HBES 2008 KYOTO 参加日誌 その2

進化心理学の総本山,HBES 2008 KYOTO. 二日目は天気も回復して,京都は良い感じである.朝グループに分かれた修学旅行生がどのバス停が正解かわいわい騒いでいるのもほほえましい.今日は203系のバスに乗って農学部前から吉田キャンパスに入場してみた.




第2日 6月6日


モーニングプレナリーミーティングは「マキャベリ的知性と心の理論の進化論 I,II」の共編者でもあるアンドリュー・ホワイテン Andrew Whiten による「チンパンジー,ヒト,祖先類人猿における文化のスコープ」
見事なプレゼンだった.チンパンジーの文化現象,地域間の多様性についてアネクドータルないろいろな話をどのように総合化するかという意欲的なリサーチの全貌が提示された.焦点は文化がどのように伝播するか,その内容はどう把握するか,伝達メカニズムはどうなっているかというところ.
文化コンテンツの地域多様性についてはメタリサーチや新たな知見を上手に視覚化して表示しており,印象的だった.伝達メカニズムについてはイミテーションで十分伝わる(チンプにはやはりティーチングは観察されないそうだ).しかし一部エミュレーションの能力もあるかもしれないという実験結果も示されていた.



マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

  • 作者: リチャードバーン,アンドリューホワイトゥン,Andrew Whiten,Richard Byrne,藤田和生,山下博志,友永雅己
  • 出版社/メーカー:カニシヤ出版
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本
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マキャベリ的知性と心の理論の進化論〈2〉新たなる展開

マキャベリ的知性と心の理論の進化論〈2〉新たなる展開



モーニングセッションは協力,グループ,性格と個人差,魅力.このうちグループのセッションに参加した.


最初はTheresa Robertson による「悪い状況下で最善を行う」
社会生活はいろいろなメリットがあり,村八分のように疎外されるとリスクが高まる.本発表は疎外状況下で捕食リスクに対する警戒が上昇するかどうかを実験で確かめたもの.
実験はまずディスプレー上で3人プレーヤーによるボールゲームを行うように見せかけて,被験者に対してボールを回してくれる状況と回してくれない状況を作る.その後,ピューマ,毒グモ,毒キノコの写真を見せその反応を計測する.すると確かにボールを回してもらえなかった被験者はそれぞれの危険に高く反応する.またその反応はピューマ>クモ>キノコという大きさだった.
ただテレビゲームでちょっとボールが回されなかっただけで違いが観察されるというのには驚かされた..


2番目はCarlos David Navarrete による「社会的な外部グループに対する対人恐怖における性の役割」
古典的な条件付けはいったん条件付けが成立しても,条件のないところで何回か繰り返すと消失する.しかしその消失に対する抵抗性はより適応的な条件付けに対しては高くなっていると考えられる.この現象を利用して,対人恐怖を調べたもの.
ヒトのよそ者嫌いは人種的な恐怖の元になっているのか,ジェンダーはどう絡んでいるのかが問題意識だ.
男女別,同人種,別人種の顔写真と電気ショックを同時に与えて条件付けを行い,それが消失するまでの繰り返し回数を計測する.
予想では女性のほうがより消えにくい条件付けを持つのではということだったが,計測してみると男性の別人種に対する条件付けがもっとも消失しにくかった.(男性別人種>>女性別人種=女性同人種>男性同人種という順序)
計測がエレガントで印象的だし,結果もEEAにおいては男性が外部グループに対して強い警戒を行う方が適応的であったことを示唆しているようで興味深い.


3番目はChad Mortensen による「マグネティックパーソナリティ」
現状がどうなっているかによって認知のバイアスが変わることを示したリサーチ.
まず危険なことが話題になっている課題とどの異性の写真が魅力的かを示す課題をそれぞれ与えたあと,グループの意見に同調する傾向を計測する.すると女性はこの両者であまり違いはないが,男性は配偶関連課題のあとには同調する傾向が減少した.これはよりユニークさをアピールしようとするのではと考察されていた.
また病原菌関連課題との間でも変化が生じ,パーソナリティを計測してもそれぞれの課題のあとでは結果がシフトする.
認知バイアスが確かに微妙に変化することが示されているようで興味深かった.


