War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その89

 
ターチンは不平等の拡大縮小のサイクルを人口動態から説明してきた.最後にこの周期をクリオダイナミクスのセキュラーサイクル(2〜300年周期)の中の父と子のサイクル(世代交代のサイクル:4〜60年)の観点から解説する.
 

第10章 マタイ原理 なぜ豊かなものはより豊かになり,貧しきものはより貧しくなるのか その7

 

  • 宗教戦争はダルタニャンが生まれる前に終わっていた.彼がキャリアを歩み始めた1630年代にはフランス貴族にまだ宗教戦争の凄惨な記憶があった.だから若者が決闘に浮かれていても,年とった政治家は決闘や派閥争いが全面的な内戦にならないように気を配っていた.ダルタニャン世代が同じ過ち,つまり内戦を引き起こすことが出来たのは,これらの年寄りたちが死んだり引退したあとだった.

 
ここでは明示的に「父と子のサイクル」とはいっていないが,まさに世代交代がサイクル周期を決めているという主張になっている.
  

  • ダルタニャンがパリについて仕事を探し始めた時,フランスで最も富裕だったのはリシュリュー枢機卿だった.彼は宰相として18年つとめ,22百万リーブルの財産を作った.(当時の上位2%の富裕者であるフランス貴族の多くは1000リーブル程度の収入だった.普通の市民の年収は100リーブル以下だった)

 
リシュリュー枢機卿はいわずとしれた三銃士のダルタニャンの敵方の大物宰相だ.

 

  • 1642年にリシュリューが,そして翌年にルイ13世がなくなった.次の王となったルイ14世はまだ5歳だった.母后アンヌ・ドートリッシュが摂政となったが,実権は(アンヌの愛人とも噂された)マザラン枢機卿が握った.マザランは銃士隊を解散させたが,ダルタニャンを秘密のエージェントとして重用した.ダルタニャンは忠実に仕え,フロンドの乱の時もマザラン側についた.1651年にアンヌは反乱貴族たちに脅されてマザランを解任するが,1653年に反乱は鎮圧され,アンヌは再びマザランを登用した.マザランは1661年に死ぬまで宰相をつとめる.ダルタニャンの忠誠は銃士隊の隊長代理に任命されることで報われた.
  • マザランは(リシュリーよりはるかに効率的に)わずか8年間の2度目の宰相時代に(失職時代にすべてを失っていたが)37百万リーブルの資産を作り上げた.しかしこのような権力者の資産形成はマザラン時代がピークだった.

 
ここでターチンが長々とダルタニャンを語るのは,マザラン枢機卿が一旦すべてを失ったあとわずか8年でリシュリューを大幅に上回る資産形成できたことを説明するためということになる.マザランもフランス史の大立て者だが,「三銃士」では登場しない(三銃士はダルタニャン物語の第一部)ので日本での知名度は少し下がっている印象だ.
 

 
なおダルタニャン物語の第二部「Vingt ans après:二十年後」はダルタニャンがマザランに仕えて活躍する話になっている.(第三部「Le Vicomte de Bragelonne:ブラジュロンヌ子爵」ではルイ14世とフーケの時代が描かれている)
「二十年後」は「三銃士」とちがって邦訳が1種類しかでておらず,それが講談社文庫からでた「ダルタニャン物語」全11巻の3〜5巻だそうだ. 

  • マザランの死後ルイ14世に権力が集中した.100年もの間の反乱の時代のあと,支配層は団結と中央集権を志向するようになったのだ.ここからフランス革命まで,フランスではエリート間抗争が沈静化する.支配層のすべてのエネルギーは対外戦争に向けられた.ルイ14世の統治は対外戦争の時代であり,ダルタニャンもその1つで命を落とす.エリート間の団結は(支配層の中での)富のより平等な分配を伴った.農民たちは対外戦争の負担にあえいで,しばしば反乱を起こしたが,彼らに味方する貴族はなく,容易に鎮圧された.

 

  • ルイ14世が統治権を握って最初に行ったのは力を持ちすぎた臣下を排除することだった.財務総監ニコラ・フーケは15百万リーブルをため込んでいたが,王をしのぐような壮大な宴会を開いたことで目をつけられた.ルイ14世は(マザランの死後受け継いだ)ダルタニャンを呼び,フーケを逮捕させた.フーケは裁判にかけられて財産を没収され牢獄に収監された.
  • ルイ14世時代に政府官僚の過剰収入は徐々に整理された.ルイ14世時代の宰相ジャン・コルベールの資産は5〜6百万リーブルだった.18世紀初頭にはさらに宰相の資産規模が減少した.同時に貴族層の貧窮も解消した.これは財産をなくした貴族を平民に落とすことで達成された.

 
この部分がターチンのクリオダイナミクスではどう解釈されるのかについて,ターチンはここではあまり語ってくれていない.なぜ平和が続いて人口が増えても,支配層を巻き込んだ内部反乱が生じずに,対外戦争に集中できたのかについて,ルイ14世の中央集権化(有力貴族排除の試み)が成功したからという説明になっているが,どのような条件でそのような中央集権化が成功するのか(あるいは単なる偶然なのか)についてターチンがどう考えているのかには興味が持たれる.

ともあれターチンはこう結んでこの章を閉じている.
 

  • 富めるものがますます富み,貧しきものがますます貧しくなるなら,社会階層間の協力の土台は掘り崩される.そして同じことは社会階層内でも生じる.貴族の中で貧富の差が広がればエリート間の抗争は激しくなる.
  • セキュラーサイクルの中で,統合フェイズと解体フェーズが交代し,不平等は下がったり上がったりする.帝国の興亡サイクルは通常セキュラーサイクルが2〜3つあるいは4つ合わせたものになる.帝国がセキュラーサイクルの中の解体フェーズに入るたびにコア地域のアサビーヤは激しく減退する.そして最後には帝国興亡サイクルは最終フェーズに入る.帝国は協力能力を失い,崩壊する.だからほとんどの帝国は内部的な理由により衰退するのだ.トインビーになぞらえるなら,偉大な帝国は殺されるのではない,自殺するのだ.