「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その4  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


中世ヨーロッパの残虐,次は残虐刑だ.


<残虐な刑罰>


ピンカーは,中世から近現代までの人々は,残虐な刑罰について全く合理的だと考えていたと書いている.そもそも刑罰は,本人や周りの人間を犯罪から威嚇し抑止するためにある.であれば残虐であればあるほど効果的だし,検挙率が悪いなら刑罰の残虐さで補う必要があったということになる.


ピンカーはさらに彼等は残酷な刑罰を見世物として楽しみ,楽しまないとしても無関心だったと指摘している.そして様々な当時の刑の執行についての描写を紹介している.

  • 17世紀の縛り首:首を絞め,はらわたを抜き,それを燃やしてから頭部を切断(それについて「人が処刑されるとこうなる」と快活に記述している例がある)
  • 18世紀のさらし台(pillowring)の記述:罪人の身長がさらし台の穴より低かったがかまわずにはめ込んだので吊された形になった.すぐに顔色は真っ黒になり口や耳や鼻から血が噴き出した.見物人はかまわずに石ころなどを投げつけた.さらし台から外されたときには息絶えていた.
  • 18世紀の鞭打ち:英国では船員や奴隷の傲慢怠惰への罰として普通だった.1000回の鞭打ちは一度には執行できないので一旦病院にいれ,治りかけでまた打つということを繰り返した.鞭はよく工夫され肉をミンチにし,骨に達するようになっていた.300回ぐらいまでは痙攣や悲鳴があるが,それ以上いくと静かになる.多くの場合ただ死体を鞭打っていた.
  • キールハウル(keelhaul; 現在では「厳しくしかる」程度の言葉になっている,元は英国海軍の懲罰の1つ):ロープに結んだ船員を船底にくぐらせること.溺れ死んだりフジツボでズタズタになる.


ヨーロッパでは16世紀の終わり頃から残虐な刑罰は下火になり始めた.マイナーな犯罪は懲役刑に移っていった.(もっともこれはこれで厳しいものだった.当時は食料や服も有料で払えなければ支給されない.環境は劣悪で病気も蔓延.重労働も課された.基本的にデスキャンプだったようだ)


ピンカーは真の転換点は18世紀だとしている.


まず英国で,残虐な刑罰を,残酷・野蛮と非難し始め,その流れは続いた.

  • ボルテール:残虐な刑罰は恥だと主張した
  • モンテスキューキリスト教が異教文化を野蛮と指弾することと自分たちの残虐な刑罰の存在について偽善だとした
  • ウィリアム・エデン: 残虐な刑罰は感覚を麻痺させ,良い心をなくさせると主張.
  • チェーザレ・ベッカリーア 「犯罪と刑罰」:法制度は最大多数の最大幸福のためにあると主張.刑罰の理由は抑止力にあるのであって,抑止力とその苦痛が比較考量されなければならない.また犯罪の害と刑罰の重さは比例すべきであり,刑の執行には確実性が重要だと指摘,死刑に抑止効果はないと主張.出版当時は人気がなくカトリックから禁書にされたり,「これまで効率的だったシステムを破壊しようとしている,抑止には強い罰が必要」という反発や批判もあった.しかしだんだん支持されるようになっていった.


その結果,刑罰としての残虐刑は多くの国で廃止された.米国の例としては憲法修正8条があげられている.これは1789年に提案され,1791年に批准発効したもので,150年以上後に日本国憲法に継受されたものだ.


なおピンカーはここで残虐な刑罰と並んで動物虐待も取り上げている.動物虐待を禁止しようという動きは西洋では残虐刑の禁止と同じ時期に始まっていて(1789 ベンサム:「理性があるか,しゃべれるかではなく,苦しむかどうかが重要だ.」英国では1800年に最初の法案提出,1822年に雌牛について,1834年に雄牛,クマ,犬,猫について虐待禁止が法制化),ピンカーはこれも「人道主義革命」の1つの様相としているようだ.なお動物虐待の禁止自体については,20世紀後半にさらに動きが加速し「動物の権利」運動につながっていく.これは「権利主義革命」のところで扱われることになる.