4番目はOliver Curry による「政治において人種は消え去るのか?」
プログラムの概要にはまさにヒラリーが撤退宣言を出したばかりの米国大統領選についての示唆があるとあったので米国人の注目を集めたのかこの発表直前に参加者が急増した.
発表はヒトの対人認知のカテゴリー化が,中立的な話題をしゃべっている場合と政治的な話題をしゃべっているときにどう変化するかを計測してみたもの.
対人認知カテゴリーとしては,ジェンダー,人種,を取り上げ,同じような服装でジェンダー・人種を変えた4種類の人物が,中立的なことと,ゲイの人権,ヘルスケアについての意見を言うヴィデオクリップを作って被験者に見せる.そのあとでカテゴリー化の強さを計測する.
結果としてはジェンダーの認知は政治的な話をしてもしなくてもあまり強さは変わらなかったが,人種については話題が政治的になればそのカテゴリーに対する注目度は大きく低下した.
発表者は人種カテゴリーは性別カテゴリーよりも政治的には重要ではないだろうと結論していた.
政治的な話題になった場合に主張者の性別については引き続き気にするが,人種については注目度が下がるというのは面白い.もっとも政治的といってもその内容によってまた差があるような気もするのでさらにリサーチされると面白いという感想.


5番目はThomas Flamson による「ブラジルの田舎における社会ネットワークとユーモア」
ヒトは対人評価でユーモアを重視するが,それは進化的にいってなぜなのだろうという問題意識.そして発表者によるブラジルにおけるフィールドリサーチのデータの紹介が行われた.
発表者の仮説はユーモアは同じ文化に属することを認知させて信用を高めるためにあるというものだ.だからわかりにくいユーモアというジャンルがあり,より文化的に同じ背景があるほど理解でき,マインドリーディングの要素があるのではないかという.
データとしてはブラジルの田舎の集落で,64人の男性グループに対して,誰をよく知っているか,誰がユーモアがあるか,誰が尊敬できるか,誰が怠け者かなどをアンケートする.するとよく知っているかという要素とユーモアが相関が高かったというデータが得られた.
データ自体は予備的な結果に過ぎないようだが.ユーモアの進化的な意義についてはなかなか興味深い仮説のように思う.特にわかりにくいユーモアという部分が面白い.



昼食後,午後のプレナリーミーティングはWayne Potts による「組織適合性遺伝子に影響される配偶者選択」
MHCはほかの遺伝子とかなり異なった進化動態を見せる.それは病原体ドリブンな赤の女王的な淘汰圧がかかり多様性が有利になってるからだと考えられている.そしてこれが配偶者選択に影響を与えている証拠はヒトを含む14種の動物について既に知られている.また配偶者選択は通常の遺伝子についても近親婚忌避などを通じてヘテロを好む傾向があるはずであり,この相互作用について分子的な詳細を含めた説明を行う講演であった.





午後のセッションは協力と罰,配偶,ゲーム理論,認知.認知のセッションではマーゴ・ウィルソンとリーダ・コスミデスが登場するとあるので迷わず認知セッションに参加した.


最初はJewssica Pass による「必要なものは愛」
自分自身の社会的な価値をどう評価するかというソシオメーターは特に配偶者選択において重要であると考えられる.アンケート調査を行い,女性は美しさが原因で拒否された場合に,男性はコンピテンスが原因で拒否された場合に,より自己評価が下がることが示されていた.


