書評 「WEIRD 「現代人」の奇妙な心理」

  
本書は文化進化研究の第一人者で「文化がヒトを進化させた」の著者でもあるジョセフ・ヘンリックによる一冊.WEIRDという書名から多くの心理学研究のサンプルが西洋諸国の大学生に偏っている問題を扱ったものかと思っていたら,そうではなく,この西洋諸国の大学生の心理傾向が,実際にとても奇妙(weird)であり,それがどのようにしてそうなったのかを説明していく大著だった.ヘンリックの説明はもちろん文化進化を主軸においているが,歴史的経緯が詳しく描かれており,読みごたえのある本に仕上がっている.
日本を含む東アジアの人々にある集団主義的心理と,西洋の人々の個人主義的心理の対比は,これまで様々に取り上げられてきているし,文化心理学という学問領域にもなっている.本書はそれを深掘りするだけではなく,全人類サンプルの中で現代西洋人の心理が非常に特殊であること,そしてそれがどのようにして形成されてきたかということが詳しく考察され,さらには近代西洋の優越の原因論にも踏み込んでいる.原題は「The WEIRDest People in the World: How the West Became Psychologically Peculiar and Particularly Prosperous 」
 

はじめに

 
冒頭で本書に至る経緯が書かれている.
2006年にUBC(ブリティッシュコロンビア大学)の教授に就任し,「国家の富と貧困」という講座を持ち,なぜ国によって繁栄に違いがあるのかを考え始めたこと,その後同僚のノレンザヤン,ハイネと西洋人の異質性を語るようになり,心理学のWEIRD問題(偏ったサンプル,人々の心理は一般に理解されているより多様であること,西洋人が実際に独特であること)に気付き,それを論文にしたこと,そしてその原因をどう説明すればいいのかを考察し,本を書き始めたが,大部になったのでまず第1部となるはずの部分を独立させて「文化がヒトを進化させた」を書いたことなどが語られている.要するにヘンリックにとっては本書こそが真打ちだということになる.
 

序章 あなたの脳は改変されている

 
序章ではヒトの脳が発達過程の環境に応じて可塑性を持つことが読み書き能力の例とともに解説されている.そしてこれは現代人がそれまでに登場した社会の人々と神経学的にも心理学的にも異なっているという意味を持つと強調される.これは神経科学や心理的多様性が文化進化や歴史に大いに関係するというということも意味する.
そして西ヨーロッパにおける16世紀以降の識字率の急上昇が取り上げられ,それが宗教革命のプロテスタントの「聖書のみ」という教義と関連すること(宗教改革の震源地からの距離と識字率や学校の数に相関があることが示されている),さらにその他の心理傾向に影響をもたらした可能性が指摘される.
またここでは本書全体のテーマとなる4つの考え方が提示されている.

  1. 宗教的信念には意思決定,心理,社会のあり方に強い影響力を持つ
  2. 文化にはヒトの脳や心理を形成していく力がある
  3. 文化による心理的変化にはその後に起こる事柄の方向性を決定づける力がある
  4. 1900年時点では高度な識字率を持つ西ヨーロッパの人々は世界全体から見てかなり奇妙な人々だっただろう

 

第1部 社会と心理の進化

 

第1章 WEIRDな心理

 
冒頭でまず西ヨーロッパの,教育水準の高い,工業化された,裕福な,民主主義社会の人々(“WEIRD”な人々)には固有の心理的特徴があり,それがどのような過程を経て得られたものか,それが西洋の台頭を説明できるかが本書のテーマであると提示する.
 
そこから第1章ではWEIRDな心理的特徴とその他の世界の人々の心理的特徴が対比される.
まずそれ以外の世界の人々が「親族ベース制度」の元にあり,世襲的な内集団重視の世界で血縁ネットワークの中で成功していくための心理(内集団に従う,年長者や賢人などの権威に従う,近しい人々の行動を監視する,内集団と外集団をはっきり区別し外集団には不信を持つ,身内ネットワークの成功を優先するなど)を持っていることが解説される.
そしてWEIRDな心理の基本的特徴が詳しく解説される.ここでは以下の3つの主要素から解説されている

  1. 個人主義および個人的動機づけ:自己注目,自尊感情,自己高揚を重視,恥感情より罪感情が強い,(一貫性を持つ)性格を重視,同調傾向が低い,忍耐力自制力が高い,時間節約的で勤勉,選択の自由を好む
  2. 非人格的向社会性:(身内優先の排他主義より)公平原則,見ず知らずの他者をまず信頼し,誠実公正に対応して協力を試みる,道徳判断において(結果だけでなく)心的状態を重視,復讐への関心が低い,第三者罰に積極的,内集団びいき傾向が低い,個人の選択の重視,道徳的普遍主義(身内かどうかで判断を変えない),直線的時間と進歩の概念を持つ
  3. 知覚能力,認知バイアス:(包括的思考より)分析的思考,(全体ではなく)前景や主役に注意を向ける,自分の所有物の過大評価.対象を背景から切り離す,自信過剰

そしてWEIRDな心理がヒトの標準から大きく外れているということは心理学や経済学分野では驚きを持って受け止められ,なお現状から目をそらしている学者も多いが,流れは変わり始めているとコメントされている.
 

第2章 文化的動物となる

 
冒頭は,ヨーロッパ系の脱獄囚がオーストラリアのアボリジニ部族に救われ,彼らの親族ネットワークにすっぽりおさまった逸話から始まっている.彼らの狩猟採集技術の高さ,そして氏族,部族,婚姻グループ,儀式,それらにかかる社会規範の重要さと複雑さはヒトが文化的な動物であることをよく示している.
そして前著で示された文化進化の議論が簡単に示される.文化的学習能力,文化的学習の要素(誰から,何を,どんな時に),文化学習により神経学的ハードウェアが変更されること,累積的文化進化,文化進化の産物としての社会規範,文化形成に影響を与える生物学的(本能的)なアンカー(血縁者への利他,つがい形成,父性の確実性を求める心理,近親相姦への嫌悪など),そのような本能に根ざした制度は血縁関係や部族関係を元にした「親族ベース制度」を生み出しやすいこと,儀式の意味(同期性,目的志向,音楽などを利用したマインドハックシステム),文化-遺伝子共進化(ルールの理解と内面化,相互依存心理,部族意識)がまず概説されている.
次に制度がヒトの脳に(可塑的な)影響を与える道筋が示される.ここでは偶発的効果,文化的学習と直接体験,発育期の影響が議論されている.このあたりは最近サポルスキーが整理しているのとよく似ている.
 

 
最後に本書を読み進める上での注目ポイントが整理されている.

  • ヒトの脳は文化を扱う特別仕様になっており,文化はヒトの脳,ホルモン,行動を変化させる様々な仕掛けを編み出してきた.
  • 最も習得されやすく内面化されやすい制度・社会規範は淘汰産物であるヒトの心理の諸側面を巧みに利用するものだ.
  • 人々は自分たちの制度がどうしてうまく機能するのかをほとんど理解していない.制度のついての理論はほとんど後付けで,しばしば誤りだ.

 
なおここでここでヘンリックは文化-遺伝子共進化において,異なる文化(特に社会規範)を持つ部族同士の競争が重要だとコメントしているが,特に向社会性や利他的傾向の説明を試みるわけではなく,ヒトの心理面については文化とともに生きる上で有利になりそうなユニバーサルな心理傾向を示すにとどめていて前著に比べてかなり穏当な内容になっている*1.なおヘンリックは(最終章で議論されるように)WEIRD心理が遺伝子進化の産物だとは考えていない.
 

