書評 「Good Reasons for Bad Feelings」

 


本書はランドルフ・ネシーによる進化精神医学についての一般向け啓蒙書だ.ネシーは進化医学を一般向けに解説した「Why We Get Sick?(邦題:病気はなぜあるのか)」をジョージ・ウィリアムズと共著したことで知られるが,もともとは精神科医で,患者を治療する傍ら精神疾患について研究し,その中で進化的な視点の重要性に気づいたことが進化医学に進むきっかけになったという.その後ネシーは行動生態学や進化心理学を学ぶ中でコミットメントの重要性を深く感じ,「Evolution and the Capacity for Commitment 」というコミットメントについてのアンソロジーの編者にもなっている.この2冊は、それまでにない新しい視点がいかに強力な知的ツールになるのかを示す大変面白い本だった.そして本書は一般向けとしてはネシー初めての単著になる.本職の精神医学にかかる進化医学本ということで私にとってはともあれ必読であり,刊行を待ちかねて読んだ一冊ということになる.
 
序言において本書の中心テーマが示されている.精神疾患について進化的な視点が新しい説明を与えてくれることに気づいたときにすぐこのような本を書きたかったが,まず身体疾患についての本が先だと思って「Why We Get Sick?」をウィリアムズと一緒に書いたこと,それ以来進化医学を実践し,精神を患う患者を治療してきたこと,その中で様々な疑問が浮かび上がったことがまず書かれている.そして本書を流れる中心テーマは「なぜ精神疾患がそもそもあるのか,なぜ心はこんなにも様々な仕方で壊れやすいのか,なぜ進化はその脆弱性をなくす方向に働かなかったのか」であることが提示される.身体の各部分がなぜ壊れやすいのか(進化的にどう説明されるのか)は割と理解が進んできたが,心についてはなお難しい問題が多く残っている.本書はこの問題の第一人者であるネシーが現時点でたどりついた理解を読者に提示するものになる.
 

第1部 なぜ精神疾患はこんなに難解なのか

 

第1章 新しい疑問

 
冒頭はネシーが出合ったある不安症の患者の逸話から始まっている.彼女はこれまで相談した医者や精神分析医にそれぞれ異なった診断を受けたが何ら改善せずに答えを探していた.彼女はそれまでの経緯を説明した後こう言ったのだ「要するにこの分野全体が混乱してるんでしょ,そうよね」.ネシーは当時の混乱をこう表現している.

  • 精神疾患に対して薬,精神療法,行動療法,認知療法,瞑想などの方法が並列していた.それぞれの医者やセラピストは精神疾患の原因に対して異なるアイデアを信じ込んでいた.
  • 診断基準自体が難しい.身体疾患の場合には,何らかの組織的な原因があってそれが痛みや機能不全などの症状に表れることが明確だ.だから組織的な原因を特定することによる診断が可能になる,しかし精神疾患の場合,脳や遺伝子の異常による診断が今のところ不可能で,症状のみで診断することになる.だから立場による意見の相違を収めるうまい方法が原理的にない.

ここからネシーはこの問題を解決する助けになる進化的なフレームワークについて自分がそれを知ることになった経緯とともに書いている.

  • 自然史博物館で動物学者が議論するのに参加する機会があった.彼等は脳について議論するときにメカニズムだけでなく,自然淘汰がいかに脳を作り上げたのかを議論する.
  • そのグループに加わっていたボビー・ローにジョージ・ウィリアムズの老化の多面的発現説の論文を紹介された.それを読み,統合失調症や鬱や摂食障害も同じように理解できるのではないかと考えるようになった.ジョージに会って老化だけでなく疾病についても同じように理解できるのではないかと問いかけ,それは「Why We Get Sick?」に結びついた.ここで重要なポイントは「疾病自体を適応と考えるべきではない,疾病に対する脆弱性について進化的に考察すべきだ」ということだ.
  • 問うべき質問は「なぜ自然淘汰は我々の身体を疾病に脆弱なままにしたのか?」だ.これは「なぜ人生は苦しみに満ちているのか?」という哲学的な問いに関わりがある.そして人生の苦しみの多くは精神的なものなのだ.

 

第2章 精神疾患は疾病なのか

 
ネシーは第1章で少し触れた精神疾患の診断基準の話に戻る.精神疾患がうまく定義できないのはなぜか,そこに精神疾患の重要な問題が隠れているのだ.

  • 精神疾患の診断システムは絶え間ない論争に晒され続けている.
  • 診断は(脳の器質的異常そのものを感知できないため)症状のクラスター(症候群)により行うほかない(操作的診断基準).これは当初エキスパートの意見により決められていた(DSM-IIまでのシステム)のだが,それは主観的であり,決して合意されない論争の的になり,それによる診断結果は不安定だった.1980年,DSM-IIIにより明確なチェックリストが定められ,各疾患の客観的な定義が得られるようになった.
  • しかしすぐにDSM-IIIにも批判の嵐が巻き起こった.このチェックリストアプローチは症状にすべての情報があるという前提に基づいており,(発症の条件であったかもしれない)環境条件への吟味を甘くする.これに従うと,診療の現場で各患者の抱える問題,原因への考察が甘くなるのだ.また同じ疾患の診断でも個別の患者の症状の内容が異なる問題や,ある症状が複数の疾患の診断に当てはまる問題も生じる.DSMはこれらの議論を受けて1994年にDSM-IV,2013年にDSM-Vにバージョンアップされているが,この問題は基本的には解決されていない.
  • 操作的診断基準から離れて,遺伝子や脳スキャンなどによる診断ができないかということも模索されたが,大きな進展はない.疾患の関連遺伝子探索によりいくつかの候補遺伝子は見つかったが,いずれも効果量は小さく,また脳科学はそのシステムが非常に複雑であることを解明したにとどまった.

 

  • 以上のことは,そもそも精神疾患とは何かを深く考え直す必要性を示すものだ.DSMは精神疾患をうまく記述できる,そしてそれへの不満はまさに丁寧なチェックリストにより精神疾患のぐちゃぐちゃの複雑性が浮かび上がっているからこそ生じるのだ.
  • これを身体的疾患の診断と対比して考えてみよう.まず通常の医学は咳や痛み自体を疾病とは考えない.そして正常の機能に対する障害として疾病を理解しようとする.そしてこれに対して精神医学は単に症状を疾病と考えていることになる.要するに精神医学の問題は正常で有用な機能についての無関心にあるのだ.

 

第3章 なぜ心はこんなにも脆弱なのか

 
では何故自然淘汰で形作られたはずの心はこんなにも脆弱なのか.ネシーはその解説に先立ってハミルトンの遺伝子視点の洞察やグループ淘汰の問題などにふれながら進化理論を簡単に説明している.ネシー自身の理解の歴史を踏まえてなかなかコンパクトにまとまっていて面白い.そして心の脆弱性の進化的な理由についてはこうまとめている.この部分は進化医学の基本であり,納得感のある説明になっている.