2番目はMax Krasnow による「概念知識の研究における進化的な考え方」
ヒトは様々なものについてカテゴリー化して認知している.これまでのカテゴリー化についての考え方は,統計的差異に基づいてカテゴリー化する,つまり観察して抽象的なカテゴリーを定義していくというものであった.
しかし進化的な視点に立てば,そもそもカテゴリー化して認知することが進化したのは,それが適応価を持つためであり,何らかの行動に有利だったからではないかと考えられる.
このことを確かめるために同じように作ったカテゴリーのためのグラフィック図形の集合を見せ,それが「果物」であると認知させた場合と,別の抽象的なカテゴリーだと認知させた場合に,典型的なサンプルがどれかを選ばせた時に差が出るかどうかを見たもの.予想通りに「果物」カテゴリー化した被験者はより「熟れた」ように見える図形を(それが最も多いサンプルでも中央値でもないにもかかわらず)典型的と考え,そうでない被験者はそのような傾向を示さなかった.
グラフィック図形がなかなか秀逸で興味深い発表だった.これが示そうとしているのはカテゴリー化も何らかの本能的な傾向を持っているということだ.もっとも「果物」と「完熟」以外でもそのような面白い傾向が見つかるだろうか.熟れたものが典型的な果物だと知っていたからこうなっただけで適応的意義は関係ないのではという代替仮説についての考察はなかったようだ.


3番目はお待ちかね,マーゴ・ウィルソン Margo Wilsonによる「親密さを値付けする」この二人は殺人研究が有名だが.現在の関心はこのあたりにあるようだ.
最初の導入部を夫君のマーチン・デイリーが行い,そのあとにマーゴが登場するという仲のよい夫婦振りを見せつけながらの発表だった.

発表は100人の集団に対してそれぞれ他のメンバーに75ドル配分するためには自分がいくらもらえればそうするかを訪ねるという手法で,(ちょっと工夫があるのは自分に75ドル,相手に75ドルという選択肢に対して自分だけがいくらもらうかを値を変えた選択肢を多数用意してどちらかを選んでもらい,等価になるものを突きとめるというアンケート手法)親密さを数値ができるという手法についてのもの.マーチンはこの一般的な手法についての解説と親密順位に対する値付けのグラフの曲線について双曲的か指数関数的かという議論の説明を行った.
マーゴはさらにこれを一ひねりしてさいころを使ったゲームの形にして,時に「ボーナスチャンス」としてある相手(兄弟,いとこ,友人,知り合いなど)に対して上記の選択肢のどちらを選ぶかという質問を交えるという手法により得られたデータの説明を行った.
結果自体は近接感のアンケート調査と一致し,この手法で数値化できるというものだが,両発表者は昨日の夕方の血縁セッションにおけるSteve Stuart-Williams による「進化した血縁びいき者としてのヒト」の結果をほめ,その結果と矛盾しないと付け加えていた.
最後の質問時間もデイリーとウィルソンが並んで立って質問を受けていた.



人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

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シンデレラがいじめられるほんとうの理由 (進化論の現在)

