Inside Jokes 第3章 その1 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第3章 ユーモアの現象学 


さて第3章はユーモアの現象学と題されている.ここで「現象学 phenomenology 」とは,もともとの意味では,理論を構築する前に現象のカタログ例を集めることだと説明がある.要するに本章ではユーモアがどのような状況でどのように現れるのかをまず見てみようという趣旨だろう.
ハーレーたちは,過去のユーモア研究は,ユーモアの本質を見極めるのに失敗してきたが,多くのユーモア現象学の成果を残してくれたといい,自分たちの観察も加えて簡潔にまとめている.


まず個別のカタログ例の前にユーモアが知性に依存しているということを特に強調している.それは英語のNonsense, absurdityの二義を見ても明らかだという.片方の意味は,非一貫,矛盾などで,もう1つの意味は楽しいアノマリーで,どちらも理解するには知性が必要だという.
日本語でのナンセンスに当たる両義的な言葉はすぐには思い浮かばないが,物事が矛盾しているかどうかを知るには当然知性が必要で,矛盾したり非一貫であったりすることが楽しいことがあるというのはナンセンスギャグを考えてみれば何となくわかる.


この後は個別のカタログの提示になる.


A ユーモアは客体object,あるいは事件eventの性質である


ハーレーたちはロックの議論を引いて「この性質とは何か」という哲学的な整理をしている.それによると性質には二義ある.

  • 一次的性質:質,形,大きさなど
  • 二次的性質:色,味,匂いなど受け取る人に依存するもの


こう整理するとユーモアは明らかに後者の受け手に依存する性質であり,基本的に文脈依存だ.そして感覚により生み出されるものということになる.ハーレーたちは,これは進化により,なんらかの情報を得るために作られたメカニズムにより創設されるものであり,ユーモアとは,そのメカニズムを起動させる情報パッケージ,そしてそれらを傾向として持つものの性質になると主張している.

そしてちょうど色覚が生存繁殖に有利であるための適応形質であるのと同じだという議論につなげている.ユーモアの進化的起源を考える立場からはなかなか重要なところだ.


ハーレーたちはさらにこれはヒュームの因果の知覚議論と関連があると指摘している.
ヒュームの議論とは「Aがあって,そののちBが生じるという経験を繰り返すと,私達はAの後Bの生起を(そして因果を)期待するようになる.(このような場合の間違いをプロジェクションエラーと呼ぶ)」というもので,因果を持つと感じさせるパッケージとユーモアを感じさせるパッケージというところに類似性があるという意味だ.そして以下のジョークを紹介している.

  • 酒場にて「もういい加減に飲むのをやめた方がいいぜ,あんたの顔は輪郭が霞んできてるぜ」

ジョークはこの霞んだ顔と同じなのだ.それは顔の性質ではない.話しかけた酔っぱらいの心が作っているのだ.


B デュシャンヌ笑い


まずユーモアは笑いを引き起こす.そして笑いには2種類ある.

  • デュシャンヌ笑い:自発的な笑い
  • そうでない(多くは社会的な)笑い


またハーレーたちはジョークを使って説明している(本書の魅力の1つはたくさんジョークが紹介されて,説明にも頻発されるところだ.きっとリサーチの過程でいっぱい集めたので紹介したくてたまらないということだろう)

  • なぜドイツ人は君がジョークを言うと3回笑うのか.ジョークを言ったとき,説明したとき,そして理解したときに


この3回目の笑いだけがデュシャンヌ笑いということになる.しかしユーモアはデュシャンヌ笑いだけを引き起こすわけではない.聞いたことがあるネタにクスッとする,何度も聞いてもはや笑えないネタだが,その場の雰囲気に合わせて笑うなど.
またユーモアがあっても笑わないこともあるし,神経的な刺激だけでも笑いは生じる.さらに笑いは伝染する.


ちょっとわかりにくいが,要するにハーレーは,ユーモアと(自発的な)笑いは関連しているが,厳密には包含関係にはなく,笑いはユーモアにとって必要条件でも十分条件でもないと指摘しているのだ.


C ユーモアの記述のシステマチックな困難さ


ここの参照ジョー

  • 循環的<定義>:参照「循環」「定義」

ユーモアを説明しようとするとどうしても循環的な説明に陥ってしまう.:ユーモアはおかしいという心の認識による.おかしいことがあると楽しい,楽しさはユーモアへの反応だ,
Aで見たように,ユーモアは脳の中の解釈であり,ちょうど赤という色の知覚と同じだ.だからユーモアを確かに感じていても,言語的に何がどうしておかしいのかは説明が困難なことが多いのだ.


ここでハーレーたちは「ユーモアを聞いたときの楽しさ:mirth」について様々な哲学的な考察している.
しかし結局心や脳の中で何が起こっているかを調べるしかないということになる.そして実験的に調べるのはヒト相手には難しい


ここでハーレーたちはヘテロ現象学的手法を提案している.(これは著者の1人デネットの十八番というべき主張だ)
「被験者の報告をそのまま信じるのではなく,なぜそのように感じそう答えるのか,そのようなメカニズムがあるのかを考える.
ユニバーサルを調べ,進化的な説明を考察し,エンジニアリング的な仕組みを考える.」
今後はそのような手法でユーモアに迫っていくということだろう.