ウォーレスの「ダーウィニズム」 第10章

Darwinism

Darwinism


第10章 Colours and Ornaments Characteristic of Sex 色彩と装飾の性徴


第10章はダーウィンとウォーレスの見解が真っ向から異なっている問題「性選択」についての章だ.通常の解説では性選択についてはダーウィンが正しくてウォーレスは間違っていたと一刀両断にされていることがしばしばある.しかし本書を良く読むと実はそれほど単純な図式でないことがよくわかる.


まずウォーレスは動物の体色や模様に性差がある場合の事例をいろいろ挙げて説明している.(チョウのベーツ型擬態でメスのみ擬態する例もここで紹介されている)
ウォーレスのこれに対する説明は,直裁的には,体色が同種識別的,あるいは誇示的になるか,保護的になるかについてオスとメスの間に生態的な差があるというものだ.メスはより生存を優先した方がよいので保護的になるという説明だ.ウォーレスは性役割逆転種で派手さが逆転することにも気づいており,これが子育てにかかる生態的要因だと考えている.たとえばメスが保護的になることについて,鳥のメスの営巣場所によって保護色的になる度合いが異なることを自説の補強だと考えていたようだ.
ウォーレスはより優れたオスがより派手になる傾向にあることにも気づいており.オスには生命力が表に現れて派手になる傾向が存在するともいっている.これは現代的にいうとハンディキャップシグナルの性質であり,非常に鋭い観察が背後にあることをよく示している.
ウォーレスは様々な鳥について,さえずりと模様の派手さには逆相関があることにも気づいていた.結局ウォーレスはオスの派手さあるいはさえずりについては,オスによるオス同士の争いにかかる誇示機能があることまでは認め,それと種識別信号ですべて説明できると結論づけている.様々な動物のオスの形質,特にクジャクやフウチョウの飾りがこれですべて説明できるというのは苦しいだろう.


なぜウォーレスはここまで無理をしてもダーウィンの性淘汰説を受け入れなかったのだろうか.ウォーレスは,最初のほうで,メスがオスを選り好んでいる証拠がないからだと説明しているが,このあとをじっくり読むとウォーレスは実際にメスは選り好んでいるはずがないと確信していたことがわかる.それはクジャクやフウチョウの羽根のようなばかげたものを好むような性質は,そのメスに不利をもたらすはず,つまりその子孫が厳しい生存競争を勝ち抜けるはずがないからだということになる.これは現代的にいうと,メスの選り好み形質は適応的ではありえず,そのような形質が進化するはずがないという主張になるだろう.これはダーウィンが説明できなかったまさにもっとも深い部分であり,ウォーレスの議論は,ある意味非常に鋭いものだと評価できる.
ウォーレスはさらに,クジャクやフウチョウの羽根は普段の生活には有害であるに違いなく,それにもかかわらずこのようなものが発達できるのはそのオスの生命力,精力が優れていることの現れであるとも主張し,すぐあとにメスが何かを選ぶとするならそれは強くて元気旺盛なオスを選ぶはずだとも述べている.実にここからザハヴィのハンディキャップ説まではあと少しである.なぜ派手さと生命力が相関していて,メスが派手さを選んだなら,それはメスは実際に生命力のあるオスを選んでいることになるということに気づかなかったのだろうと惜しまれる.


要するにダーウィンはオスの派手さはメスの選好によるものであることを見抜いたが,そのメスの選好がなぜ進化できるのか説明できなかった.ウォーレスは,単純に派手で生存に有害な形質を持つオスを選ぶメスの選好は進化できないと考え,オスの派手さはその質に相関しているものであり,質に対する自然淘汰で説明できると議論したのだ.
このあと1930年代にフィッシャーは,何らかのメスの好みが何らかの別の理由で最初にあれば,メスの好みとオスの形質は(それが生存にとって有害な性質を持つものでも)共進化して互いに強め合うことがあり得ることを見抜いた.しかしその後の研究で,この経路は様々な条件に非常にセンシティブで,安定的な形質を説明できないことが徐々にわかってきた.そして1970年代にザハヴィがオスは自分の質を宣伝しているのだというハンディキャップシグナル説を提唱し,さらに80年代にその具体的な質として寄生虫,病虫害耐性であるというハミルトン=ズック仮説が提唱され,グラフェンが1990年代にそれを数理的に解析し,オスは自分の質の優位さを示す正直な信号として派手な広告をしているのであり,メスはそれを選んでいるのだという理解が受け入れられたということになる.


