日本生物地理学会参加日誌2009 その1


例年4月に立教大学で開かれる日本生物地理学会.本年は少し早い4月4日5日,先週随分寒かったおかげでちょうど桜の満開の時期に重なった.最寄りの東京メトロ副都心線池袋駅では3月にオープンしたばかりのEchicaが記念セール.キャンパスは初々しい新入生の集団で賑わい,新入生のサークル勧誘のかけ声が立て看と一緒にあふれている.いつものことながら立教大学キャンパスはとても華やかだ.
今年の学界は一般発表を初日に集中させ,2日目は種問題のシンポジウムと「次世代に何を送るか」のミニシンポジウムという構成だ.種問題のシンポジウムはなかなか面白そうで楽しみだ.
(例によって発表者の敬称は略させていただく)



第1日 4月4日


浅川満彦 その宿主―寄生体関係は確かにある時空間に存在した! その証憑標本の保存と応用の試み


細菌の新興感染症や外来寄生虫などに関しての疫学調査が増えているが,これまで証憑標本としてその宿主はきちんと保存されていなかった.しかし対応する宿主もきちんと標本がなければ今後情報が混乱する可能性があるという問題意識から,宿主の標本もできるだけ残す取り組みを行っているという報告.スライドはなかなか迫力があった.保管スペースを含めたコストをどうするかというところがなかなか難しそうだ.


西村貴之ほか ホルストアマビコヤスデの遺伝的集団構造


昨年に引き続いて沖縄本島に分布するホルストアマビコヤスデについての発表.先行研究を踏まえて今回は遺伝的な分析を行ったもの.核のITS領域において深い分岐があり,それはちょうど石灰岩層がある部分で一旦海で分断されたときではないかと考察されていた.


橋詰二三夫 マダガスカル島西部ムルンダバ地域のバオバブの森の森林崩壊に関する報告


マダガスカルで観光資源になっているバオバブの現状についての報告.現在観光資源になっているのは道が走っている開けたところににょきにょきと立っているバオバブだが,それは本来の姿ではなく,茂みの植生が畑に焼かれ開墾されたためにそうなっている.
そのため台風などの風害により倒壊しやすくなり,木部の中の繊維が建材などに利用できるため住民による樹皮はぎもある上に,若木は火入れによって焼かれてしまい樹齢構成がいびつになっているとの報告だった.観光資源とはっきりわかっていてもなかなか保護できないというのは悲しい現実だ.


堀米俊輔ほか マダガスカル特産の水性ヤシ Ravenea musicalis BEENTJEの自生地調査及び栽培における基礎的研究


世界に一カ所しかないという水性ヤシ(幼木時には完全に沈水する)の保全のために栽培実験を行った報告.数百本しか残っていないが,種子は1本あたり4000個以上できるのでうまく栽培できれば保全可能ということでいろいろ実験している.それほど条件が厳しくなく技術的に可能なようだ.


岡本卓ほか 伊豆半島と伊豆諸島に固有分布するオカダトカゲ Plestiodon latiscutatus の遺伝的変異と伊豆半島の動物地理


オカダトカゲニホントカゲの近縁種で,昔は伊豆諸島の固有種とされていたが,現在は伊豆半島にも分布していることがわかっている.(伊豆半島の北側にニホントカゲとの分布境界がある)これを遺伝子解析して,地史的な知見とあわせ考察したもの.
遺伝子解析では三宅島と御蔵島の間に深い分岐があり,北部集団は半島から連続的に変異しており,南部集団は御蔵島のものと八丈島のもので差異がある.この深い分岐は100万年ほど前と見られる.
地史的には伊豆半島はフィリピンプレートに載っていた島だったものが本州に衝突したもので,そこから考えると伊豆半島が島だったときに本州から分散したニホントカゲが種分岐してオカダトカゲになり,その後南部集団は早い時期に分散し,さらにその後北部諸島内では連続的に分散したものだろうということだった.これは甲虫などのデータとも(御蔵島の位置づけなど異なる部分もあるが)おおむね一致する.
伊豆半島がぶつかって以降どちらも相手を蹴散らさずに境界を挟んで共存しているのいうのがなかなか興味深い.


松井正文ほか マレー半島産流水産卵性両棲類:高度の固有性とスンダ列島産との系統的独立性


マレー半島スマトラ島のカエルについての報告.これまでマレー半島はユーラシアと陸続きなのであまり固有種はいないと考えられてきたが,カエルは分散能力が低いので,調べてみると多くの固有種が見つかるという趣旨.特に上流域の急流に適応したような種のカエルでそういう傾向がある.
カエルの詳細な報告がなかなか楽しい発表だった.


木暮陽一 近年の日本近海産ヒトデ類の新知見


ヒトデ研究者が絶滅しつつあるというつかみから始まってなかなか楽しいヒトデの日本分布新発見が増えているという報告.ヒトデの記載や収集はほんの数人の研究者の手になるものであることや,ヒトデのいいコレクションは昭和天皇による相模湾のものしかないこと,ウミウシマニアの米国軍人により沖縄中心の日本産のヒトデのコレクションがスミソニアンにあることなどが紹介される.
最近報告が増えているのは,レジャーダイバーの増加によりウミウシやヒトデに興味を持つ人が増えてきて報告自体が増えていること,岩場の深い海底もリモート機器により調べられるようになったこと,水温上昇による南方種の移入などの原因があるということだった.
ウミウシハンドブックにヒトデハンドブックの影響というのは面白い.


