第9回日本人間行動進化学会参加日誌 その2



大会初日 12月10日 その2



金沢の学会も初日の夕刻に
基調講演の後は口頭発表


口頭発表 I

階層ベイズモデルで解く言語と思考の関係 リー ショーン

これまで広く受け入れられてきた主張について階層ベイズを使って検証したところそれを否定する結果を得たという報告.

  • 言語進化を考えるには,認知システムの理解,さらに言語と認知システムの相互作用の理解が重要だと考えている.
  • この問題に関してこれまで広く信じられてきた効果に「主語省略効果」というものがある.言語には文に主語を必ず必要とする言語(英語,フランス語,ドイツ語など)と主語がない文も成立する言語(日本語,中国語,イタリア語など)がある.主語省略効果とは話されている言語が主語省略可能かどうかとその文化が集団主義的か個人主義的かが相関するという主張だ.
  • これは20年前に主張された後,何度も再現されており,かなり頑健で信頼性のある主張とされ,300回以上引用され,それを基礎にしたリサーチが多数なされている.
  • これについて再現を試みた.
  • まず単純に様々なマトリクスを描き,グラフ化してみると,確かに関連があるように見える.しかしまず言語も文化も地理的にクラスターを作る(つまり地理的要因との交絡がある)し,さらに言語にも文化にも系統関係(系統的に近い場合にはデータの独立性が失われる)がある.だからシンプソンのパラドクスが生じる可能性があることになり,それを補正すべきだと思い至った.
  • そこでMCMC(マルコフ連鎖モンテカルロ)を用いた階層ベイズモデルにより補正してみたところ,頑健な知見だと思われていた主語省略効果は消失してしまった.
  • なぜなのか.それは主語省略効果が認められる語族はインドヨーロッパ語族だけで,それ以外の語族ではこの主語省力効果が認められないこと.そして今回の研究でも先行研究でもデータセットの中で圧倒的にインドヨーロッパ語族のデータが多かった(世界中の言語の中でインドヨーロッパ語族の占める割合は(言語単位では)7%に過ぎないにもかかわらずオリジナルなリサーチではデータ中70%以上になっていた)ためだ.要するにデータが完全にWEIRD*1だったのだ.

言語学研究の世界では広く受け入れられていた結果が,単なる系統的補正のし忘れによる初歩の統計的ミスによるものだったことに発表者はかなり動揺したようで,そのときの心境をモンクの「叫び」に例えていたりして面白かった.
私としては,常々このようなサピア=ウォーフ仮説の強めの主張は基本的にかなり怪しいと思っているので,むしろ当然の結果のように見える.データ的にはインドヨーロッパ諸語のうち英,仏,独,北欧諸国が主語省略不可で,たまたま文化的に個人主義的,これに対して主語省略可能なギリシア語,イタリア語,スペイン語,ロシア語などが南欧などに分布し,文化的にはやや集団主義的なことに大きく引きずられているのだろう.
なお質疑応答では,主語省略可能かどうかについて,日本語のような言語とイタリア語のような言語を区別しているのかとの質問があり,していないと発表者が答えると,それでは言語学的には全くナンセンスだとのコメントがあった.イタリア語の場合には述語の活用で主語がある程度わかるので省略可になっているが,日本語の場合にはそもそもヨーロッパ語と同じような「主語」をもたないという趣旨なのだろうか.なかなか議論の多い深そうなところだ.

再帰的事象の認識における「心の理論」と「論理-数学的知能」の関連性 時田真美乃

心の理論のような再帰的な事象を認識する能力と一般の数学・論理能力に関連があるかという問題を扱う発表.
公表されているアブストを引用すると「3次および5次の志向意識水準を用いた回答の割合と,論理-数学的課題(if文for文の課題)の5次までの多重ループ課題との正答の割合の関係性を調査した」「結果は,論理-数学的課題において5次までの多重ループ課題を正答するグループは,金額当てゲームにおける3次および5次の志向意識水準を用いた回答においても,正答率が高かった.一方,金額当てゲームにおいて正答率が高いグループのうちの約半分は,特に論理-数学的課題の得点と関係性がなかった.」ということになる.なかなか難しい課題による実験で,結果も微妙なもの.
残念ながら「SNS等による発表の言及不許可マーク」が付されているので,詳細は差し控える.