日本においてはどうだったのだろうか.
江戸時代中期以降,残虐性は緩和したようだ.例えば切断刑が刺青刑に,牛引き(八つ裂き刑)や釜ゆではなくなり,火あぶりは放火犯に限定,のこ引きは制度としては残ったが形骸化した.しかし,少なくとも明治維新までは磔(斬首),獄門,市中引き回し(のこ引きの形骸化した形)は残っていた.維新後近代的な制度となり,残虐刑はなくなったが,特高警察などによる拷問自体は(合法的なものとして)残り,最終的に第二次世界大戦後に日本国憲法で拷問と残虐な刑罰は廃止されることになる.


この江戸中期の動きは興味深い.歴史的にいうと17世紀後半,保科正之に始まる文治政治ということになる.思想的なバックボーンは理性や啓蒙主義ではなく儒教ということになるのだろう.しかし,末期養子の禁を緩和したり,武家の殉死を禁止したり,大火の後の江戸城天守閣再建を見送ったりしており,また有名な綱吉による生類憐れみの令などを考えると,より他人の不幸を身近に感じる「人道主義」的な側面が見えてくる.確かにヨーロッパの人道主義ほど徹底しなかったが,時期的には100年先を行ったということになるのだろうか.理性というより江戸時代の泰平が人々の心に大きく影響を与えているように思えるところだ.
そして明治維新でヨーロッパの啓蒙主義を一部取り入れ,最終的には第二次世界大戦後に(制度的には)完全に移入されたと見るべきだということになるのだろう.


<死刑>


古代より多くの犯罪が死刑とされてきた.ピンカーは例として,異常性行為,陰口,軽窃盗,安息日に働く,密猟,偽造などを挙げている.


18世紀後半になってヨーロッパでは死刑の処刑が減り始めた.同じ頃英国で絞首台が,フランスでギロチンが使われ始めた.これは当時としては「より苦痛の少ない処刑方法」として人道主義的だったのだ.
英国では1783に公開処刑を廃止,1834にさらし台を廃止,1861に死刑となる犯罪を4つまで減らす.19世紀にはヨーロッパの多くの国で殺人と反逆以外の罪での死刑はなくなった.そして執行されなくなり,制度として廃止された.(ピンカーによると最後の処刑から制度廃止まで平均50年ぐらいかかるそうだ)


ピンカーによると今日死刑が人権侵害だということは広く認められているということになる.現在西洋先進諸国で死刑が残っているのはアメリカだけだ.トルコを含むヨーロッパ全部に広げてもロシアとベラルーシにのみ残っているだけだ.(ちょっと調べるとロシアはやや微妙な状況のようだ.)いわゆる先進国としてはアメリカ,日本,韓国,台湾,シンガポールぐらいになる(韓国ではほとんど執行されていないようだ).


アメリカも州ごとに異なり,東部,北部のいわゆるブルーステートでは死刑は廃止されているところが多い.そして残っている州でも実態はシンボル的なものになっている.ほとんどの州では殺人および殺人の陰謀のみが死刑の対象になり,殺人犯の1%未満しか死刑にならず,宣告されてもほとんど執行されない.また執行方法も絞首刑,銃殺刑からガス,電気に,最近では注射による処刑が多いそうだ.

