Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その4

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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ルメルハートとマククレランドモデルが言語構築に失敗しているということについての証拠(承前)


ピンカーはモデルがうまくいかない本質的な理由としてここまでに分節,語形論,語幹のコピーという3つの点を挙げた.さらにピンカーの指摘は続く

語彙アイテム
  • 標準的な心理学理論では,「単語」は心的な辞書へのエントリーになっていて,それは実際の発音とは区別できるものだ.これは同音異義語を扱うために必要なのだ.極めて重要なことに同音異義語の動詞が異なる過去形を持つことがある.(例えばring/rangとwring/wrung)RMモデルではこれらは扱えない.
  • このことの最も自然な解釈は,過去形の形は動詞の音だけでなくその意味とも関連しているということだ.しかし驚くべきことに,意味と過去形の形の間には全く関連性が見つけられない.その形は意味とは関係なく,別にある動詞の語根がどのような記号で表されるかの依存しているのだ.(haveやgoは,特に前置詞との組み合わせにより多くの意味を持っているが,全て同じ過去形had, wentになる)この現象は語根が無意味な接頭辞と組み合わさったときにすら現れる.(forget/forgot, underestand/understood, overcome/overcameなど:そして語根の後半の発音が同じだけのsuccumbは*succameとはならない)そして同義語が同じ過去形を持つという傾向もない.(hit/hitとstrike/struck)つまり過去形の形の類似には意味の次元は無いということだ.
  • 「動詞」と「動詞の語根」の区別も心理的には重要だ.人々は broadcasted,joy-rided,grandstanded,high-sticked*1という過去形をbroadcast,joy-rode,grandstood,high-stuckなどという形より自然に感じる.科学的に探求しない記述的な文法好きにはこの現象は謎になる.これは不規則の過去形は動詞そのものではなく,動詞の語根に結びついているからなのだ.これらの動詞に対して話し手は(多くの場合無意識に)これらの動詞は名詞から派生したということを感じている.そして心的辞書の名詞の項目に「不規則過去形」がないため,このような動詞に対しては自動的に規則形の過去形を創り出すのだ.
  • これらの例が示しているのは言語にかかる心的過程は,伝統的には語形論と呼ばれる表象システムにセンシティブだということだ.この表象システムにおいては,音でも意味でもない語彙アイテム,語幹,接辞,語根と呼ばれるものの間に規則性を持つのだ,
規則動詞の過去形と不規則動詞の過去形

ピンカーは,RMモデルの革命的な部分について,それは規則形と不規則形を単一のネットワークで扱えたというところだと指摘する.実際にこれはコネクショニズムのアドバンテージを示すものとして当時最も頻繁に主張されるものだったそうだ.しかしこのアドバンテージは,もし人々が規則形と不規則型にクリアーカットな区別がないと感じるならアドバンテージになるということに過ぎないとピンカーは続ける.そしてピンカーは規則形と不規則形の間には質的な違いがあるとして以下のように主張する.

  1. 不規則動詞はいくつかの類似グループにまとめられる.このグループ分けは音韻的な類似によるものだ.(‘ blow/ blew’, ‘grow/ grew’, ‘throw/ threw’) (‘ take/ took’, ‘shake/ shook’) (‘ sting/ stung’, ‘fling/ flung’, ‘stick/ stuck’).これに対して規則動詞には音韻的な共通点はない.どのような音韻を持つ動詞も規則動詞になる.
  2. 不規則動詞の自然に感じられる程度,受け入れ可能程度はファジーだ.それは音韻類似グループの典型例にどのぐらい近いかに依存する.‘wept’, ‘knelt’, ‘rent’, ‘shod’は(特にアメリカ英語話者には)やや不自然に感じられる.極端なケース,例えば「Last night I forwent the pleasure of grading papers」「I don’t know how she bore it」は,ほとんどの話者にとって非常に奇妙に聞こえる.これに対して規則動詞は,音韻の種類によって受け入れ可能程度に濃淡が生じたりはしない.どの規則動詞の過去形も同じように自然に聞こえる.
  3. ある特定の型の不規則動詞になるための十分条件は存在しない.‘blow’ が‘ blew’ になっても‘flow’ は ‘flowed’ になる.‘ring’ が‘ rang’ になっても ‘string’ は ‘strung’ に,そして ‘bring’ は ‘brought’ になる.これに対して規則動詞になるための十分条件は,それが不規則動詞ではないということだ.そして規則動詞であればその過去形は完璧に予測できる.
  4. ほとんどの不規則動詞の変形方法は特定の構造を持つ動詞にのみ適用できるに過ぎない.(send/sentについて「dをtに変える」という記述が当てはまるためには,そもそも動詞の語尾がdである必要がある)規則動詞の変形方法はすべてのケースを記述できる.
  • これらの違いはわずかだが,全て同じ結論を指し示している.規則動詞と不規則動詞の間には心理的に重大な差があるのだ.規則動詞は1か0かの過程,あるいは規則を持ち,不規則動詞の存在によって不活性化されない限りすべてに適用される.不規則動詞は音韻類似のいくつかの記憶されたリストに基づいていて,ファジーなクラスを形成しているのだ.


日本語話者にはこのあたりの話はなかなかぴんとこない.日本語動詞の場合は不規則動詞は「来る」と「する」(「○○する」という膨大な動詞群を含むが基本的に活用や受け入れやすさは同一)だけで,特に音韻類似クラスターを作っているとは言えないし,受け入れ可能性に程度があるわけでもない.また実際forwentの例文がどういう風に奇妙なのかについて解説がないのはもどかしい.ネイティブでないとわからないというところだろうか.

*1:アイスホッケーの反則