ダーウィンの「種の起源」 第5章

新版・図説 種の起源

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第5章 Laws of Variation

この章では変異や遺伝はどのように生じているかを扱っている.自然淘汰があるという主張にとってはこのメカニズムの詳細はわからなくともよいのだが,ダーウィンはここで考察している.ここでは遺伝子について何も知らなかったダーウィンの限界が見えるところなのだが,しかしその詳細はなかなか興味深い記述に満ちている.


まず,ダーウィンはなぜ変異が生じるのかについて自分たちが無知であると認めている.その上でいくつか論じているということだ.この章で最初に興味深いのは,なぜダーウィンはラマルク流の「用・不用」の原理を却下しなかったのかというところだ.よく読んでいくとダーウィンがこれを却下しなかったのは,まず使われない器官が退化しているような事例が非常に多く観察できること,そして使われない器官にコストがかかるのであれば自然淘汰で説明できるが,コストが無いように思えるものでも退化しているところから「用・不用」の原理を認めたということのようだ.コストのかかる器官の退化の例として,小さな島の昆虫の羽根と飛行習慣は,吹き飛ばされるというコストがあるので,自然淘汰によって退化しうると議論している.これ自体大変面白い考察で興味深い.(なお少しあとで「その器官を形作るのに栄養が必要な場合はコストと考えられる」という記述もある)


問題の「一見コストがなさそうな例」としては洞窟に住むカニの眼を上げている.
カニの眼もおそらく何らかのコストがあるのだろうが,むしろ結局ダーウィンは,「精密に作られた適応形質は不断の自然淘汰によって安定化しているものであり,有利さがなくなって自然淘汰が働かなくなれば,まったくコストがない場合でも,精密に作られた形質が突然変異により劣化していくこと」を思索できなかったということなのだろう.第4章冒頭では有利でも不利でもない形質が変動的になっていくだろうとコメントしているのだから,ここで「用・不用」はまったく不用だと気づいても不思議はないところで,ちょっと残念だ.
いずれにしてもダーウィンは「用・不用」の効果があるにしても,進化適応の説明としては圧倒的に自然淘汰の要因が大きいことを力説している.


「成長の相関」(生物の複数の表現型の変異に相関性が見られること)については相同器官との関連があることに気づいており,逆に成長の相関があるものは元々相同性があると考えられること(例として毛と歯があげられている)をコメントしている.ここは観察の鋭さが窺えるところだ.


ある特定種に特異な形質が発達している場合に,その特質は近縁種に比べて変異が多いことを指摘している.ダーウィンはこれを家畜品種の例を挙げて自然淘汰で説明できるとしている.家畜品種においてはその部分の遺伝子が人為淘汰の過程にあることから多様性の増大を見せているとして説明できるだろうが,自然の種の場合にはちょっと難しい問題のように思う.ここは正直私にはよくわからない.


2次性徴の特徴である形質に変異が多いことは,性淘汰は死を伴わないので自然淘汰より厳しくないためだと説明している.ここはダーウィンには珍しく不適切な説明のように思われる.現代的な理解では,フィッシャー過程にしてもハンディキャップシグナルにしても通常の特徴より変異が多いことが説明できるだろう.


異なった種に似たような変異が現れることを由来の共通によるものだと説明している.ダーウィンは例として様々なウマに縞模様の変異が現れることから,家畜ウマの祖先には縞模様があったのだろうと推測している.これも一般的には難しい問題のように思われ,私にはよくわからないところだが,ウマの例はなかなか興味深い.
本章の後半では発生学やエヴォデヴォにつながる問題意識もあって面白いところが多い.