War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その70

 
 
14世紀フランスの黄金時代からの崩壊.マルサス過程の階級ごとのズレを元にしたターチンの説明は最後に百年戦争を扱う.第1フェーズでは,本来国力に勝るはずのフランス軍が,食い詰めものの寄せ集めのぐだぐだから,国王自ら捕虜となるという屈辱的大敗北になったという経緯が語られた.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その13

 

  • 皇太子(後のシャルル5世)が率いることになった政府には2つの難題が突きつけられた.
  • 第1の問題は,たとえ国家破産となろうともジャン2世の身の代金3百万リーブルを用意しなければならないということだ.皇太子は3部会を招集して泣きついた.
  • 第2の問題は,重税を課したにもかかわらずの連敗が政府の信頼を完全に失墜させたことだ.そして貴族層自体,財政的な問題を抱える中,自分たちの関係者の身の代金を用意しなければならないという問題を抱えていた.同時代の年代記作者フロワサールは招集された3部会の様子を描写し,議論の焦点が集められた税の使われ方という問題に移っていったと書いている.(ここで3部会による王家による貨幣鋳造の停止,ジャン2世の任命した財務高官たちの逮捕などの要求,それを受けた高官たちの外国への逃亡,3部会による新たな財務高官たちの任命という事態の成り行きと,それが実質的なクーデターとなったことが語られる)

 
大敗北はさらに(すでに反乱を抱える)統治側内部での亀裂つまり団結の崩壊を生んだということになる.そして更なるトリックスターが登場する.
 

  • この1356~58年の革命的な3部会のリーダーはエティエンヌ・マルセルだった.彼は都市の商人階級に属し(詳しい説明がある),それまでの数十年で富裕になり,今や権力と地位を欲していた.彼はパリの都市大衆を突撃隊として利用し,皇太子からの譲歩を引き出した.

 

  • マルセルと皇太子の対立は1358年1月にクライマックスに達した.引き金を引いたのはよくある報復の連鎖だった(1人の市民が殺されたことから始まる報復連鎖の詳しい説明がある).暴徒に部屋に押し入れられ高官を殺された皇太子は一旦マルセル側に降伏の意を表したが,すぐにパリを逃げ出し,支持してくれる貴族層を集めた.
  • 皇太子とマルセルの争いの中で政府機能は停止し,法による秩序は崩壊した.「大司教」と呼ばれたルノー・ド・セルボールはジャン2世が捕虜になったことで給料が未払い状態となった兵を集めて,プロヴァンスに進軍して,要塞や城を占領し,アビニョンまでの地域を略奪した.当時アビニョンにいた教皇インノケンティウス6世と枢機卿たちは恐れおののき,館に閉じこもった.略奪が一段落したあと教皇はルノーと交渉に入った.ルノーは歓待され,大金を与えられ,すべての罪が許され,その後も略奪軍の指揮をとり続けた.
  • 略奪軍は他にも存在した.パリ周辺は,除隊したフランス軍兵士たち,英国軍,悪玉ナヴァルのシャルルを救出した支持者たちによって荒廃した.何年もの重税を課されていたイル・ド・フランス地方の農民たちにとってこの略奪は最後の一撃になった.

 
まさに国中でぐだぐだになっていたということになる.
 

  • 1358年の夏までにフランスの幸運の車輪はボトムまで落ち込んだ.国王と名だたる貴族たちは英国の捕虜となった.皇太子に率いられた政府はパリの民衆によりパリを追い出され,ナバルのシャルルによる反乱に直面していた.イル・ド・フランス,ピカルディ,シャンパーニュで農民が蜂起していた.そして,黒死病,英国軍の勇気,悪天候,その他の様々な環境要因もこの崩壊の原因ではあっただろうが,最もクリティカルな要因(そしてすべての幸運の車輪の動きの要因)は,「協力」だったのだ.協力の崩壊はそれが地域間だろうと階層間だろうと同じく重要だった.

 
このフランスのどん底までの描写で第8章は終了だ.フランスのこのどん底からの回復は次の第9章で扱われることになる.