純理論的にはダーウィンの考えはフィッシャー的であり,ウォーレスの考えはザハヴィ的であるといえるだろう.そしてその現代的な理解では,ダーウィンもウォーレスもともに説明しきれない部分をそれぞれ残しているが,その理解の筋道はそれぞれ正しく,そして二人の考えを合わせると真実まであと少しというところまで迫っていたのだと評価できる.
ダーウィンとウォーレスの間でここまで議論が深くなされ,解決すべき課題は目の前にあるように見えるのだが,実際にこれが解決するのは1970年代のハンディキャップシグナルというザハヴィの洞察,そしてそのアイデアを多くの生物学者が受け入れるには1990年代のグラフェン数理モデルまでかかるのだ.ザハヴィのアイデアは提唱されてから受け入れられるまで20年近くもかかっている.性淘汰による進化はそれほど直感的には理解困難な問題であったのだ.


ただウォーレスの主張には,すべては自然淘汰で説明すべきだという少しドグマティックな匂いがある.そして少し行きすぎた説明もある.メスの選り好みを否定しようと,人間の女性が若者の整えられた髪型や口ひげをほめるからといって,そのような男性を本当に選んでいるわけでもなければそのような好みによって髪型や口ひげが発達したわけでもないと主張しているが,そんなに単純に否定できない話だろう.またオスの形質については至近的な説明が混在しているような部分もある.このあたりからウォーレスは完全に間違っていたと評されることになったのかもしれない.ちょっと残念な部分だ.


なお本章はクジャクの尾についての印象的な詩で締めくくられている,熱帯の自然を長く観察し,あえて敬愛するダーウィン説に反対しているウォーレスの渾身の思いが込められているようだ.




関連書籍


性淘汰理論はダーウィン,ウォーレス間の論争にとどまらず,1980年代,90年代を通じて進化生物学の大きなトピックだった.これについての書籍も大変多い.私のお薦めは以下のようなところだ.


クジャクの雄はなぜ美しい?

クジャクの雄はなぜ美しい?


2005年度の増補改訂版.日本語で読める本として現時点ではもっとも丁寧かつコンパクトに性淘汰が解説されていると思われる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071005#1191583417 最終章でダーウィンとウォーレスの論争にも触れ,ダーウィンとフィッシャー,ウォーレスとザハヴィの類似性にも言及がある.


性選択と利他行動―クジャクとアリの進化論

性選択と利他行動―クジャクとアリの進化論

 

本書は1991年時点での性選択に関する理論の鳥瞰図となっている.ちょうどハンディキャップ理論が受け入れられつつある時代のものだ.15年振りに性淘汰関連のところをぱらぱらと読んでみたら,ダーウィンとウォーレスをきちんと取り上げて丁寧に解説している.ウォーレスの主張とハンディキャップ理論の関係については,ウォーレスはメスは分別ある選択をする(つまりばかげた飾りを選択するはずがない)と主張しているので,ハンディキャップ理論はまったく理屈を逆転させたものになるとコメントしている.


生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

今や古典とも言えるザハヴィその人による本.ナチュラリスト的詳細も大変面白く,とてもいい本だと思う.


Sexual Selection (Monographs in Behavior and Ecology)

Sexual Selection (Monographs in Behavior and Ecology)

コクホウジャクでメスの選り好みを初めて実証したアンダーソンによる性淘汰の理論書.様々な現象が取り上げられている.


The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

ハンディキャップシグナルについてはこの本が鋭い.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071113



Narrow Roads of Gene Land: Evolution of Sex (Evolution of Sex, 2)

Narrow Roads of Gene Land: Evolution of Sex (Evolution of Sex, 2)


ハミルトンによるエッセイ付き論文集.第2巻は有性生殖の謎と性淘汰が主に扱われている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060429