「The Evolution of Everything」

The Evolution of Everything: How New Ideas Emerge

The Evolution of Everything: How New Ideas Emerge


本書は進化生物学に造詣の深いサイエンスライター,マット・リドレーによるさまざまな自発的現象を扱った本である.リドレーは進化生物学や行動生態学のエレガントな理論の紹介からキャリアをスタートさせ,最近ではスコープを広げて歴史を概観するような本を書くようになっている.本書のテーマもその一環ということになるだろう.ヒトは複雑な現象を感知するとその中に意図とデザインをみてしまう.しかしその大部分はデザインなしで生じるということを多様な例を挙げて説明しているものだ.

プロローグ

リドレーはデザインなしに生じる複雑な創発的な現象を表すのに「進化:evolution」という用語を用いると宣言している.それは英語のevolveのもともとの意味「(巻物などが)広がる」から派生する「自発的に展開する」という意味で用い,自然淘汰による適応的な進化はその特別の例になるという趣旨だ.デザインなしの現象を包括的かつ印象的に表すための用語法ということなのだろうが,「何らかの自己複製を行うものが複製効率の差違により集団内で頻度を増していく」という自然淘汰的な現象こそ「進化」と呼ぶにふさわしいと考える読者には自然淘汰によるものとそうでないものはきちんと区別してほしいと所々引っかかるだろう*1.そこは用語のお約束ということで本書を読むに当たって飲み込んでおくべきだということになる.(なお本書評ではこのような広義の意味を用いるときにカギ括弧付きで「進化」と表記することにしたい.)
そして「進化」をそういう意味で用いると,「ヒトの文化的産物のほとんどは,誰かの意図やデザインによりできたものではなく,自発的展開として「進化」してきたものだとして理解できる」というのが本書のテーマになる.そしてそれは人々の深い誤解の説明につながる.リドレーは歴史の教え方自体がすべての現象の背後にデザインとデザイナー(そして原因とそれを作る意図)をみてしまうヒトの認知的な傾向に大きく影響を受けてしまっているとコメントしている.

第1章 宇宙の進化

この章題では宇宙の自発的展開自体がテーマかと思ってしまうが,ここで解説されるのはデザイナーの前提にかかる哲学の歴史になる.
最初にデネットの用語「スカイフック」が解説され,西洋哲学はスカイフックにあふれているとこき下ろす.プラトンは社会はデザインされた宇宙の秩序に従うべきだと論じ,アリストテレスは魂を前提にした.ホーマーも,パウロも,ムハンマドも,ルターも,カントも,ニーチェも,マルクスも何らかの秩序や神やデザイナーを所与とし,物事をトップダウンで説明しようとしているのだ.
しかしリドレーはこれらとは異なる思想もあったという.それは古代ギリシアエピクロスデモクリトスたちで,世界を唯物的に還元的に理解しようとした.そしてそれを現代に伝えてくれるのは古代ローマルクレティウスになる.彼の「物事の本質について」は真の実証主義哲学を伝えているのだ.
ルクレティウスは当然ながら無神論的ですべての迷信を否定したためにキリスト教から排斥され,テキストは破却されたが,15世紀に再発見される.そしてそれはルネサンス,科学革命,啓蒙思想に大いに影響を与えた.最初の大きな動きはニュートンに帰されている.これらは少しずつ迷信を打破していったが,常にスカイフック派はそれを超えたところは神の領域だとして抵抗する.還元的な思考からスカイフック方向への転回をリドレーは「スワーヴ」と呼ぶ.まず神の存在を数学的に証明しようとしてライプニッツが最初の例として挙げられ*2,その後様々なスワーヴが次々に紹介されている.ここは独自の視点から見た西洋思想史として興味深いところだ.例えばラプラス決定論に対してスワーヴ派が量子論とカオス理論をお気に入りとして持ち出すあたりの説明は面白い.いずれにせよ世界の事象はルクレティウス的に理解できるという考えは広がっていったのだ.

第2章 道徳の進化

ここもヒトの道徳性の進化ではなく,道徳をどう捉えるかという思想史が扱われている.
もし道徳が神に由来しないとすればそれはどう説明されるべきなのか.まずヒュームが合理的な計算から説明するという方向の先便をつけ,そしてアダム・スミスは人々が社会の中で行動する中から自発的に道徳が生まれてきたのだと議論した.スミスは,人間は他人の幸福を快く感じるという事実を元に考えを進め,子供が試行錯誤を通じてどのような行動が相互同情を通じて幸福に結びつくかを理解していくことにより(つまり「見えざる手」により)最後は共通の道徳にたどりつくと論じた.
そしてこのような「社会という環境の中で個人個人が最善を果たそうとして行動する結果,全体としての行動規範が形成される」という洞察こそが数十年単位で実際に社会のモラルコードが変わっていく現象を説明するものになる.リドレーはここでピンカーの「暴力の人類史」の議論を引き合いに出し,具体的に道徳が時代とともによりやさしいコードに変わっていくことについて政府と商業の2つの観点を提示する.特に商業の興隆の役割については,世間にある「資本主義の暴力性」という認識がいかに誤っているかについて力説している*3
さらにリドレーはここで法律についても自発的な展開を強調し,英米法のコモンローは各裁判所の試行錯誤的な判断を通じて形成されたものであることが解説されている*4.もちろん制定法もあるが,法律であっても自発的な展開として「進化」しうるものだというのがリドレーの主張だ.

