ダーウィンの「種の起源」 第13章〜第14章

The Original and Complete on the Origin of Species by Darwin

The Original and Complete on the Origin of Species by Darwin


第13章 Mutual Affinities of Organic Beings: Morphology: Embryology: Rudimentary Organs


第13章では,自然淘汰による進化が認められたとするなら,影響がおよぶであろう分野を取り上げている.


まず生物分類.ダーウィンは明確に分類は系統を反映したものであるべきだと主張している.これは分岐分類学の考え方の原型と言えるものであり,ダーウィンの先進性をまたも感じさせる部分だ.そして適応形質は収斂しやすいので分類の基準としては望ましいものではないことやしばしば些末な形質が分類上重要であることの理由が理解できることを解説している.

ここで興味深いのは言語についても同じような分類が可能だろうと示唆しているところだ.


なおさらに興味深い記述として,ダーウィンは側系統の問題にも触れている.ダーウィンはもしカンガルーがクマから生じたことがわかれば,クマの中にすべてのカンガルーを含めなければならなくなる(そしてそれは受け入れがたいことだ)と指摘している.残念なことにダーウィンはそれはきわめて不自然な過程で,そのようなことは起こらないだろうと簡単に片付けている.

But it may be asked, what ought we to do, if it could be proved that one species of kangaroo had been produced, by a long course of modification, from a bear? Ought we to rank this one species with bears, and what should we do with the other species? The supposition is of course preposterous; and I might answer by the argumentum ad hominem, and ask what should be done if a perfect kangaroo were seen to come out of the womb of a bear? According to all analogy, it would be ranked with bears; but then assuredly all the other species of the kangaroo family would have to be classed under the bear genus. The whole case is preposterous; for where there has been close descent in common, there will certainly be close resemblance or affinity.

ヒグマのごく一部の集団からホッキョクグマが派生しているとダーウィンが知ったらどう思うかは大変興味深いところだ.もっともダーウィンは魚類から両生類が,両生類から爬虫類が派生したことはわかっていたはずであり,本来もっと深く考察できたようにも思われる.いずれにしても100年後の分岐分類学論争の問題の所在について既に認識しているというのも読んでいて改めて感慨深い.


次に形態学 Morphology を取り上げている.
ダーウィン自然淘汰による進化を認めれば,相同と相似についてより深く理解できるだろうと指摘している.

ここで興味深いのは,ダーウィンは生物の同一個体内にある反復的な構造の相同性を議論しているところだ.そしてそのような器官から特殊化が生じやすいだろうとも議論している.エヴォデヴォ的な視点が感じられて面白い.


次に取り上げられるのは発生学だ.
ダーウィンは,生物の胚が,成体の構造を必ずしも反映していないこと,胚に見られる同じような構造が最終的にかけ離れた器官になること,同じグループに属する生物の胚が成体以上によく似ていること,時に胚の方が成体より高度の器官を備えていることなどはすべて自然淘汰が成長の各段階で働きうることから説明できるとしている.


最後にダーウィン痕跡器官について考察をまとめている.
ダーウィンはある器官が生存の役に立たなくなって,その製作にコストがかかるなら縮退するだろう,また自然淘汰にかからなくなれば変異しやすくなるだろうと考察し,英語の綴りの発音されない文字にたとえている.この考察をさらに進めれば「用・不用」を却下できたかもしれずちょっと残念なところだ.


第14章 Recapitulation and Conclusion


最終章の第14章はこれまでのまとめだ.
しかしまとめのあとにダーウィンは自説の有利な点をまとめている.
ここはこれまで難点を論じてきたあとで最後に出てくるもので面白い.

  1. 種と変種が実際に連続していること
  2. 最適になっていない形質,特に人の目から見て不合理なものがあること
  3. 変異の法則が非常に複雑で簡単に理解できないようなものであること,時に祖先型への復帰を見せること
  4. 近縁種で本能(行動特性)が類似していること
  5. 化石の証拠,現生生物の地理分布
  6. 相同器官が別の生物では様々な用途に用いられていること
  7. 痕跡器官が存在すること


そして最後の最後にダーウィンはいくつかコメントしているが,ここは大変面白い.


まず何故人は進化ということが理解できないかを考察している.ダーウィンによれば,人は非常に長い時間にかかって生じることを想像することが難しいのだという.これは地質学が直面した困難と類似しているということだろう.残念ながらダーウィンはそのことをヒトの心が進化の産物であることに結びつける議論は行っていない.


次のコメントも相当面白い.ダーウィンは心が可塑性に富んでいない既存の博物学者がダーウィンの考えを理解するのは難しいだろうとコメントし,若い世代に期待するといっている.そして創造説のばかばかしさを揶揄する表現も見える.(創造説論者は哺乳類が創造されたときに“へそ”があったと考えるのだろうか?などというのは相当笑える)

But do they really believe that at innumerable periods in the earth's history certain elemental atoms have been commanded suddenly to flash into living tissues? Do they believe that at each supposed act of creation one individual or many were produced? Were all the infinitely numerous kinds of animals and plants created as eggs or seed, or as full grown? and in the case of mammals, were they created bearing the false marks of nourishment from the mother's womb? Although naturalists very properly demand a full explanation of every difficulty from those who believe in the mutability of species, on their own side they ignore the whole subject of the first appearance of species in what they consider reverent silence.


ダーウィンはこのあと生命の単一起源性にも触れている.ダーウィンは結構慎重で,動物については多くとも4つか5つまでの起源,植物については単一起源を信じているとし,生命の単一起源について(確信はないがおそらくそうだろうと)推論していると述べている.


また自然淘汰を認めれば分類学者は救われるだろうと述べていてここも面白い.あれこれの種類が本質的な種かどうかについて,もうあまり悩まなくてもいいだろうというのだ.この予想は外れたというべきだろうか?


そして最後にあの有名な段落がある.これはいつ読んでもいいものだ.

It is interesting to contemplate an entangled bank, clothed with many plants of many kinds, with birds singing on the bushes, with various insects flitting about, and with worms crawling through the damp earth, and to reflect that these elaborately constructed forms, so different from each other, and dependent on each other in so complex a manner, have all been produced by laws acting around us. These laws, taken in the largest sense, being Growth with Reproduction; Inheritance which is almost implied by reproduction; Variability from the indirect and direct action of the external conditions of life, and from use and disuse; a Ratio of Increase so high as to lead to a Struggle for Life, and as a consequence to Natural Selection, entailing Divergence of Character and the Extinction of less-improved forms. Thus, from the war of nature, from famine and death, the most exalted object which we are capable of conceiving, namely, the production of the higher animals, directly follows. There is grandeur in this view of life, with its several powers, having been originally breathed into a few forms or into one; and that, whilst this planet has gone cycling on according to the fixed law of gravity, from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.