第3章 氏族,国家,そして,ここからそこに到達できないわけ

 
第3章からWEIRD社会に至る文化進化の経路の考察が始まる.第3章では狩猟採集社会の規範・制度からプレ近代国家にみられる親族ベース制度に基づく複雑な社会規範・制度への経路が考察される.
 
最初に社会のスケールアップの難しさと文化進化の経路依存性が取り上げられる.

  • ニューギニア高地ではほとんどの共同体が300人以下だったがイラヒタ共同体は2500人を超える集団を維持した.その鍵になったのは独特の儀式と社会規範と信念のパッケージで,8対の儀式グループと5層以上の階層からなる複雑な編成で諸氏族と村を結びつけ,共同事業と相互義務のネットワークが張り巡らされていた.(その起源と文化進化の経緯についても説明されている)
  • このイラヒタの例からは社会規模の拡大の難しさがわかる.拡大には集団間競争(直接抗争だけでなく移住者数,文化伝達力,人口増加などの競争を含む)と新たに広がる社会規範・制度の(既往の規範・制度との)社会的心理的適合性が重要だ.これらの要因は文化進化に経路依存性を与える.

 
ここから狩猟採集社会からプレ近代社会への文化進化の経路の考察が始まる,このあたりの文化進化経路の推測には文化人類学的な味わいがあり楽しい.少し詳しく紹介しよう.
(ここで出発点としてアマゾン流域のマチゲンガ族の極めて個人主義的でかつ親族ベース制度に根ざしている社会の説明がある)

  • 最終氷期が終わり農耕への生態学的な扉が開かれた.ここで土地を守る能力を高めるような規範を持つ集団が優位になっただろう.そして農耕の発達と社会の複雑さの間に共進化が生じた.
  • まず双方的出自の親族システムから単系出自の親族システム(氏族)に向かう変化が生じた.氏族は系統の一方を優先することにより集団拡大時の内部抗争をより抑えることができたからだ.よく見られる父系氏族性の特徴には父方居住,父親経由の相続,連帯責任,氏族外婚姻の奨励(同盟関係の拡大),家父長の縁組み決定権などがある.
  • 氏族内の結束を高める分節リネージ性,年齢組制が集団間競争を通して広まっていった.分節リネージ性とは氏族を系譜によりまとめる仕組みで,より近縁な氏族同士は同盟関係を組み,より遠縁の氏族同盟と対抗するような規範を持つ.またそれぞれの氏族や氏族同盟は自分たちの評判を保つために属する氏族全体を監視し,規範違反者に罰を与える.年齢組は儀式を中心に一連の権利義務を持ち.水平方向から親族ベース集団の統合を行う.ただしこの2つだけでは権威の集中を成し遂げることが難しい.
  • 権威の集中を可能にするのは分節リネージの中で氏族に序列がある制度だ.そのような移行は,例えば儀式執行権限を特定部族に上手く集中させるようなことにより可能になる.
  • さらに最上位氏族だけでなく,個人に権限を集中させたのが首長制社会になる.これは戦争などにおいて迅速な意思決定を可能にしただろう.そしてそれにより征服や吸収により勢力を拡大できるので,最高位の首長を戴くシステムが生み出される傾向がある.
  • ここで上層部と下層部が姻戚関係を結ぶのをやめると真の社会階層が出現し,さらに間を介在する官僚機構が導入されれば,階層化された首長社会,つまり王国(プレ近代国家)が生まれる.(有能な非エリートの官僚機構には,効果的な支配を行い,かつ支配者のライバルが生まれる余地を減らすという機能がある)
  • このような社会では上層部も下層部もなお親族ベース制度が基礎にあり,秩序維持は各氏族に任され,個人には何の権利もなかった.またこのような王国が急拡大すると内部の権力争いが表面化して機能不全や崩壊に進むようなことがしばしば起こった.その場合に社会は基礎にある親族ベース制度中心のものに戻ることになる.

この最後の部分の説明はターチンのクリオダイナミクスの議論に似ていて面白い.結局このような通常のサイクルの中では親族ベース制度は崩れないことになる.
 

第4章 神様が見ておられる,正しい行いをなさい!

 
第3章では親族ベース制度における文化進化の状況(社会は時に首長権力が強大化するが,内部抗争の結果元に戻リ,親族ベース制度は継続する)が解説された.ここからヘンリックはWEIRD社会への進化はどのような特殊な経路だったのかを考えていくことになる.第4章ではその前に,今後議論されるWEIRD心理の登場の大きな要素である宗教についての整理がなされる.
 
冒頭では様々なWEIRD集団で行われた(つまりよくある心理実験で行われた)神プライム,世俗プライムの効果が解説されている.WEIRD集団のうち信仰を持つ人々では神を思い起こさせると独裁者ゲームでより多くを分け与え,テストのカンニング比率が減る.ヘンリックは文化進化は世界の諸宗教に日常生活への神プライムを埋め込むように(神や来世や地獄という概念,儀式,普遍的道徳という形で)働いたのだと説明している.

  • 超自然的な信念や儀式が生まれる要素には,他者から学んだことを信じる傾向,心の進化の副産物,集団間競争がある.文化的学習を重視する傾向は信仰本能のようなものを生み,メンタライジング能力は神のようなエージェントや心身二元論を信じる傾向を生む.そして集団間競争は,様々な信仰の中から,より協力的で内集団のために犠牲を厭わず,内部の調和が得やすいものを文化進化させていく.
  • 特に重要だったのは,神がヒトの集団内の協力や調和にかかる行動に関心を持ち,監視能力に長け,(死後の世界を含む)超自然的懲罰と報償を与えることだったろう.(様々な信仰内容と協力傾向に相関があることを示す実験が紹介されている)
  • もちろん文化進化は単に集団間競争だけでなく様々な要因の影響を受ける.支配層による操作の要因もあっただろう.ただ,実際には支配層も熱心に神の要求に従おうとしていた事例が多く見られる.
  • 親族ベース制度との関連では,まず氏族の始祖の神格化から氏族神が現れ,そこからより大きな神が現れたのだろう.そして首長の権威が神と結びつくようになった.
  • メソポタニア文明の神はこのような段階であり,王たちの正統性を高め,商業を促進し,契約不履行を罰した.古代ギリシア,古代ローマの神も同じ段階であり,公衆道徳の維持者であり,個人,一族,都市に利益を与え,軍隊を鼓舞し,宣誓違反(契約違反,汚職など)を取り締まるものだった.
  • 紀元前500年ごろから特定の行動の賞罰を行う普遍神を抱く宗教(普遍宗教:現在まで残るものとして仏教,キリスト教,ヒンズー教,少し遅れてイスラム教)が現れ始めた.これらは不確定な死後生(生前の行いにより来生が変わる),自由意思(行動選択する個人の力の強調),道徳的普遍主義という特徴を持つ.これらは経済的繁栄につながる特徴だったと考えられる(いくつかの統計が参照されている).
  • さらに普遍宗教は教義的儀式(信仰内容を表す儀式を頻繁に繰り返す)を持つ.これは(コストの高さから来る)信憑性ディスプレイ(殉教などのコストのかかる行動の賛美,様々なタブーなど)を利用したものだ.このような儀式は広範囲に普及し標準化され,(氏族的部族の外側に)「超部族」的集団を誕生させた.これがWEIRD心理が登場するための舞台を用意したのだ.

