書評 「チョウの行動生態学」

 
本書は対象をチョウに絞った行動生態学のアンソロジー.もともと「昆虫と自然」2021年3月号の特集だったものを膨らませて本にしたものだ.チョウの総説から科学哲学までさまざまなテーマが取り上げられている.
 

総論

 

蝶の行動生態学への招待 井出純哉

冒頭で系統樹と分類体系が示され,チョウが単系統群であることが示されている.ここで現在セセリチョウ科と近縁とされているシャクガモドキ科のチョウたちが(見た目がいかにも蛾であるために)1980年代まではシャクガと近縁とされて蛾と扱われていたことに触れている*1
次にチョウがなぜ色彩豊かなのかが考察されている.チョウは白亜紀中期に蛾の中の一系統から分岐して出現したが,被子植物の送粉を助け花蜜を得るようになったことで昼光性のニッチに進出したと考えられている*2.分岐当初は色覚が一部退化していたと思われるが,昼光性になったことでオプシン遺伝子の突然変異が蓄積し,急速に多様化して色覚が復活した.南米のヘリコニウス属ではオプシン遺伝子の多様化と翅の色の多様化が相関していることが確認されており,筆者は色覚と翅の色彩が配偶相手の識別のために共進化したのではないかと示唆している(警告色や擬態との関連にも触れている).
ここからは読者向けに行動生態学の基礎,その例としてモンシロチョウの飛び方の適応的な説明*3,イチモンジセセリの第2世代成虫の長距離移動の適応的な説明*4がなされている.本書冒頭を飾るに相応しい力のこもった総論となっている.
 

第1部 幼虫の行動

 
第1部では幼虫段階における形態や行動の適応的な説明がテーマになっている寄稿が2編収められている.

ある種のチョウの幼虫が持つ頭部突起の役割 香取郁夫

チョウの幼虫に見られる角のような頭部突起の適応的な意義が考察される.幼虫の突起には2種類あって,頭蓋のすぐ後ろから生える柔らかい角と頭蓋から直接生える硬い角がある.柔らかい角にはムカデ擬態,カモフラージュ,食草探索補助,硬い角にはカモフラージュ,闘争の武器,天敵からの防御という仮説がある.本稿ではアオジャコウアゲハを用いて柔らかい角の食草探索補助仮説,ゴマダラチョウを用いて天敵からの防御仮説を実験検証している.いろいろ多角的に論考されていて大変面白い寄稿になっている.
 

アカタテハの巣作り行動 井出純哉

アカタテハはイラクサ科の植物を食草として,葉を折り曲げて巣を作り,その際に葉脈を切断するトレンチを作る.ここではトレンチの適応的機能が考察されており,葉を曲げやすくする仮説が検証されている.
 

第2部 成虫の行動

 
第2部では成虫の行動と題して6編の寄稿が収められており,行動擬態,訪花行動,交尾シグナル,配偶システムなどが論じられている.
 

シロオビアゲハの行動擬態と翅模様の光学的性質 喜田村輔,近藤勇介

シロオビアゲハは無毒のチョウだが,メスにはオスと似た非擬態型と毒チョウであるベニモンアゲハヘのベイツ擬態型がある.ここではこの擬態には翅の色彩や模様だけでなく飛び方(羽ばたきの様式,飛行軌跡は捕食者に警告色である翅の模様を見せるための飛び方だと考えられる)の行動擬態も含まれていることが報告されている.また翅の色彩が鳥の色覚から見ても擬態になっていることも確かめられている.
 

チョウの訪花行動に対する捕食者と他のチョウの影響 田中陽介,深野祐也

チョウが訪花するときには捕食者や他のチョウを避ける傾向があることを実験によって確かめている.実験は多摩動物公園のチョウが放たれている大温室で行われ,16種のチョウが対象となっている.
 

アゲハチョウの交尾をつかさどる化学シグナル 大村尚

アゲハチョウ4種を用いてオスの揮発性化学物質の化学特性を調べ,それがメスへの誘引に役立っているか調べたところ,化学物質は種ごとに異なっていたが,メスは揮発性物質には反応しなかった(この機能は謎のまま).次に体表ワックスを調べると種ごとオスメスごとに脂肪族炭化水素の特性が異なっていた.ここでオスに洗浄済みのメスにさまざまなワックスを付着させて提示したところ,同種メスワックスに対してのみ交尾率が高かった.以上のことからオスは体表ワックス成分で相手を見分けていると報告されている.これは(シロオビアゲハでメスに非擬態型と擬態型があるように)同種メスに表現型多型があってもオスが正しくメスを見分ける機能を持つと推測されている.
 

