War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その78

 
ターチンは14世紀末から15世紀前半のフランスの第二の崩壊過程,そしてそこからの回復過程を人口動態面から整理する.
飢饉や疫病により総人口は大きく減少していたのに第二の崩壊が起こったのは,貴族層の人口過剰が解消されずに内乱とそれが呼び込んだ英国の介入により国内が混乱し続けたからだ.しかし貴族層の人口過剰も15世紀に入ると解消に向かった.戦争や内乱による死亡,そして経済的状況からの貴族層からの脱落により1430年ごろには人口過剰が解消され,フランスの貴族文化はシンプルなものに変わる.

 

第9章 ルネサンスについての新しいアイデア:なぜヒトの抗争は森林火災や疫病に似るのか その8

 

  • 1420年代の終盤には貴族層の人口減少が,イントラエリート間の競争とコンフリクトの原因となっていた社会的プレッシャーを緩和した.同時に20年にもわたる内乱と外国軍の侵入により,貴族から平民までが皆カオスと混乱を憎み,どんなコストを払っても安定を望むようになっていた.問題は,ヴェルヌイユの敗戦の後のシャルル7世の政治的立場があまりにも脆弱で,秩序のための力の中心をどこに求めればよいかが不透明だったことだ.シャルルは英国占領下のランスに行けなかったために正式に王冠を授かっておらず,地方の小都市ブールージュで宮廷を開いていたにすぎなかった.
  • ここで全く信じがたい事態の進展が起こった.まるで社会が1つの生命体であるように,フランスは1428年にジャンヌ・ダルクを生み出したのだ.ジャンヌによるオルレアン包囲の解放とそれに続くランスでのシャルルの戴冠はターニングポイントになった.ブルゴーニュ公との条約(1435)は内乱を終結させ,フランスは少しずつ国土を回復していった.パリを1436年に,(ボルドーを除く)ガスコーニュを1442年に,ノルマンディを1450年に,そして最後にボルドーを1453年に取り戻したのだ.

 
ターチンのクリオダイナミクス的にはフランスの第二の崩壊からの回復の条件はほぼ整っていた.しかし結合のシンボルがなかったというのが最後の障壁だった.ジャンヌ・ダルクの登場は事態の転換を可能にした最後のピースだったということになる.
歴史をクリオダイナミクスから語るターチンにとっても,ジャンヌ・ダルクの登場は1つの奇跡のようなものなのだろう.とは言っても当然ターチンは彼女が登場しなくてもいずれフランスの復興は成ったと主張するに違いない.
ジャンヌ・ダルクについては詳細な裁判記録が残されており,日本語の本も大量に出ている.今回取っつきやすそうなのを一冊読んでみたが,やはり信じがたい事態の成り行きという印象は強い.

 

  • 1435年からの10年間でフランスは(1360年に打ち出されていた線に沿った)恒久的な財政基盤を整備した.1460年に財政は180万リーブルの黒字となった.確固たる財政基盤は百年戦争を終わらせる要因となったが,その基盤自体は,エリートの間で新しく確立され,平民にも広く共有された国家の統一感の結果だった.それによりヴァロワ家とプランタジネット家の王冠争いは英国からの解放のための国家の戦いに変容したのだ.

 
そしてジャンヌ・ダルクについてはこれ以上何も触れずに,国家の統一感,団結を強調するのがいかにもターチンらしい.