 
この部分は宗教の文化進化が詳しく議論されていて面白い.仏教が普遍神を持つ宗教だというのには違和感があるが,罪を犯すと地獄に落ちるという要素はあるということだろう.ここで宗教の文化進化について集団間競争以外の指導者による信者操作の要素もあると認めているのは,よくあるグループ淘汰推しの雑な議論に比べて好感が持てる部分だ.とは言え,なぜ操作の要素より集団間競争の要素の方が圧倒的に重要だと考えるのかについてはあまり深い考察とはなってなく,そこは残念な部分となっている.
 

第2部 WEIRDな人々の起源

 
第2部ではヨーロッパにおける親族ベース制度の解体とそれに基づく制度や心理からWEIRDに向かう経路が考察される.
 

第5章 WEIRDな家族

 
第5章では,まず冒頭でWEIRD社会は特に家族のあり方が独特である点が指摘される.

  • WEIRD社会ではあらゆる方向に広がる親族ネットワーク(およびそれに絡みとられた義務と責任関係)がなく,配偶者は1人だけで,恋愛により決まり,親族間の結婚は禁じられている.新婚夫婦は双方の親の世帯から独立し(独立居住婚),血縁関係は父方母方の双方から決まる.財産は個人の所有となる.親族の紐帯がないわけではないが核家族を超えたそれは弱い.WEIRD性をよく示す指標としては,双方的出自,イトコ婚の禁止(ここでのイトコはおじ姪,おば甥,またいとこを含む),単婚制,核家族,独立居住婚が挙げられる.
  • これは極めて独特で,グローバルな人類学データベースに含まれる社会の99.3%はWEIRD社会に該当しない.

 
ここからどのようにこれが成立したのかが考察される.

  • ヨーロッパで親族ベース制度が徐々に劣化解体していったのはAD400~1200年ごろだ.これはローマ・カトリック教会(およびその前身の西方教会)の影響によるものだ.
  • ローマ・カトリック教会の婚姻・家族政策は古代末期から中世にかけて(他宗教やキリスト教他派との競争関係の中で)文化進化プロセスにより進化し,単婚制の核家族を推進する教義とそれに関する禁止・指示命令体系を持つようになリ,それが(氏族などの親族組織の弱体化,教会の資産増強を通じて)教会の大成功につながった.
  • 古代末期のヨーロッパ部族は他の世界と同じく親族ベース制度に基づく社会を持っていた.彼らは父系に偏った拡大家族世帯を形成し,個人アイデンティティは親族ベース制度から付与され,取り決めによる親族婚が習わしで,地位の高い男性は一夫多妻だった.これはローマ帝国の中心部でもそうだった.
  • 教会による結婚についての教義の歴史は4世紀ごろからたどれる.いとこ婚,ソロレート婚(妻の死後妻の姉妹と結婚すること),レビレート婚(継母や死亡した兄弟の妻と結婚すること)の禁止がまず現れ,数百年かけて禁止範囲が拡大していった.また非嫡出子への相続を認めないことで,合法的な結婚を認める権限が教会にあることを認めさせ,一夫多妻を牽制した.そこに首尾一貫した計画はなかったが,成功事例が寄せ集められ,10世紀ごろには「教会の婚姻・家族プログラム:MFP」と呼ぶべきものができ上がっていった.そこでは血縁者との婚姻や姻戚との婚姻が禁じられ(禁止範囲はどんどん広がった),一夫多妻婚が禁じられ,養子縁組みが制限され,婚姻には新郎新婦の自由意思による同意を必要とし,独立居住婚と財産の個人所有を推奨した.これらは慣習法の成文化ではなく教会による新たな規制であり,教会は破門などの罰則でこれを積極的に押し進めた.
  • MFPは古代ローマ法とユダヤ法にキリスト教の禁欲主義と自由意思についての強迫観念が合わさったものだ.これは婚姻による同盟の構築・維持戦略,氏族やリネージなどの(一夫多妻,離婚と再婚,養子縁組みによる)跡継ぎ戦略を弱体化させることで緊密な親族ネットワーク構築の妨害として機能し,人々を緊密な親族ネットワークから解放した.親族ネットワークの弱体化と個人所有権の強化により教会への遺産贈与は容易になり(また婚姻に関する権限からの収入もあり),教会には資産が流入した.
  • また婚姻を通じた貴族層の同盟関係ネットワーク阻止という共通目標から,7世紀以降教会はフランクの最高支配者と手を組んだ.カロリング朝の王は教会の教義を認め,シャルルマーニュは教皇から「ローマ皇帝」として戴冠される.カロリング帝国内では親密な親族関係に基づかない荘園制が出現し,互いに非親族の独立居住婚世帯が協力のネットワークを形成するようになった.
  • 中世末期にはカロリング帝国領域内のMFPの濃度が上がり,ヨーロッパの結婚形態において,独立居住婚,結婚年齢の上昇,障害未婚女性の増加,世帯規模の縮小と子供数の減少,結婚前の就業期間の増加が見られるようになった.(帝国領域外のアイルランドやスペイン南部やイタリア南部ではこの影響が小さい)
  • このような親族関係の変化は,ヨーロッパにおける任意団体の発展と普及への道を開き,宗教団体だけでなく,憲章都市,ギルド,大学などが現れるようになった.教会自体も親族関係の色が薄れ,憲章を持ち,修道院長が民主的に選ばれるなど(現代でいう)NGO的な組織になっていった.

 
この章の内容はなかなか興味深い.たしかに氏族間ネットワークの構築を妨害するのは教会にとって有利に働いただろう.しかし,ではなぜユダヤ教,イスラム教,ヒンズー教,仏教さらにギリシア正教などではMFPを発達させなかったのかという疑問が残る.ヘンリックとしてはたまたまの発端と経路依存だと考えているのだろう.しかしいかにも収斂進化しそうなところだけになんからの説明がほしいところだ.
 

第6章 心理的差異,家族,そして教会

 
第6章では親族ベース制度の緊密度の違いやMFP濃度の差がどのような心理的差異と相関するのかがテーマとなる.まず緊密度の測定方法に(民俗誌アトラスの人類学データから求めた)親族関係緊密度指数(KII指数)とより新しいデータが利用でき,国別比較が容易なイトコ婚率*2の2つを用いることの説明がある.そこから国別比較により得られた様々な相関がデータやグラフとともに取り上げられる.

  • KII値,イトコ婚率が高い国ほど,以下の傾向が認められる.
  • 社会あるいは社会規範を厳しいと感じており,罪感情より恥感情をより感じる傾向が高い.これは親族ベース制度のもとでは内集団が相互監視的になる状況を示している.
  • (アッシュの同調圧力実験により測定した)同調傾向が高く,個人主義傾向が低い.これは伝統の厳守,従順の重要性から来ていることを示唆する.
  • 見ず知らずの人,初対面の相手,異なる宗教信者に対する信頼度が低く,外集団・内集団信頼差が大きい.公共財ゲームの第1ラウンドでより小さな金額しか拠出しないし.匿名の自発的献血を行うことが少ない.道徳的普遍主義より内集団への忠誠を優先する傾向が高い(より親族のために偽証しやすい).非人格的正直さゲームで不正直な回答の割合が多い.そして外交官はニューヨークの駐車違反罰金をより支払わない.これらは親族ベース制度では内集団への忠誠が特に重要であることから説明できる.
  • 罰あり公共財ゲームで罰された場合に,報復に出る(これはWEIRD集団では極めて稀).このため罰あり公共財ゲームでの平均寄付額が少なくなる.親族ベース制度のもとでは,罰は同じ氏族の元からのみ受けるもので,別の氏族から罰を受けるのは氏族間抗争を強く示唆することから説明できる.経済学者は罰を協力の条件だと考えがちだが,これはWEIRD集団にしか当てはまらないのだ.
  • 道徳的判断において意図性を重視しない.親族ベース制度の氏族間抗争の文脈では行為の意図性より与えた被害の方がはるかに重要であることを示唆している.
  • 分析的思考より包括的思考を行う傾向がある.親族ベース制度の強い農耕型社会で自助努力で独立して成功するより,状況に依存して物事に対処することの重要性を示している.(これに対して状況独立的な社会にはWEIRD社会とともに狩猟採集社会が含まれる)

 
次にこれらのKII値,イトコ婚率の差を作ったのが教会だったかどうかが吟味される.

