「江戸の市場経済」


これは青木やグライフの比較歴史制度分析に触発されて,江戸時代の株仲間制度をそのフレームで分析すると何がわかるかを解説した本だ.随分前の本だがこの夏に電子化されたので読んでみたもの.

第1章は歴史制度分析の紹介に当てられている.コンパクトな学説史的なまとめでわかりやすい.

  • 1960年頃から主流になってきた計量経済史は反事実的想定を行いつつミクロ経済学的手法と定量データを用いて経済史を分析するものだ.このため分析は均衡分析のフレームになり,そもそも市場経済の成立については枠組みの外側になってしまう.要するにある地域のある時点で市場経済がどの程度まで発達していたかのデータは測定可能だが,その理由を説明することはできなかった.
  • 片方で日本ではマルクス経済学がしぶとく研究されてきており,マルクス経済学者たちは市場経済の発展に強い関心を抱いている.しかし彼等は余剰と所得分配に拘泥しすぎており,市場の形成についてのその分析には限界があった.
  • 1970年代にノースとトーマスはこれらの経済史研究に対して根本的な批判を行った.これまで「西欧世界の勃興,経済成長」の理由として挙げられてきた「技術革新,規模の経済性,教育,資本の蓄積」は成長そのものであり要因ではないと切り捨て,「効率的な経済組織,制度」(取引費用の削減,契約の強制,所有権の保護)こそが重要だと説いた.しかしノースたち自身は結局その制度が可能になった要因として人口増加しか挙げられなかった.これでは問題が解決されていないし,多くの人口爆発を生じさせている発展途上国が低い経済成長に苦しんでいることも説明できない.またノースたちは「国家による強制」を特に重視したが,それがないところにも活発な市場取引が生じた歴史的事例も知られている.

ここで登場したのが青木やグライフによる比較歴史制度分析になる.これらはゲーム理論の枠組みを用いて制度の成立を説明しようというもので,グライフによる中世マグリブ商人*1の分析は有名だ.著者はこれを近世江戸時代の市場取引にも応用した.それが本書の主題となる.


第2章は分析の前段階のデータ把握について.1970年代以降江戸時代についても数量経済史的研究が進み様々な数量的なデータがとれるようになっていることが詳しく説明されている.
江戸時代にもいろいろな波があるが,基本的には市場経済の成長が見られ,17世紀から18世紀初めにある程度の高成長,その後停滞,18世紀末から19世紀半ばにかけての緩やかな成長が観察される.これらは産業革命以前の英国の成長と比べてもあまり遜色のないものだ.また財の流れについても様々なことがわかってきており,丁寧に説明されている.18世紀後半を境に江戸地回り経済圏が拡大しているのがわかる.また江戸時代を通じて非農業化が進展している.また各市場の価格裁定データも得られており市場の効率性を測定することも可能になっている.


第3章では徳川幕府の下での契約強制の制度がどのようになっていたのかが扱われる.
本書ではまずそれ以外の経済制度が整理されている(基本的には幕府法の世界が解説される,各大名領も原則幕府の制度に習っているということだ).土地制度としては,基本的に永代売買の禁止などの一定の制限の下で土地の処分と収益獲得の権利が認められていた.また収益への貢租制度には畝引検見法(ある年の取れ高を一定サンプル調査で推定して税を決めるもの)と定免法(過去平均から「石高」として標準収穫量を決めて課税額を固定するもの)があり,後者は農民に増収のインセンティブを与えるものと評価できる.定免法ゲーム理論的には「増収の際にも増税を行わない」という政府のコミットメント問題となって面白そうだが本書ではこれ以上扱わないとされていてちょっと残念だ.このほか商工農分離,度量衡の統一などが説明される.
そして本題の契約強制の問題に入る.江戸時代には司法と行政が一体となった寺社奉行勘定奉行町奉行が裁判機関としての役割を持った.3奉行間での管轄は(江戸を除く)寺社・寺社領の事件,幕府財政・幕府直轄領の事件,江戸全域の事件と分かれ,さらに現在でいう民事刑事の区別は「出入筋」「吟味筋」として手続きが分離されていた.民事手続きである「出入筋」においては,有利子無担保金銭債権の取り立て,組織内での利益分配,それ以外を「金公事」「仲間事」「本公事」と手続きが区分された.面白いのはこの3類型で訴権の強さに差があることだ.「仲間事」は本来仲間間で話し合って決めるべきことから訴権が最も弱く,基本的に訴訟として受理されず,代官立ち会いの下の和解が求められた.「金公事」は,本来相対契約であり当事者間で解決すべきものであり,また利息付きで無担保の借金は不道徳的と考えられていたこと(さらに奉行所の処理能力の問題)から,出訴最低額に制限があり,またしばしば相対済令(中世の徳政令や近世初期の棄捐令と異なり,債権自体を消滅させるものではなく,訴訟として受理しないというもの)により訴訟対象から外された.
普通想像されているよりはるかに精緻な体系であったことに驚かされるが,本書の主題からすると,「金銭債権がしばしば保護されなかった」ということは重要である.このような契約強制のない世界でどのようにして市場経済が発展できたのだろうか.