第3章 生命の進化

ここも生物進化そのものというよりそれをどう考えるかの学説史,思想史がテーマだ.リドレーはまずダーウィンの進化理論そのものこそが,アダム・スミス,マルサス,ハリエット・マルティノーなどの先人のアイデアを受けていわば自発的に「進化」してきたものだとコメントしている.
そしてダーウィンは進化を主張する際に,まさにデザインからの議論に直面した.ペイリーのような「生物はデザインされているように見える.だからそこにはデザイナーがいるはずだ.(つまり神が生物をデザインしたに違いない)」という議論に「ではデザイナーをデザインしたのは誰か」という形で(ダーウィン以前に)最初に立ち向かったのはヒュームだったが,彼は代替メカニズムを想像できずにスワーヴしてしまった.
ダーウィンは神によるデザインのようなスカイフックに頼らずに自然淘汰で進化が説明できることを示した.リドレーはデネット,コスミデス,ドーキンスたちによる美しい説明を紹介しながら議論のポイントを描写している.
ここからリドレーはこの議論に納得できない様々なスワーヴの例を挙げていく.

  • 累積的変化が理解できずに,ランダムに生物が組み上がることは確率的にあり得ないとがんばる人達.
  • 創造論者の様々な試み
  • グールドのスワーヴ:グールドの適応主義への批判があれほど科学界の外側で受けたのは,スカイフックを求める動機から説明できる.
  • ウォレスのスワーヴ:ウォレスは,ヒトの知性,意識,生命の誕生は自然淘汰では説明できないと考えた.これは典型的なスワーヴだ.
  • ラマルク的アイデアの根強い人気:カンメラーによるサンバガエルを用いた主張,そして最近のエピジェネティックスや文化と遺伝子の共進化についてその含意を誇大に拡張し熱狂的に主張する一部の論者の態度もスワーヴとして理解できる.

リドレーのあげる次から次への例を眺めると,多くの人々の心の奥底には「全く自発的で目的のない進化を認めたくない」という動機があることが実感される.

第4章 遺伝子の進化

章題は遺伝子の進化となっているが,ここでリドレーは生物進化そのものをいくつかのテーマに沿って扱っている.

  • 生命の起源:人々は神秘的な説明にしばしば魅惑されるが,それは自発的な現象として理解できるということが解説されている.RNAワールドはかなり有望なシナリオで,そこに至る道(二酸化炭素からメタンへの変換によるエネルギー獲得経路)も光が見えつつある.
  • 真核生物の起源:原核生物の共生からという有名な説明がなされ,これにより遺伝子あたりのエネルギーゲインが何千倍にもなったことは産業革命とよく似ている(石炭による圧倒的なエネルギー利用)と解説されている.ちょっと面白い視点だ.
  • ゲノム:ゲノムが生物個体を機能させるプログラムだとすればプログラマーが必要ではないか,どこかにマスター遺伝子があるのではないかという問題が解説されている.そしてプログラム自体が自然淘汰によって自発的に成立したことの何よりの証拠はジャンクDNAドーキンスによるデジタルな寄生体としてのジャンクDNAの説明)だと指摘されている.ここではこのエレガントな説明に対する感情的な反発,そしてスワーヴ例も多く取り上げられていて楽しい.
  • 突然変異のランダム性:突然変異に方向性があるというスワーヴ例(ガブリエル・ドーバーによる分子ドライブなど)も取り上げられている.
  • 赤の女王的な共進化:感染症,免疫,ガンの理解においてこの概念がいかに重要であるかという進化医学的な解説がなされている.

この章は自然淘汰説に対する馬鹿げた批判はおおむねスワーヴとして理解できるという部分が痛快だ.進化生物学にかかるサイエンスライターをしてキャリアを始めたリドレーによる偽らざる実感ということだろう.

第5章 文化進化

冒頭では中央からの指令やデザインなしの「自発的展開」の例(生物個体の発生,鳥の巣,樹木,国家の経済,シロアリのマウンドなど)がいくつか挙げられていて,読者の頭を前章の自然淘汰による進化から広義の「進化」へ切り換えさせる工夫がある.またリチャーソンとボイドの文化進化的な取り組み(これ自体は淘汰メカニズムを強調した狭義の進化的な取り組みだが)に少し触れ,その後にリドレーによる様々な広義の文化「進化」事例が解説される.

