Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その31


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


<Empirical tests of inclusive fitness theory?>
Supplementary Information,Part B "Empirical tests reexamined"


さて長々と続いた数理的な議論のあと,(真社会性の起源に向かう前に)本論文は包括適応度理論の実務面についても批判をしている.この部分は(その牽強付会的な記述から見て)おそらくE. O. Wilsonによるものだろう.


まず本文「Empirical tests of inclusive fitness theory?」において,包括適応度理論擁護者は多くの実証研究があると主張するがそうでないと批判する.Nowakたちの主張は以下の通り.

  • 包括適応度理論が有益であることを示すには,個体間の血縁度を調べて,その間に利他行動があることを示すだけでは足りない.その前提となる変数をきちんと把握していなければ実証したことにはならない.そしてそのような実証研究はない.
  • そして包括適応度理論は「1つの計算方法」に過ぎないから,他の理論でも同じ予想を得られる.だから包括適応度理論だけでしか予測できないものはない.


第一の点に関しては,要するにrだけでなく,bやcもきちんと考えて実証しなければならないという指摘だろう.これはある意味で当たり前だ.この記述を読むとまるでb, cを無視した議論ばかりなされているような印象を受ける.しかしそれは疑問だ.(とりあえず具体例が後に挙げられているのでそこでよく見てみよう)
また実証研究がないという主張はかなり独善的に思われる.Nowakたちは本論文を通じて協力行動の進化以外の包括適応度理論の業績を無視している.包括適応度理論の最もエレガントな実証例だと思われる局所的配偶競争の性比の説明などその典型だ.問題になっている膜翅目の真社会性にかかるリサーチでも,繁殖虫の性比にかかるリサーチがある.3:1の性比をワーカーコントロールで説明できることだけでも包括適応度理論の有益さは疑い得ないものではないだろうか.このあたりはWestたちの総説の言い分の方が圧倒的に説得力がある.
またそもそもNowakたちは包括適応度理論がニュートンの重力理論のように成立するかどうかが実証的に決められる理論であるかのように書いているが,私の理解では包括適応度理論は前提が正しければ必ず成り立つ定理のようなもので,正しいかどうかを巡って実証を行うべき理論ではない.仮にNowakたちのいうようなものであるとするなら,そもそもこの論文で擁護している「標準自然淘汰理論」や「マルチレベル淘汰理論」に一体どんな実証研究があるというのだろうか.私には,理論の性格も理解できていない上にどうしようもなくダブルスタンダード的な言いがかりを行っているように思える.


第二の点に関しては,同じことを予測できる理論があるということが,実証研究におけるどんな欠点に結びつくというのか良く理解できない.等価な理論があるとすれば,どちらが生産的で使いやすいかを議論すべきで,それはWestたちの主張の通りだと思われる.また等価でないと言い張るなら,「標準自然淘汰理論」でのみ予測・説明できる現象を提示すべきだろう.



さらにNowakたちはSupplementary InformationのパートB「Empirical tests reexamined」において以下のように批判を続けている.なおここでの議論は包括適応度理論の有益性を実証するかどうかという話でなく,ある現象を説明するのに血縁淘汰が要因となっているかどうかの実証の話になっている.あるいはここはNowakによるものかもしれない.これは「どの要因が効いているか」という実証の話だから議論としては本文の言い方よりまともなものだ.

  • 社会進化における血縁淘汰の中心的な役割への信仰は,リサーチの手順を逆行させている.
  • 生物学のリサーチは,本来興味深い生物学的問題をまず見つけ,その解決にどのような手法を用いることが適切かを考えるべきだ.
  • しかし包括適応度理論家は,まず血縁淘汰が効いているはずだと仮定し,包括適応度の周転円を何重にも巡らして,理論を事実に合わせている.これはまさに後件肯定「Affirming the consequent」の誤謬だ.


後件肯定とは,「PならばQである.Qである.だからPである」とする誤りのことだ.ある事実について理論を上手に当てはめてみせるのが何故後件肯定になるのかはまったく明らかではないだろう.
それは置いておくとして,このくだりは私には大変皮肉に感じられる.これは「何でも自然淘汰と適応で説明しようとしている」というグールドのスパンドレル批判に非常によく似ている.社会生物学論争でグールドにいわれなき批判を浴びせかけられ続けたE. O. Wilsonが今度は加害者になっているというのは何という皮肉だろうか.(正確には,E. O. Wilsonに対しては差別主義者という批判がなされたのであり,スパンドレル批判を浴びたわけではないが,論争の全体像を考えると皮肉以外の何者でもないだろう)

またこの批判の最大の違和感は,包括適応度理論を使うことと,ある現象の要因に血縁の近さが効いていることは異なる問題だということだ.血縁の近さが要因だと仮定してそれに向けて事実を曲げているというならともかく,一般的に妥当する包括適応度理論を使うことが結論の歪曲につながるはずはない.話を協力行動の進化に限ってみても,血縁度が近いとより協力が進化しやすいという問題と,それ以外の生態要因から協力が進化しやすいという問題は排他的な仮説にはなり得ない.両方が進化条件を決めるのだ.だからその問題に包括適応度理論を当てはめて考えること自体が何かの誤りにつながるはずがない.
周転円のくだりは私には言いがかりにしか思えない.彼等があげている具体例を読むと彼等が主張しているのは,「血縁の近さがどのぐらい要因として効いているか」を巡る議論であって,包括適応度理論の適用の話とは別のものだ,そして実際に主張しているのは周転円的な理論適用の怪しさではなく,生態要因があまり検討されていないのではないかということだ.それならただそういえばいいだけなのに,包括適応度理論がけしからんという言い方は非常にいやらしい.
ともあれ,その要因を巡る議論にかかる彼等のあげる具体例を見てみよう.