  • これには6つ進化的な理由がある.(1)現代環境とのミスマッチ:精製された薬物,大量の食糧の入手可能性は様々な問題を引き起こす.(2)病原体との共進化.(3)自然淘汰の限界:変異の存在の必要性,物理法則,経路依存性など.(4)トレードオフ:身体は様々なトレードオフの上にある.(5)適応度と健康は一致しない.(6)防御反応が症状を引き起こすことがある.
  • これは自然淘汰の限界,進化速度の遅さ,自然淘汰の働き方という3つの要因にまとめることもできるだろう.

そして第2部以降ではこの理解に沿って個別の問題を考察していくことになる.第2部で感情に絡む障害,第3部で社会生活から生じる障害,第4部で行動にかかる障害がとりあげられる.
 

第2部 感情の理由

 

第4章 悪い感情がある理由

 
ネシーはまず感情の存在そのものから議論を始めている.

  • なぜ不快な感情があるのか.この問題に対してはデザインされたシステムの一部だとして考察することが重要だ.
  • 精神医学ではしばしば不快な感情自体が症状だと捉えられる.しかし痛みや咳が問題解決のための有用な反応であるように感情にも機能があることを前提とすべきだ.そしてある反応が正常か異常かは状況に依存するのだ.

 
ここからネシー自身の考察の歴史が書かれている.臨場感があって面白い.

  • 最初に感情の機能を考えるようになると,不安や鬱を抑える薬の処方は正しいのかが疑問になる.私は一から勉強をすることにした.わかったのは1890年のウィリアム・ジェイムズの著作からあまり進歩がないということだった.
  • ダーウィンの「感情」は系統的な議論が主であり,その機能についてはあまり扱っていない.1960年代にはポール・マクリーンが「三位一体脳」仮説を提示し,爬虫類脳,辺縁系,前頭皮質で脳の進化と機能を説明しようとする考察が世間に流布した.しかしやはりその機能についてはあまり考察されていない.
  • 現代的な脳科学は活性の部位やその認知プロセスの速度を調べている.これらは感情の機能についての考察を含むがどのように適応的かは扱っていない.また感情には単一の機能があるという前提に基づくものが大半で,進化プロセスの微妙な問題には注意を払っていないように見える.
  • 進化的に考えると,感情とは「適応度を上げるために生理,認知,主観的経験,表情を統合的に調整する特殊化した状態」だと考えることができる.いわば感情はキーボードにプログラムされた音楽スタイルのようなものなのだ.
  • ではいくつ感情があるのか,研究者の意見は微妙に食い違っている.それぞれの感情にはプロトタイプがあるが,それは広がりを持ち重なっているのだと考えるべきだろう.そして進化的には様々な環境条件に対応するべく分化してきたものだと思われる.

 
ここでネシーは感情の仮説的「系統樹」を提示していて面白い.環境条件の好機と脅威に対応して,まず欲望と恐れが分かれる.前者は希望,喜びに分かれ,さらに喜びは愛や友情やプライドに分化する.後者は不安と悲しみと痛みに別れ,不安は恥,罪,後悔,嫉妬に分化する
 

  • 次の問題は文化的な多様性だ.(ドイツ語の“Sehnsucht”,日本語の“甘え”の例が示されている)確かに表面的には文化的な多様性が観察できるが,そもそもの感情を感じる能力は自然淘汰産物のはずだ.これは「氏か育ちか」論争のテーマの1つになった.リサーチが進むにつれ,感情のコンセプトは文化の影響を受けるが,実際にある条件下でどのような感情を感じるかには強いユニバーサル性があることがわかってきた.

 
ここからが適応的な解説になっていく.

  • なぜ自然淘汰は不快な感情を残したのか.それは祖先環境ではその方が有利だったからだ.例えば脅威に対しては恐れを抱いた方が対応しやすくなる.表にして整理すると以下のようになる.
環境条件 その種類 対応前の感情 うまく対応できたときの感情 失敗したときの感情
機会 物理的 欲望 楽しみ 落胆
機会 社会的 興奮 喜び 落胆
脅威 物理的 恐れ 安堵 痛み
脅威 社会的 不安 安堵 不安

 

  • 脳はいつ感情をオンにするかをどのように知るのか.一部は生得的に,一部は学習により知るようになる.その際にはその人の当面のゴールの認識が重要になる.個人個人はそれぞれ価値観が異なり,さらに同じ目的の追求について戦術も異なるのだ.また感情をオンにする条件の閾値も個人により異なる.
  • これまでの情緒障害のリサーチは主に不安や鬱などのネガティブ感情の過剰を問題にしてきた,しかし適切な感情が機能的に最適だと考えればポジティブな感情の過剰も問題になり得る.またネガティブ感情やポジティブ感情の不足も問題になるはずだ.さらに感情がオンになる速度や長さ,発動条件の誤りなども問題になる.進化的に考えるということはエンジニアの視点を持つということなのだ.

以上がネシーの感情一般についての進化的な解説になる.機能から考えると対応できたときとできなかったときに大きく分かれるという洞察が面白い.系統樹の提示も野心的だ.
 

第5章 不安と火災報知器

 
ここからネシーは個別問題の解説に入っていく,最初は不安症だ.

  • 不安症の患者はほんの些細な危険の徴候に対して過剰に反応し,手汗をかき,緊張し,動悸が速くなり,パニックを起こし,逃げ出す.これがどれほど深刻になり得るかについてはあまり一般には知られていない.
  • 一部の恐怖症に対しては暴露療法が有効だ.クモ恐怖やヘビ恐怖は暴露療法により劇的に改善することがある.療法中不安は徐々にレベルを下げていくこともあるし,ある瞬間に突然消えることもある.

 

  • 不安はなぜあるのか,それは危険を避けるために有用だからだ.これは「戦うか逃げるか」反応と関連する(不安症患者はしばしばすくみ反応を示す).かつて高所恐怖症は高所から落ちたことがあると発生すると考えられていた.調べてみると落下の経験は高所恐怖症の人の方がはるかに少ないことがわかった.要するに恐怖を感じないと行動が無謀になって落下しやすくなるのだ.私は不安過小症を調べてみた.この症状を示すのはほぼ男性のみで,彼等はその勇気をたたえられているが,事故に遭ったり死亡したりしやすく,病院や監獄での頻度が高い.
  • しかし不安症は不安不足より遙かに頻度が高い.なぜか.それは火災報知器理論で説明できる.危険があるのに見過ごすこと(第2種の過誤)は,危険がないのに危険があるとすること(第1種の過誤)より遙かにデメリットが大きい.だから不安は過敏気味である方が適応的なのだ.パニック症候群も同じだ.
  • 不安症は進化的過去にリスクであったものに対しては生得的であったり,非常に素速く学習できるが,そうでないものに対してはあまり生じない傾向がある.
  • 広場恐怖は,しばしばオープンスペースと閉所の両方を怖がる.これは捕食されるリスクへの反応だと考えると理解できる.
  • PTSDも過去のトラウマについての些細な徴候から発症する.またこのリスク要因は社会的サポートの欠如であることが知られている.一般的な適応メカニズムであるとは考えにくいが,危険報知のメカニズムが生命の危機イベントに対して過敏になった結果と解釈できるだろう.
  • すべてのリスクシナリオを過剰に恐れる全般性不安症候群GADと呼ばれる不安症もある.やはり危険報知のメカニズムの過敏と考えることができる.この遺伝要因は鬱の遺伝要因と大きく重なっていることが知られている.
  • 進化的に考えると,不安症,恐怖症,PTSD,GADは基本的に同じ問題(危険報知システムの過敏)だという理解が得られる.抗うつ剤や行動療法は共通して効果がある.そしてこれらの症状はポジティブフィードバックループに入って悪化しやすい.