  • 言語:ここでは言語能力の進化ではなく,言語自体の変化が主眼になっている.リドレーは語彙や語法の変化がボトムアップから生じていることを説得的に論じている.言語の多様性の地域分布が種の多様性に似ている(熱帯では狭い地域が多くの言語が話されているのに対し寒帯では多様性が少ない)という指摘は面白い.
  • 20万年前のヒトの文化における革命的変化:考古遺物の変遷を見ると,30万年前ぐらいから少しずつ累積的な変化が始まっている.リドレーはその後交換と分業の始まりにより急速に変化が積み上がったのではないか.そして認知能力の進化はその文化進化の結果かも知れないと論じている.
  • 結婚:ここでも配偶関係にかかるヒトの心理の進化ではなく,文化的な結婚制度の変遷が取り上げられている.狩猟採集社会の基本単婚制から,農業の始まりとともに一夫多妻型結婚が現れた.リドレーは,これは何らかの為政者の意図的な制度変更ではなく,家畜を持つことにより貧富の差が生まれ自然発生的に生じたものだと説明する.この後西洋では一夫多妻制と単婚制の間で揺れる.リドレーはこれは裕福な男性の力と貧しい男性の怒りの結集*5のバランスの上で動いていたとまとめている.
  • 都市:都市も為政者の設計というよりも自然発生的な力学で生まれ大きくなるとリドレーは主張し,青銅器時代の集住地から商業センターとしての都市の変遷を追っている.基本的に都市はスケーリング則に従い,どの都市も同じような発展経緯をたどる.そして経済成長と技術革新は都市の規模とともに加速されるのだ.ここにはリドレーの前著「繁栄」における都市の擁護の主張も反映されている.
  • 制度:ここでは英国の制度史が扱われている.英国の制度は国王や貴族院に見られるように驚くべき保守性を示している.リドレーは英国の制度は文化的シーラカンスだとコメントしている.ここはいかにも英国人らしくて面白い.

第6章 経済の進化

冒頭では実質的な価値ベースでみて現在の平均所得は1800年のそれに比べて10倍から20倍になっていることが紹介される.そして世界規模で見ると途上国の経済成長率が平均して高いために格差は縮小し続けている.何故このような「偉大な富裕化」が生じたのだろうか.
正確な原因はなお議論中だが,これがプランされたものでないことは確かだ.リドレーはこれは(様々な不適切な)政策にもかかわらず自然淘汰に似た淘汰的なメカニズムによって生じたと説明し,アセモグルとロビンソンの英米のような包括的な制度の下で多くの人々が経済的な機会を利用することで生じたという議論を紹介している.
リドレーは重農主義重商主義の誤謬を指摘し,アダム・スミスの国富論の議論を引きながら解説する.経済成長のポイントは,分業による生産性の向上,自発的な交換による双方の利益,さらにそれをインセンティブとするイノヴェーションの活性化にある.そして市場が自由であるほど搾取の機会は減るのだ.リドレーは利己的な個人主義への非難は間違いだと強調している.市場こそ大規模な協力のためのシステムなのだ.
リドレーの強調点は,市場経済の方が計画経済よりずっといいということだ.(そしてリバタリアン的主張に対して,もちろん政府の役割はあるとも強調している.市場の失敗の例として顕示的消費が挙げられているのが面白いところだ)では何故市場経済の方がうまくいくのか.リドレーは計画経済は知識問題を解決できないからだ*6とし,アダム・スミスの「見えざる手」を「進化」的アイデアだとして解説している.ここからは経済学史に沿って,リカルドの「比較優位」,成長の限界議論の誤謬とシュムペーターの「創造的破壊」と市場のダイナミズム(生態学の「生態系のダイナミズム」との類似が取り上げられていて面白い)なども取り上げられている.
リドレーは小さな政府,民営化,自由市場の成功についての様々な歴史的な例を取り上げている.都合のいい例を集めている雰囲気もあるが,ここは読んでいて面白い.

  • スウェーデンの経済史:スウェーデンが経済成長を始めるのは大きな政府社会保障を厚くした時ではない.それは1860年代にアダム・スミス的な自由市場を導入したときに始まる.そしてヴォルヴォやエリクソンを輩出した.しかし1970年代に大きな政府になると経済は停滞し1992年の経済危機を迎える.教育と医療の民営化と減税を行った2000年以降に成長軌道を回復するのだ.
  • 英国友愛組合とヘルスケア:友愛組合は19世紀後半から英国で数多く組織された.多くの組合は小規模なものだが競争は厳しく組織は貧しい労働者のために効率的に運営されていた.しかし大規模な保険会社のカルテルと医者の組合が政府を動かしてヘルスケアは国営化され,友愛組合は解散に追い込まれ制度は非効率化した.(この部分の現在の英国の医療制度に対するリドレーの愚痴はいかにも辛辣で実感がこもっていて面白い.)

第7章 技術の進化

リドレーは「エジソンがいなかったら電球は発明されなかっただろうか」という問いかけから本章を始めている.リドレーのポイントは,技術の進展も自発的な「進化」現象であるということだ.機が熟していればエジソン以外の誰かがやはり同様なものを発明していたはずなのだ.そして実際の技術史を見ると多くの重要な発明(そして科学的発見)はほぼ同時期に複数の人々が独立になしている(そして特許や先取権をめぐる激しい論争になる)のだ.この具体例もいろいろ紹介されていて楽しい*7
リドレーは関連する事象として,収斂進化,技術進展の累積性とそれが容赦なく進むものであること,経路依存性を挙げている.技術進展の様相についてはムーアの法則,クライダーの法則*8,クーパーの法則*9などを挙げながら詳しく解説されている.これらは技術進展が自発的な現象であることを考えるとよく理解できる.経路依存性はまさに「進化」的現象であるなら当然ということになる.
リドレーはこのように技術進展を捉えた上で,特許制度,技術のための科学振興政策などのトップダウン的な視点からの政策に疑問を呈している.ちょっと面白い議論だ.

