ダーウィンの「種の起源」 第1章〜第3章

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

種の起原〈上〉 (岩波文庫)


本年はダーウィン生誕200周年,「種の起源」刊行150周年ということで,北村雄一の「ダーウィンの『種の起源』を読む」に触発される形でダーウィンの「種の起源」をもう一度読んでみた.*1「世界の名著」なのだから当たり前だが,やはり読むたびに深い感慨にとらわれる.非常に深い思索に裏打ちされていることと,150年前の問題意識にしたがって書かれていることで,現代の読者にとっては簡単に通読するだけではなかなかその深さがわからない.しかし,より進化生物学をお勉強し,よりダーウィンの伝記などで当時の時代背景を理解して読むと,少しずつ深みがわかってくるのだ.


とりあえず気づいたところをノートしておこう.


全体を通して本書はまず自分の主張を述べ,その後自説の難点と考えられるものについて詳細に語っていくという構成になっている.今回読んで特に感じたのは,ダーウィンがどのようなことを自説の難点と考えていたのかという部分が非常に興味深いということだ.ファインマンは,量子論を解説する際に,光について粒子説を採っていたニュートンの思考をたどっていくという手法をとっていて,これは大変面白かったのだが,本書もそれに似た感触がある.遺伝子や大量絶滅について知識がなかった場合に,生物進化について明晰な心はどのように思索するのか,ダーウィンの考えをたどるのは非常に啓発的だ.今回は Darwin Online http://darwin-online.org.uk/ により興味深いところは原文にも当たりながら読んでみた.



第1章 Variation under Domestication 

冒頭は家畜と栽培植物の品種の話から始まる.現代の読者は通常生物進化についての説明を期待して本書を開くだろうから,違和感があるだろうし,まずここで挫折する人もいるだろう.私も最初読んだときは結構我慢して読み進めた記憶があるのだが,今回読んでみるとここは相当面白い.というのは,(途中で中断してしまっているが)The Variation of Animals and Plants Under Domesticationの前半部分をちょっと前に読んでいたので,ダーウィンが家畜についてどこまで深く研究し思索しているのか(そして例えばハトの飼育品種がいかに多様であるか)という背景がわかっているからだろう.
ダーウィンは飼育品種においては個体変異が多いというところから始める.変異性の原因についてはわかっていないとしながらも様々な事実,そしてダーウィンの解釈を並べている.当時いかにこれがダーウィンの心を捉えていたかがわかる.(「成長の相関」についての記述などのそれがよくあらわれている.今日的には遺伝子の多面的な発現などで説明される部分だ) ダーウィンが特に強調したいのはこれらの変異は単に環境に反応したということだけでは説明できないし,遺伝するものだということだ.

次に遺伝の法則についてはわかっていないと認めている.しかし単純に説明できないいろいろな現象があることを並べている.ここはダーウィンの当時まったく知られていなかったところだ.しかしよく読むと,ある形質が遺伝したりしなかったりすること,祖父祖母の形質が子には現れずに孫に現れることがあること,母経由と父経由で効果が異なったりすることに着目している.これは「変異があっても配偶によって形質が混ざって薄まるのであれば自然淘汰は働かない」という反論が成り立たないという点で重要なことだ.

変異の部分もそうだが,ダーウィンが観察される事実に非常に重きを置いていたことがよくわかる部分だ.だからダーウィンの理論は遺伝についての無知の中にあっても大きな破綻がないのだろう.


ダーウィンの議論は様々な品種が,それぞれ起源が異なることによって,あるいは環境の影響や交配の効果によってのみ得られたはずはないという論点に向かう.そしてそのもっとも強い論証としてハトの様々な品種を用いる.それはダーウィンがハトは単一起源だと確信していたことによる.この部分のハトの記述はかなり詳しいが,それでもThe Variation of Animals and Plants Under Domesticationのきわめて短い要約に過ぎない. Variationの広範囲な調査と深い思索の記述を踏まえてここを読むと非常に迫力がある.