人類進化論と社会的遊び 島田将喜
  • ロビン・ダンバーの言語ゴシップ起源説をまず復習.社会性の霊長類では個体間の絆形成のために毛繕いを行うが,グループが大きくなるとより毛繕いに費やす時間が必要になる.ヒトではグループが大きくなり過ぎて毛繕いでは非効率になり,その代わりをゴシップで行っているというのが1990年代の主張だった.
  • ここでダンバーは2014年に新著「Human Evolution(邦題:人類進化の謎を解き明かす)」を出し,その考え方を一部修正した.それによると「アウストラロピテクスまでは毛繕いで可能だった.ホモになって旧人段階では,笑い合う,一緒の食事をする,歌・踊りで絆形成を行っていただろう.そしてサピエンスになってから会話(ゴシップ)になった」のではないかとする.

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

Human Evolution: Our Brains and Behavior

Human Evolution: Our Brains and Behavior

  • ここでダンバーの仮説の基礎の上に,笑い,食事,歌・踊りに代わって「遊び」がその中間段階を埋めたのではないかという仮説を提唱したい.
  • まず遊びと毛繕いは神経基盤的に相同ではないかと考えられる.また(少なくとも)子供の間では遊びは絆形成に役立っているように見える.
  • 集団が大きくなって,かつ地上性に移行すると,持続的な大人間の遊びが生じて絆形成に役立つようになり,毛繕いよりいい方法となったのではないだろうか.
  • 霊長類における遊びを概観すると,より地上に近い種の方が遊び頻度が高い傾向がある.
  • 3者間の遊び状況が生じるかを見ると,チンパンジーでは不安定で2者の遊びに戻ってしまうが人出は3者間での遊びに移行することが多い.
  • ニホンザルでは毛繕いネットワークと遊びのネットワークがある程度重なっている.

ダンバーの議論の枠組みにまず乗って,毛繕いと言語の間にギャップがありすぎるので,そこを何で埋めるかを考えると,歌や踊りより遊びの方が説得的ではないかという発表だった.どちらもありそうだが,検証はむずかしそうだ.ダンバーの最新の議論についてはまだこの本を読んでいなかったので参考になった.


ここまでで本日の口頭発表は終了.これは会場近くの尾山神社の擬洋風建築と近江町市場のカニ.


ポスター発表


ここからはポスター発表タイム.基調講演にあわせて今回は言語関係の発表が多い.「SNS等による発表の言及不許可マーク」のついていないもので面白かったものをいくつか紹介しよう.

語彙・文法の獲得/損失における人口規模の役割 小野原彩香

集団規模が言語の文化的変化にどう影響するかについて,これまで(1)人口が多いほど新語獲得が多く損失も少ない(2)人口が少なくとも文化規範が厳しいと損失が少ない(3)無関係という3つの主張があったので,この点を調査した.具体的には関西言語圏の周辺地域である滋賀,岐阜合計5学区において中学生とその祖父母世代(合計686人)に対して語彙・文法の40項目106語(特に関西系,美濃系,東京系のどの影響を受けているかにも注目)の調査を行い,人口,人口密度,人口増加率,高齢化率,15歳未満比率,面積,土地利用割合を説明変数にして線形混合モデルで評価したもの.
結果は大変詳細で複雑だがおおむね以下の通り

  • 人口が大きくなると新語獲得,既往語喪失ともに減る(1の先行知見は獲得について再現されなかった)
  • 集落面積が大きいほど新語を得やすい
  • 人口増加地域では既往語の喪失が起きやすい
  • 関西系の語の獲得率は人口要因が大きく,東京系の語は増加率要因が大きい.
  • 東京系,美濃系の語に関しては東京文化圏との境界である関ヶ原に近づくほど入れ替わりが早い
  • なお東京系の語については祖父母世代で十分高い水準で受容があり,予想ほど世代の影響はなかった.

