の浮動から説明していたが,ガウゼの競争排除則を知り,それぞれの島の環境に応じた自然淘汰によると主張を改めたと解説されている)
  • 1950年代にロバート・マッカーサーは5種のアメリカムシクイが森林の中でニッチ分割していることを見いだし,圧縮仮説を提唱し,競争緩和の条件として環境の複雑さと天敵の存在を重視した.
  • マッカーサーは1960年代にはEOウィルソンと共同研究し,「島の生物地理学理論」を提唱した.理論は島の生物種数を(島の面積と大陸からの距離をパラメータとし)大陸からの移入率と絶滅率で定まる動的平衡として説明した.彼らはまた移住定着のための理論を(種間競争を前提にした)ロトカ-ヴォルテラ競争方程式を発展させて提唱している.これによると最初の不安定な一時的生息場所を利用するのはr戦略者,安定した永続的な生息場所を利用するのはK戦略者ということになる.彼らはフロリダの島で種数平衡を実験的に検証することも行った*6
  • 彼らはこの島の生物理論は,島だけでなく周囲と異なる島的な環境に広く当てはまると指摘した.ジャレド・ダイアモンドはこれをニューギニアの高山の鳥の分布で検証した.
  • このマッカーサーとウィルソンの種数・面積関係は保全生態学において大きな議論を呼び込んだ.それは同じ合計面積の保護区を設ける場合に単一の大面積保護区の設定と複数の小面積保護区の設定のどちらがよいかという問題だった.ダイアモンドは理論を当てはめれば単一大面積保護区の方が望ましいはずだと主張し,シンバーロフは真っ向から反対した(SLOSS論争).
  • ラブジョイはブラジルで大規模な実験を行ってSLOSS論争に決着をつけようとした.実験の結果,保護区の大きさが種に与える影響はケースバイケースであることがわかった.そしてどの種を保全しようとするのかの目的に応じて保護区を設定すべきだということになった.ケースバイケースになる要因としてはエッジ効果,大きな保護区で一気に絶滅するリスクなどがある.
  • 生物群集の多様性が数多く調べられると,個体数と種数の関係には一山型の分布があるというパターンが現れてきた.ハベルは個々の生物は生態的に中立であるという前提の元で「統一中立理論」を立ててこれを説明し,実際の野外データやシミュレーションで検証した.中立理論は説明範囲が広いが,中立前提が崩れている場合があることも知られており,現在ではそのような群集内での相互作用がある場合の数理モデルも組み立てられている.

 

第4章 競争は存在しない

 
第4章ではこれまでの生物の個体数上限やニッチを種間の資源競争から捉える見方が大転換する歴史が描かれる.