ここは不安をリスク対処の適応的機能からうまく説明できていて,いろいろと整合的だ.ただなぜ暴露療法が効果があるのか,それがどのような恐怖症にも同じように効くのか,それぞれ進化的にどう考えられるのかについては解説がないのが少し残念だ.
 

第6章 落ち込みとあきらめる技術

 
次は鬱だ.ネシーは冒頭に印象深いケーススタディを置いている.ある患者は学校が嫌いだったがガールフレンドを引き留めるためには学校に通うしかなく,鬱におちいっていた.そして彼は彼女と別れた瞬間に学校から解放され快癒したのだ.

  • アメリカは心臓病による死亡を減らしたが,鬱による自殺を減らせていない.
  • 鬱の診断はそれを単なる気分の落ち込み(Low mood)からどう区別できるのかを巡って大論争になっている.しかしこの論争で忘れられているのは,そもそも通常の気分の落ち込みの機能は何かという視点だ.
  • Low moodは悲観,リスク回避,元気のなさ,社会からの逃避,従属的,低自己評価などを特徴とし,悲しみ,悲嘆,などと重なり合っている.

 

  • ではLow moodの機能は何か?実はこの問題の立て方は間違っている.真に問うべきなのは,「どのような条件においてLow moodは適応的になるか?」なのだ.

 

  • 鬱の適応性についてはいくつか仮説がある.エンゲルはアタッチメントのロスに対してエネルギー節約説をとなえた.ルイスは助けを呼ぶシグナル説を唱えた.一部の進化心理学者は自殺示唆を他人の操作戦略かもしれないと考えた.しかしこれらの仮説にはエビデンスがなく,過去のリサーチの知見とも整合的ではない.
  • ジョン・プライスはニワトリのつつき行動を観察し,負けた弱いオスが不活発になり引きこもる様子を見て,これは譲歩のシグナルでさらなる攻撃を避ける適応ではないかと考えた.この考えは何人もの学者が発展させ,ヒトの鬱について社会的地位を巡る競争状態で勝ち目が薄いときの非自発的譲歩仮説が形成された.私は多くの鬱にはこの仮説が当てはまるのではないかと思っている.
  • しかしこれが鬱の主要な適応的機能だとは思えない.競争以外の状況でも鬱は生じるし,社会的競争の場面に限っても鬱は譲歩シグナル以外の機能(代替手段の探索や新しい同盟の模索など)を持っているように思われる.
  • エミー・ガットは(Low moodによる)撤退と熟考は人生の主要な問題を解決するための大きな変化を成し遂げるのに役に立つが,時に非生産的な鬱に陥ってしまうのではないかと考えた.
  • 提案されている機能はすべて鬱やLow moodに関連するのかもしれない.これ以上理解を進展させるためには,機能だけではなく,どんな状況でその機能が有利になるのかの吟味が必要なのだ.

 

  • High moodとLow moodはそれぞれ有望な状況とあまりうまくない状況への対応のために形成されたのだろう.High moodは好機を役立てるのに有利だ.うまくない状況ではLow moodになって一旦引き下がった方がいいことが多いだろう.これを切り替えられると有利になる.特に普段と異なる状況にうまく対応できれば有利になるだろう.
  • ムードはある状況での問題解決にどのぐらいエネルギーを投入するか,いつあきらめるか,次に何をするかを可変的に決める仕組みなのだろう.これには行動生態学の最適採餌戦略の限界価値理論が関連する(詳しい説明がある)
  • ADHDはこの調節がうまくできずにすぐ次の問題に移ってしまう症状だと考えると理解できる.そしていつ大きな問題をあきらめるべきかの決断に関連するのがLow moodと鬱だ.もはやこれ以上ゴールを追求することがマイナスにしかならないときにはLow moodになるのが適応的なのだ.(溺れているラットがいつもがくのをやめて鼻先だけ出して浮いているようにした方がいいかのリサーチが紹介されている.プロザックを与えるとラットはより長時間もがくようになるが,かえって生存確率は小さくなる)
  • 私は以上の考察を2000年に「Is Depression an Adaptation?」という論文にした.いま考えるとまだ視点が狭すぎた.もはや届かないゴールをあきらめる場合だけでなく,従属的ポジションに閉じ込められたときにも,飢餓や感染などの身体的な悪状況に対してもLow moodは有効だ.

 
ネシーはここから環境状況を可変にしてどのようなムード調整が有利になるかを調べる数理モデル,一部の心理学者はムードと目的の関連に気づいていたこと,ヒトは基本的に自信過剰で鬱に陥ってより現実的になると言われるが,鬱は別のやり方でリアリティを歪めて感じさせることなどを解説する.そして最後にこう結論を置いている.

  • ムードは状況に合わせて調整され,時間,努力,リソース,リスクテイクを再配分し,適応価を最大化させようとする.
  • Low moodの様々な症状が常に同じパッケージで現れるわけではないのは,個別の状況が異なるからだろう.これについてはさらなるリサーチが望まれる.
  • 鬱に適応的な側面があるからといって治療すべきでないということにはならない.それは苦痛をもたらすものであり,(同じく適応である)痛みを取る麻酔が否定されるわけではないのと同じだ.鬱の治療には人生のゴールを書き換えて元になる原因を取り除くのが最も効果がある.しかしそれはしばしば不可能だ.それでも医者は苦痛を減らすために様々な方法を試みるべきだ.火災報知器原理は有効だが,現代環境とはミスマッチに調整されているのだから.

鬱についてネシーは長年考察を積み重ねていて,この章は充実していて迫力がある.
 

第7章 理由のない悪い気分

 
ネシーはここでより広い症状である気分障害(Mood disorders)を取り扱う.

  • 鬱や双極性障害を含む気分障害はムード調整器(サーモスタットになぞらえてムードスタットと呼んでいる)の故障の結果生じる
  • 近年の脳科学リサーチはムード調整メカニズムを明らかにしつつあるが,その故障の原因や治療についてはあまり進展がない.精神科医はどのような資質の人がそうなるかばかり追いかけ,そもそものムードの調整について考えようとしない.精神医学はここでも症状を疾病と考えてしまう誤謬におちいっている.