大変重厚なリサーチで,結果も豊富でとても一言ではまとめられない.言語変化はあまりよく知らない分野だが大変面白かった.なお本ポスター発表は最終日に若手奨励賞を受賞している.

5人のきょうだいを犠牲にすることは功利的か?:認知負荷を用いた検討 北條逸群

トロッコ問題の「1人を突き落として5人を救うかどうか」設問で血縁淘汰の影響を調べたところ,(血縁淘汰の影響を受けるという予想に反して)5人をきょうだいに変更するとかえってNoの回答が増えるという報告がなされているが,それが熟考による認知的判断か情動による判断かを調べるために,回答時に認知的負荷をかけて反応時間の差を見てみたというもの.
結果は5人がきょうだいか他人かによって認知負荷時での反応時間の差に有意差はないというものだったが,そもそも先行報告とは逆に(血縁淘汰の予測通りに)きょうだいの場合の方がNoと答える比率が多かった.またきょうだいの場合の方が認知負荷をかけたときのタイムラグが大きくなっていた.

発表者は結論を保留していたが,私の解釈ではきょうだいの場合には,自分が身内に対してどう扱うかという評判についての影響を考えてしまうためにより熟考プロセスが働き,他人の場合よりNoと答えるかどうかは文脈に依存するのではないかと解釈できるように思う.いずれにせよ面白いところだ.

コストのかかる旗としての道徳:進化シミュレーションによる予備的検討 平石界

なぜ道徳の問題において,ヒトは自分の行動準則にするだけでなく,他人を非難するのか,それはコストのあるシグナルなのかを考える.その予備的検討として進化ゲームによりコストのあるシグナルがコーディネーション問題を解決できるかというシミュレーション的な解析を行ったというもの.
<モデル>

  • 集団の中でそのうち2人がまず公開の論争を行う(1回目).ここでコストのあるシグナルにより自派への勧誘を行う.(メッセージの強さはコストに比例する)残りの参加者はメッセージの強さに応じてどちらかに賛成するようになる影響を受ける.そこで多数派にメリットが加算される.
  • 2回目以降は賛成者もコストをかけてメッセージを出すことができるようになる.何回かこの論争試行を行い1ラウンドとする.ラウンドごとにコストとメリットに応じて淘汰がかかる.
  • 結果1ラウンドあたりの試行回数が多いとラウンドが進むにつれてコーディネーションが成立する.(22人集団,50試行において20ラウンドぐらいから片方の意見に収束するようになる.)

これまでコストのあるシグナルというフレームでは信号の信頼性がもっぱら問題になっていたので,コーディネーションにどう影響するかという視点は面白い.よりコストをかけたCMを打った商品の方が売れるという現象にも似ているが,その方が信頼できそうという認知的な傾向なしで進化できるのが興味深い.

コストリーシグナリングが間接互恵状況における協力的均衡へ及ぼす効果 田中大貴

同じくコストのあるシグナルの発表.ここでは間接互恵性の成立にとって重要な「利己的なヒトを罰するための非協力」が行為者の評判を下げないためにはどのような仕組みが必要かを考える.これまでは2次情報(非協力の相手のその直前の手は何だったか)について議論されてきたが,それはコストのあるシグナルでも可能ではないかというもの.
この意図的シグナル戦略と2次情報のスタンディング戦略を用いた間接互恵シミュレーションを行った結果,協力実行エラー率が高く,協力の利益がコストに対して十分大きければ意図的シグナル戦略の方が2次情報戦略よりも効率的であったというもの.

これも従来無かった視点で大変面白い.なお本ポスター発表も最終日に若手奨励賞を受賞している.


以上で大会初日は終了である.これは海老づくし天丼,手前に白海老天麩羅がたっぷりのせられている.

*1:もともとは心理学実験の被験者が西洋の大学生に偏っていることを示す用語でWestern, Educated, Industrialized, Rich, and Democraticの頭文字を採ったアクロニム.ここでは言語が西洋で話される各種ヨーロッパ語に偏っていることを意味している