第8章 心の進化

ここでは自由意思についての問題が扱われている.
まずデカルト心身二元論と物理法則に従わない心,そして対するスピノザの心身平行論と自由意思の幻想論を簡単に紹介する.そしてガザニカによる意識の後付け説明の議論やリベットによる意識が感じるより先に運動が始まっているという実験結果にふれた後,心に関する唯物論を「驚くべき仮説」であるが,それが不可避であることを説明する.
では自由意思はどうなるのか.ガザニカたちはそれは力強く有益な幻想であると断言する.リドレーは,因果は物質的なレベルで完結しており「自由意思があるという信念」があるだけだという議論についてサム・ハリス,アンソニー・カシュモアたちの同様の議論も紹介している.
しかしこの議論は多くの人々を動揺させる.結局巷によくある心身二元論的な自由意思の擁護は,それが行為とその結果に対する責任に結びついていて,その否定が社会を混乱させると考えているからだとリドレーは指摘する.実際に同性愛についての非難はそれに生得的傾向があるという認識とともに薄れる*10
そしてリドレーはここで脳のボトムアップ創発的な現象として自由意思を捉えるというデネットが「Freedom Evolves」(邦題;自由は進化する)で取り上げている両立主義の議論(compatibilism:唯物的な決定論と自由意思が両立可能であるとする議論)を好意的に紹介している*11.この章はデネットの議論を紹介するための章といってもいいだろう.

第9章 パーソナリティの進化

冒頭はジュディス・リッチ・ハリスが「両親が子供のパーソナリティを作る」という神話を打破していった逸話が取り上げられている.この神話は20世紀の環境決定主義「ブランクスレートドグマ」の1つだった.もともとナチズムの連想による遺伝的決定論への忌避から始まった流れは極端に振れすぎていたのだ.多くの非難にも負けずに行動遺伝学者はリサーチを継続し,パーソナリティに与える遺伝と環境の割合はほぼ半々であることを見いだす.さらにその環境要因の中で家庭要因や両親の影響は極めて小さいことも明らかになる.
リドレーはこれにかかる論争を紹介した後,結局パーソナリティは両親が与えるものではなく,それは内側から展開する,つまり「進化する」のだとまとめている.
ここからリドレーはいくつかのパーソナリティについて行動遺伝学の知見が持つ意味を自由に議論している.

  • 知性:知性の遺伝の影響を受けることは,激しい論争もあったが,徐々に認められるようになった.しかしそれは(リベラルが恐れたような)運命論に人々を駆り立てはしなかった.むしろハンディキャップを持つ子どもをどう助けるか,どう巷の遺伝的に素質を持つ子供を見いだして教育の機会を与えるか(つまり社会的な流動性を持たせよう)という方向に向かっている.極端な環境決定論はむしろ社会的な流動性を阻害するように働くだろう.
  • セクシャリティ:同性愛傾向については人々がかつて考えていたよりはるかに遺伝的な要因が大きいことが明らかになった.それは全般的な性役割的な行動傾向についても同じだ.フェミニストたちは行動傾向の性差は両親などが与える環境因によるとがんばったが,結局因果を取り違えていただけだった.(またここでリドレーは進化心理学の殺人傾向の性差研究やパートナーの魅力にかかる性差研究などの成果も紹介している.)

リドレーは最後にこうまとめている.「社会的,文化的,両親の影響的な決定主義が凋落し,そしてそれがよりバランスのとれたヒトのパーソナリティについての進化的な理論に代替されたことは,誤謬に基づく抑圧的な文化決定主義からの偉大な解放なのだ」

第10章 教育の進化

リドレーによると,現在のような「一人の先生が何十人もの生徒と対面する教室で,時間割を決めて講義形式で1科目ずつ教える」という形式の公立の学校教育のやり方は結構新しく,ナポレオンに苦杯をなめさせられたプロイセンによって従順な兵士を養成すべく19世紀初めに創出されたものだそうだ.そしてそれはアメリカ公教育にも19世紀半ばに導入されて広まった.リドレーは,それは1つには従順な労働者になるためにふさわしいと考えられたのだろうし.片方でカトリックの移民が増えていてその影響が懸念されていたという時代背景もあったのだろうとコメントしている.そしてほぼ同時期にこれは英国にも公教育システムとして導入される.
そしてリドレーは,公的なシステムは硬直的かつ非効率になりやすく,(もはや従順な兵士や労働者のみを求めてはいない)現代に適合した柔軟な教育改革を阻害していると指摘する.そして世界中の(特に貧しい地域での)様々なローコストの私立学校における教育システムの「進化」的な変革を紹介する.それはテクノロジーの利用によるベストな教師によるオンラインインタラクティブ教育だったり,オンライン教材を利用した生徒同士の教え合いの試みだったり,引退した大人たちによるオンラインガイダンスだったりする.
またリドレーは最近の公教育プログラムがマルチ文化主義やグローバルエコを強調しすぎることも問題視している.それは確かに善意から来ているが,公権力による洗脳的な政策であることも確かなのだ.そして経済成長と公教育を結びつけようとしてその内容に介入しようという動きにも疑問を呈している.
要するにリドレーの主張は,教育も「進化」的プロセスであり,公教育のみを保護して上からのデザインを押しつけるべきではないということだ.ここはリドレーによる「小さな政府」的な政策論を「進化」的な視点から行った章ということになるだろう.