  • 1960年にヘアーストーン,スミス,スロボドキンによるHSS仮説,あるいは緑の世界仮説を提唱する論文が発表された.その論文は世界は緑で満たされており,これは植物をめぐる資源競争が植食者の数の制限となっていないことを示していると主張するものだった.彼らは植食者を制限しているのは上位栄養段階の捕食者や寄生者などの天敵だと主張した.
  • この仮説は多くの研究者により検証された.1984年にはストロング,ロートン,サウスウッドが「植物を食べる昆虫」で植食性昆虫に資源競争はないと断定し,以後定説になった.植食性昆虫が植物を利用するためには乾燥,付着の困難さ,貧栄養や防御化学物質により栄養をとり出すことが難しいというハードルがあり,様々な利用のための戦略が必要になるが,それは簡単ではない.このため通常の状況では資源競争は制限要因にならないのだ.彼らはすべての大陸ですべての戦略セットが見られないことを示し,様々な資源利用戦略が進化するのが難しいことを説明した.
  • ではある地域に分布する植食性昆虫の種数はどう決まるのか.マッカーサーとウィルソンの島の生物地理学の理論を応用し,ある地域におけるある戦略で利用できる植物の量を島の大きさと考えると,短期的にはそこへの移入率と絶滅率で決まり,長期的には戦略の進化適応の可能性が影響することになる.
  • 実際の野外データを見ると軽い密度調節はあるが,資源をめぐる競争が生じるような高密度になることはほとんどないことがわかった.植食性昆虫は植物の防衛戦略と天敵によって極めて低い密度に抑えられていたのだ.(ここで様々な植物の物理的防衛,化学的防衛,それに対する昆虫の戦略の具体例が解説されている)
  • 私(大崎)は1990年ごろにアブラナ科植物がモンシロチョウの幼虫に食われた際に生成する化学物質は植物がコマユバチを誘引するためのものではないかという仮説を立てて実験してみた.私の集めたデータでは規制された幼虫の方が摂食量が多くなるために仮説は棄却せざるを得なかった.後に塩尻かおりがコナガで同じ研究をしたら寄生された幼虫の摂食量が減った.彼女は食害された植物が化学物質を放出して天敵を誘引する防衛を行っているという主張を行っている.
  • ジョン・ターボーをリーダーとする国際研究チームはベネズエラのダム湖に出現した様々な島を使って哺乳類や鳥類を含む大規模なリサーチを行った.10年以上にわたる調査の結果,イタチ,ジャガー,オウギワシのような捕食者のいる島では生態系は周囲と変わらなかったが,そのような捕食者のいない島ではハキリアリ,ホエザル,イグアナなどの食物網の中間段階の生物の密度が非常に高くなり,植性は大きなダメージを負った.これは緑の世界仮説のより広い意味での検証となった.

 
ここまでで植食性生物の個体数上限やニッチを決めているのは資源競争ではなく,植物の防御戦略や天敵であると理解されるようになった流れが説明されている.少し残念なのは,では天敵のいない頂点捕食者の場合にはどう理解されるようになったのかについてなんら言及がないことだ.基本的には餌生物の防衛や寄生者によるということになると思われるが,その辺りの説明があればわかりやすかっただろう.ここから個体数が資源競争による安定平衡で決まるという考えヘのもう1つのアンチテーゼである中規模撹乱仮説が紹介される.
 

  • 1978年コネルは「熱帯降雨林とサンゴ礁の多様性」という論文を発表し,多様性の維持には中規模の撹乱が継続的に生じることが重要だと指摘した(内容が詳しく解説されている).これは多様性を持つ生態系は,マッカーサーが想定したような安定平衡状態ではなく,非平衡状態であるという主張であり,それまでの(密度依存性と種間競争から分析する)正統的な群集生態学理論を真っ向から否定していた.それは通常状態では環境変化が速く,生物は種間競争が生じるような高密度にはならないと主張する.
  • 批判者は競争が目前にないように見えても過去にはあり,勝者が敗者を排除しているだけだと反論した.コネルはこの反論を「過去の競争の亡霊」と呼び,中規模撹乱の継続する環境での実際の群集内では異なる場所で適応進化した様々な種が集まっているのであり,競争の結果の排除は生じていないと主張した.ストロングは1984年にコネルを全面的に支持する論文を書いている.

 

第5章 天敵不在空間というニッチ

 
第5章では生物種のニッチの制限要因としての種間資源競争が否定された後の学説史が描かれる.ここではニッチの1つの例となるベイツ型擬態が(大崎の研究エリアであったこともあり)詳しく取り扱われている.