 

  • 鬱症状は欲望と予想のギャップから現れる.そして各個人の状況は非常に多様だ.しばしば患者は症状の原因として誤ったライフイベントを考えている.時には原因が注意深く隠されていることもある.
  • 調整システムの問題には6つの原因が考えられる.(1)ベースラインが低すぎる(2)ベースラインが高すぎる(3)反応が不足(4)反応が過剰(5)間違ったキューで反応が生じる(6)キューなしで反応が起こる,の6つだ.
  • そしてこれにはいくつかの進化的な理由がありうる.一部のムード調整は我々を苦しめながら繁殖機会を増やす(より良い繁殖相手をどこまでも求めるなど)だろう.また現代環境とのミスマッチ,自然淘汰の制約,トレードオフ,火災警報原理も重要だ.
  • 現代環境とのミスマッチはどの程度影響を与えているのか.狩猟採集民の鬱発生率と都市住民のそれが大きく変わっているという証拠はない.最近の数十年で増えているという証拠もない.国別の発症率の違いが何によるものかはあまり調べられていない.とはいえ,現代のメディアの影響は考慮に値するだろう.進化環境にはなかったような超望ましい配偶相手の姿を容易に見ることができるし,フェイスブックは知り合いがリア充である様子にあふれている.SNSの使用が鬱を増やしているという証拠はないが,過大な目的を追求する人の比率が増えている可能性はある.現代の物理的環境が不眠や肥満や運動不足を増やしている影響もあるかもしれない.
  • 自然淘汰には限界もある.気分障害は,メカニズムを故障させる突然変異の発生と淘汰が釣り合っているために生じるのかもしれない.原因遺伝子の大規模リサーチによると,数多くのごく小さな効果を持つ遺伝子があり,それらは大きな染色体により多く見つかるようだ.
  • 調整メカニズムを考えると,フィードバックシステムが重要であることがわかる.ポジティブループが生じると鬱を悪化させるだろう.それが現代社会でより多いのかが問題になる.

 

  • 双極性障害は鬱とは異なる.これはムード調整システムの基本的な故障,つまりムードスタットの破損から生じる.躁,鬱それぞれでポジティブフィードバックが働いて止まらなくなり,どこかで突然反転して逆になる.
  • コントロールシステムには「双安定」システムと呼ばれるものがある.これを作るにはポジティブフィードバックを入れ込む必要がある.このシステムの挙動は双極性障害に非常によく似ている.
  • 「野心」を持つことの適応価が,鬱や双極性障害への脆弱性を進化的に説明するだろう.野心は単に金の問題ではない.認められたいという欲望も同じく強い.成功は野心をさらに膨らませる.躁状態において本人はこの状態が合理的だと感じている.通常進捗の停滞はムードを低めるが,躁状態ではそうならない.失敗は努力を増やす方向に働く.そしてそれは最終的には大失敗につながり,一気に鬱状態に突入するのだ.
  • 双極性障害の遺伝率は80%と高い.やはり特定の効果の大きな遺伝子は発見されていない.

 

  • Low moodは心理的苦痛であり,鬱は慢性的な心理的苦痛だ.これに対してどう治療すべきだろうか.
  • まず何か特定の問題がこれを引き起こしているかを見定めることだ.多くの場合,原因は「社会的なトラップ(重大な社会的ゴールを得るために多大な犠牲が必要な状況になること)」だ.
  • しばしば示唆される治療法は患者に勇気を出すように励ますことだ.しかしこれは状況,その状況の解釈,脳という因果の鎖の最初の部分しか見ていない.この3つは複雑に絡んでいるので,全体を視野に入れた治療が望ましい.
  • 抗うつ剤はしばしば脳のケミカルバランスの回復のために使われると考えられているが,むしろ脳の反応システムを乱すものだと考えた方がいい.だから数多くの抗うつ剤は異なる影響を与えるのだ.そしておそらく届かないゴールの追求と抗うつ剤が動機に与える影響には関連があるのだろう.
  • また認知療法や行動療法にも進化的な視点は役に立つだろう.状況を別のフレームで再解釈することや人生のゴールやムード調整まで含めたメタ視点での認知を促すことはしばしば有効な介入になるだろう.
  • ここまでは状況を強調してきたが,もちろん個人の資質や幼少期の経験の影響の部分もあるだろう.さらなるリサーチが望まれる.

この章は鬱よりスコープを広げたムード調整障害についての現時点でのネシーの考えということだろう.双安定サイバネシステムが躁鬱症に似ているというのは至近的なメカニズムの部分だが,なかなか示唆に富んでいる
 

第3部 社会生活の喜びと危険

 

第8章 個人をどう理解すべきか

 
ここでネシーは個人差をどう取り扱うべきかを考察する.様々な症状やその原因を統計的に理解しようとすることと個人的なパーソナリティとエピソードの積み重ねの考察には巨大なギャップがあるのだ.

  • 個人の人生のこれまでのストレスを評価しようという試みには1960年代以来の積み重ねがある.しかし難しい問題が残っている.ロングインタビューはコストがかかるし,ストレスとは何かも難しい.ストレスは客観的状況で決まるのではなく,その状況を当該個人がどう解釈するかに大きくかかっているのだ.
  • 個人差は本質的だ.個人個人で他者にどう影響を与えるかの戦略は異なり,成功や失敗にどう対応するかも異なる.一般化は難しく,個別の説明は豊かだが信頼性に欠けるものになる.

 

  • 感情的な症状を理解するためには個人の置かれた環境と,個人の性格や戦略差の両方に目を向ける必要がある.
  • まず当該個人の社会環境を評価するためには,標準的な質問セットを準備することが有用だ.健康,経済状態,仕事,配偶関係,子ども,友人や同僚との関係を尋ねるのだ.それをちょうど新生児の健康状態を測るアプガー指数のような指数にする.(これをReview Of Social Systems :ROSSと呼ぶ.その測定詳細やダイヤグラム表示が説明されている)これを用いると,到達不可能な目標に捕らわれて鬱になっているような場合と,事故や感染症で落ち込んでいる場合を区別でき,それに伴い抗うつ剤の効果もうまく評価できるようになる.
  • では個人差はどう把握するのか.不安症はしばしば直近の環境とはあまり関連していない.それは多くの場合その患者にとって生涯に渡る問題だ.これは潜在的な脆弱性が何らかのストレスで顕在化することによって症状が生じる(ストレス脆弱性モデル)と考えられる.そのような感受性の高い患者は普通の人と異なる感情的反応を見せる.
  • 特定のイベントが特定の症状を引き起こすこと(両親をガンで失った人の不安症,配偶者に浮気された人の不安症など)については進化的な見方が役に立つこともある.
  • しかしこのような分析はまだまだ単純すぎる.ヒトは劇的に異なるパーソナリティを持ち,パーソナリティが環境を選び,相互作用し,しばしば自己実現的(自分の世界観にあった世界を認知し,反応する)になる.そしてヒトは劇的に変化することもできる.良い方向への変化を手伝うことは難しいがやりがいのある仕事だ.

本章では発症の原因については個人差をよく考える必要があるという示唆にとどまっている.リサーチはまだまだこれからと言うことだろう.
 