第11章 人口の進化

ここはマルサスの議論と人口抑制政策がテーマになる.
リドレーによると,マルサス的な人口論(世界の人口をなるがままに放置すると人口は爆発的に増えて,世界を貧困と破滅に追い込むだろう)は,ナチズム,優生学,現代の人口抑制政策を生みだし,それは世界最大の不幸の原因のひとつになっているということになる.
リドレーはそのような思想(人口減少は世界のためにはよいことだ)が招いた悲劇をいくつも紹介している.アイルランドのジャガイモ飢饉は放置されたし,英国のインド総督も飢饉に対し無策の姿勢をとった.大戦前に優生学は大きな政治的影響力を持ち,強制的な断種を含む多くの介入的な政策が実施された.またそれはヘッケルの一元論を生み,ヒトラー民族浄化政策に影響を与えた.大戦後世界がナチの所業に震撼した後も,産児制限などの人口抑制政策への肩入れは残った.アメリカは途上国への食糧援助の条件として産児制限政策の実行を要求した.
しかしそれは壮大な誤謬だったのだ.結局人口増加率を抑えるためには,赤ん坊の死亡率を下げ.子供を健康に育てられるようにし,教育を与えるのが最も有効なのだ.そうすれば人々は子供の数を減らしてより小さな家族構成を選択するようになる.要するに人口動態も創発的な「進化」現象だということだ.人口問題の解決策は,経済的繁栄,そして人々に希望を与えることなのだ.
リドレーはこの章をここで終わらさずに,ローマクラブの「成長の限界」の誤謬とそれがなお一部で人気のある議論になっていること(そしてそれはおそらくエリートの変化ぎらいによるもの),中国の一人っ子政策にさえなお賛同者がいることを嘆いている.

第12章 リーダーシップの進化

本章では国家や企業の成功はどこまでリーダーによるのかがテーマになる.これは歴史学では歴史必然主義と「偉大な男」理論の興亡として現れる.そしてもちろんリドレーは歴史を創発現象として捉える.
リドレーは中国の興隆と訒小平の役割を吟味し,それは市場の開放がうまくいくミクロ的な例が中国に現れていた以上,訒小平がいなくても遅かれ早かれそうなったであろうとし,またアメリカの独立戦争で英国軍兵士の間のマラリア蔓延が独立軍を分岐点になる勝利を導いた例について,まさにこれはボトムアップ的な歴史の進み方であるとコメントしている.このあたりはやや牽強付会的な部分でもあるように思われる.歴史においては,その他のボトムアップ的な状況と合わさってリーダーのパーソナリティが大きく影響する局面もあるだろう.
ではカリスマ的なCEOの役割はどうか.リドレーは,一部の例外を除いてCEOは従業員が分業により生みだす波に乗っているのであって,CEOが会社をリードしているというのはマスメディアによる幻想だと主張する.そしてモーニングスターやザッポのような水平的マネジメントが成功している例を紹介している.
そして最後に経済成長について議論を進める.リドレーは,経済成長はボトムアップの,そして経済停滞はトップダウンの物語だとコメントしている.そして途上国への経済援助について,それは人道的にはよいことだが,貧困からの脱却にはほとんど役に立たないし,実際には援助が独裁権力のために使われることになりがちだとする*12.そして香港の経済成長の歴史を振り返りながら「計画経済はは市場経済に比べてうまくいかない」という第6章の議論を繰り返している.

第13章 政府の進化

冒頭はアメリカの西部の物語だ.リドレーは「19世紀のワイルドウエストは殺人の横行する無法地帯だ」というのは(映画などで作られた)虚像だと指摘するところから始めている.開拓者たちは自発的に追放などの罰を含む協定を定め,私的な保安官を置いた.それは開拓者コミュニティ同士の競争を通じて改良改革されていった.同様なことが囚人社会やマフィアなどのギャング団の間で生じることは繰り返し観察されているし,古代ローマ帝政の完成もチューダー王朝の成立も,あるいはタリバンやイスラミックステート(IS)も同じだとする.リドレーの西部の物語はやや理想化されている気もするが,要するに「政府というのは市民の協定(あるいはマフィアの掟)を基礎に持ち,強制的暴力の独占によって生じるのだ」というのがここのポイントだ.

ここからは政治思想史になる.政治思想史的にはホッブスリバイアサンの議論以降,規制と保護主義そして警察国家を支持するのが(保守派という意味で)右派で,政治的自由と自由交換経済を支持するのは(前衛的改革派という意味で)左派だった.英国で奴隷解放を主張したのは個人の自由と小さな政府を支持する自由貿易主義者たちだ.ロック,ジェファーソン,コブデンたちは自由貿易体制を推し進めた.
しかし1870年以降のビスマルクのドイツは自国産業の保護のための高関税政策を推進し,歴史の流れを逆向きにした.英国は当初あらがったが,結局第一次大戦保護主義に転じた.同時に政治的左派は(自らが改革を行う権力をもてるならと)マルクスに見られるように大きな政府主義者(そして計画経済主義者)に転向し,右派は小さな政府と自由主義と結びついた.「リベラル」はその意味を変えた.左派はコマンドとコントロールを信じたのだ.共産主義だけでなく,ニューディールファシズム*13もこの流れの中にある.
第二次世界大戦はコマンドとコントロールシステムの絶頂点だった.アメリカや英国ですら経済統制は大規模だった.戦後ヒトラースターリンから逃げ延びた人々はそのようなシステムを批判し始め,自由主義は息を吹き返す.しかし英国では流れは変わらずに国営化政策が進められ経済は停滞した.西ドイツの奇跡は1948年に占領政府の経済委員会の委員長が独断で配給と価格統制を廃止したことに始まる.
要するにリドレーはこれらの流れも大局的には様々なボトムアップが積み重なって発現した創発現象であり「進化」だといいたいのだろう.やや強引という気もするところだ.政治思想史を詳しく扱っているのは,深読みすれば,価値観的にはリベラルであるが,経済的には自由経済と小さな政府の方がよいと考えているリドレーの現在の政治過程に関する不満が背景にあるのだろう.なおリドレーは最後に今後予想される政府の「進化」としてIT技術の影響を挙げている.