  • ではニッチはどのように決まると考えられるようになったのか.1984年にロートンとジェフリーズは「天敵不在空間と生態的群集の構造」という論文で生物のニッチは「天敵からの被害を少しでも軽減できる空間:天敵不在空間」として決まるのだと主張した.そこではそのように決まるニッチの例として,ベイツ型擬態が挙げられている.(ここでベイツ型擬態について詳しい解説がある)*7
  • チョウのベイツ型擬態において,なぜメスだけが擬態するのかは大きな謎だった.ベルトは1874年にそれを性淘汰から(メスはより厳しくオスを選り好むので,原型から離れたオスが不利になるためだと)説明した.
  • 110年後の1984年シルバーグリードはメスが原型から離れたオスを容易に受け入れることを実験的に示し,性淘汰説を否定した.*8
  • 私(大崎)は1995年からベイツ型擬態を調べ始めた.そしてモデル種と擬態種のビークマーク率から擬態のベネフィットを推定する手法を編み出し,メスの方が鳥からの捕食圧が高く,擬態による利益が大きいことを示した.擬態にも(おそらくカロチノイド色素を免疫のために使わないことによる)コストがあり,メスは擬態しても割りが合うが,オスは割りが合わないと考えるとこの現象をうまく説明できる.*9
  • 好蟻性昆虫も天敵不在空間ニッチの良い例だ(様々なアリとの共生の例が示されている).
  • 1996年にウィリアムソンとフィッターが「外来種10分の1法則」仮説を提唱した.それは持ち込まれた外来種のうちおおむね1/10が野外に逸出し,さらにそのおおむね1/10が定着し,さらにそのおおむね1/10が害獣,害虫,害草になるというものだ.この仮説は野外に侵入した外来種の9/10は定着できないことを意味している.これは天敵不在空間を見いだせないためだと解釈できる*10
  • 実際の天敵不在空間がどのようになっているのかはきちんと調べないとわからないような微妙なものであることも多い.(日本の3種のモンシロチョウのニッチがどうなっているか,それぞれが天敵にどう対処しているのか,また長距離渡りを行い,時に日本にも現れるオオモンシロチョウのニッチはどう理解できるのかについての著者自身のリサーチを含めた詳しい解説がある)

 

第6章 繁殖干渉という競争

 
第6章のテーマは繁殖干渉.種のニッチの決定要因の学説史としては,まず種間資源競争と考えられ,それが(特に植食者について)否定され,さらに後に別の形の競争が要因として浮かび上がったということになる.

  • 繁殖干渉はオスが他種のメスに配偶行為を行い,それがメスに対して不利益を及ぼす現象とされる.配偶,交尾,受精,交雑個体出生のすべての段階で不利益が生じうる.
  • 私(大崎)が最初にこれを知ったのは,桐谷の1960年ごろの研究によるアオクサカメムシとミナミアオカメムシの事例だった.桐谷は和歌山県における両種の分布を繁殖をめぐる種間関係(両種間に交尾が容易に生じ,どちらがメスでも卵が不妊になるので,多数派有利の境界が生じる)にあると考えた.当時は繁殖干渉という用語はなかった.
  • 繁殖干渉という用語を提唱したのは久野で,1990年ごろのことだ.彼はそれを数理モデルとして表し,ギフチョウとヒメギフチョウ,ウスバシロチョウとヒメウスバシロチョウの分布が重ならない理由は繁殖干渉ではないかと示唆した.私は当時それを交雑の結果不妊となる場合のみの現象として理解してしまった.
  • 1997年から私は札幌近辺のスジグロシロチョウとエゾスジグロシロチョウのニッチを決める要因に興味を持った.(複雑な状況について詳しい説明がある)より良い餌資源と思われるキレハイヌガラシの侵入(1960年ごろ)の後,エゾは産卵植物をコンロンソウからキレハに変更していた.スジグロはキレハ侵入当初はそうしていたが,10年も経つとコンロンに戻していた.私はこれは繁殖干渉によるものではないかと考えたが,実際に観察すると種間交尾はなく,(上記早とちりのために)行き詰まった.
  • 2009年ごろ西田と雑談しているうちに繁殖干渉はもっと広い状況で生じうるものであることを知った.(ここから西田グループがリサーチしたマメゾウムシ,テントウムシ,タンポポなどの様々な繁殖干渉の事例が紹介される)
  • シロチョウのオスは他種のメスにも交尾を試み,メスの交尾拒否で終わる.キレハにいるとエゾのオスからのしつこい交尾強要があるためにスジグロのメスの産卵数が減るとするなら,その繁殖干渉によりスジグロのメスはコンロンに産卵場所を変える方が有利になるだろう.そしてそれを実験で示し,2020年に論文を発表することができた.(それぞれ大変な苦労*11があったことが詳しく語られている)これは求愛段階で生じた競争排除を初めて検証したものになった.(ここで東京近辺でモンシロチョウが減り,スジグロが増えている理由についても繁殖干渉で説明できるのではないかという考察がなされている)

