日本生物地理学会2017 その1

しばらく日本生物地理学会にはご無沙汰していたが,今年は恒例の公開シンポジウムに長谷川眞理子さんが登壇するというので参加してきた.


大会初日 4月8日

今年は初日は公開シンポジウムのみで2日目に通常の学会という構成.
これまで日本生物地理学会は立教大学で開かれるのが恒例だったが,少し前から立教大学以外のところでも開くようになったようだ.今年は東大の弥生キャンパス.初日の公開シンポジウムは弥生講堂一条ホールにて行われた.雨の中,桜も咲いていてなかなか風情のある一日.



市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか」


冒頭でウェルカムコンサートという趣向.ソプラノ歌手岩崎京子さんの演奏に森中会長が飛び入りという構成で面白かったが,会場のピアノ伴奏音源のPAがお粗末で,歪みまくり割れまくりで,ちょっと残念だった.


趣旨説明の後長谷川眞理子登場.

次世代に何を贈るか? 長谷川眞理子

3週間前に犬(スタンダードプードル2頭,12歳と2歳)を散歩させていたら,やんちゃ盛りの2歳に引っ張られて左の上腕骨を骨折してしまいましたとギブス姿で登場.これから生物学をやっていこうという若手への言葉として以下のような話.

  • まず「自然の美しさと複雑さの魅力を感じてほしい」ということだ.高校で生物が暗記科目と思われているのには常々不満を持っている.生物は魅力的だ.思いも寄らないような突拍子もないものが存在する.奇妙な形態,そして行動.そこへの感受性を持ってほしい.
  • 私は1952年生まれで,東京出身だが,母の病気の関係で一時和歌山県の田辺で暮らしたことがある.そこには砂浜と海があり,様々な生物がいた.その多様性に感激していたら,叔母が海の生物の図鑑をくれた.そしてそれを眺め,「世の中にはストラクチャーがあるのだ」と強く感じたことを覚えている.
  • 最近の生物専攻志望でこういう生物好きの学生は少なくなった.ゲノムをやりたいとかバイオインフォマティックスをやりたいとかいう.それはいいが,その分子を読んでいる酵母について,どこにいるどういう生物なのと聞いても知らないし,そもそも知る必要などないと思っている.これは大変残念なことだ.生物は本当に魅力的なのだ.


ここから,生物のすばらしさの例として,メスバチに擬態し,オスバチに送粉させるランの話(なぜオスは騙されるのかについては,どうも孵化直後の若オスのみ騙され,経験を積むとだまされなくなるようだというコメントあり),砂浜の模様を体表面に作るカレイの話(チェスボードの上に乗せるとそのような模様を作る,どうやってそれができるのかは誰も知らない)生物界における車輪の発明(軸を持つ車輪は実現できていないが,体全体を輪のようにして転がって逃げる芋虫やサラマンダーは知られている)滑空の発明,ミツオシエの戦略などを解説.

  • 生物を学ぶための根源的のな問いは何か.私は3つあると思っている.
  1. 生物とは何かという定義の問題
  2. 生物は地球にしかいないのか.これは普遍的な生物を考える上ではサンプルが1しかないかどうかに絡んでくる.
  3. 人間は生物を作れるか,AIの将来,そして人間とは何か.
  • そして次の3つのことが重要だ.
  1. めくるめく複雑さと精緻な構造に感動できるか:生物を面白いと思えるか.
  2. 複雑系の中の秩序とひねりのあるエレガンス:対象を深く論理的に理解できるか.
  3. 何事もうのみにしない.批判的能力があるか.
  • 科学の本質とは世界への興味と興奮,観察眼,権威や主観的希望に左右されない論理性なのだ.これについては英国のロイヤルソサエティのモットー「Nollius in verba」を挙げたい. これはラテン語で「他人の言ったことをそのまま受け取るな」という意味だ.会員は権威に屈することなく実験的に示された事実のみによって判断するということだ.
  • そして科学者も最後に価値判断からは逃れられない.自分の価値基準を持つということだ.私はこの4月から総研大の学長をつとめることになったが,価値基準として「自由」「公正性」「共感」を挙げている.
  • そして次世代には以下を期待したい.
  1. 自由の尊重.自由とは何かを考えないといけない.私はかつて母から「あなたは自由になにをしてもいいのよ.他人に迷惑をかけなければね」といわれた.これは今でもよく覚えている.ところで今「青春脳」のリサーチで13歳から18歳の若い人にアンケートを採ってみたらモットーとして「他人に迷惑をかけない」が多く出てきてびっくり,そしてちょっとがっかりしている.こちらが先に出るのと自由が先に出るのではずいぶん異なる.
  2. 世界に対する興味,好奇心と想像力.対象は自然界だけではなく,国際情勢,社会問題,小説や物語など多岐にわたってほしい.物語を読むのは,本来は一度限りの人生を,何度も別の立場で体験できるとても重要な体験だ.
  3. 批判的な議論を行う.
  4. 自分だけで考える時間を持つ.自省は大切だ.