第14章 宗教の進化

本章は宗教を文化進化現象として説明する章になる.リドレーはいくつかの分析をまず提示する.

  • キリスト教は1人の男によるユダヤ人向けのカルトとして始まったが,パウロによる変革がユニバーサルな宗教になる道を開いた.そしてそれは心から心に伝わる文化的な感染であり,文化進化の自然実験とも見ることができる.
  • 神も「進化」する.狩猟採集社会では,神には特に教義も道徳的な関心もなく,単に不滅の存在としての儀式の要素になっている過ぎなかった.生活水準が豊かになるにつれて,神は純粋で理想的なものに変わっていった.そして自己犠牲が強い忠誠心の元になることが発見され,神はそれを求め,道徳律を語るようになり,さらに互恵性と公平性を推奨するものに変わっていく.
  • イスラム教は,当初はユダヤ教キリスト教ゾロアスター教の要素がごちゃ混ぜのカルトだったが,ムハンマドの帝国が大成功するにつれて,都合よく教義を整えていった.このような後付け教義はユダヤ教にもキリスト教にも,そしてモルモン教にもサイエントロジーにも見られるものだ.*14

そしてこれらの誤信念を核とする文化進化を最もよく説明する逸話としてリドレーは自分自身が関わった「ミステリーサークル」騒動を語っている.ミステリーサークルは1990年代に突然英国に出現し始め,そしてそれが超自然現象であると信じる人々が大量に現れ,さらに一部の人間はそれをビジネスにして儲けるようになった.しかしそれはほぼ間違いなく誰かのいたずらであり,リドレー自身それを簡単に作ることができることを証明して見せた.さらにしばらくして最初にこのいたずらを始めた人間の告白も得られた.しかし信者の態度は変わらず,リドレーは超自然を受け入れられない偏狭な人間として攻撃された.リドレーはマスメディアの信じられないほどの騙されやすさに驚くと同時に*15,一旦広まった信念がいかに根強いものであり,そしてその信念と権威に都合がよいように教義を変えていくことを理解するようになる.それはすべての宗教に見られ,さらにイデオロギーなどの信念に基づくすべての運動に絡みつく.
リドレーはさらに最初の誤信念の形成にかかる心理的カニズム(アラームシステムとして様々なものの原因となる動機について過敏に調整されていることから始まり,一旦形成された信念について確証バイアスがかかる)を説明し,これが神や宗教がある意味のユニバーサルである理由でもあるとする.だから人々はある迷信を信じなくなっても,すぐ別の迷信を信じるようになると指摘している.このあたりの宗教のとらえ方は「宗教はヒトの生得的な心理傾向に適応して感染するアイデアだ」というアトランやボイヤーの議論と同じものだ.ミーム複合体とか宗教指導者による操作などの議論は取り上げられてなく,(リドレーにしては)ややあっさりと流している印象だ.
リドレーは続いて最近流行の非宗教迷信としてホメオパシー,有機農業への極端な賞賛,地球温暖化に対する道徳的な極論(温暖化への懐疑は道徳的な堕落であり,どのようなコストをかけてでも温暖化は止めるべきだとする)などを取り上げ,このような迷信の特徴は(ポパーのいうような)反証可能性のなさというより,単純な原因探索姿勢,権威と逸話への依存,多数の意見であることの強調にあるとしている.ここはちょっと面白い.

第15章 マネーの進化

多くの人々は「通貨は政府が独占的に管理すべきものだ」という考えを受け入れている.しかしそれは歴史的にはそうではなかった.リドレーは通貨も創発的な「進化」する現象であるとする.ここでのリドレーの挙げる英国通貨の歴史はなかなか面白い.

