「The Better Angels of Our Nature」 第7章 権利革命 その2  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined



ピンカーのいう「権利革命」.次は女性差別の問題だ.


II 女性の権利とレイプ・DVの減少


冒頭でピンカーは「暴力の歴史をたどると,『今日の暴力の認識』が過去のそれといかに異なるかに気づかされることが多い.レイプはその良い例だ.」と述べている.今日それは第一級の非道行為とされているが,過去の扱いは必ずしもそうではない.
たしかに昔からレイプは犯罪であったが,レイプの被害者は,女性ではなく夫や(未婚の場合)父親だという認識が一般的だったのだ.そしてレイプされた女性は不貞を理由に(死罪を含む)処罰対象であることも珍しくなかった.


ピンカーは,「今日のモラル感受性の元でそのような扱いは信じられないものだが,進化的な視点から見ると理解しやすいものだ」としてして,進化心理学から見たレイプについてフェミニズム的な視点と対比させながら解説をしている.これはアメリカでは結構地雷的な話題なので,結構慎重さと勇気が試されるところだろう.


<レイプとは何か>
ピンカーは以下のように解説している

(1)レイピストの視点(何故世の中にはレイプがあふれているのか)

  • フェミニスト進化心理学は,レイプは男が女性からセックスを盗むものだという点では一致している.
  • 進化心理学はさらにいくつかの説明を付け加えている.オスとメスの繁殖速度の違い.そこからくるコンフリクト,その結果動物界には,ハラスメント,脅迫,強制交尾が広く見られる.


ヒトにおいて,男がレイプしやすくなる条件

  1. 暴力的で無謀な気質
  2. 女性との出会いの機会がない,通常の方法では女性を得られない.
  3. 社会的に孤立し,非難などを恐れない.
  4. 罰されるリスクが少ないと認識する
  • そしてレイプの5%は妊娠に至る.これはレイピストの進化的なメリットになる.
  • もちろんこれは,男性がレイプするように遺伝的に決定されていることを意味しない.しかし社会の中にレイプが溢れている原因を説明できる.


(2)女性の夫,父親の視点(何故伝統的には彼等が被害者とされるのか)

  • ヒトの男性は子育てに投資する.だから父性の確実性のリスクには敏感になる.これは夫の性的嫉妬という感情を進化させた.女性を脅し,コントロールしようとする.
  • 父親は伝統的な社会において娘の商品価値に敏感になる.だから純潔が重要になる.
  • 部族のより年齢が上の女性たちは潜在的なライバルとの競争関係において足を引っ張りたがる.
  • なお女性も嫉妬するが,その種類も強度もことなっている.(花嫁は花婿の純潔をあまり気にしない)


これに社会・慣習の影響が加わる.もちろん進化的な利益が直接社会を作るわけではない.しかし自分の利益を求める心が法や慣習の形成の力になる.そして男性が女性のセックスをコントロールできる権利を持つシステムが出来上がる.これは所有物のメタファーになる.

  • 比較法リサーチによると,世界中の法が女性を父や夫の所有物として扱っていることが報告されている.父や夫は,女性を売ったり交換したり捨てることができる.
  • するとレイプは所有権への侵害という形で記述されるようになる.(それそもレイプという言葉自体,破壊,強奪という意味からきている)


これらによる制度的な結果

  • 父や夫のいない女性に保護がなく,夫によるレイプはあり得ないことになる.
  • さらにレイプされた女性自体を不貞の罪に問うことにより,女性にリスクを避けさせ,さらにどんなコストを払っても抵抗することを促すことになる.


(3)被害者女性の視点

  • 進化的に考えると,女性もレイプを嫌がり,抵抗するのは当然だ.
  • 自分でセックスのタイミング,期間,相手をコントロールする傾向は有性生殖の生物において当然に進化する.


ピンカーは(2)にあるような制度的な扱いはごく最近まで残っていたことも指摘している.

  • 結婚指輪の意味:新郎は父親から娘を奪うというメタファーだった
  • 結婚後は夫の姓を名乗るという慣習
  • 1970年台までは夫のレイプは犯罪ではなかった.
  • 陪審たちには「レイプには女性の側にも責任がある」という偏見があるというリサーチ


要するにレイプの歴史は「女性の利益が法や慣習に無視されてきた歴史」ということになる.
そして近時の権利革命はこの「女性の権利」にも目を向けるようになった.


