War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その55

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その16

 
ターチンは本章でここまでフランク帝国のカロリング朝時代の4つの辺境に後のヨーロッパ列強につながる強国興ってきたことを説明してきた.最後に冒頭の疑問に戻り,なぜ中国では統一状態が継続したのに,ヨーロッパは再統一されなかったのかを議論する.そしてまずダイアモンドによる地理的説明を否定した.
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その2

 

  • 実際にはヨーロッパが例外なのではない.中国こそが例外事例なのだ.世界のどこにもこれほど長く帝国が継続した場所はない.逆説的に聞こえるかもしれないが,その究極の理由は地形,より正確には環境にある.東アジアの気候分布には乾燥したステップ地帯と降雨量の多い農耕可能地帯の間にはっきりとした境界がある.人類が遊牧を覚えて以降この環境境界は遊牧民と定着農耕民のメタエスニック辺境と重なり続けた.
  • ステップ地帯からの圧力の元で中国の農耕民は次々に帝国を打ち立て,遊牧民は大統一部族連合を次々に形成したのだ.中国は時に遊牧民の土地に遠征したが,そこで作物を作ることができないため永続的に占領することはできなかった.遊牧民も何度も中国んに征服王朝を打ち立てたが,しかしそうなるとすぐに中国に同化してしまった.この中国文明と遊牧文明の断層線は東アジアの地理に基礎があったのだ.だから中国には普遍的な帝国が次々に興った.普遍的な帝国とはある文明の内側すべてを統一したものだ.
  • ユーラシアの西側部分にも2つの普遍的な帝国があった.ローマ帝国とカロリング朝フランク帝国だ.どちらの帝国もメタエスニック辺境に興った.そういう意味では中国の帝国に似ている.しかしローマとカロリングは辺境をコアから遠くに押しやった.そして何百年も辺境を離れたために両帝国のコアはアサビーヤのブラックホールとなり,人々は機能的な国家を組織できるようなスケールでの協力ができなくなったのだ.

 
ターチンの説明は歴史法則「メタエスニック断層の近くではアサビーヤが上がることにより強国が生じ,それが帝国の元となる」は中国にもヨーロッパにも当てはまるが,ヨーロッパではメタエスニック断層の位置が動きアサビーヤのブラックホールが生じたが,中国では(気候帯の配置から)動かなかったためにブラックホールができず高いアサビーヤを持つ強国が興り続けたというものになる
 

  • カロリング朝フランク帝国の衰退の後,そのコアは(ザクセン朝とザーリアー朝の皇帝の元で)また別の内心化と遠心化のサイクルに入り,そして分解し,それ以降統一されていない.この崩壊したコアの外側に辺境に接した新しい力の中心がいくつか生まれた.この興隆する強国はかつてのコアをめぐった争いあった(ローマ帝国が崩壊した後,地中海世界が二度と統一されなかったのも同じだ).そしてコアと反対側への拡張の方が容易だった.何世紀か経ち,強国たちは最終的にコア地域を分割して分かち合った.フランスはロレーヌとアルザスを,ハプスブルグはオランダを,プロイセンは(ルクセンブルグなどのわずかな断片を除く)その残りをとった.

 
コアがブラックホールに飲まれてつぶれ,周辺の強国が分けあったという説明は鮮やかで分かりやすいイメージを提示している.そしてここでターチンは地中海沿岸が二度と統一されなかったのも同じだと書いているが,ここはかなり微妙だ.もし同じようなことが生じたのなら,(ターチンが南イタリアについて議論したように)ブラックホール跡地はその後もアサビーヤのない地域に成り果てることになるが,西ドイツ地域はそうなってはいない.南イタリアもイスラムとの断層に面していたことも合わせ,やや都合の良いチェリーピックのような説明になっているように思う.せめてなぜこのような違いになったのかは説明があるべきだろう.