  • 18世紀イングランドでは産業革命後の労働者の増加により給与払いのための少額コインが不足した.政府から独占認可を受けていたロイヤルミント社は増発に無関心だったために,民間業者が独自に発行する硬貨と交換可能な「トークン」が流通するようになった.独占権益を持たない民間業者は競争により効率的に高品質の(実質上の)硬貨を供給するようになった.ロイヤルミント社は政治的に独占を再確保できるように働きかけ,このようなトークンは1814年に禁止されてしまう.
  • スコットランドではイングランド連合王国となった1707年以降もスコットランド銀行による通貨発行権は残り,さらに1715年にロイヤル銀行にも通貨発行権が認められた.両銀行は当初お互いの通貨を認めずに争ったが,そのことが様々な困難を生むことがわかり,互いの通貨を受け入れ合うことになった.その後さらに2行に通貨発行が認められた.通貨発行銀行にとっては自行発行通貨を他行に受け入れてもらうことがビジネス上非常に重要だったので,彼等は財務的な健全性に腐心するようになり,通貨の価値は競争により安定した.
  • 政治家たちは銀行家たちの自己規制に頼るこのような状態を好まずに,スコットランドにおいてもイングランドと同じような金融システムを導入しようと画策し,ついに1844年にカルテル化とイングランド銀行の保護と引き替えにスコットランドの銀行に規制を受け入れさせることに成功する.しかしスコットランドの通貨は保護のもたらすモラルハザードの前にすぐに劣悪化した.

リドレーはさらに19世紀のスウェーデン,1930年代のカナダ,連邦準備制度導入前のアメリカの例をあげて,国家独占による通貨システムは破綻しやすく,競争が働く分権的かつ「進化」的なシステムがうまくいくのだと主張している.

リドレーは続いてトップダウンの経済政策の生みだす巨大な厄災をテーマにする.

  • 2008年のリーマンショック規制緩和と強欲が原因とされることが多いがこれは間違っている.2008年の崩壊の原因こそ規制当局のトップダウン的マネジメントにあるのだ.トップダウンの決定はプロシクリカル(景気循環を増幅させる)になりがち*16で,かつ特定の経済施策と引き替えの保護政策*17モラルハザードを産む土壌となるのだ.
  • 為替相場を都合よく操作しようとするのも厄災の一例だ.(事実上の通貨固定相場制である)ユーロ圏経済の高失業率,景気低迷,多くの政府の財政破綻危機などの現状はそれを最もよく示している.


通貨システムについて,国家独占の管理がいいのか,分権的な自由競争的なものがいいのかについては意見が分かれるところだろう.リドレーのいう通りトップダウンの経済政策は壮大な失敗を起こしうる.しかし詐欺師の勝ち逃げを許さないようにする最低限の規制は絶対に必要だろう.また完全な民間通貨のみだと金融政策の実行が難しくなる*18という問題もありそうだ.
そしてリーマンショックについても,私は政府の政策の失敗というより壮大な規模でのエージェンシー問題の顕現だと捉えた方が正確で,むしろ最低限の規制に失敗した事例だと考えた方がよいと思うし,またファニーメイフレディマックの要因はリドレーのいうような中心的なものではないと思う.リドレーの議論は片方から見たやや極端なものだが,いずれにしてもいろいろ考えさせてくれる面白いものでもあると思う.

第16章 インターネットの進化

インターネットには中央も階層もない.それはボトムアップですらなく(ボトムという概念自体がない),オープンソース,ピアトゥピア,自発的なコラボレーションのような要素にあふれている.それは近年急速に「進化」した現象だ.誰もブログやSNSサーチエンジンの興隆を予想できなかったばかりか,当初は「トップダウンでないためにうまくいかなくなるだろう」という予想にあふれていたのだ.
政府もマスメディアもトップダウンでないものへの懐疑を隠そうともせず,中国だけでなくアメリカやヨーロッパの政府もインターネットを監視しようともくろむ.
とはいえリドレーは自分はインターネットの将来についても楽観的だと語り,ブロックチェインとビットコインをめぐる物語を詳しく紹介している.そしてなお課題もあるが何かが始まるのかもしれないとコメントし,インターネットこそ,政治自体を「進化」させ,トップダウンの暴虐な治世からの開放をもたらしうるのだという希望を表明して本書を終えている.

本書は様々な物事が,ボトムアップ創発的に生じることを描き出すものだ.リドレーが挙げるトピックは必ずしも厳密に同じロジックに従っているわけではないが,描き出そうとする大きな構図は見えてくる.まずヒトはどうしても物事の原因に誰かの意図を見いだしてしまう.そしてトップダウン的な説明に親和的になるのだが,それは必ずしも正しいわけではないということだ.そして少なくとも近世以降の歴史においては厄災はトップダウンからもたらされていることが多いということだ.
というわけでこれは前著と一対をなすリドレーにとっての「世界の説明書」ということになるだろう.つまり私たちには世界を悲観的にそしてトップダウン的に見るバイアスを持っているが,事実は異なる.世界はボトムアップ的に創発的によりよい方向に向かう傾向を持っていると信ずべき理由があるのだ.そしてそれは広い意味の「進化」としてまとめられるということだ.


関連書籍


リドレーの前著.ものやアイデアの交換が世界をより良いものに変えていくと主張する一方で,根拠薄弱な現代の悲観主義に対して厳しく批判する本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100925

The Rational Optimist: How Prosperity Evolves (P.s.)

The Rational Optimist: How Prosperity Evolves (P.s.)

同邦訳.既に文庫化,そしてKindle化済み.上下2分冊を1冊にまとめた英断は評価したい.単行本出版時の私のコメントはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101020

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史



進化生物学をテーマにしたマット・リドレーの本.
The Red Queenは性淘汰にかかる議論を扱っている.The Origins of Virtueは道徳の進化的起源(なぜかこれのみKindle化されていない),Genomeはヒトの遺伝子についての面白い知見を染色体ごとに記述したもの,Nature via Nurtureは遺伝か環境かという誤った議論を,遺伝子が環境を条件にして発現していく様を丁寧に追って総括しているものだ.


