ダーウィンの「種の起源」 第8章〜第9章

On the Origin of Species

On the Origin of Species



第8章 Hybridism


第8章では最後の難点として種間交配の不稔性が取り上げられる.

4. 異種同士を交配させても多くの場合不稔であるが,変種同士の交配の場合には稔性があることをどう説明するのか.


これは,進化が漸進的に生じたとするなら,種間交配の不稔性と変種間交配の稔性の間に明確な境界があることが説明できないのではないか,また種間交配の不稔性はその生物にとって利益があるとは思えず,自然淘汰で進化しえない性質なのではないかという2つの問題だ.後者の疑問を持つということは,どのような物事は自然淘汰で説明でき,どのような物事は説明できないかをよく考え抜いていたということを示すもので,ダーウィンの思考方式をよく示していると思う.


ダーウィンはまず不稔性の性質には,種間と変種間の間に明確な境界がないことを示している.また一部には不稔性があるか無いかを種と変種の区別に使っているのだから循環論が混じっているとの指摘もある.ダーウィンは交雑の場合をF1の場合とF2以下の場合に分けて考察し,細かく観察例をあげている.またこれまでなされたF2以下の実験例は近交弱勢の影響を排除するデザインではなく,その影響から逃れていないだろうとも指摘している.このあたりはダーウィンが非常に興味を持って観察例を集め,実験を行っている部分で大変迫力がある.
ダーウィンは,分類的に近いか遠いかで雑種の不稔性が決まってくるわけでもなく,どちらの種がメスでどちらがオスかによっても結果が異なるなどの例をあげながら,種間の不稔性,雑種強勢,自家交配を含む近交弱勢が,いかに連続的でかつ複雑で例外にあふれる現象であるかを浮き彫りにしている.
そしてこれらの現象は交雑を防ぐという目的により付与された(創造説)という考えや,これが自然淘汰により得られた性質であるとは考えられず,自然淘汰によって種が分岐していった結果の副産物であると考えればうまく説明できると主張している.「副産物」としての性質についてもダーウィンがきちんと理解していることがわかる.ダーウィンはこのことを接ぎ木の場合の適合性との類似をあげて説明を補強している.これもダーウィンの観察の豊富さを示しているところだ.


なおダーウィンは人為淘汰による品種が交雑しても稔性を保っていることを,人為淘汰においては外形的な特徴に主に淘汰がかかっているために生殖的な影響が出にくいのではないかと説明している.これは現代的には家畜や栽培植物の品種はゲノム的には変種ほども異なっていないことによると考えるのが通常だろう.しかしダーウィンはここまで説明すべきことだと考えていたということであり,読んでいて感慨をおぼえるところだ.


またダーウィンは種間交雑の場合,F1においては変異が軽微であり,F2以降の変異性が増大することに気づいていた.また奇形的な性質は特に片親に似る傾向があることにも気づいている.いずれももう少しでメンデル遺伝の実態に迫れるところまで来ているといえるだろう.



第9章 On the Imperfection of the Geological Record


第9章は化石記録が不十分であることの解説である.ダーウィンはこのことを自説の難点だとは考えていなかったが,自説の批判としてはあり得るとして特に一章をさいて丁寧に説明している.ここはダーウィンが卓越した地質学者でもあったことがよくわかる章だ.


ここで面白いのはダーウィンは,化石記録の問題に入る前に,そもそもどのような移行形態が期待されるかを論じているところだ.ダーウィンは現生2種の中間種を期待すべきではなく,両者の祖先形態を期待すべきだと強調している.ハトのファンテールとポーターの中間形態のものは存在せず,祖先型としてのカワラバトが存在しただけだという説明はわかりやすい.


地層についてはダーウィンはそれが形成されたときの遙かな時間について説明し,地層が一カ所で連続してるわけではなく,この層についてはヨーロッパのここ,別の層については別の場所という形で断片的に散らばっていること,連続的に形成されているように見える部分でも,ほとんどの場合地殻が沈降している場合のみ形成され,断片が分断されて積み重なっているに違いないことを丁寧に解説している.まさに地質学者ダーウィンの面目躍如だ.私はあまり詳しいわけではないが,この記述はおおむね現代の理解でも正しいと思われる.
さらにダーウィンは同じ地層を調べる場合でも,生物が移住していくこと,発端の種は大きな生物の分布の周辺地域に生じて,競争上有利であれば分布を広げていくことから,同じ地層に連続移行形態が見られることはあまり期待できないと議論している.このあたりもマイヤーの種分化の考え方の嚆矢であり,ダーウィンの先進性を感じることができるところだ.


またいったん新しい適応形質によって競争上有利になる状況が生じたら,その後比較的短い時間で多くの種が生まれて世界中に広がっていくだろうという記述もある.これもダーウィンが放散現象を理解していたことを示すものだろう.

I may here recall a remark formerly made, namely that it might require a long succession of ages to adapt an organism to some new and peculiar line of life, for instance to fly through the air; but that when this had been effected, and a few species had thus acquired a great advantage over other organisms, a comparatively short time would be necessary to produce many divergent forms, which would be able to spread rapidly and widely throughout the world.

ここはよく読めば,ダーウィンが進化速度が常に一定ではないことを良く理解していた部分であることがわかり,なかなか興味深いところだ.グールドとエルドリッジの断続平衡説はダーウィンの洞察からそれほど離れていないだろう.


また続いてダーウィンは「カンブリア爆発」の問題を取り上げている.*1 なぜ多数の生物がカンブリア紀に突如現れたように見えるのか.ダーウィンカンブリア紀の前に生物の進化史として長い時間が経過しているはずだと推定し,なぜその化石が発見されないのかはわからないとしている.
ダーウィンは地質学的にその部分の地層が残りにくかったのではないかという仮説を提示している.この仮説は間違っていたというほかないが,カンブリア爆発はなお興味深い問題であり続けているところだ.いずれにしてもそれ以前に長い進化史があったというダーウィンの推定は正しかったということだろう.



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地質学者としてのダーウィンを描いている本

Charles Darwin, Geologist

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*1:カンブリア紀は当時はシルル紀に含まれていたので表記はシルル紀となっている