The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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ピンカーによる暴力減少の歴史.第二次世界大戦後の状況について「長い平和」「新しい平和」と2章に分けて議論してきた.そして暴力減少を記述する最後の章として「権利革命」がおかれている.ここでは人種差別,性差別,女性・子供の虐待,同性愛者の差別,動物の虐待などが扱われる.これらは戦争やテロとは別の側面において人類の歴史の上の暴力減少傾向をはっきり示しているというのが本章の主題になる.
ピンカーは冒頭でドッジボールを話題にしている.現在アメリカでは少年たちがキャンプの監督官,体育教師,法律家,母親たちとの争いにまた負けようとしているそうだ.それはドッジボールの禁止が広がりつつあることを指している.その理由は「技能に優れるわずかな少年以外は,ぶつけられて嫌な思いをしているから」というものだそうだ.ピンカーは「彼等は少年というものにあったことがないのだろう」と皮肉っている.
今のところ日本ではこのような動きはあまりないようだが(なおいじめの防止に関して検討されたことはあったようだが),危険な遊びを禁止していけばそういうこともあるのだろう.(もっともアメリカンフットボールを平然と認めておいてドッジボールをだめとするのはよくわからないが)
ローマ帝国の剣闘士から中世の馬上槍試合まで乱暴な遊びをスポーツとして楽しむのは通文化的傾向なのだ.しかし西洋先進国ではここ50年少年たちは急激にそれを禁止されるようになってきた.ピンカーはこれは少数民族や女性や子供の扱いを含む西洋の暴力忌避傾向の大きな流れとして捉えている.これらは歴史的にはまず人種差別の問題から始まる,そして公民権,女性の権利,子供の権利,ゲイの権利,動物の権利として広がっていったのだ.ピンカーはそういうわけでこれらの流れを「権利革命」と呼んでいる.
なおピンカーはこの「権利革命」と先述した「人道主義革命」の類似点にも触れている.それらは一旦成就すると,それまでの理由付け,歴史が忘れられ,時に行きすぎる傾向があるといっている.理由付けについては,そもそも公民権や女性の権利はリンチやレイプやDVにより殺されることを防ぐという趣旨があったのだが,今日では忘れられやすいこと,行きすぎについては「政治的正しさ」と「エチケット」が似ていることについてコメントがある.
I 公民権と人種差別・リンチの減少
ピンカーによると多くのアメリカ人の記憶では,アメリカにおける公民権の問題は「1948年のトルーマンによる人種別の軍編成の廃止が嚆矢になり,50年代に最高裁は分離政策を違法とし,キング牧師のボイコット運動が始まった.その後60年代にはワシントンの20万人デモとキング牧師の有名な演説があり,様々な法制化がなされた.」という流れになるそうだ.
しかし南北戦争の結果の奴隷制廃止は1860年代だ.何故そこから100年もかかったのだろう?ピンカーは「そこには暴力による脅迫があったからだ」としている.これは黒人へのリンチ(エスニックライオット)のことを言っている.
ここでピンカーはホロヴィッツによる世界中のエスニックライオットのリサーチの結果を紹介している.
- プランなし,明確なイデオロギーなし,リーダーによる統帥もなし
- 集まってターゲットを襲う.理由は先制攻撃と復讐(多くはデマによるもの)
- 憎悪にとらわれている.財産は燃やす,残虐に苦しめ,レイプし,殺す.ターゲットは無差別に選ぶ.銃ではなく刃物を選びがち,興奮し,悔悟がない
- テロより多くの人命が犠牲になっている.平均10人,しかし何十万という場合も(インドとパキスタン)
- 恐怖で逃げ出させることによって,その地域の民族浄化が可能
- 波及コストは大きい.無法状態,民主制の基礎の掘り崩し,クーデターや戦争のきっかけになることもある
そしてこれはもちろん20世紀の発明品ではない.
- 19世紀ロシアのユダヤ人リンチがpogromという単語の始まり,
- 英国でもカトリックへのリンチが17,18世紀に
- アメリカでも17世紀は,他の移民グループ宗教グループへのリンチが多い.しかしアメリカにおける最大のターゲットは黒人であり,最大のリンチはニューヨークで生じている.
ではこのようなリンチの歴史的傾向はどうなっているのか.ピンカーはこれも減少傾向を示していると指摘する.
- 実際のリンチはヨーロッパでは19世紀中頃から,アメリカでは19世紀末から減少している.公民権運動の頃はかなり少なくなっていた
- 1950年代には実際にリンチで殺されることは,全体の殺人に比べてノイズレベルに(5人vs17000人)傷害・脅迫も全体の0.5%
つまりリンチは西洋では20世紀後半にほぼ死滅したのだ.アメリカにおける黒人リンチの最終局面と公民権運動の関係については以下の流れになる
- 1950年代の黒人への暴力はリンチというよりテロ的になっていた.
- 恐怖により政治目的を達しようというもので,この場合の政治目的は分離政策の廃止反対(大勢で白人の学校だったところに通学しようとする黒人の少女を取り囲むなど)
- しかし市民に手出ししたことで他のテロと同じように支持を失って行く.また片方で公民権運動への警察の取り締まりが暴力的だったことから,それらは支持をあげて行った.
- 1965年以降公民権運動への反対は死に絶えた.
- そして他の民族グループへのリンチもなくなり,他の国でもリンチは減少していった.
では何故なのだろうか?
(1)統治
ホロヴィッツもリンチへの処罰がなされるようになったことを理由として挙げている.リンチ実行者も自分のリスクを考える.そしてリンチに同情的な地元警察からナショナルな組織による摘発が有効だったのだ.
(2)人々の意識の変化
まず全体的な暴力忌避傾向がある.また分離主義の廃止政策が,黒人を非人間としてみる傾向を減らした効果もあるだろう.そして人々の差別意識が大きく変化している.
ピンカーはこの「差別意識の変化」について様々な現象を紹介している.
- アンケート調査における変化
- 映画,アニメ,ミュージカルの扱い,黒人の顔のイラストの扱い,
- 商品名,スポーツチーム名などで人種差別を想起させるような言葉や表現はタブーとなった.*1
ピンカーはこの「人種差別は許されない」という意識が政策に強く反映された結果,「完全に自由にすると実質的な人種差別されるだろう」という配慮からアファーマティブアクション,ダイバーシティという名前で,逆差別政策*2が取られることになったと指摘している.それは明らかに行きすぎのような事例も多くあるが,正当化されるとするなら「過去なかったほどの人種間の友好のための対価」ということだろうとコメントしている.
さらにピンカーは「ブランクスレート」において論じた社会科学の歪曲自体が人種差別への恐れから出てきていること指摘し,「このアイロニーは,『政治的なヒトの本性の否定』が別のダークな『ヒトの本性理論』の受け入れにつながったことだ.それは『ヒトは本性として,差別したがるので,全ての文化的リソースを使って防ぐ努力をしなければならない』というものだ」とコメントしている.
なおピンカーはここでは差別意識の変化自体の要因を特に論じてはいない.これは本章の最後でまとめて論じられることになる.
日本においても差別問題はいろいろあるわけだが,リンチは比較的少ないような印象だ.これは異民族,異人種差別において特に出やすいということなのだろうか.
*1:とはいえなおクリーブランド・インディアンズもワシントン・レッドスキンズも残っている.黒人差別に比べて少し事情が異なるということなのだろうか?
*2:アメリカの大学では入学時のアファーマティブアクションだけでなく,センシビリティワークショップへの強制参加,スピーチコードが課されているそうだ.