ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第10章

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)



第10章 昆虫における第二次性徴


様々な動物の二次性徴を並べていくダーウィンだが,なんといっても力が入っているのは昆虫と鳥類だ.第10章と第11章で昆虫を扱っている.ダーウィンは性淘汰にはメスに審美眼という知性が必要だと誤解しているが,アリの社会性などから昆虫の知性については高く評価しているようで,性淘汰現象が見られても問題ないと考えていたようだ.


<総説>
まず総説がある.


触角に性差がみられることがある.ダーウィンはオスとメスで違う知覚があるのではないかと考察している.これはなかなか面白い視点だ.現代ではどう考えられているのだろう.


次に交尾の際のメスの把握器官が多くの昆虫のオスにみられることを報告している.
ダーウィンはこれは主に交尾のためと考えていて第一次性徴だといっている.だからむしろ自然淘汰的な器官であるということになるが,様々な昆虫で様々な部位(顎,前肢,翅鞘,脛節,触角,足の一部)が把握器官となっているのを大変興味深いと考えていたようで楽しそうに紹介している.精子競争や配偶者防衛の理論を聞いたらダーウィンは随分喜ぶだろう.
また理由は不明だとしながら興味深い性差があるものとして,オスの左顎が大きいもの,オスの前肢が退化しているもの,ホタルのオスの発光パターンなどをあげている.ホタルの求愛としての発光パターンの研究を知ったらやはりダーウィンは喜ぶことだろう.


身体の大きさについては単純ではなく,オスよりメスの方が大きいものが多いことをあげ,オス同士の競争上の有利さとメスの卵を多く産む有利さの両方の要因があるからだろうと(正しく)推測している.


<各論>
次に各論に入る.最も興味深いチョウは11章にとっておき,まずそれ以外を概説する.ここも大変楽しそうだ.

  • シミ目:オスがメスに求愛することが観察されている.
  • 双翅目(ハエなど):あまり性差はないが,色に性差があるものがある,飾りのような角がオスにだけあるものがある.またカの仲間では求愛のダンスがみられる.
  • 半翅目カメムシなど):オスのみに翅があるものがある
  • 同翅目(セミなど):オスのみが鳴く.ダーウィンは求愛しているのだろうと推測している.
  • 直翅目(コオロギなど):これもオスのみ音を出す.これも求愛だとダーウィンは主張している.また分類群によって音を出すための弓のある細かな部位は異なっている(このあたりの詳細の紹介も楽しそうだ)ことから,分岐後に進化した(つまり収斂形質)だろうと推測している.メスに痕跡器官があること,両性とも前肢に耳があることなど観察も細かい.最後に鮮やかな色を持つものがあるが性差はなく,警戒色だろうとしている.
  • 脈翅目(トンボなど):オスとメスで色彩が異なるものが多いことをあげている.しかしどちらが鮮やかかは判断が難しいといっている.このあたりはダーウィンの誠実さが感じられるところだ.翅の網目模様に性差がある種類もいることを報告している.
  • 膜翅目(ハチなど):オス同士は激しく闘う,ハナバチ類では色に性差がある.ハナバチではメスに針があるので,メスはより保護の必要があるというウォーレスの主張は成り立たないとさらっと主張している.
  • 甲虫目:甲虫はダーウィンのお気に入りであり,詳しく紹介されている.


まず色彩はメタリックで鮮やかであるが性差は少ないとしている.ただし例外としてカミキリムシの一部に性差があるが,むしろメスの方が鮮やかであり,法則に一致しないと短くコメントがある.


甲虫にはオスのみに角があるものが多い.ダーウィンは様々な図版を載せて楽しそうに解説している.
カブトムシの角は,現在では餌場の防衛のためにオス同士での闘いのための武器であり,餌場をテリトリーとして防衛できればメスと交尾しやすいと理解されているようだ.
ダーウィンは,1.角が近縁種で大きく異なっていること,2.角に摩耗した後がみられないこと,3.鋭いものは少ないこと,4.オス同士の闘いが観察されていないことから,これは飾りであり,メスの選り好みの対象だろうと推測している.餌場でのオス同士の闘いの観察が難しいとも思われないので,甲虫好きのダーウィンとしては観察が甘いということになるだろう.しかしなぜカブトムシの角はクワガタに比較して種間であのように異なっているのかという問題は残る.なかなか深い問題なのかもしれない.


メスにオスの角に対する痕跡器官がみられることも詳しく紹介されている.A種はオスに大きな角と同じ位置にメスの角の痕跡がある.B種のメスは同じ痕跡を持っているが,オスは別の位置に大きな角を持っている.ここは創造論に対する議論のように見えるが,実はそうではない.ダーウィンとウォーレスの論争の1つは,ダーウィンはメス形質が祖先形質で,性淘汰でオスの飾りが進化すると考えたのに対し,ウォーレスはオスは生気の現れとして自然な形質(鮮やかさ,派手さ)を持ち,保護を要するメスが自然淘汰により地味になると主張していた.だからこの例はB種において祖先形質からオスの角が性淘汰によって進化したと主張できる貴重な例なのだ.この後も本書では,何がもともとの形質で,そこからオスの形質が新しく進化したのか,メスの形質の方が新しいのか,にかかわる細かな記述が多い.現代から見ると,どちらが先かという問題と淘汰メカニズムの問題は,独立の問題のように思われるが,ダーウィンがウォーレスとの論争を重く受け止めていたことがよくわかる部分だ.


クワガタムシの大顎についてはダーウィンもオス同士の闘いの武器だろうと推測している.それでもある種のクワガタの非常に大きく伸びて湾曲している大顎(図版がある)についてはメスの選択にかかる性淘汰形質の可能性があると指摘している.ここもダーウィンのメスの選り好みにかかる性淘汰形質だと思いたいという気持ちがわかる部分だ.


甲虫の記述の最後に音について触れている.多くの甲虫が摩擦音を出す.これも様々な発音器官が独立に進化しているらしい.ダーウィンは興味深く様々な観察例を紹介しているが,結局よくわからなかったようだ.多くの甲虫では発音器官に性差はないが,性差がみられるものもある.そのような虫ではオスがメスに求愛しているのだろうと議論している.甲虫類の音を使った求愛と性淘汰については現在どのように議論されているのだろう.私は寡聞にしてあまり聞いたことがないが,面白いリサーチができそうだし,きっといくつかあるのだろう.