War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その72

 
1350年代にフランスは百年戦争第1フェーズでの惨敗によりどん底状態となった.ターチンはまずそこからの回復過程を描いた.それはこのままではフランスが失われるという危機感が共有され,内乱が抑えられ,財政が改善されて,何とか英国に対抗できるようになる過程だった.しかし運命の車輪はさらにまわりフランスはまた転落していく.ターチンはまず貴族層の人口動態からこの第2の転落過程の説明を始める.
 

第9章 ルネサンスについての新しいアイデア:なぜヒトの抗争は森林火災や疫病に似るのか その2

  • 前章で議論したように14世紀のフランスの崩壊は人口過剰,エリートの過剰,国家財政の破綻の組み合わせによって起こった.14世紀の終わりまでに,全体の人口過剰は大飢饉と黒死病により「解決」されていた.(しかし貴族層の事情は少し異なっていた.)クレシーとポアティエの敗戦の出血とエリート間での内戦によりエリート層も数を減らしたが,エリート過剰を完全に解決するには足りなかったのだ.なお多くの貴族がいたし,市民から階級を上げてくるものもいた.
  • 14世紀の前半には多くの市民の成り上がり志望者たちがいた.彼らは財力を地位と権力に変えることを欲した.エティエンヌ・マルセルやその一派もそうだ.14世紀の危機の時代に彼らの中から多くの者が第2階層(貴族)にのし上がった.ある者は軍事的功績から地位を得,そうでない者は単に金で爵位を買った.これらの新しいエリートの数は王による特許の記録に残っている.(詳しい記録が紹介されている.特許は14世紀初めに年4件ほどだったが,14世紀中盤には年10〜20件になり,14世紀の終わりには年6件ほどに減少している)
  • 1340年代と50年代の災害は軍事動員可能な貴族層を減らしたが,1世代経てば若い貴族が補充される.この新しい若い貴族たちは惨めな敗戦もジャックリーの反乱の与えた衝撃も知らなかった.彼らは先の世代の過ちを繰り返すことになる.

 
貴族の人口減少は,下からの成り上がりもあり,問題を解決するには不十分で,さらに世代が変わって悲惨な経験を知らない若者が貴族層の中心となるという不穏な状況が生まれたということになる.ここからターチンの循環の議論が始まる.ここではセキュラーサイクル(文字通りには百年サイクル,ターチンは200〜300年ぐらいの周期を考えている)の中の「父と子のサイクル(1周期40〜60年)」が取り上げられている.
 

  • 百年戦争の歴史を眺めると,良き統治と悪しき統治が交代していることに気付く.ジャン2世統治(1350〜64)は社会の解体と国家の崩壊の時代,その子シャルル5世統治(1364〜80)は国家的団結と領土回復の時代,次のシャルル6世統治(1380〜1422)はまたも社会の解体と国家の崩壊の時代になる.そして次のシャルル7世統治(1422〜61)は内部団結と国家の再生の時代であり,ついにフランスを中世の停滞から解き放った.これはセキュラーサイクルの解体フェーズで何度も観測されるパターンだ.このような集団のムードの振動は社会心理学的に説明することができる.

 

  • すべての内乱エピソードの展開は疫病や森林火災のそれに似ている.抗争の初期,最初の暴力行為が復讐の連鎖を呼ぶ.時間とともに参加者はすべての抑制を失い,残虐行為が普通になり,抗争はエスカレートし爆発的に拡大する.最初の爆発後,暴力行為は何年も時には何十年も続く.遅かれ早かれ,人々は安定と抗争の終結を望むようになる.最もサイコパス的で残虐なリーダーが殺されるか支持を失う.「暴力」は,疫病や森林火災と同じく「燃え尽きた」のだ.そもそもの抗争の原因が引き続き存在しても,その時の社会的ムードが抗争の終結に大きく傾くと,不安定な休戦も次第に定着していく.
  • これらの人々は,ちょうどシャルル賢明王(シャルル5世)がそうだったように,内乱期を直接経験し,それに免疫を得ているのだ.彼らが実権を持つ間,物事は安定を保つ.
  • このような平和は1世代,大体20〜30年の間続く.しかしながら,時が移り抗争を知る人々が死に絶えたり引退すると,内戦の悲惨さを知らない,免疫のない新しい世代が台頭する.もし抗争のそもそもの原因がまだ残っていたなら社会は第2の内乱期に突入することになる.

 
これがターチンによるセキュラーサイクルの解体フェーズにおける「父と子サイクル」の説明になる.内乱期が20〜30年,平和期が20〜30年と1世代ごとに入れ替わるので1周期は40〜60年(2世代)ということになる.