斉藤暢宏ほか 羽田周辺海域のベントス幼生プランクトン群集の特性,特に十脚甲殻類を中心に


羽田周辺のエビカニなどのベントス幼生を調べた報告.口器や脚の毛の数や分布を見てそれを同定する話が淡々と語られるが,なかなか根気のいりそうな仕事だ.結果のいろいろな知見も紹介されていた.


竹内良範ほか 広翅目昆虫の生活史とその生育環境からみた自然度の重要性―「次世代に何を残すか」の観点から環境教育を考える


広翅目というのはヘビトンボ,センブリ類のことだそうだ.いずれもあまりなじみはないのだが,幼虫を含めて生活史が丁寧に紹介される.成虫に羽化するには積算温度が重要なので,幼生期が1年のものから3年まであることなどが紹介されていた.


飯塚光司ほか ESD(持続可能な開発のための教育)に関する研究II 箱根サンショウウオナチュラルヒストリー―サンショウウオを活用した環境教育の実践―


ハコネサンショウウオを使って中学生に様々な教育を試みているという報告.本州四国に広く分布しているサンショウウオだが,出島のオランダ人が江戸まで往復する際に箱根だけで標本を採集できたのでこの名になっているそうだ.(つまり記載も18世紀に海外でなされているということだ)


富永篤ほか 日本産イモリ2種の遺伝的分化


両生類は行動範囲が狭く,海洋を越えた分散が難しいので地理分化が進みやすい.(海洋島にいないことはダーウィンが既に書いている)本報告はアカハライモリシリケンイモリアカハラの近縁種で奄美・沖縄だけに生息する)の形態,行動特性と遺伝分析を比較したもの.
形態・行動からの区分と遺伝解析は一部一致せず,特に篠山群は配偶行動が異なるにもかかわらず分岐が認められなかった.この行動は比較的最近急速に出てきたものではないかと推測されていた.また分岐年代はかなり深いこと(アカハラとシリケンで10百万年以上,アカハラ内で8百万年)も紹介された.8百万年も隔離されていて1種でいいのかというのは私の素朴な疑問だ.


五箇公一ほか 両棲類の新興感染症カエルツボカビの生物地理学〜カエルツボカビはどこから来たのか?〜


2006年にセンセーショナルに報告された「ついに日本にツボカビ上陸,両生類絶滅の危機」という話はあのあとどうなったのかという報告.これは大変面白かった.
まず,外来種問題にふれ,日本人のエキゾティックペット好きをちょっと揶揄したあと本題に.
まず世界中で両生類が大規模に減少しているという報告があり,いろいろ議論された末に1998年頃からそれはカエルツボカビが原因だということが通説化した.これは一属一種の真菌類で両生類の皮膚だけに付き,これに侵されたカエルは生きている姿のまま死ぬ.そしてこれがどこから来たのかについてはアフリカツメガエル説が通説だった.これは1938年の標本からも発見されていること,アフリカツメガエルの野生集団に3%ほど感染個体があること,感染しても発症しないこと,古くから世界中に移送されていることなどが根拠とされている.
そしてこれまで中南米オセアニアで非常に深刻な被害が報告され,アフリカやヨーロッパでも被害報告があったのだが,アジアからはなぜか報告されていなかった.
そして2006年に,日本でペット用のベルツノガエルから感染個体が見つかり,さらに南米原産のカエル9種81匹から次々と感染事例が発見され,日本両生類の危機と報道された.
しかし今にして思えばここで疑問はいくつもあった

  1. アフリカツメガエルは1950年代から日本に大量に持ち込まれている.
  2. やはりキャリアーとされるウシガエルも日本に大量に持ち込まれていてしかも各地で野生化している
  3. ここ十数年南米から大量のカエルがペット用に持ち込まれ,茨城では大量に飼育されている

にもかかわらずにこれまで問題は生じていなかった.


ともかく,日本産両生類の危機ということで大がかりにリスク評価体制がとられた.そしてペット業者,愛好家,野生個体,展示用個体からデータを取り始めた.
すると驚くことに次々に野外個体からツボカビが見つかり,さらに多くのハプロタイプの変異(全部で26タイプ)が見つかった.(南米原産のペットで約半数が感染,日本の野外個体の感染率は約5%,しかしオオサンショウウオは50%など高い感染率の種もある)海外で問題になっているツボカビのハプロタイプは1,2種類であった.さらにオオサンショウウオの1902年の標本からもツボカビは見つかった.そして日本の野生両生類にツボカビを接種しても発症しない.
これらから推測されることは,ツボカビはもしかしたら日本が原産で,感染元だということ.南米のジャングルの奥地まで持っていったのは,両生類研究者自身がもっとも疑われる.

なお残る疑問も多い

  1. ツボカビの毒性メカニズムは不明のまま
  2. 真菌には効かないはずの抗生物質が効いたというデータがある
  3. 日本の養殖のベルツノガエルは全滅しない


報告は最後に,マスメディアに踊らされた反省,真のリスク(特に中南米の開発,生態系への何らかの影響によるツボカビの強毒化)を見逃している可能性などに触れて締めくくられた.

確かにマスメディアによるツボカビ後日談はなく,何となく不思議な感覚は持っていたが,それにしても日本原産の可能性があるとは驚きだ.ということで学会初日は終了である.


(この項続く)