<レイプをめぐる状況の変化>
ではこの女性の権利革命はどのように進んだのか

  • まず制度改変の時に使われたロジックは「自律権」「自己決定権」の原則であり,奴隷制専制政治,債務奴隷などの廃止に使われたロジックと同じだ.要するに「女性の肉体に関することについては女性の利益が最も関心をもたれるべきだ」ということなのだ.
  • 進展ペースはゆっくりだった.
  • 英国では1700年ごろから啓蒙主義の流れの中で女性の権利が主張され始めた.しかしそれが運動になるのに150年かかった.
  • 1850年ごろ フェミニズムの第一波がはじまる.(セネカフォールズ合意)
  • 1920年憲法修正,女性の参政権財産権,教育を受ける権利
  • 1970年代にフェミニズムの第二波が来る.ここでレイプの取り扱いが変わる.:1975スーザン・ブラウンミラー「私たちの意思に反して」この本の中で,男性優位的な慣習や考え方を徹底的に批判,これが大きな影響を与え,法改正や制度改正につながった.


フェミニズム第二波の結果

  • 夫のレイプは多くの州で犯罪に
  • レイプ危機センターの開設
  • 警察の性的襲撃に対する対応の変化
  • ポップカルチャー:ドラマなどではレイプは被害者への同情とレイピストへの軽蔑と怒りが描かれる.(Law & Order: SVU)若い男性向けでかつ規制の少ないビデオゲームにおいてもレイプは事実上タブーになっている(殺人や都市の破壊と対照的)


以上がピンカーによる西洋での流れだが,これは日本においても(アメリカほど劇的ではないが)着実に進んでいるようだ.
例えば「夫によるレイプが強姦罪を形成するか」という問題についても同じように変化しつつあるようだ.もっともアメリカでは制定法で解決されるのだが,日本では刑法解釈の変化という形をとる.
1960年代までは,判例もなく,特に議論されることもなく夫による強姦罪は成立しないものとされていたようだ.注釈刑法にもそのような記述があるそうだ.(結婚したことにより性交について包括的な合意があったということが理由とされていたようだ.だからその過程で暴行・傷害行為があれば暴行罪・傷害罪は成立するが,強姦罪自体は成立しない
).
70年代以降状況は変わり始める.一部の学説は,「結婚が破綻していれば成立する」,さらに「破綻していなくても成立する」と主張し始める.判例については高裁で「事実上結婚が破綻していればレイプを形成する」という判例が2例あるだけ(広島高裁1987,東京高裁2007)という状況だが,刑法学者の解釈はだんだん「無条件に成立する」という方向に動いているようだ.


<レイプは減っているか>
さて,ピンカーはここで,このような流れは実際にレイプ件数を減少させたのだろうかと問いかけている.(それこそが暴力減少だということだからだろう)
実態把握は難しいのだが,犯罪統計によると75年から最近まででレイプは80%減少を示している.傾向自体は殺人より早く減少が始まっているようだ.ピンカーは,反レイプ組織は引き続き大げさなキャンペーンを張り続けているが実態は随分改善しているようだとまとめている.
では殺人との違いは何に起因しているのか?ピンカーは,犯罪学者はこれを取り上げようとしないとこぼしつつ独自の推測を行っている.

  • 90年代の減少は,一般犯罪の現象と同じ要因が効いているだろう.警察官のパトロール,街の安全
  • 70年代の減少においては,まずフェミニズムの活動が効いている.警察,法廷の態度は変化し,法律が改正され,DNAテスティングが広く利用されるようになった.またレイプの暴力的イメージを強く植え付けた.
  • そして同時期に国家全体がフェミニズムの主張を受け入れる準備ができていたのだ.それは反対運動も,体制による弾圧も(公民権運動と異なり)なかったことでわかる.
  • 1つは体制の中に女性が増えていたのが効いているのだろう.それと同時に男性も女性も変化している.女性の権利についてのアンケート調査.男女とも大きく変化している.95年の男性は70年の女性よりもよりフェミニスト的なのだ.


ピンカーは,「西洋文明は著しくユニセックスになっている.これは人皆平等という権利革命の流れの1つだ」とまとめている.


なおピンカーはこのレイプについての議論の最後にフェミニストたちの馬鹿げた議論:「レイプはセックスには関係なく,それは支配のためである」についてもコメントしている.
このフェミニストの主張は論理的には「レイピストは全男性のために戦う利他的な戦士であり,男性はすべてその利益を受けている」「すべての証拠に反して男性はセックスのために暴力を振るわない」と主張していることになると皮肉ったあと,何故このような馬鹿げた議論を彼女たちが真面目に主張するかについて,「おそらく女性にとって『見知らぬ人とセックスしたい』という欲望があるということは,真面目に考慮できないほど信じ難いことなのだろう.」と書いている.
このようなイデオロギーに染まったレイプセンターの運営者側は「酒を飲んで男性の部屋に上がり込んだり,服を抜いだりしないように」というアドバイスをすることを(それを認めるとレイプには女性にも責任があることを認めることになるからという理由で)拒否するそうだ.ピンカーは最後に,女子学生たちはもっと常識的らしいので,それは何よりだとコメントしている.



関連書籍


進化的にレイプを分析した本としてはこれ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060805

A Natural History of Rape: Biological Bases of Sexual Coercion (Bradford Books)

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邦訳

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

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