第9章 罪悪感と苦悩:善と愛の代償

 
多くの精神的な問題は愛や信頼やモラルが絡む.ネシーはここで「そもそも何故ヒトは社会的なのか(あるいは利他的傾向を持つのか)」という問題提起を行い,ナイーブグループ淘汰の誤謬,ジョージ・ウィリアムズの指摘,ドーキンスの利己的な遺伝子の説明に進む.ネシーは最初にドーキンスを読んだときには,自分のモラル的な衝動は実は自分の遺伝子が誰かを操作するようにデザインされているものかと悩んだという.

  • ドーキンスの説明はアカデミックには完璧に正しい.しかし人々が何を信じているかはその人がどう振る舞うかに影響する.自分の行動傾向が(遺伝子にとって)利己的に形成されているという信念は社会にとって腐食的に有害だ.
  • 実際に臨床で経験するのは,その患者がヒトの本性についてどのように思っているかは,彼等の人生に影響を与えることだ.周りのほとんどの人は善であると信じている人の人生は明るい.しかし周りは皆利己的だと思っている人の人生は問題だらけなのだ.そのような世界観は自己実現的でもある.

これによりネシーは利他性やモラルの進化に深い関心を持つ.ネシーは引き続いて,DSウィルソンたちによるマルチレベル淘汰によるグループ淘汰の復活,そのモデルと包括適応度理論の等価性,ハミルトンの包括適応度理論,トリヴァースの直接互恵性の説明とアクセルロッドによる繰り返し囚人ジレンマゲームモデルを解説し,さらに論を進める

  • しかしヒトの向社会性は非常に強く,これらの説明だけで不十分に思える.鍵になる洞察は利他主義者が選択的に利他主義者と相互作用するとメリットが得やすいということだ.スチュアート・ウエストは「利他的遺伝子のノンランダムなアソートメント」と説明する.これに属するアイデアには,地理的な近接性や噂を通じた選択制(間接互恵性),さらにボイドとリチャーソンの提唱する(チーターを罰したり利他行為に報酬を与える)文化的グループ淘汰がある.

この要約はやや問題含みだ.ウエストが指摘しているノンランダムアソートメントこそ包括適応度理論のキモになるからだ.ともあれここでネシーが指摘したいのは,包括適応度理論と直接間接の互恵性だけではなお説明が不十分に感じるということだ.
 

  • さらに2つの方法がある.
  • 1つはコミットメントだ.コアのアイデアは「他者に,自分の将来の行動の(それが自分に不利になっても行うという)コミットメントを信じさせることができれば,あなたは他者の行動に影響を与えること(自分に利他的行動をしてもらうこと)ができる」というものだ.コミットメントに基づく関係は互恵性に基づく関係よりも価値がある.これはトゥービイとコスミデスが「銀行家のパラドクス」として説明しているものだ.難しいのは他者に信じさせる部分だが,1つのやり方はその利他的な行為を常に実践することだ.互いにコミットし合う小さなグループは非常に強い利他的な行動を可能にする.これは宗教的なグループでしばしば見られる.

ネシーはコミットメントを包括適応度や互恵性とは別の次元の解決策だと示唆している.コミットメントはある意味ゲームのルールやペイオフ行列を変更する方策であり,そう評価することもできるだろう.
 

  • もう1つは社会淘汰だ.利他的な行動にはコストがかかる.コストは自分の質を表すシグナルになる.だから道徳的な行動は配偶相手の選択や同盟や取引相手の選択のシグナルになり得るのだ.そして当初のコストはより良い配偶相手や同盟相手を得られることによって回収可能になる.我々はより信頼でき,優しい人々をパートナーや友人として選ぼうとするし,それは相互に利益をもたらす.そしてウエストが指摘するノンランダムな利他的傾向のアソートメントを生みだすのだ.

社会淘汰の最初のアイデアはジェフリー・ミラーによるモラルの性淘汰説に始まると思われるが,ネシーは同盟(友人)関係の選択にも広げて社会淘汰と括っている.精神医学的にはこれは重要になる.
 

  • 社会淘汰は精神疾患の理解に大きなインプリケーションをもたらす.ヒトは自分が(他者から選んでもらうために)他者からどう見られているかを非常に気にするように強い淘汰を受けているはずだからだ.これが自己評価の本質であり.社会的不安の根源だ.そして他者によく思われようとすることは様々な自己利益とのコンフリクトを生む.
  • (社会淘汰が効いているにもかかわらず)実際に一部の人はサイコパスであり,自己利益を優先し他人を操作しようとする.この傾向には強い遺伝性があり,一部の論者はこれを負の頻度依存淘汰で説明しようとする.私はこれには賛成できない,強いサイコパスは小さなグループでは著しく不利だと思うからだ.むしろ大規模社会という新奇環境で生じている現象のように思う.

 
ネシーはここで苦悩(grief)の問題にもコメントしている.なぜここで触れるのか,griefとsadnessの定義は何かなどよくわからず,少しわかりにくい.苦悩は愛の代償という説を否定し,悲しみの1種だと解説されている.
 

  • 苦悩(grief)は社会的不安とは異なる.私は苦悩を経験しないと主張する人達のデータを分析したことがある.それまでの理論(すぐに苦悩を感じない人もあとから感じる,リカバリーには苦悩が必要,苦悩はアンビバレントな関係から生まれる(フロイト説))などはすべて否定された.苦悩を感じない人に問題が生じるようには見えなかった.苦悩を感じるかどうかは極めて主観的だった.
  • では苦悩は何のためにあるのか.愛の代償という名の副産物だという主張もあるが,ありそうにない.それが副産物でないとするなら,悲しみ(sadness)の特殊なものだと考えられる.悲しみは喪失状況への対処のためにあるのだろう.それは喪失に関連のあるキューに敏感になり,再発を減少させるだろう.

 

第10章 汝自身を知れ,いや知るな!

 
本章は動物行動学会の逸話から始まる.そこで行動生態学者から,アレキサンダーやトリヴァースの「無意識による抑圧あるいは自己欺瞞は他者を操作しやすくなるために進化したのかもしれない」という仮説や動物の信号システムにありふれる操作の議論を聞き,ヒトについて調べるのは精神科医たる自分の仕事だと思い至ったそうだ.
 

