「生態と環境」(シリーズ21世紀の動物科学)


生態と環境 (シリーズ 21世紀の動物科学)

生態と環境 (シリーズ 21世紀の動物科学)


これはシリーズ「21世紀の動物科学」の一冊.編集が松本忠夫先生と長谷川眞理子先生と言うことで迷わずゲットした本だ.

さて,本書は生態と環境について様々な観点から見た5章が,それぞれの専門の研究者によって語られる構成になっている.本書を魅力的にしているのは,それぞれの章が,対象動物のミクロな点に密着して描かれており,ナチュラルヒストリーものとしても十分に深いものになっているところだ.


第1書は樋口広芳による鳥の渡りの物語.衛星追跡による渡りのルートを解析していくお話で,既刊の「鳥たちの旅」の概要のような内容になっている.まず,ロシアと中国を往復するソデグロヅル,出水で越冬するマナヅル,東南アジアを大迂回するハチクマ,ヒマラヤ越えのアネハヅルと魅力的な渡りルートが次々と示され,迂回ルートの謎,中継地,季節とルート,年変異,ナビゲーションの仕組み,ミクロな動き,途中断念するホウロクシギ,親子の別れが語られる.とにかくわかったことを提示してこれからの課題を示すというオーソドックスな構成になっている.


第2章は堀道雄によるタンガニイカ湖の魚類集団と左右性の動態.堀先生は「タンガニイカ湖の魚たち」(1993)というシリーズ「地球共生系」の1冊を編集,執筆されている.なかなか面白かったが,その後の進展が語られていて興味深い.
タンガニイカ湖のシクリッドにはスケールイーターと呼ばれる鱗食専門家がいることで有名だが,それは獲物の左から襲う専門家と右から襲う専門家が,形態的に分かれていて,きれいな頻度依存淘汰を見せている.この純粋な頻度依存理論に当てはまるデータも見事に示されている.しかし本章の驚きはここからだ.なんとこの左右性はこの鱗食魚に限るわけでもタンガニイカ湖のシクリッド特有でもなく,ほとんどすべての魚にみられるというのだ.そしてその形態分化データは見事な二山を示していて感動的だ.さらに魚食性の捕食魚にはこの形態に合わせて,左からおそうのが得意のものと逆のもの,エサとなる被捕食魚にも左利きの捕食者から逃げるのが得意なものと逆のものがあって,時間的に追いかける形の相互作用を頻度依存淘汰にかけて,頻度が振動しているのだ.ナチュラルヒストリーが驚きに満ちていることをとてもよく示してくれている.


第3章は石川統先生の弟子にあたる深津武馬による昆虫と微生物の内部共生.昆虫とその内部共生微生物については近年,ブフネラ,ボルバキアの話が有名だが,期待に違わずそこをしっかり描いてくれている.共生の概念整理のあと,アブラムシとブフネラの共生をはじめ,様々な内部共生が紹介される.その後,必須共生と任意共生,任意共生の多重性とその実例・解釈,宿主の生活史への影響,必須生物機能の代替現象にふれ,真打ちとも言うべき共生微生物による宿主操作の問題に移り,ボルバキアの様々な操作現象が解説される.ここで遺伝子視点からの解釈や包括適応度の議論が期待されるのだが,そこはあまり議論されていない.ちょっと残念な部分だ.
面白いのは,任意共生だが必須共生になっているボルバキア感染について,一度感染したら必須物質を生産して宿主をそれに依存させてしまう「中毒」関係ではないかという解釈だ.
また内部共生微生物のゲノム解析からの知見として,A/T蓄積や,ゲノム縮小などの議論が紹介されている.なかなか面白い章に仕上がっている.


第4章は三浦徹による環境要因による節足動物の表現型改変機構.これは至近メカニズムに焦点を当てた章になっていて,アブラムシ,ミジンコ,社会性昆虫の環境に応じた表現型多型の発生のスイッチ機構の話が語られる.調べるにつれていろいろなことがわかってくることに対する研究者の興奮が伝わってくる内容だ.


最後の第5章は浅見崇比呂によるカタツムリの左右.巻き貝の左右性にかかるとても興味深い論考が収められている.
そもそも左右性には発生当初からの起源で内臓配置にかかる1次左右性と,その後発達する2次左右性があるそうだ.そして巻き貝の左右性は1次左右性であり,かつ単純な(通常右巻き優性の)メンデル遺伝だが,表現型は,その遺伝子型を持つ母親が産む子供の殻に現れる.(このため左右で交尾困難でも同所的な配偶隔離は生じない)そして観察事実としては右巻きのみ固定しているものが多く,左巻きも一部にあり,左右の多型のある種はまれだ.
これにかかる適応的解釈は,まず左巻きに何らかの不利がある安定的淘汰があるというもの,そして頻度が多い方が有利になる正の頻度依存淘汰があるというもので,この2説は互いに排他的ではない.
そしてそれぞれの解釈を指示する事実が紹介される.読む限りでは,この中で最も重要なのは,右巻き貝と左巻き貝の間で交尾がしにくいという頻度依存メカニズムのようだ.だから小集団で浮動により逆転が生じる可能性がある.そして面白いのは,ある種の右巻き貝と左巻き貝がパッチ状に分断している分布データ,そして,単系統内で系統分析をしてみると,右から左への転換が一度,左から右への転換が数度現れているというデータは,これまでの解釈と左巻きが劣勢である事実と符合しているという解釈だ.

また実際に右巻きで固定している種で左巻き貝を見つけるのは困難であり,いろいろな操作実験をやりたくてもできないのだが,偶然あるカタツムリの左巻き貝を入手して,そこから左巻き系統を作れた話は楽しいし,過去興味深い報告があった熱帯産の陸貝がいくつも絶滅してしまっているという話はもの悲しい.

左右が同所的に分布している種は,左右に特化した捕食者の存在で負の頻度依存淘汰が生じれば可能になる.ある種のヘビはその候補であり,今後面白そうなテーマだ.最後に本章はマレイマイマイにおける左右性の分布状況,系統状況がまだまだ多くの謎を残していることを示して終えている.ここも味がある.


本書は,専門家向けの専門書ではあるが,全体として楽しい玉手箱のような本に仕上がっている.(私としては共編者の長谷川眞理子先生のコメントが収録されていない点がちょっと残念だったが,)ナチュラルヒストリー好きには答えられない一冊だろう.




関連書籍


樋口先生による鳥の渡りの本


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