War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その86

 
ターチンは格差拡大,マタイ原理の原因について単純化したモデルを提示した.そして最低消費水準が閾値になってポジティブフィードバックが働くという要因を指摘した.この要因だけでは不平等は永遠に拡大し続けることになる.しかし実際には不平等は拡大局面もあれば,縮小局面もある.ターチンはその循環過程の説明に進む.
 

第10章 マタイ原理 なぜ豊かなものはより豊かになり,貧しきものはより貧しくなるのか その4

 

  • 全体的にいえば,モデルはある程度うまく働いている.もちろん完全に現実をトレースできるわけではないが,中世英国で不平等拡大のエンジンになった2つの過程は捉えられている.しかしモデルには問題もある.このモデルでは不平等は拡大し続けることになる.実際にはどうなのだろうか.
  • マタイ効果が常に働き続けるなら,過去1万年の歴史を経て,人類は不平等の極致,つまりただ1人がすべての富を持ち,その他すべての人は困窮しているという状態に達しているはずだ.しかし現実はそうなっていない.歴史を見ると不平等が縮小している時代もあることに気付く.例えばアメリカ合衆国では1920年代から1960年代にかけて貧富の差が縮小している(1980年代以降は拡大に転じているが).

 
日本でもほぼ同時期に(特に第2次世界大戦前後にかけて)貧富の差が縮小している.これについては最近シャイデルが「暴力と不平等の人類史(原題:The Great Leveler)」で,貧富の差は平和時には縮小せず,戦争のような衝撃(戦争,革命,国家破綻,疫病の大流行)で既存秩序が破壊される時のみ縮小するという議論を行ったことが思い起こされる.The Great Levelerは本書より10年ほどあとの出版なので,直接の議論はないと思われるが,ターチンとの違いがあるのかも興味深い.

 

  • どのような社会的要因が不平等の縮小を生むのだろうか.これを英国で見てみよう.英国では1300年ごろに人口がピークに達し,14世紀に死亡率が上がり,1400年ごろまでに人口が半減した.これにより1人当たりの農地が増え,働き手が不足するようになった.当然賃金は上昇した.領主階層の支配下にあった英国議会は賃金統制法を作ったが,(経済法則を無視した)この法には全く実効性がなかった.
  • 疫病などの死亡率の上昇により,貧しいものが相続人がいない親戚の農地を相続したり,土地持ちの未亡人と結婚したりして土地を入手できるようになったし,領主から安く土地を借りることも出来た.穀物の需要も減り,価格が下がった.賃金上昇と穀物価格の下落により領主の農園経営による利益は消え去った.多くの領主は自らの経営を諦めて農地を農民に貸すようになった.農地は供給過剰で,賃料は極めて安かったが.それでもないよりましだったのだ.
  • 黒死病流行から100年も英国人口は低いままで.経済条件は農民に有利だった.農民の暮らしは豊かになった.また15世紀のロンドンの石工の実質賃金は100年前の3倍になった.もちろん15世紀英国が理想郷であったわけではない.死亡率は疫病や戦争により高かった.しかし同時に極貧の者は減った.超富裕者の数も減少に転じた.このプロセスは15世紀を通じて,そして16世紀に入っても続いた.この継続はどのようにして起こったのだろうか.

 
事象としては黒死病と内乱が要因となっているのでシャイデルの議論と重なる部分もあるようだが,シャイデルが既存秩序の破壊を考察しているの対し,ターチンは人口動態による需給の変化により注目しているということになる.
 

  • 14世紀末の英国で最も富裕だったのはランカスター公のジョンであり年収は15000ポンドを超えた.息子のヘンリーは1399年に国王になり(ヘンリー4世),ランカスター公の資産は王室資産に吸収された.次の世代になると,最大の資産家はヨーク公のリチャードであり,年収は3230ポンド,その次の資産家はワーウィック伯で年収は3000ポンドにすぎなかった.そしてこれらの資産も,その後しばらくして王室に吸収されて無くなった.
  • このような資産接収はチューダー朝を通じて続いた.チューダー朝の最初の2人の王,ヘンリー7世とヘンリー8世は,王位継承権を持つ貴族をシステマティックに殲滅し資産を接収した.エリザベス1世はより穏やかな方法である「累進課税」スキームを採った.彼女は裕福な貴族を見つけるとその貴族の城に自分を招待させ,大勢の廷臣とともに押しかけて何週間も豪華な宴を強要して,巨額な支出を余儀なくさせたのだ.貴族たちは借金の返済に追われて反乱どころではなくなった.

 

  • 黒死病のあとの英国で不平等を縮小させた2つの要因は,低い人口と高い社会の不安定性だ.低人口は賃金上昇,雇用水準上昇をもたらし,無産農民や都市労働者に家族を養える収入を得ることを可能にした.そして富者は資産を利用してた買い収入を得ることが難しくなった.
  • 社会の不安定性(戦争や疫病)は超富者と超貧困者に(中間層より)大きな打撃を与えた.超貧困者は高い死亡率で減少し,超富者は権力争いを行い,あるいは巻き込まれ,敗者は消え去った.15世紀英国で権力ピラミッドの頂上付近にいることは致命的なリスクを伴った.男爵以上の富裕貴族は,1300年ごろには200家系あったが,1500年には60家系しか残っていなかった.
  • ヘンリー7世の治政末(1509)にかけて英国は対外的にも国内的にも平和だった.平民にとっては良い時代だった.賃金は良く,食料は安く,疫病も治まっており,治安も良かった.黙示録の4騎士は退却していた.(もちろん彼らは幸運の車輪との回転ともに復活するわけだが)

 
黙示録の4騎士とは勝利(支配),戦争,飢饉,疫病をもたらすものと解釈されることが一般的で,ここでは4騎士の退場で比較的安定した平和な時代であったという意味だろうが,先ほどのシャイデルの議論もちょっと思い起こされる.