読書中 「Moral Minds」 第6章 その1

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong



第3部は進化コードと題されている.ここからの2章は主に霊長類における道徳関連の話題を取り上げるようだ.


第6章の冒頭で列車ジレンマをチンパンジーに置き換えて考えてみるという企画がある.チンパンジーに置き換えると多くの人はより功利主義的に判断するようだ.
この理由についてハウザーはこの違いは認知能力にかかる推論ではなく,何百万年もの進化の中で培われてきたヒトの幸福を獲得するための感情付着によるのだろうと言っている.そしてどんな動物に対してより,人に対して私たちはより強く感情を付着させるとするならこれはヒューム的なモデルだろうと付け加えている.


確かにこの企画は面白い.私たちはヒトの幼児と他の動物をはっきり区別する.そしてその間に入るものがあるとしたらそれはヒトの胎児だったり,(もしいれば)ネアンデルタール人だったりするのだろう.もっともヒトが他の生物とヒトとを生得的に異質なものと区別するとして,ハウザーがそれを感情付着によると考える理由についてはよくわからない.


いずれにせよハウザーはこの企画は単なるイントロで本章の目的は利他主義,そして道徳の進化の道をたどることにあるとする.


第1節は動物は期待を持ち,それが裏切られることを検知するだろうかということを考える.
リーサスモンキーはバナナを隠した箱からレタスがでると怒ることからその能力はあるとされる.そしていろいろな物事への期待をどこまで持つかについて考察する.

原則1:物体が自分自身で動けば,それは動物かその一部だ.
原則2:もしその物体が特定のものや場所に向けての特別の方向に動いているなら,それはその物体の目的だ.
原則3:もし物体が環境に合わせて方向を柔軟に変えているなら,それは合理的だ
原則4:もしある物体が別の物体の行動にすぐ後に何らかの行動を見せれば,それは社会的な付随的な行動だ.
原則5:もし物体が自分で動き,目的を持ち柔軟に反応しているなら,その物体は自分に害をなしたり助けてくれる可能性がある.

チンパンジーはこの原則5まで理解している.そしてハウザーは次に進む,彼等は「死」の概念を理解しているだろうか.現時点ではわからないとしか言えないということのようだ.


第2節では鏡に映ったものを自分と認識できるかという話題が取り上げられる.過去これができたのはチンパンジーのほかイルカとボノボとオランウータンと1個体のみだがゴリラだけだ.ハウザーはこの解釈は難しいとしつつ,自分が自分であると理解することは自分の行為について罪の意識を感じたり,他者の行為について他者が罪の意識を感じていると理解したり,自己と他者の信念が違うことを理解するかもしれないとコメントしている.


第3節では動物に感情はあるかという話題に続いてドゥ・ヴァールの仲直りの研究がとりあげられる.
動物の感情についてハウザーは肯定的だ.多くのデータが同じ神経,ホルモンデータを示していれば同じと考えて良いだろうとしている.特に社会性動物ではそれが適応的だろうともいっている.
仲直り戦略についての研究から感情が戦略実行上重要なことがわかり,ヒューム的なモデルに一歩近づけるだろうとしている.最後にこれは動物の権利の議論とも関連するとコメントしている.


第4節では他者の信念を理解できるかが主題.
これはリサーチが現在進行中の分野らしく,数年前までチンパンジーでさえも,その能力があるとしか思えない逸話的なデータにも関わらす,リサーチではこの能力は否定されていた.しかしリサーチを競争的文脈の中におくとこの能力が認められたという.またリーサスモンキーでも認められたらしい.
ハウザーは問題はどこまで他者の心を読むかという量的なところだろうとコメントしている.


第6章はひたすら比較動物心理学のリサーチの紹介が続いている.そういう意味では著述のリズムはこれまでのヒトの道徳を巡るスリリングな展開とかなり異なってきている.その中では冒頭の列車ジレンマをチンパンジーに置き換えてみる企画とか,バウリンガルのヒットの話題とかが彩りを添えているといった趣向だ.そういえばバウリンガルはどうなったのだろう.まったく忘れられたみたいだ.



第3部 進化コード


第6章 正の起源


(1)ダーウィニアン行動ノード


(2)私は誰?


(3)ワニの涙


(4)自然のテレパシー