  • 教区が設立された年代,さらにその後の移住の影響を計算し,世界各国の西方教会と正教会の「教会暴露量」を定量化する.そして各国のKII値,イトコ婚率との相関を見る,まず教会暴露量が大きいほど親族関係の緊密度が下がっていることがわかる(教会暴露量はKII値の分散の40%,イトコ婚率の分散の62%を説明する).
  • さらに両教会の差を見ると,KII値については差はなかったが,イトコ婚率は(正教会の影響がほとんどないのに対して)西方教会の暴露量に大きく影響されている.そしてここまでに見た様々なWEIRD的心理的傾向も,正教会暴露量とはあまり相関せず,西方教会暴露量と強く相関している.
  • この正教会と西方教会の影響の差はここまでにみたWEIRD的心理的傾向が,ローマの制度やキリスト教そのものに影響されているわけではなく西方教会の婚姻政策に強く影響されていることを示唆している.教会のMFP→親族関係の緊密度低下→心理パターンのWEIRD方向への変化という因果が推測される.
  • すると中世盛期には教会はヨーロッパの人々の心理をすでにある程度変化させていたのだろう.これはそれ以降のヨーロッパの制度や組織がなぜある一定方向に発展していったのかを理解しやすくする.

 
この章では様々な統計的なデータが図示されていて迫力がある.WEIRDの原因が古代ギリシアからの民主制の歴史,古代ローマの権力抑制均衡制度と緻密な法制度を含む実務的分析的文明,ゲルマンの集会による意思決定や自力救済を認める個人主義文化の影響(これらは専制的な王や皇帝が国を治める東方の国家のあり方とかなり異なるのでよく文化の違いの根本原因として指摘されるところだ)ではなく,キリスト教の一派の婚姻政策にあるというのはかなり意外な主張なので,この統計の提示にはかなり力が入っている.そういう意味で西方教会と正教会の影響の違いは印象的だが,疑問も残る.ギリシア正教地域でWEIRD傾向が低いのはビザンチン帝国時代のかなり東方的な専制皇帝制により.古代ローマの民主,代議,権力抑制均衡の文化がぬぐいさられたこと,ゲルマンの集会や自力救済文化が影響を与えなかったことで説明できるのではないだろうか.
 

第7章 ヨーロッパとアジア

 
第7章では第6章で国別のデータとして示された因果仮説をより細かい地域比較によって検証していくことになる.まずヨーロッパ内の細かな地域差が吟味される.ここでは心理的傾向として同調傾向,個人主義的傾向,非人格的公正さの3つが取り上げられている.

  • ヨーロッパ各地が西方教会・ローマカトリックの婚姻政策の影響下にあった期間は地域により異なる.基本的に旧カロリング帝国版図*3は暴露量が高く周辺地域に行くと低い地域がまだら状に現れる*4.ここでは前章より細かくヨーロッパを442地域に分割しそれぞれのMFP暴露量を定量化した.その上で各地域の所得,教育水準,宗教宗派,信仰心の強さ,および地理的・生態的・気候的要因の影響を統計的に統制した上で,上記心理尺度とMFP暴露量との関係を分析した.
  • 分析結果によるとMFP暴露量と同調傾向の低さ,個人主義傾向,非人格的公正さに正の相関があった.
  • ローマ教会の特免状から20世紀のフランス,スペイン,イタリアの57地域のいとこ婚率を推定すると,MFP暴露量が多いほどいとこ婚が少ないことがあきらかになった.この3国の地域のいとこ婚率の分散の40%がMFP暴露量から説明できる.
  • これらの暴露量の差は数百年以上昔の出来事であり,親族ベース制度が人々の心理に及ぼす影響は文化として受け継がれて持続することを示唆している
  • またこの分析は,北イタリアが中世に経済的に成功しルネサンスの舞台となり産業革命期に繁栄したのに対し,南イタリアが経済的に後塵を拝し,組織犯罪や汚職が多いのはなぜかという謎を説明してくれる.南イタリアはカロリング帝国の版図に入ったことがなく,11世紀以降ノルマンの征服までローマカトリック教会に組み込まれなかった.そしていまだに北イタリアに対していとこ婚率が高い.南イタリアではなお親族ベース制度の影響が残っているのだ.

 

  • 教会のMFP10~11世紀にかけて分析的思考,個人主義,非親族重視といういわばプロトWEIRD心理を育んでいったのだ.

 
この部分の議論は,第6章の国別の分析が,一国内の各地域においても当てはまることを示している.この章もデータが図示されていて迫力があるが,やはり古代ギリシア・ローマ文化でビザンチンに消されなかったものとゲルマン文化の影響もあるのではないかという疑問は残る.カロリング帝国内というのはまさに集会と自力救済のゲルマン文化の影響範囲とかなり重なるだろう.
なお北イタリアと南イタリアの差の説明が(同じく文化進化を重視する)ターチンと異なっているのはなかなか興味深い.
 
続いて中国,インドの各地域別の心理的差異が同じように吟味される.

  • アジアの親族緊密度は稲作と潅漑をめぐる文化と関連がある.水稲農耕の生産性を高く保つにはかなり大きな集団で協力する必要があり,そのような地域では氏族ベースのトップダウン体制が文化進化すると考えられる.
  • 中国の省ごとの水稲栽培面積割合は大きく異なる(揚子江流域以南の地域で水稲栽培面積割合が多い).これと漢族の学生を対象とした内集団びいき,自己注目,分析的思考の心理尺度との関係を分析したタルヘルムによる研究がある.それによると水稲栽培地域ほど内集団びいきが強く,自己注目が低く,分析的思考傾向が弱い.これは南北の境界にある5省の郡別の分析でも同じ傾向がある.
  • タルヘルムはインドでもオンライン参加者による同様な分析を行っている.やはり水稲栽培地域のインド人ほど分析的思考傾向が弱く,内集団びいきの傾向が強かった.
  • これらの結果は潅漑農業への依存度が国内で心理的差異を作り出せることを示している.ただしこの影響は教会のMFPの影響に比べればかなり小さい.

 
東アジアの集団主義と潅漑農業の関係は文化心理学などでも指摘されているところで,ここもデータが面白い.
  

第8章 WEIRDな一夫一婦婚

 
第8章では一夫一妻制がテーマ.冒頭では地位の高い男性にも一夫多妻を認めないWEIRD婚制度が特殊であることが強調される.

