War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その68

 
 
14世紀フランスの黄金時代からの崩壊.ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だが,一般市民と貴族層が異なるマルサス過程に乗っているという複雑性があることを指摘する.そして一般市民から遅れてマルサス過程に入った貴族層は互いに争い始める.ターチンはここで満を持して百年戦争を解説する.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その12
  • 中世フランスの経済社会トレンドは14世紀の崩壊の理由を示唆している.しかしながら,具体的な経緯を精査する前に1つの神話を払拭しておくことが必要だ.その神話とは「フランスの問題は百年戦争(1338-1453)として知られる英国とのコンフリクトからもたらされた」というものだ.
  • まず第一に1338年とか1453年とかいう年代は完全に恣意的なものだ.この期間英国とフランスが継続的に戦闘していたわけではない.休戦期間も多い(最長のものは1389〜1411).1338年以前にもフランスと英国は戦っている(直前のものは1324〜1327,その前は1294〜1298).1453年以降も両国は戦っている(1475,1489〜1492の戦いがある).実際ほとんどすべての世代においてフランスと英国は戦っている.これはいわば千年戦争(1066〜1815)の一期間に過ぎないのだ.
  • 第2に英国人口はフランス人口の1/4しかなく,純軍事的に見ると英国はフランスに到底及ばない.たしかに英国はいくつかの戦闘で劇的に勝利した.しかし結局フランスが内戦により窮地にある時にしか占領地を保持できなかった.フランスが内部で結束できればすぐに占領地は奪い返されたのだ.今日の歴史家は百年戦争が長引いたのは王朝間の抗争のためではなく,フランス内の勢力間(国王.ブルターニュ公,ブルゴーニュ公,ギュイエンヌ公,フランドル伯,アルマニャック伯など)の闘争のためだったということを強調するようになった.これらの大領主たちが相争う時には貴族たちも各地域で派閥ごとに殺し合い,農民は反乱した.フランスの歴史家ブローデルは「『百年戦争』は『百年の敵意』と呼ぶ方がより適切だ」とコメントしている.

 
私はこの時期の歴史についてはそんなに詳しくなく,百年戦争とか薔薇戦争とかは中世の長く続いた戦争としてのイメージがあるだけだが,その内実についてはいろいろ研究が進んでいるということなのだろう.

 

  • 百年戦争の第1フェーズ(1338年の最初の勃発から1361年のプレティニーの和約まで)はフランスにとっての悪夢だった.大きな戦いが4つ(スロイスの海戦:1340,クレシーの戦い:1346,ポアティエの戦い:1356,カレー陥落:1347)あり,すべてフランスの大敗だった.強力なフランスが小さな英国に何度も敗北したという事態は同時代人にとって非常な衝撃だった.クレシーの戦いの状況(英国軍12000に対してフランス軍3〜40000)は特にこれをよく示している.この戦いの結果のよくある説明は英国軍の弓兵の効果的利用だ.たしかにロングボウは強力な武器だったが,フランス軍の敗北には別の要素,つまり団結の欠如があった.

 
ロングボウの武器としての優秀性は,射程500メートルにも達するというその威力に加えて(フランス側の主力投擲兵器であった)クロスボウに比べて速射性にすぐれ,百年戦争で目覚ましい効果をあげたとしばしば説明されるものだ*1.ターチンとしては当然ながら武器だけではなく団結性でも説明したいということだろう.

 

*1:欠点としては弓を引くために強い力が必要で,習熟が困難であり,弓手の養成に時間がかかり補充も難しい点がよく挙げられているようだ