なおアメリカにおいては死刑の対象が殺人 (murder) および殺人の陰謀(conspiracy of murder)のみとピンカーは書いているが,英米法のmurderには重罪feloney遂行中の結果的加重犯(殺意がなくとも結果のみで成立する)が含まれるので日本などの大陸法の刑法でいうと殺人罪以外の数種の犯罪類型(強盗致死,強姦致死など,さらに重罪遂行中に遂行行為により生じれば過失致死でもmurderになる)が対象になっていることになる.また「conspiracy」は犯罪行為がなくとも陰謀だけで成立する犯罪で,大陸法刑法ではこのような陰謀だけの独立の犯罪類型はない(少なくとも正犯が実行の着手をしないと処罰されない).このあたりはピンカーの記述ではうかがえないが,まさに理性の時代における啓蒙主義的法典編纂を経ていない英米法刑法の苛烈さを示すものになっている*1


ピンカーによると死刑廃止は残虐な刑罰の廃止の1つの事例であるということになる.だから威嚇・抑止についても同じだということだ.ピンカーはこう書いている.

18世紀には死刑廃止は無謀だと思われただろう.それなくして金目当て,復讐の殺人をどう抑止するのかと
しかし実際には死刑廃止と殺人の減少は同時に生じている.これはかつては絶対に必要だと思われた制度的暴力がなくても実はうまくやれることがわかった多くの事柄のうちの1つなのだ.


日本人としては,このあたりの死刑をめぐる議論については,世界の潮流を理解した上でよく考えるべきものなのだろう.


2009年12月の内閣法制局の調査によると世論は以下のような感じだ.

  • 死刑制度の存廃について:「死刑制度に関して,『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』,『場合によっては死刑もやむを得ない』という意見があるが,どちらの意見に賛成か聞いたところ,『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』と答えた者の割合が5.7%,『場合によっては死刑もやむを得ない』と答えた者の割合が85.6%となっている。」ということで.世論としては死刑廃止には消極的ということなのだろう.
  • 死刑制度存続に賛成の理由: 「死刑制度に関して,『場合によっては死刑もやむを得ない』と答えた者(1,665人)に,その理由を聞いたところ,『死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちが収まらない』を挙げた者の割合が54.1%,『凶悪な犯罪は命を持って償うべきだ』を挙げた者の割合が53.2%,『死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える』を挙げた者の割合が51.5%と高く,以下,『凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと,また同じような犯罪を犯す危険がある』(41.7%)などの順となっている。(複数回答)」ということで,理由は様々だ.ピンカーのあげる威嚇・抑止効果の他に,被害者遺族の報復感情への配慮,一般的な報復原理の肯定(命を持って償うべき罪がある)も挙げられている.


存続賛成論者が挙げる理由がいずれも50%程度で様々だということは,無意識の倫理判断として「是」という結論があって,後付けでいろいろと理由が挙がっているのだろう.だからおそらく死刑の威嚇・抑止効果は実はあまり大きくないということがわかっても態度は変わらないように思われる.
被害者や一般人の報復感情を法制度としてどこまで実装するかはなかなか難しい問題で意見も分かれるだろう.またこの問題については冤罪の頻度,終身刑制度の有無などの要因も絡んでくるだろう.


私としてはなお意見が固まっているわけではないが,個人的には現時点で以下のようなところだ.

  • 刑事の法制度を完全に犯罪抑止にかかる功利的なものにすることが一義的に正しい理性的啓蒙的な態度とは限らないだろう.(ヒトの社会に適用される法制度はヒトの本性としての感情傾向を無視すべきではないだろう)
  • しかし功利的なメリットが低いのであれば,そのような暴力はできるだけ抑制されるべきだろう.
  • 実務的には少数ながら死刑が適当と思われる案件もあるだろう.(何の落ち度もない女性や子供を複数残虐に殺し,反省も後悔もなく,自ら死刑を望むケースなど)
  • 現時点での国民感情を前提にすると,終身刑制度を作った上でより死刑の適用を抑え,かつ制度としてはなお当分の間存続するということではないか.

*1:このconspiracyと司法取引があると,まだ殺人や強盗が行われる前に悪党を二人引っ張ってきて先に共謀を自白した方が得だと持ちかけると,信頼できない相手なら先に裏切った方が得になる.つまり「囚人のジレンマ」は英米においては決してフィクションではなくリアルな状況なのだ