アサギマダラの生態とその得意な配偶システム 本田計一

長距離の渡りを行うことで有名なアサギマダラについての非常に充実した寄稿.
渡りの理由(高温環境に弱くそれを避けるため,ピロリジシンアルカロイド(PA)ヘの依存度が高く各種PA植物の開花前線を追うため),世代により食草が異なること(詳しく紹介がある),オスがメスを誘引するためには特定タイプのPAが必須であり,そのためにそれを含むフジバカマを異常に好むこと,PA自体は毒物であり対捕食者への防御機能があること,性フェロモンの生産と発香器官の詳細,優雅な配偶行動をとること*5,2種類の発香器官を持つことについての進化仮説などが解説されている*6
 

ベニシジミの配偶行動:雌雄双方の立場から 井出純哉

チョウのオスのメスとの出会い戦略には,広範囲に飛び回る「探索戦術」と1ヶ所に静止してメスを待つ「待ち伏せ戦術」がある.ベニシジミは両方が観察される種で,どのように戦術を切り替えるのかを調べたもの.
メスの行動パターン,それぞれの戦術の日周パターンを調べ,探索戦術には非常にエネルギーコストがかかり日中の極くわずかの時間しか行えず,それ以外は待ち伏せ戦術をとること,高い体温を維持しやすい気候条件で探索戦術の割合を上げることが報告されている.
またメスはオスのハラスメントを避けるために翅を閉じることが出来,その時間割合が既交尾メスで増えることも報告されている.
本稿では調査前に相反する複数の予想を立て,それを確かめる構成になっており,読み物としても面白い.
 

ヤマトシジミの追跡観察:環境指標生物としてのチョウ 檜山充樹

チョウは小さく追跡機器をつけられず,飛翔能力が高いため連続した行動観察が難しい.しかしヤマトシジミのような飛翔能力がそれほど高くない種では人の目による追跡が可能になる.ということで(超人的な努力で)これを追跡した記録が記されている.行動範囲,休息,吸蜜,交尾行動などの行動パターンなどが詳しく分析されている.
 

第3部 生活史

 
第3部では生活史の多型,繁殖干渉,日本の草原の本質という多彩なテーマの寄稿が集められている.
 

キタキチョウの越冬前交尾とオスの生活史の多型 小長谷達郎

冒頭でチョウの越冬前交尾戦略(秋に交尾し,メスのみ越冬し春に産卵する)の概説がある.ここでキタキチョウは年多化性で,越冬に関する季節多型があり,晩秋に羽化するメスはほとんどが秋型(越冬型)であるが,オスは夏型(非越冬型)と秋型(越冬型)の多型になる.調べるとメスは秋に夏型のオスと交尾し,春に夏型のオスと再交尾していた.するとまずメスがなぜ秋にも交尾するのかが問題になる.ここでは保険説(春に交尾できないリスクを避ける)と栄養説(越冬ためのリソースを受け取る)が検討される.著者はフィールドでは越冬前のほぼすべてのメスが交尾し,越冬後9割以上のメスが再交尾しており,(より厳しい環境下での可能性は残るが)保険説では説明しにくく,実験によると交尾済みのメスの方が生存期間が大幅に伸び,栄養説が支持されると主張している.
ではオスはなぜ多型になるのか.ここではさまざまなトレードオフの存在に言及がされている*7.残念ながら精子競争で秋交尾と春交尾のどちらが有利になるのかが実験的に調べられておらず,結論はまだ出せないということになる.
 

イネ科植物を食草とするウラナミジャノメ属における食性と化性の進化 鈴木紀之

イネ科植物の防衛戦略は化学防衛ではなく物理防衛であり,これを食草とするチョウは頭部を大きくして硬い葉を食べられるようにすることで防衛を突破する.ここでイネ科食チョウ類では卵の大きさ,幼虫の大きさ,成虫の大きさ,食草の硬さに正の相関が現れる.これは体サイズが大きい種はスペシャリストになっているということだが,(大きなジェネラリストがいてもよさそうなのに)なぜそうなのが問題になる.
著者はこの問題をウラナミジャノメ属のチョウを用いて考察し,繁殖干渉で不利な種がより硬い食草に逃れざるを得ず,大型化のために卵を大きくすることにより数が少なくなるというコストを払っているという仮説から説明している.本稿は考察が緻密で大変面白い.
 