まずはHughes et al 2008.Ancestral monogamy shows kin selection is key to the evolution of eusociality. Science 320, 1213-1216
これは真社会性の膜翅目の種間比較の研究で,膜翅目の真社会性の各種を系統的に分析すると,その祖先形質は一回交尾であり,複雄との多数回交尾は派生形質であることから,真社会性の進化においては包括適応度が高いことが効いていて,その後一旦真社会性が高度に進展した後に(ワーカー産卵へのポリシングなどへの対応から)包括適応度を下げる適応が生じたのだと議論している.
Nowakたちは,まずこの種間比較には真社会性ではなく単独生活の姉妹種が含まれてなく,retrodictionのコントロールになっていないと批判する.ここは系統樹の推定のことをいっているのだろうと思われるが,詳細の議論がなくよくわからない.
つぎに,Nowakたちは,共通祖先が単数回交尾なのは多数回交尾に補食リスクがあるとすれば十分説明できるので,それが真社会性の起源に効いているということにはならないだろうと書いている.
さらに多数回交尾についても,単に精子の量が不足した事への適応かもしれないと批判している.


このNowakたちの主張(共通祖先の単数回交尾を説明する簡単な生態要因があるではないか)は一見もっともだが,よく考えるとナンセンスではないだろうか.Nowakたちの批判は「通常単独性の昆虫は簡単に説明できる生態要因のために単数回交尾の方が有利だろう.だから祖先形質が単数回交尾であるのは当然だ」ということだ.しかし祖先形質が単数回交尾であることを認めるなら,当然そのような種では女王とワーカーの血縁度は近くなり真社会性の進化条件が広がっただろう.(これはNowakたちの「標準自然淘汰理論」でも,同じように条件が広くなるはずだ)だからこれはHughesたちの議論を補強しているようにしか聞こえない.
なお多数回交尾の進化条件についてはNowakたちのいう通り系統分析だけからその生態条件を議論することはできないだろう.しかし生態条件を考えるときに包括適応度を考慮することは(あるいは「標準自然淘汰理論」で遺伝子共有確率を黙示的にモデルに組み込んで計算することは)むしろ必要なことだろう.
系統分析だけからできる議論のポイントは一回交尾の膜翅目昆虫で通常の倍数体性決定動物には見られないほど高頻度で何度も独立に真社会性が進化していること(そして高度に進展した真社会性膜翅目昆虫で多数回交尾が独立に何度も進化していること)をどう考えるかということだと思われる.これは同じような生態環境にあっても膜翅目特有の性決定方式によって血縁度が決まっていることが進化条件を広げた可能性を強く示唆している.しかしNowakたちはそこには触れていない.


さらにNowakたちは,そもそも膜翅目昆虫では血縁認識は進化しておらず,同一コロニー個体を匂いで識別しているだけだ,包括適応度で説明しようとするのはそのことを無視していると批判している.


私にはこの批判はまったく的外れだと思われる.ワーカーの行動はコロニー内の平均血縁度に合わせて適応したものだと考えれば十分に説明できる.血縁識別はコロニー内に様々な血縁度を持つ個体が混在していてそれを見分けて行動を変えることが重要であるときに問題になるものだ.この批判はNowakたちがそもそも行動生態学の基本をよく知らないのではないかと思わせるものだ.


2番目の研究はSchneider & Bilde 2008.Benefit of cooperation with genetic kin in a subsocial spider. Proc Natl Acad Sci USA 105, 10843-10846
これはクモの一種の研究であり,このクモは孵化後兄弟たちが群れになっているときに,共同の食料に対して,それぞれ酵素を注入しつつ栄養をとる.ここで,自然の兄弟たちではなく人為的に親の異なる子グモを一緒にすると,自然群より酵素注入量が下がり栄養吸収が下がることが観察された.彼等はこれを包括適応度から説明した.
Nowakたちは,自然環境下でこのような混群は生じないのだから,そもそも適応が生じたと考えるべきではないのでないか.単に特質値の分散が大きくなり調和が乱れた効果だと説明できると批判している.


このNowakたちの指摘はその通りだと思う.この議論はやや勇み足だろう.


3番目の研究はGriffin and West 2003.Kin discrimination and the benefit of helping in cooperatively breeding vertebrates. Science 302, 634-636

これは論争の主役の1人Westが関わっているのでやや詳しく見てみよう.