「Spent」第7章 誇示的無駄遣い,精密性,名声 その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


前章で消費者の見せびらかしには信号理論が当てはまることを示したミラーは,本章で信号理論が主張する「コストと信頼性」の問題についてもう少し詳しく見ていく.


ミラーはまずこう問いかける.「信号理論は人生をロマンティックコメディから,スパイスリラーとSFの混合物に変えてしまう.しかし人生はスリラーでなければいけないのか,本当に信頼性を持つ信号にはコストが必要なのだろうか.」


ミラーによると信号理論が認められてしばらく1990年代の前半まで生物学者たちは「インデックス」ならコストをかけずに信頼できる信号が出せるのではないかと考えていたという.ここでいう「インデックス」とは,何らかの制約によりコストなしで質と100%結びついている信号のことだ.ミラーのあげるインデックスの例は,「身体の大きさ」が遺伝的質の正直なインデックスになり得るというものだ.通常あげられるのはカエルの「声の低さ」が「身体の大きさ」の正直な信号になっているというような例だ.


しかしことはそれほど単純ではない.質と100%結びつく信号というのは実は難しいのだ.ミラーは生活史理論に取って代わられたと表現している.身体の大きさと遺伝的質がインデックスであるためには発生制約が非常に厳しくなっていなければならないが,実は安い材料を使って,別のことを犠牲にして身体を大きくすることは生活史戦略的に可能だ.身体の大きさの割に声帯を大きくすることも不可能ではない.これは経済学でいう短期均衡と長期均衡にも似ている.短期的にはインデックスでも,発生プログラムまで可変にできればフェイクできる信号になってしまう.


私が勉強した教科書で言うと,2003年出版のジョン・メイナード=スミスとデイヴィッド・ハーパーの「Animal Signals」では,厳密にハンディキャップシグナルと区別することは難しいかもしれないが,インデックスというのはあり得るという議論になっている.しかし2005年のウィリアム・サーシィとスティーブン・ノウィキの「The Evolution of Animal Communication」ではインデックスという概念自体に懐疑的だ.
「身体の大きさ」を表すのに「声の低さ」などの代理信号を使う限り,フェイクは生じうるのだということだろう.そして信頼性を保つにはそれにはコストが必要ということだ.


ミラーはこう表現している.

人を顔だけで判断できたり,本をカバーだけで判断できたら人生は簡単になるだろう.しかし信号理論は私達がそういう世界に生きていないことを教えてくれる.
だましの見返りは大きいのだ.そしてコストというそれを見破る方法があるというのはいいニュースになる.


ミラーはコストが「金銭」である場合には消費はウェブレンのいう「誇示的消費」になるだろうと指摘している.価格が高ければ高いほど(つまり馬鹿げた無駄遣いであればあるほど)それは正直な信号になるのだ.


ミラーはコストが金銭やリソースだけではなく,「時間や注意の集中」「リスク」などであってもよいと指摘している.ミラーはこの場合は「誇示的な無駄」ではなく,「誇示的な精密性」「誇示的な名声」(社会的制裁に対する弱さ)と呼ぶのが適切だろうとしている.
例えばクジャクの羽は無駄と精密性を併せ持っていることになる.


これらはすべてハンディキャップシグナルだが,ミラーは「誇示的無駄,誇示的精密性」の場合には「インディケーター」,「誇示的名声」の場合には「バッジ」と呼んで区別している.


この「リスク」がコストである「誇示的名声」信号である「バッジ」という概念はわかりにくいが,以下のような説明がなされている..

多くの動物は適応度や地位について「バッジ」と呼ばれるものを進化させている.
これは無駄や精密さではなく,誇示的な名声を表すものだ.これにふさわしくないものがバッジをつけていると仲間から罰される.罰には無視からハラスメントや襲撃まである.
例:アシナガバチの顔の地位バッジ;高い地位のメスは口器の上により多くの黒点をつけている.そしてこれはそのメスの強さや大きさに比例している.ティベッツとデイルは,地位の低いメスに黒点をペインティングすると優位メスから攻撃されることを見つけた.だからこのバッジは作るのにはコストがかからないが,実際に攻撃を跳ね返すだけ強くないと維持できないのだ.
英国のスクールタイや軍隊のメダルはちょっとこれに似ている.


つまりバッジは仲間からチェックを受けるためにメンテナンスコストがかかるということだ.ということは仲間はなぜチェックするのかというポリシングの進化生物的な問題が生じることになる.もっともミラーはこの問題については深入りをしていない.要するにチェックする側にも何らかの利益があればいいというにとどめている.


ミラーは,ヒト社会では「ブランドの表示」がこのバッジに当たると指摘している.つまり,ブランドのロゴ自体にコストはそれほど無く,精密さもない.しかし法律,法律家,税関によって守られている.中国のフェイク企業でさえすこしロゴを変えて身を守ろうとしているのだ.ブランドはその質との相関を消費者が理解して,法律で守られることによって成功する.


ミラーはここで様々な商品カテゴリーごとにどのような商品が「誇示的無駄」「誇示的精密性」「誇示的名声」のどこに力点を置いているかを一覧表にしていて面白い.
例えば,時計では「誇示的無駄」Frank Muller,「誇示的精密性」Skagen,「誇示的名声」Rolex,自動車では「誇示的無駄」ハマー,「誇示的精密性」レクサス,「誇示的名声」BMW,都市(!)では「誇示的無駄」ロサンゼルス,「誇示的精密性」シンガポール,「誇示的名声」パリ,といった具合だ.
一番傑作なのは大学の学位で「誇示的無駄」Oxford M.A. 「誇示的精密性」MIT Physics ph.D.「誇示的名声」Harvard M.B.A.ということだそうだ.


ミラーはこの節の最後に上記以外のコスト要素として「希少性」(レンブラントの絵)「年代」(古代ローマ金貨)を上げている.これらは入手が困難で,そのためにコストがかかるということになるのだろう.そして,「もっともこれらの価値はオークションで現れ,メインストリームの消費者製品やマーケティングに現れることはない」と付け加えている.



関連書籍

Animal Signals (Oxford Series in Ecology and Evolution)

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メイナード=スミスの手になるものだけに議論は厳密.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060203#1143898887

The Evolution Of Animal Communication: Reliability And Deception In Signaling Systems (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

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信号理論が非常に丁寧に解説されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071113