  • 集団生活をする霊長類で厳密な一夫一妻制をとるものはいない.力のあるオスは可能なら複数のメスと配偶するし,ヒトでも社会的地位の高い男性が複数の妻を持ち,女性はより広い選択肢を持つことが普通だった.知られているほとんどの狩猟採集社会は一夫多妻婚を容認し,農耕社会では男性間の不平等が広がリ,(地位の高い男性の)一夫多妻婚は極端になった.法的には一夫多妻容認が歴史的なデフォルトで,現代の社会で一夫多妻が禁じられているところもすべて西欧由来のWEIRDな考え方が起源となっている.
  • WEIRDの一夫一妻婚規範は,ヒトの一夫多妻バイアスやエリート男性の強い選好に逆らうものだが,それが生み出す集団間競争上のメリットにより文化進化したと考えられる.
  • 一夫多妻婚は配偶者を得る見込みが低く暴力や犯罪傾向の高い「過剰な男性」のプールを生み出す.これは至近的には高いテストステロンレベルから説明できる.
  • キリスト教の一夫一妻制はテストステロンレベルを抑制する強力なパッケージとして作用した.婚外セックスに対する締めつけを強化する社会規範を作り,離婚を困難にしたことが,(性比についての認識を通じて)テストステロンレベルの低下につながり,男性の競争心・冒険心を抑えて,非人格的信頼や自己制御を高める効果をもたらした.教会は独特の婚姻政策パッケージを通じて男性を「家畜化」していったのだ.この結果社会や組織に調和が生まれ,犯罪が減少した.男性にとっては,妻や妾の数について直接競争するのではなく,任意団体やチームを結成して集団レベルで競争する余地が広がった.

 
この章は第5章で現れたMFPの具体的説明となる.文化淘汰的優位性が強調されている*5が,やはりなぜ他の社会でそれが収斂進化しなかったのかの説明はないのがちょっと物足りないところになる.
 

第3部 新たな制度,新たな心理

 
第3部では緊密な親族ベース制度の解体が何をもたらしたかが扱われる
 

第9章 商業と協力行動

 
第9章のテーマは都市化,非人格的市場の拡大,市場規範,非人格的信頼と公正さになる.
冒頭では最後通牒ゲームや独裁者ゲームでほぼ半分を相手に与えるWEIRD的選択が全人類的にはかなり奇妙であることが扱われている.

  • 通文化的に最後通牒ゲーム,独裁者ゲーム,第三者罰あり独裁者ゲームを行い,その提案額を調べると,市場統合が進んだ社会ほど提案額が半額近くになり,市場統合の低い社会では1/4程度まで下がる.そしてこれは所得,財産,共同体規模,教育水準などの影響を受けない.(世界宗教を信じているかどうかは影響する)
  • これは見知らぬものが取引を行う市場においては,信頼関係を築くために公平,公正,誠実という市場規範に従うという評判が重要になり,それが条件付き協力傾向のデフォルトの初手としての非人格的向社会性として内面化されていくからだろう.(市場までの距離と条件付き協力性の相関を示す実験が紹介されている)*6
  • この非人格的向社会性はより効果的な任意組織を築く心理的基礎になる.さらにそれは明示的ルール,書面による契約,相互監視を伴う公式制度の基礎となる.そしてこれらの組織や制度は非人格的向社会性を高め,全体として心理と制度のフィードバックループとなる.
  • ここで緊密な親族ネットワークがあると取引相手を自由に選ぶことができず,市場規範が生まれにくい.そのような社会では商業の発展には大きな制約がかかり,これらの制約を回避する文化進化が生じる.中国では多数の父系リネージをまとめた超氏族が大規模系図を元にコネや信用取引を提供するビジネスが成立している.そのような社会では氏族間の調和を保つ裁定やルールが発生し,公平・公正・非人格的信頼の様な原則は生まれない.
  • 逆にヨーロッパでは大規模親族ネットワークによる商業は教会のMFPのため不可能になっていた.任意団体が自由に形成され,都市化とともに成員の獲得競争が生じ,都市では繁栄しやすい規範,法,行政組織が文化進化し,中世盛期以降,公平公正を旨とし自治を認める都市憲章,都市法,市民制度が急速に普及した.国王や皇帝も自領の繁栄のためにこれらの動きを肯定した.こうした都市に流れ込んだ人々はよりプロトWEIRD的心理を持っていただろう.そして実際に教会暴露した期間が長い都市ほど参加型統治の割合が高く,急速に成長した.
  • 効果的な制度や法を擁護する都市ほど発展しやすく,これらの都市の非人格的社会規範は商慣習法に結実した.別の任意団体である大学の普及により,(ローマ法の再発見もきっかけになった)法の研究が盛んになり,商法や契約法が発展した.片方で大学では居住地に縛られないラテン語話者の階級が生まれた.

 
この見知らぬ人に対するデフォルトの信頼傾向の東西差については,山岸俊男が信頼社会と安心社会として分析したものとほぼ重なっている.ヘンリックはこれについて親族ベース制度の解体が生んだWEIRD的な1つの特徴として論じていることになる.
 

 

第10章 競争を手なづける

 
第10章のテーマはフェアな競争制度.第9章で見た都市間・政体間の競争がなぜ暴力的な戦争により崩壊してしまわなかったのか,親族ベース制度の弱いヨーロッパでいかに非暴力的な競争を利用する文化進化が生じたのかが扱われる.

  • 戦争を経験すると内集団内の平等主義と協力傾向が高まり,地域団体への加入や参加が増える.また外集団への競争心が高まる.(いくつかのデータが紹介されている)これは衝撃により相互依存心理が刺激されることから説明できる.
  • そして戦争体験は(氏族,部族,都市.宗教共同体などの)相互依存ネットワークへの投資を増やし,社会規範への厳守体制が強化され,宗教的信仰心が深まるという効果を持つ.
  • ここでヨーロッパは,教会のMFPにより親族ベース制度が弱められた中で,カロリング帝国崩壊後1000年間も何百もの小さな(領主,都市などの)独立政体同士が争うことになり,この熾烈な淘汰圧の中で領域国家ができ上がっていった.そしてそこではより個人主義的で公正さを重んじる心理にあうような(憲法を持ち民主主義的な自治が重んじられる)公式の組織,法律,政府が形成された.
  • 同じような淘汰圧が親族ベース制度がしっかりある地域に働いたなら,祖先神への信仰が高まり,氏族に忠誠を尽くし,いとこ婚で同盟を結成し,年長者を敬うような規範意識が強まっただろう.(中国の例が説明されている)しかしヨーロッパはそうならなかった.
  • ヨーロッパでは戦争は都市の成長を促し,任意団体や都市の団結が強まり,市場規範が強化され,キリスト教への信仰心も高まった.国民国家が形成され始めると戦争は国民のナショナルアイデンティティを形成し,国家レベルの制度強化につながった.(英仏百年戦争やアメリカ独立戦争の影響が考察されている)
  • 経済発展が国力につながるため,制度に組み込まれた(暴力的にならないように)「手なずけられた」競争を経済システムに埋め込む方法が文化進化した.そのようなシステムの元では競争が激しくなるとより向社会的規範が強化され,非人格的信頼のレベルが高まる.(企業間などの)集団間競争は集団内での協力規範を強化し,フリーライダーへの罰も強化される.
  • これらのフェアで非暴力的な集団間競争の様相は現代の複数政党制民主政治,チームスポーツ,10世紀以降の修道院の信者獲得競争,ギルド間競争,大学間競争に見られる.ギルドはのちにより効率的な共同経営やジョイント・ストック・カンパニー(株式会社の前身)に移り変わっていった.境域国家間競争で有利になったのは暴力を伴わない集団間競争を社会に埋め込む方法を編み出した国家だったのだ.

 
ヨーロッパの覇権が,領域や国家間の頻発した戦争や国力競争による軍事,産業技術,制度の進展にあるというのはよく聞く議論だ.ヘンリックはここでフェアで非暴力的な経済競争(および信者や学生の獲得競争)に特に力点を置いている.経済競争は国力につながり,国家間の戦争を含む競争環境の中で.より成長しやすい制度が文化進化したというのはわかる.政党間や宗派間の争いも国内で暴力的になっては不利だったからその文化進化もわかる.ただ大学の学生獲得競争はヨーロッパ全域で行われており,なぜより非暴力的なシステムが文化進化したのかについてはこの説明ではよくわからない部分がある.単に学生獲得競争という物事の性格上,暴力がなじまなかった(あるいはコスト的に引きあわなかった)ということではないのだろうか.
 

