Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Oxford University Press
- 発売日: 2013/09/27
- メディア: Kindle版
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IX 発達心理言語学へのインプリケーション その3
最後にピンカーはもう一度生得主義の問題に戻り,関連するインプリケーションを挙げている.
<生得主義と経験主義の再訪>
- 「もし子供がルール学習について認知表現構造に基礎をおいているなら,伝統的な生得主義の主張は弱められるはずだ」とよく主張される(シュレジンガー 1971,シンクレア=デズワート 1969).これらの論者は,認知構造は既にほかの目的(知覚,推論,記憶など)のために存在しているので,人間が言語のための特別な心理構造を持っていると考える必要はないと主張する.
- しかし,この主張は,よくても時期尚早だ.知覚や記憶のための表現構造が文法学習にもうまく働くのかについては全く明らかではない.これが正しいなら認知構造はそれ自体言語構造に似ているか,言語構造の変換過程が生得的になければならない.
- ここをよく考えるなら,「言語学習のための認知理論は,実装においてチョムスキーの生得仮説を,もしそれを少しでも考慮するなら,支持するほかないはずだ」と結論すべきなのだ.
<言語学習と別の学習>
- もし言語以外のヒトの推論(視覚,行動パターン観察,科学的推論など)についてモデルを立てるなら,そのモデルには,まさに言語学習モデルが含まざるを得なかったような何らかの生得的要素が含まれるものになるほかないだろう.だとするなら言語学習への制限は一般的なものだということになる.
- これはまだ評価するには時期尚早の推論だが,ほかの推論についてのコンピュータモデルはこれを支持していないように見える.それは,これまでのモデルは対象となる特定のルールにうまくあわせたデータと仮説を提示しているからだろう.(実際の例として野球規則の学習モデル,限られた空間と物体における物理法則の学習モデルが上げられている)
<親から子供への発話>
- 親から子供への発話についての特別な性質が,子供の生得的な制限を緩めるだろうとしばしば主張される.(スノー 1972など)これらの主張は,その特定のメカニズムの具体的な議論をせずに,単に「言語学習タスクは単純で文法的で冗長な文を学習にとって最適にしているだろう」という前提を置いているだけのように見える.しかし実際にこれらの論文で考慮されているモデルはこれに合わない.それぞれのモデルは全く異なる入力を要求するのだ.
- サンプルの中に一部非文法的な断片が挿入される合を考えてみよう.ゴールドの数え上げ型の学習者は惨めに失敗するだろう.正しい仮説を捨ててしまい,二度とそれに戻れなくなる.しかしベイズ的な学習者はそのノイズに耐えられるだろう.またハンバーガーたちのモデルも学習過程では非正確な文法を仮定しているので耐えられるだろう.
- 同様に,サンプル文の長さや複雑性が与える影響もモデルにより異なるだろう.フェルドマンのモデルは複雑性が増していくサンプル提示を要求するし,ゴールドの並べ上げ法は複雑性の順序には無関心だ.ハンバーガーたちのモデルは複雑なサンプル文の元で学習がより進む.
- 要するにサンプル文のいろいろな様相の効果は学習者の使っているモデルに依存するのだ.だから両親の子供への発話の特徴が文法学習を可能にするという主張は,その学習モデルのメカニズムの詳細抜きには意味がないのだ.
結論
ピンカーは,ロジャー・ブラウンが発達心理学について最近の流行にもかかわらず成果が乏しいと嘆いている文章を引用し,この論文をこう締めている.
- このような障害を乗り越えるひとつの方法は,認知科学の他の分野の進展をフォローしつつ,言語学習過程の正確なモデルについての問題についてフレームすることだというのが私の信念だ.
- 私はこの論文で「なぜ,言語学習がどう働いているかを示すためのデータを得るには,そもそも言語学習がどのようにして可能になっているのかを解明することが必要であるのか」ということが示せていることを望む.
というわけでこの第1論文はいかにも若書きで力の入って硬いものだった.現在では言語学習のために生得的なメカニズムがあるというのは(少なくとも進化生物学にある程度なじんでいる人々にとって)当たり前の前提ということだが,それを当時の学者に説明するには,ここまできちんと論理的に示すことが必要であったということなのだろう.