  • しかしアレキサンダーもトリヴァースも精神分析については知らなかった.精神分析ではヒトの行動は無意識のアイデアや感情や動機に影響され,自己防衛からそれらを意識から遮断(抑圧)しているとみなしている.精神分析はこれらの防衛を突破する戦略なのだ.
  • 抑圧の証拠は歴然としているが(ネシー自身の体験が書かれている),現在精神分析は嘲りの対象になることが多く,全否定されがちだ.しかしそれは風呂の湯を赤ちゃんと一緒に捨てるようなものだ.抑圧は重要だ.
  • 抑圧は進化的には謎だ.なぜ自分自身を知ることが害になり得るのだろうか.私は動物行動学会から帰ってこの謎を解くことに取り組み始めた.
  • バクテリアや昆虫のことを考えれば意識外の脳活動が行動をガイドすることには何の不思議もない.
  • では意識はそもそも何のためにあるのだろうか.これは長く議論されている問題だが,意識による外界のシミュレーションが有用だろうということについてはかなり意見が一致している.ここからある種のイベントが閉め出されるのはなぜかが問題になる,
  • 無意識の認知はありふれている.心理学のリサーチは否定や投影などの心理的な防衛が実際にあって強力であることを見いだしている.ではそれらにどのような淘汰的メリットがあるのだろうか.
  • アレキサンダーやトリヴァースのアイデアは,それは他人を騙して操作するのに有利だというものだ.これは一部の人に熱狂的に受け入れられ,一部の人からはモラル的コミットメントを掘り崩すものだと拒否された.私は後者に属していた.
  • しかし精神分析や利他性の進化の理論を学び,私の態度は変わった.アレキサンダーやトリヴァースの議論は少なくとも部分的には(特にセックスが絡むときや,マイナーな裏切りが問題になるときに)正しいと思うようになった.
  • もう1つの可能性は,心をかき乱されるような考えを意識の外に追い出すことによって認知的な混乱を最小化させるというものだ.現実はしばしば思い通りにはならない.欲望や動機をすべて意識すれば,ねたみ,怒り,不満に心を乱されることは避けられない.それらを無意識に追いやることにより,より実現可能なプロジェクトに向かうことが可能になり.自分がいい人であることをアピールしやすくなる.

 

  • 強迫性障害はこの抑圧の不足によるものだと理解できる.
  • この症状はある意味でパラノイアの真逆になる.パラノイアの患者は誰かが自分を害することを恐れている.強迫性障害の患者はしばしば自分が誰かを害してしまうことを恐れるのだ.
  • 強迫性パーソナリティ障害は単純な強迫性障害とは異なる.このパーソナリティ障害は,過剰な客観性と誠実性の危険をよく示している.彼等は徹底的にルールを遵守し義務を履行し,他人にもそうするように強い,問題を引き起こす.マイナーなルール違反や間違いに気づかないことは人生を容易にするのだ.
  • 一部の患者は決断ができない.片方で決断がころころ変わる人も問題を抱える.私たちはこのような流動性から「認知的不協和」という仕組みによって保護されているのだ.

 

  • 人々は利己的な動機を抑圧している.これはフロイトのオリジナルモデルのアイデアであり,社会生活における中核的なトレードオフ(短期的楽しみと長期的な社会的なコストのコンフリクト)にかかるものだと進化的には解釈可能だ.抑圧があれば短期的衝動を抑えることが容易になる.これはある意味アレキサンダーやトリヴァースの示唆の真逆になる.(騙しによる操作という)反社会的な行動を可能にするのではなく,それを抑えてより良い社会的行動を行うために抑圧があるという考えだからだ.

トリヴァースの自己欺瞞の議論を精神科医としてのネシーが吟味している本章のこの部分の記述は興味深い.確かにトリヴァースの議論は一面の真理を突いているが,抑圧はもっと広い(そしてフロイトのアイデアの一部は進化的に解釈可能だ)というのがネシーの考えのようだ.
 

  • 抑圧や自己に関する知識を欠落させることが有利になるという考えは不穏に感じられる.啓蒙運動は進歩への希望を理性に求めた.我々が真実を否定して現実を歪曲するように進化しているというのは啓蒙運動に対する脅威のようにも感じられる.
  • しかしながら,私は「抑圧の重要な役割は高いレベルの協力推進と地球にとっての善だ」と主張することが可能だと思う.片方で無意識による歪曲は部族主義を育てて不幸を招き寄せることがあるのも事実だ.
  • 基本的に客観性は適応度を上げるが,ヒトの社会生活はイングループへの忠誠を求め,客観的な個人は不利になる.それは神経科学や精神分析や進化精神医学などの学問分野にとっても同じで,コアのスキーマへの忠誠を示さないメンバーは排除されがちだ.この傾向の根源は深く,おそらく遺伝子にとって有利だったのだろう,しかしそれは真実を求めることや学問の統合への障害にもなるのだ.

 

第4部 コントロールできない行動と悲惨な障害

 

第11章 悪いセックスも遺伝子にとっては善になり得る

ネシーは冒頭でセックスに絡む様々な人生の問題を取り上げる.なぜ性的な人生の問題がこうもありふれているのか.それは自然淘汰がヒトの幸福ではなく繁殖成功に向かってかかるからなのだ.

  • ヒトの配偶相手への好みは進化的に容易に説明できる.選り好み傾向は遺伝子には有利だが,我々を幸福にするとは限らない.さらに現代環境は超好ましい配偶相手モデルのイメージにあふれているので問題は悪化している.
  • しかし自然淘汰はこの問題がコントロール不能になるのを防ぐ心理的メカニズムも創り出している.1つは抑圧で,もう1つは「恋に落ちる」ことによる絆の形成だ.部分的一時的な解決ではあるが,これは主観性の価値と言ってもいい.

 

  • パートナー間でセックスの回数ややり方についての意見が一致しないことはしばしばある.男性が必ず多くのセックスを望むわけでもない.なぜ男性にフェティッシュ願望傾向があるのかは興味深い.おそらく何らかの副産物なのだろう.
  • 性欲欠如は薬物や神経ダメージなどの様々な原因で生じる.心理的に興味深いのは不安によるものだ.おそらく命の危険があるときにはセックスを抑制した方が有利だったからだろう.
  • 性的障害で最も訴えが多いのは男性の早漏だ.男性の方がより早くクライマックスを迎えがちなのはその方が遺伝子に有利だったからだろう.(射精後のインターコースが精子を外に出してしまうこと,オーガズム後に女性がセックスをやめがちであることなどが議論されている)

 

  • 現代環境で生じる問題には,避妊による性的態度の変化,初潮の早期化,ポルノや性的玩具の影響などがあるだろう.

ネシーはこの章で,同性愛,女性のオーガズムがそもそもなぜあるのか,排卵隠蔽の謎,嫉妬の性差なども簡単に解説している.やや散漫な印象だ.
 

第12章 根源的な好み

 
ネシーは本章で摂食障害を取り上げる.

  • 身体の多くの調整はネガティブフィードバックシステムだ.ポジティブフィードバックは理論的に興味深いが,不安やムード調整のシステムに生じると深刻な問題を引き起こす.摂食障害はその1つだ.
  • アメリカでは成人の2/3は肥満で,多くの人はダイエットに励むが,90%以上は結局もとの体重に戻る.この失敗はフラストレーション,モラルの低下,低い自己評価,疾病や死の恐怖の正当化を引き起こす.
  • 対処は自明であるように思える.「より努力せよ」専門家はしばしばそういう.しかしそれは(いろいろな助けを借りても)やはりうまくいかない.
  • これまでにわかっているのは,肥満は遺伝と社会的要因の両方の影響を受けるということだけだ.
  • 進化的には,肥満体質はしばしば飢餓状況になるような環境で有利であったが,現代環境にはフィットしていないと説明される.