草原性チョウ類の生活史特性と分布様式から考える日本の草原の本質 大脇淳

日本では草原は火入れなどの手入れをしないと森林化してしまうことから,自然環境では遷移初期に見られるものと考えられている(ヨーロッパや北米では草食獣により保たれる場合があることが知られている).片方で日本の草原に適応したチョウや植物の起源は内モンゴル,中国東北部,ロシア沿岸地方などのステップであることが知られている.これをどう説明するかが問題になる.
チョウが撹乱地に適応するためには.速い成長,高い分散能力,年多化性,広食性を進化させると考えられる.著者はその観点から日本の温帯の草原に見られるチョウを草原性と撹乱地性に分ける.その結果日本の草原にいるチョウは本来は安定的な草原に生息するチョウであると結論づける.そして,縄文人による火入れのほか,河川の氾濫原,海岸や山の尾根部の風衝地,急斜面で繰り返し同じ場所で地滑りなどの撹乱があるところ,火山土壌のような貧栄養土壌,自然火災,絶滅した大型草食獣などによりある程度安定した草原が保たれた可能性を指摘している.
 

第4部 種間相互作用

 
第4部では3種以上の生物の関係性を論じた寄稿が集められている.
 

ムラサキシジミ類によるアリ植物の利用 清水加耶,市岡孝郎

シジミチョウとアリの進化的な関係,アリとアリ植物の関係を概説した後,東南アジアの熱帯雨林にいるムラサキシジミによるアリ植物の利用が解説される.3種のムラサキシジミがそれぞれ特定のオオバギ属のアリ植物を寄主利用しており,幼虫が葉や托葉に似て,共生アリに攻撃されない.そしてこれらのチョウが種間で寄主を異にしているのはアリとの共生関係による(アリへの化学擬態は特定種に対してしか効果がない)ものである(好蟻性限界説)と考察されている.またムラサキシジミの中にはアリの体表化学物質には似ていない化学物質により攻撃を避けているものもいることも解説されている(客蟻性:おそらく植物に擬態している).
 

ゴマシジミの食害に対する食草の補償反応 内田葉子,大原雅

ゴマシジミは3齢までの幼虫はワレモコウ属の植物の花を摂食するが,4齢からはクシケアリを利用(巣に運ばれて幼虫を摂食)するようになる.このため保全には植物とアリの両方がいる環境を保つことが必要になる.本稿の中心テーマはゴマシジミ保全のためにどのぐらいのワレモコウ属植物が必要なのかのリサーチであり,特に花が食害されたときに植物側に補償反応があるならより少ない量で足りることになるのでそこをよく調べた寄稿になっている.
 

寄主植物の量と質を介したシカとジャコウアゲハの間接相互作用 高木俊

ジャコウアゲハの食草はオオバウマノスズクサでアリ,まずこの2者の関係性が説明され,そこにシカの食害がどういう影響を与えるのかが調べられている.オオバウマノスズクサは有毒であり,シカは少ししか食べない.そして食べられたオオバウマノスズクサは補償成長により再展葉するが,その際には柔らかく,化学的にも(チョウの)餌として質の良い葉がつく.つまりシカの食害はジャコウアゲハにとって餌の量を下げて質を上げる効果を持ち,シカ密度や時間スケールによって異なる効果になることが解説されている.
 

シカ―イラクサ―アカタテハの進化的相互作用 佐藤宏明,甲山哲生

同じくシカと植物とチョウの関係だが,進化的タイムスケールも念頭におき調べたもの.奈良公園をフィールドにしてシカの強い摂食性が葉や茎に多数の刺毛を持つイラクサを進化させ,この質的変化にアカタテハが(質の悪い葉の消化吸収効率を上げるような)局所適応していることを集団遺伝構造を解析して確かめた研究が解説されている.
 

