「Natural Security」 第9章 道徳的信念の力

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World


第9章は,宗教の進化的起源についての本で有名なスコット・アトランによるものだ.


自殺テロはテロ自体の5%をしめるに過ぎないが,被害の50%を占めている.進化的にはなぜそのような自己破壊的な現象が生じるのかが説明すべき問題となる.本章はなぜそのようなリスクリターンの逸脱が生じるのかを道徳的信念の性質から説明しようとするものだ.


アトランは「道徳的な価値にこだわる」というのはメンバーがあるグループに所属するアイデンティティバッジであり,その性質はグループにメリットを与えていると議論している.メンバーは通常の兵隊より物的な報酬を要求しない.グループは兵への報酬を抑えることができ,さらに自殺志願者を利用できる.この結果通常の軍隊より低コストで攻撃力を保てるというわけだ.


これを防ぐには自殺攻撃志願者の動機の解明が重要だとアトランは主張している.
しかしアトランはその解明は非常に難しいという.道徳的な動機についての理論はまだ解明されていない部分が多い.特に「神聖さ」が絡むと通常の経済的な分析ができなくなる.
「神聖さ」に対しては,それが汚されると非常に強い「怒り」の衝動がわき起こり,それを「経済的な価値」で妥協することに強い感情的な反発が生まれるという現象が観察される.この怒りへの妥協は相手と自分の「神聖な価値」ベースにおける取引でのみ可能になる.つまり経済価値ではない「タブー」同士のトレードのみが可能になる.


アトランはこれについてイスラエルユダヤ人に対する2005年のリサーチをあげている.ユダヤ人はパレスチナの「神聖な」土地については,平和の保証を含むどのような経済的な取引も拒否し,その確保のための攻撃を支持する.しかしパレスチナ人が彼等の「神聖な」価値を対価とするならその攻撃への支持は弱まるのだ.


アトランの結論は以下の通りだ.

  1. イスラムキリスト教社会の間の紛争について経済的な妥協をとろうとする態度はバックファイヤーの危険がある.経済的価値より平和,さらには何らかのイスラム的な価値を強調して交渉すべきだ.
  2. 宗教問題は「神聖価値」を踏みにじっては解決できなくなる.


残念ながら,このような態度についての進化的な考察はされていない.自殺攻撃志願者の動機から見た対策にも結局触れられていない.そういうわけでちょっと物足りない章だ.とりあえずの結論についてはあまり異論のないところだろう.



関連書籍


スコット・アトランの本

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