 

  • 一部の人は摂食することに問題を抱える.代表的なのは拒食症と過食症だ.過食症は自己コントロールを欠いた拒食症として理解できる.頑張って食事を制限するが,時にコントロール不能になって過食してしまう.
  • なぜ我々の食欲コントロールシステムはこのように脆弱なのだろうか.
  • 考察の始点は飢餓への対処だ.淘汰は飢餓に備えて余剰カロリーを摂取しようとする傾向を有利にしたはずだ.これはラットにも見られる.実際に拒食症入院患者はしばしば病院の売店でキャンディを万引きしベッドに隠し持つ. 
  • 拒食症患者が拒食症に陥るきっかけは様々だが,肥満への恐怖が先立っているのは共通している.また拒食症への脆弱性には遺伝性があり,現代環境とのミスマッチも要因になっている.
  • 一部の進化心理学者は,肥満への恐怖は,男性から好まれるための女性間の競争と関係しており,拒食症はそれが過剰になったものだと主張している.女性間の地位を巡る競争を主張する進化心理学者もいるが,拒食症が若い女性に多いことから見ても配偶選択競争と考える方が説得力があるだろう.
  • 摂食障害は1960年代以降顕著に増えている.なぜかは謎だ.1つにはメディアで痩せている魅力的な女性の露出が増えたということがあるだろう.人口甘味料の出現も要因になっている可能性がある(リサーチの結果は分かれている).
  • 未熟児として生まれると,のちに肥満になりやすいことがわかっている.これは適応的な反応(条件付き戦略)である可能性がある.親の世代が飢餓になるとこの世代で肥満になりやすいというリサーチ結果もある.これをゲノミックインプリンティングで説明しようとする議論もある.

 

  • 進化的に考えると摂食障害を直す簡単な方法はありそうにない.しかしいくつかのヒントはある.まずきついダイエットをやったりやめたりするのは,不安定な食糧事情と感じられ,より肥満しやすくなり,摂食障害も生じやすくなるだろう.少量の食事を規則正しく取る方がより良い方法になる.人工甘味料などのかつてなかった刺激は食欲コントロールシステムにとって良くないだろう.これは社会関係におけるSNSについても言えることだ.

 

第13章 悪い理由にとっての良い感情

 
次にネシーが取り上げるのは薬物中毒だ.

  • なぜ我々は薬物中毒に脆弱なのか.
  • 根本原因は学習能力にある.脳へのドーパミン供給が上昇するとその直前の行動を繰り返したくなる.食事やセックスなど正常な報酬の追求はオートマチックにコントロールされていて,満足したあとに要求が下がる.しかし薬物中毒の場合にはそうならずに欲望と薬物摂取が増大し続ける.祖先環境にはこのようなサイクルを生みだすような純度の高い薬物はなかった,だからこれも典型的な現代環境とのミスマッチの問題になる.

 

  • 薬物の多くは植物が創り出す向神経性の薬物であり,植食性の昆虫に対する化学的防御だと考えられる.それは直接哺乳類に対してデザインされていないが,しばしば我々の動機システムを乗っ取る.
  • アルコールに対する好みについてはいくつかの仮説がある.よりセックスに結びついたという説は疑わしい.バクテリア感染リスクを下げたという説もあるが証拠はない.熟れた果実のシグナルという説はありそうだ.
  • アルコール醸造は容易で狩猟採集民もアルコールをたしなむ.しかし蒸留は困難で蒸留酒は現代環境のミスマッチの問題になる.紙巻きタバコ,その他の精製された薬物,アンフェタミンのような新しい薬物も同じだ.

 

  • かつて薬物に関しては禁断症状が問題とされていた.患者は禁断症状を恐れて薬物をやめないと考えられたからだ.しかし(学習された報酬刺激があれば)禁断症状なしでも中毒は生じる.
  • 行動調節システムは(報酬システムのような)ポジティフィードバックがかかるある行動から別の行動へのシフトを注意深く管理する.直近の行動への報酬を下げ,別の行動への報酬を上げるのだ.現代環境にある超刺激はこのシステムを乗っ取る.だから新聞を読むのをやめるよりポテトチップスをやめるのは難しく,薬物をやめるのはさらに難しくなる.
  • なぜ行動調節システムはこのように(ポジティブフィードバックを含むように)なっているのだろうか.進化的な説明は,行動にはスタートアップコストがかかるからということになる.

 

  • 中毒へのなりやすさ(報酬への強い感受性)には遺伝的な個人差がある.私はそれは採集戦略の違いに関連するのではないかと思っている.また文化的な影響もあるようだ.

 

  • 進化的に考察しても中毒への簡単な対処法が得られるわけではない.しかしそれは間違ったアイデアを排除し,対処法への示唆を与えることができる.
  • 公共政策に与える示唆は暗いものになる.犯罪化,厳罰化はうまくいかない.刑務所はあふれ,(原産地や中継地の)政府は次々に腐敗する.そして合成技術の進展は摘発を困難にする.合法化はいいアイデアのようだが,中毒患者自体は増加してしまう.教育こそが希望だが,脅してもうまくいかない.薬物がどのように脳を乗っ取るかをすべての子どもが理解すべきなのだ.
  • 薬物中毒は現代環境によって問題になった.社会環境を変えるのは難しく,ヒトの本性を変えるのは不可能だ.解決策は脳を変える方法(つまり教育方法)を見つけることだ.

 

第14章 適応度の崖でバランスを崩している心

 
ネシーが最後に取り上げるのは統合失調症,自閉症,双極性障害だ.

  • 統合失調症はすべてのイベントが過剰な個人的な意味を持つように感じ,個人の内心と外的環境を区別することができなくなる認知障害だ.自閉症は社会的つながりを欠き,反復行動と孤独な没頭で記述される.双極性障害はモードスタットの故障により躁と鬱が繰り返す.これらはみな悲惨な疾病だ.
  • これらの症状には共通点がある.世界中で,これらの症状はおおむね人口の1%程度に見られる.人口の2~5%は中間的な症状を持つ.脆弱性には大きな遺伝性があるが,統合失調症と自閉症患者の子どもの数は平均して少ない.なぜ自然淘汰はこのような遺伝要因を淘汰しなかったのだろうか.
  • 遺伝性は行動遺伝学的な調査により明らかだ.しかしかつてこれらの症状を持つ子の親は育て方が悪かったのだと(何の根拠もなく)非難されてきた.ありがたいことに我々はこれらの症状についてより知るようになり,この理不尽な非難をしなくても良くなった.

 

  • 遺伝性があることがわかり,原因遺伝子の探索が徹底的になされた.わかったのは,特定の大きな効果を持つ遺伝子はなく,多くの小さな効果を持つ遺伝子が複雑な相互作用をしているらしいことだ.また多くの統合失調症関連遺伝子は双極性障害にも関連していることもわかってきた.また最新のリサーチでは,統合失調症リスクは(母ではなく)父の最初の子を持った時の年齢と相関するという報告がある(これが何を意味するのかはわかっていない).
  • これは生物体の複雑を理解し,メカニズムだけではなくトレードオフに注目すべきことを示唆している.これらの症状はヒトの心の情報処理デザインのトレードオフから来る脆弱性を持っているのだろう.