短い時間だったが,生物の魅力を伝えようとし,若い人へ贈る言葉としては,科学者としての基本を押さえ,そしてさらに価値基準も持って欲しいという踏み込んだ内容だった.4月から総研大の学長に就任されたということで,いろいろ事務仕事も増えそうだが,是非ご健勝で頑張っていただきたい.


長谷川眞理子の自伝的物語兼読書ガイド.図鑑の話はこの本にも出てくる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060203

進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)


対談 益川敏英著「科学者は戦争で何をしたか」をめぐって

ここからノーベル物理学賞受賞者益川敏英と長谷川の対談に.益川は反戦運動,平和活動にも熱心なことが知られており,また2015年には科学者と戦争についての本を執筆している.今回の対談はこれを題材にという趣旨のようだ.

科学者は戦争で何をしたか (集英社新書)

科学者は戦争で何をしたか (集英社新書)


科学だけでなくもう一つ別の活動をすべきだという話題では,若き日の益川が組合活動に入れ込んでいた話,ベトナム戦争には不条理を感じて熱心に反戦活動をしたし,佐世保へのノーチラス号寄港騒ぎの時も反対運動に参加した話が披露される.

長谷川眞理子は,法政と早稲田で科学と社会の関係の講義を担当してからいろいろ(原発の開発に対するファインマンの態度の是非,ポルポト政権の非道,ルワンダやウガンダとタンザニアの違いは何か)考えるようになったと語った.ヒトは戦争など特定の状況では本当におかしくなる.そしてなぜ虐殺が起こるのかについては今後リサーチしたいそうだ.

なおベトナム関連では長谷川が中学時代に「ベトナム戦争反対」と書いたバッグを学校に持って行った時のエピソードも紹介される.先生に「それは何だ.そんなことよりもっと重要な問題がある」などと糾弾されて,めちゃくちゃ怒りがこみ上げたが,とっさにうまく論理的に言い返せず悔しかったし,思い返すと今でも悔しいそうだ(これは若いときに物事を真剣に考えることの重要性という話につながる).

エネルギー問題については,益川は上記のような思想的バックグラウンドを持つが,片方で物理学者でもあり,エネルギー問題については,単純に原発を止めてすむような生やさしい話ではないと強調.化石燃料の問題,風力発電の技術的問題などを指摘し,技術的には安価な蓄電技術の開発が重要だとのみコメントしていた.

また益川の持論として戦争はあと200年ぐらいでなくなるだろう(歴史を大きくみると10年単位では揺れ動くが,100年単位では安定した流れがある.ゲリラのようなものはともかく世界大戦のような戦争は,それで何かが解決できるような状況が徐々に減っていくだろうというもの)という予想が紹介され,長谷川がそれはピンカーの主張と似ていますねとコメントしている.益川はピンカーの主張を知らなかったようだ.


この後会場の方からの質問に答えるコーナーがあり,動物の闘争とヒトの戦争との連続性,アカデミックポストの公募のあり方などが取り上げられていた.

クロージングアドレス

最後にカント研究者の渋谷治美からクロージングアドレス.カントの『永久平和のために』について,それが酒場の看板だったという逸話など面白く解説し,またカントが読まれて欲しいとか,自分は超自虐史観でまごまご主義(何かを決めるときにはまずそれが自分の孫にとってどういう意味を持つのか考える)だとかと話して会場を盛り上げていた.


以上で公開シンポジウム,そして生物地理学会の初日はお開きだ.前半は長谷川がびしっと締め,後半は本をテーマにといいながらどんどん話がそれて,どちらかといえば緩い対談になっていて,なかなか味のあるシンポジウムだった.