「Natural Security」


Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World

Natural Security: A Darwinian Approach to a Dangerous World


本書は進化的な思考方法をセキュリティに応用しようという試みを本にしたもので,古生物学,生態学,疫学,行動生態学進化心理学,免疫学,保全生態学,数理生物学などの様々なフィールドの学者の寄稿したものを一冊にまとめている.そしてこれは現代の社会のセキュリティに生物学を応用する最初の試みであるそうだ.背景に9/11以降の対テロリズムに関するセキュリティについての意識の高まりがあるのは当然だ.


応用の仕方は様々だ.中心にあるのは,生物がこれまで捕食者などの危険にどう対処してきたか,その自然淘汰による適応の仕組みを見ようというもの,このアプローチには個別生物の対捕食者の適応に焦点があるもののほかに,生態系全体を考えたり,古生物の化石からを分析したり,さらに免疫に絞ってそのロジカルな防衛システムを見ようというものなど様々な取り組みが寄稿されている.
またテロリズム側を進化的に理解しようという試みもいくつか収められている.宗教やテロリズムミームを進化的に理解してその対処を考えるという取り組みだ.これは感染症対策のアプローチを応用しようという方向につながっていてなかなか面白い.
さらに個別テーマとして,テロリスト集団を戦闘によって殲滅するのにポピュレーションダイナミックスを応用しようというもの(これはなかなかすさまじい),防衛側のテロリスト対策の不備を進化心理学的に理解して,それを向上させようとするもの,テロリスト,防衛側それぞれの組織をネットワーク分析で理解しようというものなどが含まれている.


いくつか中身について触れると,まずテロに対応する組織について,階層的な中央集権的なものだけに頼らず,柔軟な分権的なものを取り入れた方が良いという指摘が多い.誰もが空港セキュリティの官僚的なあほらしい手順にうんざりしているのがよくわかる.そして確かに生物の防衛のなかには現場中心の分権的なケースが多く観察されるだろう.しかし生物個体の防衛を考えると脳の中枢神経による中央集権的防衛システムも非常に多く観察されるし,分権的になっているものは何らかの理由により階層的・中央集権的なものが進化しにくい場合によく観察されるだけなのかもしれない.結局この2つのシステムがどのようなトレードオフを持っていて,どのような生態的な理由により分かれているのかというところが詰めるべき論点なのだろう.本書においてはそこまで踏み込んで議論されていないのが残念だ.確かに免疫の例は興味深いし,分権的なシステムが有利な条件があるのだろう.今後の課題としては面白いところだ.
リスクの検知と対策におけるトレードオフの指摘も多く,いかにも進化生物学的だが,これは工学制御系でも当然の考え方で,通常のセキュリティの考え方の中に既にあるのではないだろうか.生物の防衛を考える取り組みでは,免疫のアナロジーからIDについて考えたものが面白かった.
テロリズムミームとして分析する取り組みは,恐らくこれまでのセキュリティの現場にはあまりないもので,なかなか有望かもしれない.うまく分析できれば,感染症に対する対策を応用して様々なテロ対策が考えられるだろう.特にテロリズムミームを弱毒化する方向に誘導する取り組みの考え方は興味深い.また現行のテロ対策の弱点を社会心理学認知科学進化心理学的視点から考えて,その欠点を是正しようという取り組みも有効だろう.


まだまだこれからというような部分も多いし,一部ピント外れの寄稿もある.初めての取り組みであり,まだ実際にセキュリティの現場で取り上げられているわけでもなく,いわば試論的なものが多いのはやむを得ないだろう.進化生物学の社会科学への応用は大上段に振りかぶるとなかなかうまくいかないのかもしれない.本書のようなやや小さな領域で,かつ非常に実務的な分野では,結果が明瞭に現れやすく面白いかもしれないと感じた.今後の研究の進展と,その有効な応用が世界平和に役立つことを望みたい.