 

  • なぜ統合失調症や自閉症への脆弱性の遺伝的要素が淘汰されてしまわないのか.1つの仮説は,ヒトの脳の情報処理能力は多くの遺伝子が絡んでいるために突然変異により壊れやすく,淘汰と新奇突然変異が釣り合っているというものだ.しかしこれはありそうにない.
  • 別の仮説は突然変異が淘汰されても脆弱性が残ることを仮定する.その1つはこれが利己的遺伝要素により引き起こされているというものだ.バーナード・クレプシは,ゲノミックインプリンティングにより,父親由来のアレル発現比率が増加すると自閉症リスクが上がり,母親由来のアレル発現比率が増加すると統合失調症リスクが上がると主張した.これはより(ゲノミックインプリンティングにより父親からのアレル発現が多い)栄養状態の良い新生児は自閉症リスクが高く,栄養状態の悪い新生児は統合失調症リスクが高いことを予想する.そして5百万人のデンマーク人データを用いたリサーチはそれを裏付けているのだ.これが正しいかどうかはまだわからないが,巧妙な仮説ではある.
  • もう1つの種類の仮説は何らかの遺伝子的なメリットと釣り合っているはずだというものだ.1つの仮説は統合失調症が創造性や知性と関連すると考える.私はこれには懐疑的だ.また,双極性障害は社会性や言語能力を上げる,自閉症は認知能力を上げる,統合失調症は言語学習能力を上げるという考えもある.しかしこれらを支持する証拠はまだ提示されていない.
  • いつ頃統合失調症関連遺伝子が現れたかというリサーチによると,多くの関連遺伝子は(チンパンジーとの分岐以降の)5百万年前以降に現れたという結果がでている.これは脳の発達を促す遺伝子の多面的発現を示唆するものかもしれない.
  • 双極性障害への脆弱性が(躁状態でより配偶パートナーを得られるなど)適応度的メリットを持っているというなら,それは広がってユニバーサルになっているはずだ.そして実際にそうなっているのかもしれない.
  • 別の種類の仮説には感染がある.妊娠時のトキソプラズマ感染やインフルエンザ感染は子どもの統合失調症リスクを増やすことが知られている.但しそのような感染頻度は限られており,これが主因ということはありそうにない.

 

  • ここまでの議論はこの症状を引き起こす遺伝子の存在を説明しようとしている.しかし私はなお納得できなかった.1%という数字が大きすぎるように感じるのだ.また数多くの小さな効果を持つ遺伝子が相互作用をしていることも謎に思えた.
  • そしてデイヴィッド・ラックの最適一腹卵数の議論を読んでいるときに啓示を得た.彼は一腹卵数には最適値があって多すぎても最終的な子孫の数が減るのだと議論していた.
  • 最適値がある連続的な性質には安定化淘汰がかかる.その結果の分布は通常の場合,分散の小さな正規分布のような形になり,最適値から大きく外れた個体はごく少なくなる.しかし(例えばより長い脚が速く走るのに有利でも長すぎると折れてしまうなど)適応度地形が非対称で片方が崖のように落ちていれば,そちら側に大きく適応度が下がった個体がある程度の頻度を持って分布することになるだろう.
  • 私はこれを数理モデル化した.このような性質は遺伝性が高く,非適応個体の頻度が高くなる.このモデルは多くの疾病に当てはまる.ホストとパラサイトによる競争はこのような状況を作りやすい.実際に自己免疫疾患はこのモデルによく当てはまる.そして多くの統合失調性関連遺伝子は免疫にも関連しているようだ.これはアルツハイマー関連遺伝子にも当てはまる.
  • また脳はほかの臓器と異なり,一般的な情報処理デヴァイスだ.だから壊れ方も独特になるだろう.コンピュータソフトウェアの失敗がいいアナロジーを提供する.ソフトウェアが無限ループに入ると問題を引き起こす.パラノイアや強迫性障害はこれに似ているところがある.またフィードバックシステムの故障は双極性障害の良いアナロジーになるだろう.

統合失調症,自閉症,双極性障害はいずれも強い遺伝性があり,なぜ淘汰されてしまわないのかが重大な謎になる.これに真正面から答えようとする本章は充実していて(特にクレプシのゲノミックインプリンティングによる仮説はトリッキーだが面白い),鬱の解説と並んで,読みどころだろう.
 

エピローグ

 
最後にエピローグが置かれている.進化は生物個体の幸福に向かって進むわけではないこと,症状自体に機能があるわけではないことが特に強調されている.

  • 私は本書で進化生物学と精神医学を結ぶ最初のロープをかけようとした.進化的視点は精神医学に決定的な解答を与えるわけではないが,多くの示唆を与えるだろう.様々な進化的な仮説は検証が必要だ.
  • 進化的視点に立つときに重要なのは,症状自体に必ずしも機能はないということだ.摂食障害やADHD自体が淘汰産物ではない,それらへの脆弱性が問題なのだ.
  • 患者は今すぐの助けを必要としている.そこで進化的視点に立つ意味は2つある.まず第1に,それは長期的には我々の精神障害に関する理解を向上させ,より良い治療につながる可能性がある.そして第2に,進化的視点は今すぐの助けになることもある.これらの恩恵を受けるには,精神医学の専門家やリサーチャーは進化生物学の基礎を学ぶ必要があるだろう.また進化的視点に立つ精神医学は「進化精神医学」という孤立した個別の島にならずに,現在ある様々な分野の架け橋となり統合されなければならない.
  • 私は実際に患者と接していて,進化を学ぶにつれて治療方針が変わっていくのを体験した.パニック障害は,患者がこれを火災報知器のファルスアラームだと理解することにより改善される.これは摂食障害や薬物中毒でも同じだ.社会淘汰を理解するとコミットされた関係や罪悪感や社会的不安がより理解できるようになる.
  • なぜ我々の人生は苦悩に満ちているのか,一般的解答は「進化は我々の幸福ではなく,遺伝子の頻度増加に向かって進むからだ」ということになる.しかしシニシズムや決定論に捕らわれる必要はない.我々は善の要素を持つし,欲望をコントロールする能力も持っているのだ.それらは完璧ではないが,多くの場合うまくやれる.多くの人々が精神的に健康であることに驚く必要はないのだ.

 
 

以上が本書のあらましになる.テーマによってはなお問題提起にとどまっているものがあるが,それも現時点での到達点ということだろう.鬱やムード障害,そして統合失調症などの強い遺伝性のある障害についての記述は長年の間深く考えられたことが積み重なっており,重厚で迫力がある.現役の精神科医であり,進化理論に造詣の深いネシーによる本書は進化精神医学に興味のある人にとってはまさにまず読むべき本となるだろう.
 
 
関連書籍
 
ネシーがジョージ.ウィリアムズと出会って最初に書いた進化医学の本.未だに入門書としてはベストだと思う.


同邦訳

 
次に編者となってまとめたコミットメントについての本.これもコミットメントについての本としては未だにまず読むべき本だと思う.