モンシロチョウ属の繁殖干渉 大泰正揚

モンシロチョウ,ヤマトスジグロシロチョウ,スジグロシロチョウは異なるアブラナ科植物を食草にしているが,これが(干渉に弱い種がより質の悪い餌に逃避しているという形の)繁殖干渉によるものであることが解説されている(干渉の強さはモンシロ>ヤマト>スジグロになっていて餌の質と相関している).この3者間の関係は細部がかなり複雑で,本稿はそれを詳細に解き明かしており大変面白い読み物になっている
 

第5部 科学哲学

 

チョウの行動生態学における前提に関する諸問題 竹内剛

「武器を持たないチョウの戦い方」でチョウのオス間の卍巴飛翔や追跡飛翔が,オス間闘争ではなく,互いに相手をメスかもしれない物体として交尾を試みている状態だという考え方を提唱し,数々の批判を受けた著者による科学哲学についての寄稿.
ポパーの反証主義,クワインの全体主義(反証を示すような実験結果も,理論,測定,仮説のどこが間違っているかを決定できないので,特定の言明は反証できないとする立場),ハンソンの理論負荷性(観察はあらかじめ持っている理論や言語により形成されるので理論から独立ではないとする立場,だから反証に見える結果も理論の反証なのか周辺の知識不足か区別できないとする),クーンのパラダイム論がまず解説され,そこからチョウのオス間の卍巴飛翔や追跡飛翔の解釈をどう扱うべきかが取り上げられている.
そしてチョウのこの争いをオス間競争(その持久戦バージョン)と考えるのは無理があること(勝つためには相手につき合う必要がない*8),しかし持久戦だとする主流の考え方はそこに互いに相手がオスであることが分かっているという暗黙の前提があり,これは理論負荷であり,最節約原理から棄却されるべきだと主張されている*9.いろいろ批判を受けて考え抜いたであろう内容で,その執念がうかがえて楽しい寄稿になっている.
 
以上が本書の内容になる.さまざまなテーマをさまざまな切り口から扱っている寄稿が集められていて読んでいて飽きない.著者たちがいかにもチョウ好きという雰囲気でチョウをめぐる謎を追っておりそのあたりも楽しい.チョウ好きの人には応えられない一冊だと思う.
 
 
関連書籍
 
鈴木による繁殖干渉の説明のある一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170622/1498135500

 
繁殖干渉についてはこの一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/31/103323
 
竹内によるチョウの戦い方についての一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/12/25/115323

*1:またここでは現在ジャノメチョウやマダラチョウはタテハチョウ科にまとめられていることが多いが,実感とあわないとコメントがあって面白い

*2:かつてはコウモリの捕食から逃れるためという仮説も有力だったが,昼光性への進出がコウモリの出現より古いことが分かって否定されたそうだ

*3:オスの飛行パターンをメスの探索効率から説明している

*4:第2世代が成虫になるころにはその食草であった湿地性イネ科植物が枯れてしまい,第3世代幼虫は乾地性イネ科植物で育つ必要がある.そのために第2世代成虫は自分が育った場所から移動する.この移動にはエネルギーがかかるので第3世代の卵は小さくなっている

*5:オスがメスの周りを垂直方向に回転飛翔し,メスが受け入れる場合オスの回転方向に呼応して不規則飛翔する,その後オスメスで優雅な儀式的行動(まずオスが翅を小刻みに震わせて性フェロモンをまき散らしてゆっくり滑空,メスが3秒ほど追随,オスは素早くUターンしメスを追尾,メスはランダムな変速無定位飛翔に移り,オスがそれを追尾,無事に追尾できればメスがオスを受け入れる)を行う

*6:本稿の記述は大変充実しているが,行動生態学を名乗る本書に収録されるのに全く相応しくない表現もあり,とても残念だ(「アサギマダラが雌雄ともにPAを取り込むことは種の生存に有利に作用し,合目的的な行為である」などと書かれている.ここは単に対捕食者防御として(個体にとって)適応的であると説明すれば十分であろう).また本書の記述内容から考えると,もともと対捕食者防御用にPAを取り込んでいたが,その後オスのハンディキャップシグナルとして特定タイプのPAの大量蓄積が有利になったと考えられるが,そのあたりについての記述がないのも物足りないところだ.

*7:どのようにオスの多型が保たれているのか(頻度依存か,条件付き戦略か)には興味が持たれるが,その点については特に言及されていない

*8:著者の説明はやや分かりにくいが,チョウの場合直接的攻撃手段がないので,持久戦や儀式的闘争で負けても追い出されないはずであり,であればそのようなコストのかかる闘争に付き合う必要がないという趣旨だと思われる

*9:この著者のスタンス自体はわかるが,そもそも相手がオスだと分かっていても攻撃手段がなくて闘争を避けてもメス探索で不利にならないなら闘争しないはずだという反論の方が説得力がありそうに思われる.そして主流の立場の論点は同種メスを見分ける能力がいかにも適応価がありそうで,それが進化しているという方が最節約的(進化していないなら何らかの制約を仮定する必要がある)というところになるのではないだろうか