Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.
Supplementary Information,Part A "Natural selection versus kin selection"
さて本Nature論文のSupplementary Information,Part Aも最後まで来た.数理的な部分での包括適応度理論批判についてNowakたちは最後にまとめをつけている.復習も兼ねてみていこう.
- 包括適応度は単に別の1つの計算方法に過ぎない.
Nowakたちは「包括適応度の計算があるモデルでうまく行くからといってそれは『血縁淘汰』が働いていることにはならない.包括適応度理論家はこの点について一貫性がない」とコメントしている.このコメントの意味はよくわからない.
いずれにせよ,包括適応度計算が1つの計算方法であることは当然で,そこには異論はないだろう.要するにNowakたちの不満は「包括適応度理論が協力行為の進化についての『一般法則』だ」という種類のコメントにあると思われる.しかし等価な理論が別の名前であるからといって,その中でもっとも洗練された理論体系を「一般法則」と呼ぶことがそれほどおかしいわけではないだろう.Nowakたちは等価な理論だと認めていず,包括適応度は弱い淘汰条件という限定的な前提条件を必要とする狭い理論だという立場なのでこのような噛みつき方になるのだと思われる.
またここではNowakたちは包括適応度理論について「プトレマイオスの周転円」のようなものであり,ニュートン力学の元で見ると決して一般法則ではなく表面的なものに過ぎないのと同じだと皮肉っている.
前提条件の議論は次の項に譲るとして,包括適応度を周転円に例えるというのは,「直接適応度を考えるのに対して不要に回りくどい」という趣旨かと思われる.しかしNowakたちの提言する「標準自然淘汰理論」で分析しようとすると,bi, diの計算が必要で,そのために集団の各個体が誰とどういう確率で相互作用を行うかを決めていかなければならず,結局非常に回りくどい計算をしなければならない.その上に解析的に解ける範囲が限定的で,シミュレーションでしか分析が得られない範囲がはるかに広い.私にはこの周転円への例えはいかにも的外れのように思われる.
これは包括適応度理論に,弱い淘汰条件やゲームのペイオフが相加的であることや集団構造が不変であることなどの前提条件があることを指している.私の理解では弱い淘汰条件や相加的なペイオフは計算を容易にするための単純化であり,このために非常に広い問題を解析的に解くことを可能にしている.Nowakたちの方式は結局シミュレーションによってしか解決できない状況が多いものであり,それでは問題の本質への理解が得られないことが多いだろう.要するに前提の単純化は理論の生産性とトレードオフにあるのであり,そこを考慮しない批判は意味がないと思う.また集団構造の問題はNowakたちの誤解(包括適応度理論の拡張がきちんと理解できていないのかもしれない)だと思われる.
- 包括適応度はしばしば間違って定義されている.
これは包括適応度が誤解されることがあることを指している.つまり包括適応度は単純に行為者と行為者の血縁者の繁殖成功ではなく,その行為者の行為の結果として生まれた繁殖成功の差に関するものであり,血縁者の行為から受け取った効果を計算に入れてはならないということが理解されていないことがあるという批判だ.しかしこれは包括適応度がある行為戦略の適応度であるという本質が理解されれば容易に解消する問題だと思われる.*1 いずれにせよお勉強不足のリサーチャーがいることが理論の欠陥にはならないと思われる.
- ハミルトン則はほとんど常に成立しない.
Nowakたちは,弱い淘汰条件でモデルを構築すると,しばしばある行為の進化条件が「何か>b/c」という形になりハミルトン則のような印象を与えるが,それは弱い淘汰条件から導き出されるものに過ぎず,「何か」は血縁度ではなく,ハミルトン則はほとんど成立していないのだと批判している.