ここまで踏まえた上でダーウィンは淘汰の議論に移っている.そして家畜や栽培植物の品種は主に人為淘汰によって形作られたものであることを力説している.
ここで興味深いのは,淘汰がうまく効くための条件を考えている部分だ.ダーウィンは変異性が大きいこと,小さな差にも敏感に選択すること,交雑を避けること(これが難しいのでネコの同地的な品種があまりないのだと論じている)が重要だと指摘している.変異の大きさ,特性差に淘汰が敏感に反応するという条件は,集団遺伝学的あるいはレプリケータダイナミックス的な発想であり,ある意味「適応度と特性値の共分散」というプライスの公式の内容を先取りしているとも言える部分だ.ダーウィンの先進性を深く感じさせる.



第2章 Variation under Nature

第2章では自然においての生物の変異を取り扱っている.
まず生物は同じ両親の元から生まれたものでも変異があることを指摘し,「種」について個体変異から変種,種まで連続していることを主張する.いきなり『種』の実在性を否定する議論の鋭さが印象的だ.ここでは様々な著名な植物学者,動物学者が具体的な分類において種と変種について意見が一致しないことを取り上げたあとで,いわゆる「環状種」の存在も指摘しているのが面白い.(例として取り上げられているのは Oxlip Primula elatior セイタカセイヨウサクラソウと Cowslip Primula veris キバナクリンソウだ.いずれもヨーロッパの野生のプリムラで栽培品種の元になっているようだ.写真(たとえばhttp://homepage3.nifty.com/wako3/primula/primula2/primula2.htm)を見るとよく似ている)

変種と種が連続しており,自然淘汰により永続的になった変種が種であると主張したあとで,それが正しいとした場合の予想を検証してみようと議論は進む.仮説構築,検証という構想にダーウィンの先進性が見られるところだ.広く分布する種の方に変種が多いだろう,大きな属の方が頻繁に変種を生じているだろうという予想を検証しようとしている.また属と種,種と変種の関係が相似である(今風にいうと系統樹フラクタルである)という予想も行っていて面白いところだ.



第3章 Struggle for Existence

ダーウィンはまだ本題に入らない.第3章は Struggle for existence 生存競争の説明だ.当然ながら変異だけでは適応は説明できない.ダーウィン自然淘汰の背景となる生存競争の厳しさとその性質を先に議論する.これは現代的にいえば淘汰圧の本質は何かという議論だ.
ダーウィンは,有名なマルサスから洞察を得た,生物の増殖が指数関数的に増加することをまず説明し,この淘汰圧がいかに大きいかを説明している.例としてもっとも増殖が遅そうなゾウを取り上げているのは面白い.
次にダーウィンが強調しているのは現代的にいうと「淘汰圧の本質は生態的な要因だ」と言うことだ.ここでは有名はくさびの比喩が取り上げられている.ダーウィンは生物間の抑制作用や関係がきわめて複雑なことを力説している.捕食者,2次捕食者,寄生者などの絡んだ複雑な関係があること(ある生物の盛衰が別の生物に思いがけない影響を与える面白い例として,老人が多くネコが多い村では(ネズミが減り,それが巣を掘り起こさなくなるのでマルハナバチが増えるという連鎖により)花が咲き乱れるという現象をあげている),変種間(つまり同じニッチを共有するもの同士)の間で特に競争が激しいことなどが議論されている.ダーウィンは様々な例を挙げて,そのナチュラリスト振りで読者を楽しませてくれる.ここではダーウィンの思考が現代的な生態学の視点にきわめて近いことが印象的だ.
ダーウィンが生態的な要因を強調するのは,生物の地理的な分布が気候や地形では説明できないことを深く考察していたからだと思われる.



関連書籍


ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異」上下2巻本である.

The Variation of Animals and Plants Under Domestication (Foundations of Natural History)

The Variation of Animals and Plants Under Domestication (Foundations of Natural History)

The Variation of Animals and Plants Under Domestication (Foundations of Natural History)

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ファインマン量子論の説明のためにニュートンの粒子説をたどっていく.ニュートンには光が粒子だと信じる根拠があったし,その中でその波動性をどう説明するかに苦心している.

光と物質のふしぎな理論―私の量子電磁力学 (岩波現代文庫)

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*1:今回読んだのは岩波文庫版の「種の起原(上)(下)」.個人的にはOriginなのだから「起源」という表記の方がいいと思うのだが,この岩波版の影響か日本では「起原」と表記されることが多いようだ