 

終章 たどり来し道

 
最終章では,本書の議論の要約と,日本で進化論が欧米圏のような抵抗なく受け入れられた思想的要因,今西の棲み分け理論の今日的感想*12が書かれ,最後に生物の多様性を語る時の繁殖干渉という視座の重要性が強調されている.
 
 
以上が本書の内容になる.ロジスティック曲線,ロトカ-ヴォルテラ競争方程式,ガウゼの排除則,マッカーサーの島の生物地理理論,保護区の設置をめぐる論争,緑の世界仮説,中規模撹乱仮説,ベイツ擬態,繁殖干渉などの(それぞれ別にどこかで聞いたような)様々な生態学的なトピックが,ニッチの決定要因という軸とともに語られており,読みごたえのある物語として仕上がっている.著者自身の研究やそれをめぐるエピソードが所々で詳しく取り上げられていて自叙伝の味わいもある.生態学に興味のある人にはとても楽しい上質な読み物だと思う.
 
 
  
関連書籍
 
大崎自身によるチョウのベイツ擬態の探求物語.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090531/1243733875

 
繁殖干渉についてはこの本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/31/103323
 
スジグロシロチョウをめぐる繁殖干渉についてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/04/18/182622https://shorebird.hatenablog.com/entry/2022/06/29/102442
  

*1:ローマ時代の博物学者としてよく取り上げられるのは大プリニウスと「博物誌」だが,ここではほぼ同時代のペダニウス・ディオスコリデスが取り上げられる,これはかなり渋いチョイスという印象だ.「薬物誌」では薬物になる植物,動物,鉱物の記述がなされているそうだ

*2:有用薬物のための本草学・医学から自然の秩序を探究する博物学を独立させた学者だと評価されている

*3:この分類体系は現在では放棄され,植物すべての形質を考慮したアダンソンの体系が現在の体系のもとになっているそうだ

*4:著者は「ウォーレス」と表記している.たしかに昔はウォレスよりウォーレスと表記する方が一般的だった.

*5:実際の構造がチェインではなくネットワークなので,現在では「食物網」と呼ぶのが一般的だそうだ

*6:そこでは安定平衡になる直前に種数が最も多くなる不安定な時期が観測された.彼らはそれを「疑平衡」と呼んでいる

*7:第2章で登場したカリフォルニア・スラッシャーの常緑低木の下という居場所も天敵不在空間として解釈できることもコメントされている

*8:ここで一部のメスだけが擬態する現象が負の頻度依存淘汰から,ミュラー型擬態が正の頻度依存淘汰から説明できることが解説されている

*9:かなり詳しく語られてる.なおここではミュラー型擬態が成り立つための鳥のまずい味の学習問題.捕食される個体の犠牲を緑ひげ効果で説明可能なことの解説もなされている

*10:セイヨウミツバチがニホンミツバチのような熱殺蜂球を作れずオオスズメバチに対処できないために日本では野外定着できないことが例として挙げられている

*11:「Ecology」誌の当時の編集長は競争否定派の大御所ストロング博士であり,その影響を色濃く受けた編集者との様々なやり取りが書かれている.結局ストロング博士の壁は崩せずに論文は「American Naturalist」にやはり様々な経緯の末に掲載される

*12:理論としては破綻しているが,ナチュラリストとしての鋭い観察力が感じられるとしている.そしてしばしば最も問題視されている「種が変わるべき時に一斉に変わる」という記述については,エゾが各地で一斉にキレハに産卵場所を切り替えたような事例の表現としてわからなくもないという風な記述になっている