私の理解ではこれは全くの誤解に基づく言いがかりだ.ここに現れるb, cはゲームのペイオフに過ぎず,適応度成分としてのハミルトン則におけるb, cとは別のものだ.Nowakたちは本論文を通じて,(Grafenから明瞭に指摘されているにもかかわらず)このペイオフと適応度成分の区別をせずにスロッピーな議論に終始している.少なくとも私の印象では,彼等は包括適応度を真に理解していないのではないかと思わせるものだ.(もし理解した上でわざとここをあいまいにしているならそれは極めて不誠実な態度というべきだろう)
さらにNowakたちはここで,経済学者による論文を引用して,「進化的に安定な利他行為の量はハミルトン則で示すより小さいし,それは環境に大きく依存する」ことが示されているとコメントし,ハミルトン則が疑問視されているかのような主張を付け加えている.*2
問題の論文は,Alger と Weibull による2009年の "Kinship, incentives and evolution" なるものだ,要約を読んでみたところ(全体は50ページを超す大部なもので最初の5ページほどが要約になっている)「兄弟への利他行為がハミルトン則に従うのは投資額が外因的に定まるときだけで,投資額を調整できるなら,ハミルトン則に従って利他的に投資する個体は,利他額を小さくする変異に対して不利になる」云々などの議論が繰り広げられている.これは包括適応度が戦略単位の適応度で,ハミルトン則より少なく利他行為をする戦略はより不利になるということがまったく理解できていないことを示している.そして後段の主張はどうやらリスクシェアを加味すると単なる投資額の移転以外の効果があることを議論しているようだ.これはまさにゲームのペイオフと適応度成分がきちんと区別されていないことと同じ誤りだと思われる.個人的なインセンティブと投資額を分析する論文の経済学的な議論そのものはともかく,ハミルトン則への言及はまったくお粗末なものだ.このような論文を引用してハミルトン則を批判しようとしていること自体が,Nowakたちが包括適応度理論をきちんと理解できていないと強く思わせるものだというのが私の感想だ.
- 集団構造のモデルを考慮しない血縁度は意味がない.
これはその通りだが,しかし1970年代に拡張された包括適応度理論は集団構造を考慮するのだ.私にはNowakたちは包括適応度理論を理解できていないとしか思えない.
- 包括適応度理論は不適切だ.
ここではもう一度集団構造やその動態の分析がなければ,包括適応度理論によってある遺伝子が自然淘汰で選択されるかどうかを決められないという批判を繰り返している.そして私の感想はNowakたちは1970年代にハミルトンが行った包括適応度の拡張に30年以上たっても追いつけていないのだろうかというものだ.
最後にこの数理的な議論全体に対する私の感想を(一部繰り返しになるが)記しておこう.
- 包括適応度理論はハミルトンが1964年の論文で提唱したもので,それは70年代にハミルトン自身の手で(血縁だけでなく)遺伝子共有確率一般に拡張されている.Nowakたちはまずここからして理解がかなり怪しい.
- さらにオクスフォードを拠点にする英国の数理生物学者たちはこの理論に磨きをかけ,様々な分析手法を開発している.とくにTaylorとFrankによる包括適応度の経路ごとの偏微分を利用した平衡解の導出の手法は非常にエレガントで応用範囲の広いものだ.このような高度な取り扱いが可能になるのは,弱い淘汰条件で適応度が相加的に決まるという前提条件をおいているからであり,いわば前提条件と解法の強力さがトレードオフになっている状態であると言えよう.
- Nowakたちの攻撃は「包括適応度はわかりにくい」というものと「前提条件が狭い」という2点に要約される.
- 「わかりにくい」という批判は,適応度を個体単位で計算するか戦略単位で計算するかという計算の視点の問題だ.Nowakたちの「標準自然淘汰理論」の形は一見簡単そうに見えるが,実はその中では個体ごとに繁殖率や死亡率を計算しなければならず,そのためにはどの個体同士がどのような確率で相互作用するかがすべてわかっていなければならない.だから結局計算の複雑さは包括適応度と変わらない.これは相互作用のある行動の戦略の進化には相互作用を行う個体間の戦略共有確率が重要だという数理的な事実から生まれる必然的な結果だ.そしてどちらの計算方法がより直感的にわかりやすいかというのは感覚の問題だが,私から見れば,戦略の進化こそ知りたい問題であり,戦略単位で適応度を考える方がはるかにしっくり来るように思う.
- 「前提条件」の問題.弱い淘汰条件と相加性は,解法の強力さとのトレードオフだ.Nowakたちはただ前提条件があることを非難しているだけで,物事の本質を踏まえた議論になっていない.また集団構造の議論は最初に指摘したハミルトンの70年代の拡張が理解できていないための誤解であると思われる.
論文はこの後.一般的な数理理論編を離れ,真社会性の問題を取り扱う.