第11章 市場メンタリティ

 
第11章のテーマは非人格的市場が拡大した社会に適応する様々な心理的な特徴(特に分業の進展とパーソナリティ特性)になる.

  • 個人主義的傾向の強い都市住民ほど速いペースで歩き,時間節約志向が強く,時間に几帳面だ.それは作業効率を真剣に考えざるを得ないことからもたらされた.そしてその後,時計と印刷機が導入され,経済成長に寄与した.(同時期のイスラム社会が時計にも印刷機にもあまり関心を抱かなかったことを紹介されている)
  • ヨーロッパの勤勉革命(人々が長時間より熱心に働くようになること)の萌芽は1650年ごろまで遡れる.これは市場経済や顕示的消費意欲とも関連するが,プロテスタント教義の1つでもある.現代のヨーロッパ各地域の調査によると「勤勉さ」についての価値観の高さは,「自己鍛練,自己犠牲,刻苦勉励」を旨とするシトー会修道院の中世期の分布密度と相関している.
  • 自制能力(特に遅延報酬選択)が高いとヨーロッパの個人主義的傾向の強い市場統合社会で有利に働いただろう.英国の金利の長期的変化(13世紀から20世紀にかけて右肩下がりに下がっている)は経済状況では説明できない一方,殺人発生率と相関しており,この自制能力の歴史的変化を示していると思われる.(親族ベース制度が強いと,親族ネットワークへの扶助義務規範が強く,自己制御力や忍耐力が報われない)

 

  • WEIRDな人々に見られるBIG-5*7と呼ばれるパーソナリティパターンは人類普遍のものだと多くの心理学者が考えている*8が,これは疑うべきだ.それらの特性の独自性が上手く成功につながるニッチのない社会ではそのような特性の分散は他の特性の分散と独立にならないだろう.55カ国のデータによるリサーチでは都市化や職業の専門分化が進んでいない地域では5因子間の相関が高くなることが確かめられた.
  • こうした心理因子の分化は都市化,市場統合,任意団体結成などの歴史と深く結びついているだろう.親族ベース制度の強い社会では他者との人間関係に応じて自分の行動を調整することが求められるが,個人主義的で市場統合された世界では言行の一貫性やユニークな個性が有利になる.だからWEIRDな人々は行動の原因を性格に求め,自分に一貫性がないと悩み,「真の自己」を探し続けるのだ.
  • 認知バイアスの1つに保有効果*9があるとされる.リサーチによるとこの効果は市場統合の進み方と相関する.分配や扶助の規範が強いと自分の持ち物に過度の愛着を持つことが不利になるからだろう.

 

  • 中世盛期から後期にかけて多くのヨーロッパ共同体が,市場統合社会で有利になる時間,金銭,労働,仕事,効率についての考え方に適応していった.そして個人にとっては勤勉で自制心があり時間に几帳面だという評判が重要になり,そうした意欲を高める方法が求められ,それがプロテスタント教義に流れ込んでいったのだろう.さらに市場が拡大し都市化が進み,人々は自分の特性にあったニッチや職業を選ぶようになり,それらに合う個性に磨きをかけるようになった.こうしたプロセスを経て従来とは異なるBIG-5的なパーソナリティ構造ができ上がっていったのだ.

 
この章の議論は心理学的には非常に興味深いものだ.特に今後のリサーチの進展が期待される.
 

第4部 現代世界の誕生

 
第4部では中世以降成立したヨーロッパのWEIRD心理が西洋現代文明のグローバルな拡大とともに現代社会にどう影響を与えているのかが論じられる.
 

第12章 法,科学,宗教

 
第12章では法.科学,民主政治,宗教がテーマ.

  • 今日では法の支配,民主政治,科学は理性(合理性)の所産と考えられていることが多い.しかし私はこれは親族ベース制度の解体→非人格的市場,フェアな集団間競争,都市部での分業の発達の流れとして捉えられる文化進化の所産であると考える.
  • 西洋の法,科学,民主制の基礎となる心理的基盤は分析的思考,(親族ネットワーク依存ではなく)内的属性への帰属,独立志向と非同調,非人格的向社会性にあるだろう.

 

  • 中世盛期以降西洋の法概念や政治体制の概念の基礎となる考え方が,「理解しやすい」ものに変化した.これは高名な哲学者や神学者が主導したものではなく,修道士,商人,職人たちが(親族ネットワークによる保護を失い)任意団体間で競争する中で少しづつ形成されたものだ.彼らが目の前の問題を解決すべく手探りで見いだしたものが社会規範や商慣行となり,それが憲章となり成文法になったのだ.
  • 都市憲章はより多くの成員を惹きつけるように,より経済的繁栄を得られるように練り上げられ,法的保護,免税措置,財産権の保証,相互保険,(兵役などの)領主への義務からの解放を盛り込むようになっていった.
  • 自然権は教会の法律家たちが13世紀ごろから発展させ始めた.これらは大学に広まり,ゆっくり国家レベルの政治機構に吸い上げられ,権利請願,権利章典.アメリカ合衆国憲法になっていった.
  • 親族ネットワークが解体された中で競争するヨーロッパ人たちは,自分自身の属性や内的特性に目をむけ,分析的にものを考え,これらの法概念や政治概念の説明を試みただろう.それは人は生まれながらに平等で,(社会関係や祖先と切り離された)固有の人権を持ち,公平なルールで裁かれるべきだという考えに結実した.そして刑事上の責任を問うには結果だけでなく加害者の信念,動機,意図を重視すべきだと考えるようになった.この教会法学者たちの加害者の精神状態へのこだわりは古代ローマ法とはかなり異なるものになる.
  • 中世法学者たちは古代ローマ法を研究しながら,そこに実際にないものまで法原則として抽出した.ローマ法の所有権,違法行為,詐欺,窃盗などの法概念は,本来特定の状況と結びついたものだったが.(プロトWEIRD的な心理を持つ)中世法学者はそこに神の法たる根本原理や法原則を探し求めた.これは皇帝や王や領主も法の支配下にあるという考え方につながった.それはプロトWEIRD心理にとって理解しやすいものであり,立憲主義や法の支配という概念の発達にとって不可欠だった.
  • 法学者に続いて(やはりプロトWEIRD的な心理を持つ)自然哲学者たちが,物理世界を説明する法則を探し求めるようになった.彼らは分析的思考を用いて,複雑なシステムを構成要素に還元し,内的特性に基づいて作用を説明しようとした.彼らは伝統を捨てることを厭わず,新たな発見を重んじ,それを発見者個人と結びつけた.

 
この部分のローマ法の議論は私にとってはちょっと驚きだった.ローマ法のよくある説明は,もともとローマ法は判例法主義で,共和政時代の判例が積み重なったところに,共和政末期から帝政時代の法学者たちが様々な法原理,法原則を抽出し,それがユスティニアヌスアヌス法典にまとめられた(そしてそれがルネサンスで再発見され,ヨーロッパの大学で学ばれ,一部地域では法源となり,さらにフランス革命後ナポレオン法典として成文化された)というものだ.だからローマ時代の法学者たちは非常に理性的・分析的に(つまりWEIRD的に)法を理解していたと受け止められていたはずだ.ヘンリックはWEIRD的な思考はMFP以降だと主張したいのでこれを覆すのにハロルド・バーマンの「法と革命」の議論を引いている.このあたりは私としてもちゃんと勉強してみたいところだ.
 

