ダーウィンの「種の起源」 第7章

On the Origin of Species (Oxford World's Classics)

On the Origin of Species (Oxford World's Classics)


第7章 Instinct


第7章では本能が自然淘汰により進化しえたのかという問題を扱っている.

3.「本能」が自然淘汰で獲得,改変されるものであるのか.ミツバチの6角形の巣作りは自然淘汰で説明できるのか.

ダーウィンは冒頭で,心の起源については扱うつもりがないと宣言している.”I must premise, that I have nothing to do with the origin of the primary mental powers, any more than I have with that of life itself. ” 生命の起源と同じく心の起源は扱うには困難だと考えたのだろう.


また「本能」を定義するつもりもないと断っているのもちょっと面白い.そうはいいながらここでの本能 instinct はおおむね学習不要で多くの個体が通常若い時期から示す行動特性(習性 habit とは連続的だと述べている)のことだという記述もある.本章ではこれをを自然淘汰で説明することが主眼になる.これは現代的には行動生態学的な視点であり,「行動の進化」の説明と考えていいだろう.


ダーウィンはこのような本能が遺伝すること,変異があることがわかれば,あとは自然淘汰が働きうることに疑問はないとしている.そして身体の器官と同じく,これはその生物に利益があり軽微な変化の累積においてなされねばならないと断っている.
ここからダーウィンは具体的な事例を挙げて説明していてその観察の深さが感じられるところだ.


まずアリマキがアリに甘い汁を供給するのは他種の利益になっているのではないのかという疑問.まずこれはアリに触れられると自発的に分泌するという行動様式だが,この汁はねばねばしていてアリマキにとっても除去された方が都合がいいらしいと述べている.そう考える理由がダーウィンには珍しくちょっと弱い気もするが,恐らく背後には様々な観察があるのだろう.ちょっと面白いのはその少し後でダーウィンが” I can only repeat my assurance, that I do not speak without good evidence.”などと書いていることだ.
行動様式に変異があることは数々の観察事例を挙げて説明している.遺伝する可能性についてはイヌの諸品種を例にあげて説明している.カササギの人への用心深さが英国とノルウェーで異なるとか,イヌのポインターの習性,ブルドッグの勇気と強情についての蘊蓄などなかなか細部は面白い.


ダーウィンは少数の場合について特に詳細に考察したいという.

  1. カッコウの托卵
  2. 奴隷を作るアリ
  3. ミツバチの巣房作り


最初に取り上げられているのはカッコウの托卵だ.
ダーウィンは同種,または異種の鳥の巣に卵を産むという習性はほかの鳥にも時折見られるものだと説明し,もしこれが利益を生むなら托卵習性が自然淘汰により進化すると考えることに困難はないだろうと考察している.そしてカッコウの場合には卵を続けて生むこと,渡りまでの時期が短いことが淘汰圧を高くしているのではないかとしている.後半部分は因果の向きが逆であることもあり得るような気がするのでダーウィンには珍しく説得力がないが,進化経路としては充分にありうるだろう.


奴隷を作るアリについては,餌集めから移動まですべて奴隷にやってもらうアリがどう進化したのかという疑問に答える.ダーウィンはやはり中間的な性質(自分たちも仕事をするが奴隷にも手伝ってもらう)を持つアリがあることを示している.そして餌として他種のアリのさなぎを巣に運び込んだときに,他種のアリがそのままワーカーとして役に立てばそのような行動が進化するだろうと考察している.


ミツバチの造巣本能の説明も中間形を示して見事に行っている.当時はハチのような生物が数学的能力を必要としそうな6角形の見事な造形を行うことは非常に不思議なことだったことが窺える.ここは相当細かく説明があり楽しめる.


本章の最後でダーウィンは自らの学説にとって致命的にも思えたという真社会性の問題を取り上げている.

(I) will confine myself to one special difficulty, which at first appeared to me insuperable, and actually fatal to my whole theory. I allude to the neuters or sterile females in insect-communities.

現代的にはワーカーのアリやハチの行動(コロニーのために働き,自らは子を産まないこと)が利他的に見えることが説明すべきこととして取り上げられる.ダーウィンの文章を読むと,ダーウィンは利他的形質に関しては,それが「community」のためになるのであれば自然淘汰が働くことに特に悩んではいなかったようだ.ダーウィンが特に悩んでいたのは,ワーカーの形態や行動が,遺伝すべき子孫がいないのになぜ自然淘汰にかかりうるのかということだったようだ.
ダーウィンはウシの肉質がその血縁を通じて人為淘汰にかかりうることをあげて,その血縁コミュニティの成員である女王を通じて自然淘汰がかかるのだと説明している.
ダーウィンはある形質を示す血縁者の子孫を選ぶという形で淘汰が働きうることを理解していると同時に,真社会性のコロニーが血縁のコミュニティであることも十分意識していたというべきだろう.
しかし淘汰の利益が誰にあるべきかの観点から見て利他性の進化が特に説明すべき重大な問題であるという認識は希薄だったのだろう.だから「community」が血縁でなければならないというような断り書きはどこにもない.この問題認識があれば,あるいはさらに深い洞察が得られたかもしれないと思うとちょっと残念である.結局それは100年以上後,ハミルトンの出現を待たなければならなかったのだ.いずれにしても血縁を通じた淘汰という概念というところにダーウィンの飛び抜けた先進性が示されているといってよいだろう.



関連書籍


利他的な行動の進化を説明すべきものとして取り組み,血縁淘汰を扱ったハミルトンの論文集.自身の手になるエッセイも収録されていて非常に面白い本だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060429

Narrow Roads of Gene Land: The Collected Papers of W. D. Hamilton : Evolution of Social Behaviour (Narrow Roads of Gene Land Vol. 1)

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