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4番目はやはりお待ちかね,リーダ・コスミデス Leda Cosmides の「性格傾向を計算するための適応」
早口で中身の充実した発表でついていくのも大変という濃密なプレゼン.対人関係の評価を行う認知に関するメモリにはサマリー的なもの「あの人はこういう人だ」とエピソード的な記憶「あの人はこういうときにこういうことをした」の両方がある.なぜ一見コストがかかりそうなこのようなメモリシステムになっているのかが主題.
これには2つの仮説があり,サマリーと両立しないエピソードは残すというものと,よく考えて再評価をするためにエピソードを残すというものである.
コスミデスはこれに対して100語程度のエピソードを作って実験を行った.スーザンという女性の写真を見せ,この35歳のインテリアデザイナーに対して同僚のインテリアデザイナーが好意を抱いていて,二人の仲はロマンチックに進展しているというほほえましいエピソードをまず提示.するとサマリー記憶としてはスーザンに対する好意的なものが残る.このサマリー記憶はすぐ生成される.ここで1ヶ月たつとサマリーのみ残ってエピソードは消えてしまう.しかしエピソード記憶が消えていてもサマリー記憶があるので彼女の性格を判定させるとエピソード記憶が残っているときと同じ性格判定ができる.(なお写真だけ見せたコントロールグループとは性格判定がまったく異なるので写真だけで決めているわけではない)
そして,次の段階で実は彼女は(第一エピソードとは別の名前の)ある男性と結婚して14年間暮らしているというやはりほほえましい情報を最初のエピソード記憶が残っている場合と残っていない場合それぞれの被験者に与える.この場合エピソードが残っている場合には,人物に対して再評価が生じる(不倫を行っているスーザンに対して悪印象を持つ)ことが示されていた.1ヶ月以上たっている場合には再評価は起こらず,エピソード2だけを聞いた人と同じような,よい印象のみがサマリーとして形成される.(実際のプレゼンではもっと詳しい実例が示されていて迫力があった.)
コスミデスの結論は,このような2つの記憶システムはスピードと正確さというトレードオフに対する進化的な適応だろうというものだった.そして特にエピソード記憶を残すのは離れた時間に生じた出来事を結びつけて正確な再評価が可能になるためだということだった.認知の仕組みについて深いところを洞察していることを感じさせる発表だった.

The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture

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5番目はClark Barrett による「パッチ状のリソースに対する認知適応としてのホットハンド現象」
ホットハンド現象とはバスケットなどで特定の選手のシュート成功が偶然よりシリーズ化していると認知されるという現象だ(少なくともバスケに関しては統計的にそういうことはないとされている)
発表者は人の認知でいろいろな誤謬が主張されるが,それらには何らかの適応の副産物であるものと適応そのものである場合があると主張している.(後者の例はエラーマネジメント,アダプティブヒューリスティックなど)
そしていわゆるホットハンド現象はリソースの採餌戦略上のバイアス(人の進化的な過去にはリソースはパッチ状に存在することが多かった)の副産物だろうと議論する.
そしてコイン投げ,あるところに果物が続けておかれているか,パーキングロットで空きスペースが続いているか,バス停でバスを待つときの時間の予測などの現象でホットハンド認知が生じているかのデータをとってみた.その結果コイン以外のリソース関連ではホットハンド認知が見られるという結果になった.
なお証拠としては弱い気もするが,ホットハンド認知の適応的な説明としては説得力があるように思う.さらなるリサーチを期待したい.



20分のブレークのあと夕方のセッション.文化間の差異と類似性,採餌と生理,ティーチングメソッド,血縁ということで,今回は途中で会場を移動してみた.


まず血縁セッションでAndrew Russell による「男の使えなさ」
なぜ閉経後も女性の寿命があるのかについては「おばあちゃん仮説」などの説明が試みられているが,ではおじいちゃんはどうなのよという問題意識.確かにあまり聞いたことはない.
仮説としては,男性は最後まで生殖能力があるから,それが長寿のコスト(もっと若いときにがんばる期待コスト,子孫にかかる養育コストなどだろうか)を包括適応度的に上回っていればいいというもの(要するに最後まで生殖可能性があるから長寿は有利説)と,おばあちゃんのように孫の面倒を見るメリットが大きいというもの(要するにおじいちゃんの孫育て仮説)と,おばあちゃんが長寿になったことの副産物だというもの(おばあちゃんのついでにおじいちゃんまで長寿になってしまった説)が考えられる.
本発表はフィンランドのデータを使っていろいろと考察してみたというもの.
発表者は筋道をややひねっていて,まず2000年にわたるキリスト教の一夫一妻制の強制が与える影響についてから始まる.このような社会は男性の高年齢になってからの生殖チャンスを減らすだろう.しかし老年になって妻が死ねば生殖チャンスがまた復活する.だから老年で妻に先立たれた場合に有利になるかをデータを使って検証する.確かに40歳を過ぎて妻を失った方が,失わないときよりも子供の数は増えている.しかし孫の数までカウントして適応度を見てみると実は上がっていない.(特に先妻との子供の生存率が下がる効果が大きい)発表者はこれにより生殖能力仮説の肯定はまだできないと考察している.(もちろん否定できるわけでもない)しかし,仮に一夫一妻制が老年時の繁殖価を抑えているからといっておじいちゃんの生活史の適応的な説明について直接的にはなにも言えないのではないだろうか.このデータは一夫一妻制がおじいちゃんにとって不利になっていないことを示しているだけではないかという気がする.