本書では第4章以降この謎について株仲間制度が契約強制の機能を果たしたという仮説を検討していく.


第4章では株仲間制度の歴史を見る.
株仲間は近世になって初めて現れたもので,公権力から何らかのビジネスの特権(株と呼ぶ)を認められたものの作った組織(株の売買についての取り決めなどが基本)である.現代的にいえば,公認されたカルテルの取り決めにあたるものだろう.
本書では,株仲間は中世の座に似ているが,座は現地政権ではない荘園領主と結びついていたことが異なると説明している.織豊政権,初期徳川政権は当初楽市楽座政策を採り,同業者間カルテルである座を否定したが,18世紀以降,まず享保の改革で物価上昇抑制などの経済統制の手段のために,そして田沼時代に運上金・冥加金などの課税強化と商品流通機構の整備のために,株仲間を積極的公認する方向に転じた.その後天保の改革において,物価上昇の主因と決めつけて株仲間禁止政策に転じ,その失敗を受けて10年後に復活させている.そしてこれが素晴らしい歴史制度比較の材料を与えてくれることになった.


第5章ではこの10年間の株仲間禁止時代に何が生じたかを検証する.
ここは細かく説明されていて迫力がある.混乱し,物流が乱れただけでなく,新規参入した業者が品質や量をごまかすことが横行して商取引が滞り,経済自体が縮小し(成長率はマイナスになっている),市場が機能しなくなっている(市場間の裁定が崩れ,価格変動が大きくなっている)様子がうまく捉えられている.まさに株仲間禁止によってエージェンシー問題が解決できなくなっていることが強く推察できるのだ.


第6章ではこの本題に切り込んでいく.
まずグライフのリサーチのさわりの部分が紹介される.地中海マグリブ商人の間では,エージェンシー問題解決のために,一旦裏切りを行った代理人は仲間内では決して雇用しないというルール(本書では多角的懲罰と呼んでいる)が存在し,それはゲームのナッシュ均衡として説明できるというものだ.
では江戸時代の株仲間にも同じ問題が存在し,同じ解決になっているだろうか.江戸では商品別の仕入れ問屋,大阪では仕入れ先別の国問屋があり(後に大阪でも商品別になる),彼等は仕入れ先の問屋,仲買などと信用取引を行っていた.だからエージェンシー問題の構造はある.
そして調べてみると,「仲間内の問屋が荷主と値段を決めて購入した荷物が届けられなかった場合などには,その荷主とは仲間全員が取引を停止する」「売り渡した荷物について,毎度目立って苦情を申し立て,あるいは代金の支払いを勝手な方法に変更する仲買人には,株仲間で申し合わせて取引を停止する」などの申し合わせが様々なところに見つかる.
また問屋が資材を提供して職人などに生産を行わせる問屋制生産においても同様のエージェンシー問題が生じるが,これにも織屋仲間に同様の申し合わせが見つかる.手代や丁稚の不正に基づく解雇についても同様の申し合わせがある.要するに株仲間は多方面にわたって多角的懲罰戦略を採用していたのだ.本書は「株仲間の多角的懲罰戦略は公権力による契約強制がないところで商品取引,生産,雇用の制度的基礎として機能した」と評価し,その結論としている.


というわけで,本書は江戸時代の株仲間に多角的懲罰戦略が見られ,それが市場経済の発達に一定の機能を果たしたことを説明するものだ.なかなか具体的で読んでいて大変面白い本になっている.ただし残念ながら,より深くゲーム構造を分析して,各プレーヤーのペイオフがそれに一致しているかどうかまでの検証はない.グライフにおいては例えば「個人的に本当は信用している代理人がいても仲間内で雇わないとされた代理人との取引を停止する方がよい,つまりそれがナッシュ均衡になる条件を満たしている」ことまで説明しているので,そこはやや物足りないところだ.まあ選書としての性格,ページ数の制限から考えるとないものねだりということかもしれない.本書執筆以降かなり経過しているのでその後の日本近世経済史の歴史制度分析の進展がどうなっているのかについても興味が持たれるところだ.


関連書籍

グライフの大著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100419

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)



 

*1:本書ではマグリビ商人と表記されている.単数形のマグリブ商人とする方がよいのではという私の好みに従ってここではマグリブと表記する