 

  • 都市もギルドも大学も修道会も成員を求めて競ったので(プロトWEIRD心理を持つ人にとって)魅力ある統治形態を採用するようになり,選挙を利用するものが増えていった.そうした団体はよりプロトWEIRD的な人々を引きつけ,メンバーは次第に統治に参加する権利を主張するようになった.
  • このような変化を支えたのが教会法であり,これが近代の会社法の基礎を築くことになる.プロトWEIRD的心理を持つ法学者たちはローマ法の特定状況における法諺「万人にかかわることは万人によって検討され承認されなければならない」を普遍的な自明の真理と受け取ったのだ.これによりヨーロッパ全域で会社法や立憲政治が発展していった.(親族ベース制度が強いと投票や合意形成という手法が上手く機能しないことも説明されている)
  • プロトWEIRD心理は政治的支配の正統性をどう捉えるかにも影響を与えただろう.地域別の代議制の統治形態とMFP暴露期間が相関し,国別の民主主義レベルとイトコ婚率が相関している.統治形態と心理は双方向に因果を与えあう正のフィードバックループとして作用しただろう.

 

  • プロテスタンティズムは,大仰な儀式を否定し,個人が自らの選択として聖書に向かい合い神と関係を築く.宗教指導者を含めたすべての信徒は平等で,死後の救済は信仰心のみによる.これはそれまでの数百年間に培われてきた様々なプロトWEIRD心理要素の複合体を神聖化することだった.そしてそれはまさにプロトWEIRD心理にぴったりはまったために急速に広まった.(カトリックは競争のためにプロテスタント的に変容したが,ある程度までの改革しかできなかった)
  • プロテスタンティズムはWEIRD心理へのブースターショットのような効果をもたらした.プロテスタントが多数を占める地域ではより個人主義的傾向,非人格的信頼の傾向が強く,創造性を重視する.
  • マックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムが資本主義をもたらした」と考えた.宗派間の競争から似たような労働倫理を説く宗派があるのでこの因果の明確な実証は難しいが,プロテスタントの信仰や実践が勤勉さや忍耐を培うというリサーチが数多くある(いくつかのリサーチが紹介されている).そしてプロテスタンティズムの普及は人々の心理,選好,行動を変化させて経済成長や政治変革を促す方向に導いていった可能性が高いだろう.
  • 政治的には(カトリックに比べ)プロテスタントはより自治的な組織を持ち,(各信徒が聖書に向き合うという教義から)識字能力を高め,さらにブースターショットにより法の公平性,個人の自主独立,表現の自由が求める様な心理を高めて民主政治や代議政治の発展を促しただろう.

 

  • 立憲政治,自由,法の公平性,自然権,進歩,合理性,科学などのWEIRD概念の複合体は,個人主義,分析的思考,非人格的向社会性といういわば心理学的ダークマターにより数百年かけて集積し,啓蒙思想家たちが(プロトWEIRD心理を使って)個々の概念を抽出し,再結合させたものだ.啓蒙思想活動そのものが古代末期からの長い累積的文化進化プロセスの一部だ.WEIRD的考え方が貴族層にまで浸透した時にそこにいたのが啓蒙思想家たちだっただけに過ぎないのだ.

 
ここではヴェーバーのプロテスタンティズムの議論を補強し,啓蒙主義が古代末期からの文化進化の産物だと主張している.このあたりもなかなか強烈な主張だ.
 

 

第13章 離陸速度に達する

 
第13章のテーマは産業革命と経済成長

  • 産業革命がなぜヨーロッパで始まったのかについては,代議政治,非人格的商業,アメリカ大陸の発見,イングランドの石炭,沿岸海運,啓蒙思想,国家間の抗争,イングランドの賃金が(機械設備に比べて)高かったことなどを挙げる数多くの学説がある.しかしこれまで(それらの要因を生み出したより深い説明としての)心理的な差異については議論されてこなかった.
  • 累積的文化進化の速度を決めるのは,頭脳集団の規模と相互連結性だ.イノベーションは英雄個人の発明ではなく,多くの人々のささやかな追加や変更や組み合わせの積み重ねと様々な幸運な偶然から生まれるのだ.(印刷機,蒸気機関,ミュール紡績機,加硫ゴム,白熱電球などについてのケーススタディがある)累積的文化進化はヒト社会を集団脳に変えていく社会的・文化的プロセスだと捉えられる.
  • そして本書で強調してきた人々の心理変化と制度の発達の共進化こそがヨーロッパの集団脳の成長を促した.ヨーロッパ社会は専門家ネットワークを形成するのに親族ベース制度の強い社会より有利だったのだ.(修道院や徒弟制度について議論されている)
  • さらに都市化の進展がヨーロッパの集団脳を拡大していった.キリスト教世界では都市は成長すると同時に相互連結性を深めていった.
  • 大学もヨーロッパ全域でリパブリック・オブ・レターズを形成し,ヨーロッパの集団脳の連結に役立った.そしてこのナレッジ・ソサエティから知識の共有,証拠や議論の適切性についての文化的基準が生まれ,WEIRD的な科学の研究慣行が形成された.科学についての姿勢にはプロテスタント各宗派で違いがあったが.最も融和的なユニタリアン主義の強い英国が発展するにつれて他宗派も模倣するようになった.しかし差異は残り,イノベーションの加速に地域差が生じた.
  • そして重要なのは,都市,国家,宗教,大学,その他任意団体間の超国家的ネットワークがあり,その中で競争があればこそヨーロッパの集団脳のフル稼働状態が維持されたということだ.
  • また集団脳を構成する個人の側でも,WEIRD的な忍耐力,勤勉さ,分析的思考,さらに非人格的商業の発達から生まれたポジティブサム的な思考傾向がイノベーションの加速に役立っただろう.このポジティブサム的思考は進歩の概念に結びつく.
  • 産業革命によるかつてない経済繁栄と社会的状況の変化はさらに人々の心理に影響を与え,WEIRD的要素を強化しただろう.

 
ヘンリックは(当然ながら)産業革命も文化進化の影響が大きいと主張する.累積的な文化進化についてはよくある文化進化理論が応用されており,またイノベーションについてはアセモグルとジョンソンの議論に近い主張を行っている.
 

 

  • 19世紀以降のキリスト教社会はもう1つの強みを持っていた.それはMFPにより「マルサスの罠」から逃れやすいということだ.厳しい単婚制,見合い婚がないこと,人間関係の流動性,女子修道院の存在,女子のための教育,これらは経済状況が良い時の出生率を低下させただろう.これも経済的繁栄の一助になったと考えられる.

 
この最後の指摘もちょっと面白い.ヘンリックの一連の主張とはちょっと離れた論点だが,今後のリサーチを期待したい部分だ.
 

第14章 歴史のダークマター

 
最終第14章ではまずここまでの議論の概要がダイアグラムとともに示されている.