次に同じフィンランドのデータを使って,おじいちゃん孫育て仮説が成り立つかどうかを見ている.この結果は51歳以上の男性は子孫に与えるメリットはないという厳しいもの.発表者は「おじいちゃん孫育て仮説」は成り立たないとした.
最後にWHOのデータを使って一夫一妻社会と一夫多妻社会の人口データを比較してみると,一夫多妻型社会の方が60歳以上の男性の平均余命が高い傾向にあると主張していた.どのようにほかの条件をコントロールしたかはよくわからなかったが,一般に一夫多妻社会の方が平均寿命が短そうな気もするので意味のあるデータなのかもしれない.(もっともアメリカは緩い一夫多妻社会とされていたりなかなか詳細は面白そうだ)発表者は生殖仮説が成り立つ可能性はあるだろうといっていた.これも解釈はなかなか微妙な気がする.
結論としては生殖能力仮説と副産物仮説はまだ結論が出せないが,おじいちゃん仮説は成り立たないというもの.なかなか発表としては面白かった.


ここでティーチングメソッドセッションに移動
2番目の発表はGary Brass による「行動科学の理論の発達と評価の統合モデル」
ティンバーゲンの4つのなぜというフレーム,Marrの情報プロセスの計算モデル,シュミットとピルチャーの進化適応の評価モデルを統合しようという発表だった.
後者2つについて私は詳しく知っているわけではないが,少なくとも発表を聞く限りではかなり無理筋のまとめ方だった.会場からの疑問のコメントが相次いだ.


3番目は中尾央による「人間行動生態学は表現型分析を必要とするか」
昨年の進化学会でも説明していた人間行動生態学の哲学から見た評価などの発表だった.
会場からのコメントで,「これはその通りだが,きっと人間行動生態学者は気にしちゃいないよ They don't care!」との声に,誰かが「その通り」と応えて(この人は人間行動生態学者だったのだろうか,それともその人達に辟易としている進化心理学者だったのだろうか?)会場全体が受けたりしてなかなか面白かった.


実はこの会場では4番目にデイビッド・バスが登場する予告がなされていて,楽しみにしていたのだが,バス教授の都合が付かなくて中止になりましたとのアナウンス.大変残念.
ということで血縁セッションに戻った.


最後はYohko Shimada による「遊びとしての赤ちゃんの声の生成」
5ヶ月齢以上の赤ちゃんは声遊びのようなことをする.これをビデオで見せ手くれたが,なかなか可愛い.実験として,そのまま放っておいたとき,お母さんが相手をしたとき,その赤ちゃんの声をスピーカーで遅延させて再生してみた時を比べてみる.するとお母さんが相手をしたときの方が声遊びを有意に短く止めてしまい,スピーカーからのフィードバックがある方が長く続けるという結果が出た.発表者はこれもをって遊びてきなものではないかと主張し,音楽との関連性を示唆していた.
確かに歌的な気もするが,なおよくわからない感じだ.会場からも遊びというより練習ではというコメントがあった.


18時20分からはポスターセッション.ちょっとした食べ物も供されて,ポスターセッションというよりミニ懇親会のような雰囲気になっていた.発表者ががんがん説明するということでもなく,なんとなくいくつか眺めて楽しむということでぶらぶらした.




第2日目は以上で終了.(この項続く)