The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature

The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature

The Origins of Virtue: Human Instincts and The Evolution of Cooperation

The Origins of Virtue: Human Instincts and The Evolution of Cooperation

Genome: The Autobiography of a Species in 23 Chapters

Genome: The Autobiography of a Species in 23 Chapters

Nature via Nurture: Genes, experience and what makes us human

Nature via Nurture: Genes, experience and what makes us human


邦訳 「徳の起源」と「ゲノム」はKindle化未了.

赤の女王 性とヒトの進化

赤の女王 性とヒトの進化

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

ゲノムが語る23の物語

ゲノムが語る23の物語

やわらかな遺伝子

やわらかな遺伝子


デネットによる自然淘汰による進化についての素晴らしい哲学的解説書.スカイフックという用語でも有名.

Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (English Edition)

Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (English Edition)

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化


同じくデネットによる自由意思についての哲学書

Freedom Evolves

Freedom Evolves

自由は進化する

自由は進化する


国家は包括的な制度の下でうまくいくということを豊富な実証例とともに議論している本.Kindle化済み.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130713

国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(上)

国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(上)

国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(下)

国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(下)


ジュディス・リッチ・ハリスによる子供のパーソナリティ形成が親の影響をあまり受けないことについての一般向けの本.出た当時はセンセーショナルだったようだ.(なお邦訳本は何故かamazonに出てこない.)

The Nurture Assumption: Why Children Turn Out the Way They Do (English Edition)

The Nurture Assumption: Why Children Turn Out the Way They Do (English Edition)

*1:私は読んでいて最後までリドレーがこの意味でevolveを使うたびに違和感がぬぐえなかった

*2:これを揶揄するためにヴォルテールが創り出したのがキャンディードのパングロス博士ということになる.後に現代のスワーヴ派のグールドがパングロス博士を自説の補強に使ったのは皮肉というほかない

*3:ピンカーに公開インタビューしたときに,ピンカーは聴衆から「商業的利益も暴力の一形態ではないか」と質問され.自分の祖父の物語(東欧からの移民としてモントリオールでシャツ工場を始めた)を話し,商業は決して暴力的ではないと力を込めて答えたという逸話が語られている

*4:なおリドレーはここで大陸ヨーロッパのシヴィルローは国家が定めたと書いているが,実は元を正せば古代ローマ判例法が法典化されたという経緯がある.おそらくリドレーは知らなかったのだろうが,リドレーの主張の裏付けになりうる例になるだろう

*5:領主初夜権をめぐる詳細は面白い

*6:そして政治的に政府はコストを社会化して利益をプライヴァタイズしがちであるという点も挙げている.

*7:リドレーはメンデルは例外だとしている.またリドレーは技術進展が「進化」的であるというアイデア自体が2010年以降5人のライターによって独立に提示されたアイデアであることも触れていてちょっと面白い

*8:ハードディスクの技術進展に関する法則

*9:無線コミュニケーションの技術進展に関する法則

*10:ここでは脳の一部に腫瘍ができたために小児愛傾向が現れる症例についても議論されている

*11:デネットの議論には批判もあるようだ.サム・ハリスは(まさに生物進化についてスカイフックという語を創り出した)デネット自身がスカイフックに陥っていると批判していることが紹介されている.デネットはこれに対しハリスは脳の創発的な性質についてなお深く考察していないのだと反論しているそうだ

*12:1920年代のロックフェラー財団による中国への援助は,独裁への野望を支援する効果を生み,最終的に共産主義の恐怖政治に結びついたし,大戦後のアフリカへの援助も多くはこれと同じ結果になっていると指摘している.

*13:結局ファシズム共産主義はどこが異なっていたのか.リドレーは本質的には同じだとしている.確かにヒトラーは共同農場を作らず私営企業を認めたが,企業の最終的なゴールは国のためだというところは同じだった.そしてヒトラー共産主義を嫌ったのはおそらくそれが外国由来でユダヤの陰謀だと考えていたからだろうとリドレーはコメントしている

*14:このあたりのリドレーの議論はややわかりにくい.宗教の教義はより成功するような教義のものが成功して広がるという自然淘汰的過程で進化したというより,成功した宗教指導者が後付けの正当化としてデザインして改変するという議論のようにも感じられて本書全体のテーマとの整合性も問われるところだろう.

*15:リドレーはこれについて,彼等は「自分は(単語の最後に「ology:学」をつけた(ミステリーサークルが超自然であるという主張は「cereology」と呼ばれる)特定領域の学問の権威者だ」と自称する人間に疑いを持たないと表現している

*16:ここでは中国との貿易赤字に端を発する不況対策がアセットバブルを産み,資産価値の乱高下に対する金融緩和(グリーンスパンプット)がさらなるバブルを生みだしたのだとしている

*17:ファニーメイフレディマックに対する政策的融資増加の強要と保護を問題にしている.リドレーはサブプライムモーゲージの極端な増加はトップダウンの政策の成果だとする

*18:リドレーは不要というのだろうか,しかし少なくともインフレ抑制については金融政策の有効性は否定できないと思う