「Why everyone (else) is a hypocrite」 第6章 その2 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第6章 心理的宣伝(承前)


自己欺瞞の最初のカテゴリー:戦略的誤謬.クツバンはどのようなものがあるのかを説明する.


<相対比較の友情>


広報のための戦略手な誤謬は,当然本人の何らかの「良さ」にかかるものになる.クツバンはこれは配偶相手や,同盟相手,友人などの選択にかかるから相対的な比較が問題になるはずだと議論する.


ここでクツバンはコスミデスとトゥービイの「雨の日のバンカー」の議論を紹介している.
これは「銀行屋は晴れた日に傘を貸し,雨の日に傘を取り上げるような輩だ」というジョークからきていて,もし互恵相手を合理的打算だけで決めるなら,自分が本当に助けて欲しいときには,相手から見てもっとも後でお返しが期待できない状態になってしまうという問題があることを取り扱っている.コスミデスたちは,これを避けるには,自分が「代替不可能な」特別な人間になることが解決になるというもので,例えば誰よりも趣味が一致して共通経験を持っているような存在になるように淘汰圧があっただろうということになる.


すると広報モジュールにすれば自分が「代替不可能な」人間であることを広報すべきことになる.これは某民主党議員への回答ではないが「2番目では駄目」ということなのだ.だから広報モジュールは相対比較,特に当面の候補者の中で1番であるかどうかに敏感になるはずだということになる.


ではそのようなデータはあるのか.クツバンはテッサーによる実験を紹介している.
それによると他人の能力を評価させるときに,その能力が重要であるとプライミングされると,見知らぬ人より友人に厳しめになるそうだ.そして広報モジュールはそうなることを知らずに,自分はフェアだと主張する.


<コントロールフリーク>


「自分が一番」の次の幻想は「自分がコントロールしている」というものだ.
クツバンは,これを確かめようとするときに最も難しいのは,世の中のほとんどのことは因果がはっきりしないので誰が何をコントロールできているかを調べることが困難なことだと指摘し,明らかにコントロールできるはずのないものを自己欺瞞の例として特に取り上げている.


クツバンのあげる例

  • 多くの人はサイコロの振る時に,念を込めたり話しかけたりする.
  • どのくじを引くかは自分で選ぼうとする.
  • ランダムに1$のくじを割り当てられた人と,自分で選んだ人で,そのくじの権利を売るオファーの金額は大きく異なる.8.67 vs 1.96
  • 勝負が偶然で決まるゲームをやらせると,身なりのきちんとした人が相手の場合には,しょぼくれた人が相手の場合より掛け金を少なくする.(これはしょぼくれた人が相手だとコントロールできると考えるということをいいたいのだろう)


ではコントロール幻想の利点は何か.
クツバンは,「より大胆になって行動を起こす方がいいから」という議論を,賭け事のベットを間違えると不利になるだけだし,仮にそうしないとすべて過小評価するのでその補正だというなら,そもそも何故過小評価するようになっているか自体が問題になると批判する.


そしてありそうな仮説を2つあげている.もちろんクツバンは後者に好意的だ.


1.ヒトはランダムを作ることができない.進化環境ではランダムな結果をもたらす人工物はなかっただろう.だからデフォルトでそのような人工物は誰かのコントロール下にあると考えるようになっている
2.宣伝の利益が間違えるコストを上回った.物事の因果が明確であることは稀だっただろう.だからもっともらしい限りにおいて,自分のコントロールを過大に言いたてて信用される方が,他人を説得できるメリットがあった.


<最適に楽観的>


クツバンの挙げる3番目のポジティブ幻想は「物事に楽観的」ということだ.これはつまらないことから重大なことまで広く見られる.


クツバンがあげる例

  • スポーツで贔屓チームが負けると予想するファンは1%,さらに客観的に答えてと指示されても 2%にしかならない.さらにサッカーでハーフタイムに0:2以上で負けていても,17%にしかならない.
  • カーター・レーガン大統領選.カーターに投票した人のうち87%がカーターが勝つと答えた.
  • HIV感染確率,14人の売春婦と寝た男も,500人以上の客をとった売春婦もリスクは平均と同じぐらいと予想した.
  • 卒業後の進路,アルコール中毒リスク,離婚リスク全てにおいて大幅に楽観的


最初のスポーツファンの例はやや微妙だ.アンケートでは例え正確に勝てる確率を想定していても,正直に答えたくない心理があるだろう(これ自体なかなか興味深い現象だが).だから広報モジュールが知らないかどうかを調べたいなら賭けをさせてみるなどの手法が必要だろう.(おそらくそれでも楽観バイアスは残るのだろう.これは前回のコーネル生のプライド実験にちょっと似たところがある)


本来は過度に楽観的だと余計にリスクをとるのでコストがかかるはずだ.クツバンは,このようになっているのは社会的パートナーに選ばれる際のメリットがあるからだと考えられると議論している.つまり自分にこれから良いことがあると相手に信じ込ませられれば,配偶者や友人として選ばれやすいということだ.
このあたりもなかなか微妙だ.信じ込まされる方は対抗する方向に淘汰圧がかかって軍拡競争的になるのではないだろうか.あるいは楽観主義とシニカルな批評の軍拡競争の結果,集団全体では,自分には甘く他人には厳しい非合理的なバイアスがかかっているということかもしれない.


クツバンはこの楽観主義が広報機能を持つと考える根拠を以下のように整理している.

  • ポジティブ幻想は防衛可能な場合(つまり他人にばれにくい場合)により強くなる.
  • 自己論文の評価をさせると,他人へ評価の説明をしなければならない時には評価が下がる.
  • 結局他人に信じてもらえるということが重要だということで,それは広報宣伝以外に説明ができない.

クツバンはここで「鬱は楽観主義がとれた状態で,むしろ正確な現実認識の状態」だという議論を紹介している.これはもともとブラウンとテイラーによる議論だ.この議論はなかなか面白くて私も最初に聞いたときにはなるほどと思ったし,考えさせられるところがある.クツバンはこれに対し,あまり深入りはしないが,彼等の議論は「楽観主義はどのようにメンタルヘルスに役に立つのか」というもので,あくまで至近的な議論にしかなっていないと指摘している.
確かに彼等の議論では「何故バイアスがかかった形で楽観主義をとらなければ鬱になってしまうようになっているのか」は説明できない.広報を巡る軍拡競争から強い楽観主義がビルトインし,そのほかのメンタルのシステムがそれを前提に組み立てられているということになるのだろうか.なかなか興味深い.