  • ヒトの心理を理解するためには遺伝的性質だけでなく,個体発生的および文化的な適応を考慮する必要がある.文化とともに進化する人々の心理は歴史を通して流れるダークマターだ.
  • 狩猟採集社会では親族ベース制度が文化的に進化した.定住農耕により激しい集団間競争が生じ,親族ベース制度が強化された.
  • ここで社会規模の拡大とともに普遍宗教が現れ,宗教宗派間の競争は親族制度に関する神の指令を試してみる機会となった.その中でキリスト教の一派がたまたま婚姻や家族に関する一連の奇妙な禁止指示命令を下すようになり,それは成功とともにMFPという明確な形をとるようになった.
  • MFPは人々の社会生活や心理を変化させ,個人主義的傾向,分析的思考,恥より罪の感情が強く,意図性を重視し,伝統や年長者の権威に縛られず,集団に同調しない心理が形成されていった.また男性間の競争が緩和され,ポジティブサム思考に入りやすくなった.
  • このような心理の変化は都市化への扉を開き,非人格的市場を拡大し,競い合う任意団体が結成された.これにより非人格的向社会性,公平なルール,忍耐力,自己制御,時間節約ヘの指向が高まった.さらに分業化によりパーソナリティ特性が分化した.
  • このような心理や社会の上で,中世後半以降,新しい政治体制,法秩序,宗教的信条,経済制度が形成されていった.

 
ここからはこの著者の議論から派生する問題がいくつか取り上げられている.

  • ジャレド・ダイアモンドは西洋の成功について,利用可能な動植物資源,東西に長い大陸という要因を強調した.これは10世紀ごろまでの世界の状況(ユーラシアの優越)を上手く説明できる.しかし13世紀以降ユーラシアの中でヨーロッパの諸集団が経済的離陸を遂げていった理由は説明できない.
  • 私の議論はダイアモンドが説明できなくなった1000年以降の世界の格差について,制度と心理の共進化から説明するものだ.
  • 私の議論はさらにアジアの中で日本,韓国,中国のような一部の社会が比較的上手く適応できていることも説明できる.これらの社会は農耕の歴史が長く,はるか昔から国家レベルの統治を経験し,正規教育,勤勉さ,忍耐を奨励する文化的価値観,習慣,規範が形成されてきた.また上意下達指向の強い社会であったために19世紀以降WEIRD的親族制度を迅速に導入し実行できた(これがエジプト,イラン,イラクなどとの差になる).

 
たしかにダイアモンド自身,明以降の中国の停滞についてはあまり上手く説明できていない.しかしこの日本,韓国,中国についての議論もあまり説得的ではないという印象だ.日本の急速な近代化と同時あるいは先立って急速で大きな親族ベース制度の変更があったようには思えないし,中国では今もかなり強い親族ベース制度が残っているとも思えるところだ.
 

 

  • 多くのWEIRD学者は集団間の心理的な差異については,それを経済的な格差で説明しようとする.たしかに経済格差が何らかの心理的影響を与える可能性はある.しかし富の増大が近代への最初のスパークとなったという証拠はほとんどない.
  • まず物質的豊かさは,諸制度や心理傾向の変化の後を追う形で生じている.そして本書で示したリサーチは基本的に富についての主観的体験の影響を統計的に統制している.さらに心理的差異のパターンはエリート層と貧困層の両方に現れている.そして本書で取り上げた心理の諸側面の多くは物質的豊かさと全く関連していなかった.

 

  • 私はWEIRD心理への変化は文化的環境,発達環境への適応プロセスであり遺伝的な自然淘汰の結果ではないと考えている.とはいえ,文化的経済的発展が遺伝子への淘汰圧になった可能性について吟味は必要だ.いくつかの理由から今日の心理的多様性に遺伝子はほとんど関与していないと考える.
  • まず文化進化のプロセスは遺伝子に働く自然淘汰よりはるかに強力で迅速だ.また文化進化が生じることによりしばしば自然淘汰の淘汰圧を弱める(乳糖耐性の淘汰圧とチーズのような発酵技術の関係が例示されている).
  • WEIRD心理に関しては,都市化は(都市の死亡率が高く,後背地から人口流入してくることにより)遺伝子にとってのデストラップとして作用した.それは遺伝子にとっては負の淘汰圧として働いた可能性がある.都市が繁栄したのは文化が遺伝子に勝ったからだ.

 
ヘンリックはWEIRD心理については文化と遺伝子の共進化ではなく,環境や文化に対する適応だと表現している.これは進化心理的には環境条件に依存する可塑性をもつユニバーサルな心があるという意味になるだろう.ヘンリックがあげている根拠だけでなく,様々な民族起源の先進国の学生たちがみなWEIRD的な心理を持つことも重要な根拠になると思われる.ヘンリックは最後に開発経済学的なコメントを残して本書を終えている.
 

  • グローバリゼーション(WEIRD的な諸制度の導入)は親族ベース制度や宗教が根本的に組み換えられないまま(つまり心理的な制度への適応性が変わらないまま)行おうとしてもうまくいかない.だから「発展」のスピードやそれに伴う苦痛の大きさが世界の地域ごとに異なるのだ.社会科学や経済学はこの点を考慮できていない.

 
以上が本書の内容になる.WEIRD心理が親族ベース制度から解き放たれたというかなり特殊な社会状況に(可塑的に)適応した心理で,それが人類全体からみて非常に特殊なものであること,教会の宗派争いの淘汰圧からの文化進化によるMFPが原因であること,そしてそこから始まった文化進化の大きな流れで18世紀以降の西洋の優越が説明できることを,様々なリサーチやデータから示しており,読んでいて大変エキサイティングな一冊だ.
文化進化,文化と遺伝子共進化論者にしばしば見られる「戦争淘汰圧のマルチレベル淘汰により向社会性と協力が説明できる」とする筋悪な議論はなされておらず,文化進化とそれによる環境への可塑性の発現だけでWEIRDを説明しており,そういう意味でも読みやすい.
ただし,すべてを教会のMFPに帰そうとする議論にはなお疑問も残る.私的には,古代ギリシア,ローマ,ゲルマンの文化要素にも重要な役割があったはずであり,だからこそ世界の他地域で収斂進化が生じなかった(そしてギリシア正教地域でのWEIRD性の低さという問題はビザンチン帝国文化の上書きによるもの)という見解をとりたいと思う.
いずれにせよ,本書は大きな問題を提示しているという意味で重要で,スケールの大きな議論をリサーチやデータで裏付けしている充実した一冊だ.心理の文化差,西洋の優越の原因論に興味がある人には必読文献だと思う.
 
関連書籍
 
原書

 
前著.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010

同原書

*1:前著のヘンリックの文化遺伝子共進化の議論についての私の批判的なコメントは書評(https://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010)に載せている

*2:日本のイトコ婚率がかなり高いというのは私にとっては意外だった.どうも少し前までは地方によっては見合い候補を通じてイトコ婚がかなり見られたようだ

*3:おおむねブルターニュを除くフランス,ドイツのうち旧西ドイツ地域,ベネルクス,北イタリア,スイス,オーストリア,ただしオーストリア東部は旧帝国版図としては例外的に暴露量が様々になっている

*4:例えばイタリア南部は一時ユスティニアヌス帝の再征服により正教会の影響下におかれたし,シシリアやスペイン南部はイスラム地域となった期間がある.またアイルランドのケルト教会はかなりの期間MFPを強制しなかった

*5:男性の競争心や冒険心が抑えられるのは対外戦争時には不利になるのではないかという疑問も生じるところだが,その点についての説明はない

*6:このようなゲームの分配提案は,そもそもその資産がどのようなものかというプライミング,分配規範があるのか,返報義務が強いかなどとも関連するので,単に市場統合だけで決まるというわけではないはずだ.ここは他要素を捨象した説明ということだろう

*7:ヘンリックはこれは人類普遍ではないのだからWEIRD-5と呼ぶべきだとしている

*8:それは彼らが都市部の大学生を使って調べているからであるとしている.これはいわゆるWEIRD問題の典型例ということだろう.なおここで日本や香港では一貫して現れる因子数が4つだとされていて,出典も含めてちょっと引っかかるところだ

*9:本書では授かり効果と訳されている