協力する種 その5

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

訳者たちによる解説 その5

各論2-3 マルチレベル淘汰理論の本質と意義

大槻は続いて血縁淘汰(包括適応度理論)と数理的に等価であるマルチレベル淘汰についても解説を行っている.

  • 60年代初頭のナイーブグループ淘汰理論は70年代までにウィリアムズやメイナード=スミスによって否定された.80年代以降D. S. ウィルソンにより「新しいグループ淘汰」が主張されるようになり,これはマルチレベルグループ淘汰と呼ばれるようになった.
  • この理論の核心をなすのがプライス方程式である.プライス方程式により自然淘汰圧をグループ内淘汰圧とグループ間淘汰圧という2つの要因に分解できる.これは何か本質的に新しいことが導入されたわけではなく,単に物理学で斜めの力が縦の力と横の力に分解可能なことと同じだ.
  • この分解は任意のグループ分けについて適用可能だ.だからこの分解におけるグループは絶対的なものではなく,ましてや「自然」がそのグループを「超自然的に」察知して生物個体に特別なという多圧を加えるものではない.マルチレベル淘汰は進化の絶対法則ではなく,自然淘汰のある見方と考えるのが適切だ.
  • 血縁淘汰(包括適応度理論)とマルチレベル淘汰は(数理的に等価であり),どちらも汎用性が高く,どちらが上位概念かを争うことは無意味であると考えている.これらは淘汰圧の異なる分解方法を教えてくれるものだ.そういう意味で先ほどのウエストの批判のうち(1)(2)には同意するが,(3)にあるように「マルチレベル淘汰という概念が不必要である」とまでは考えない.それは私たちに現象の新たな一面を見せてくれる.ただしボウルズとギンタスの血縁淘汰の理解と現在の進化生物学者の理解にはギャップがあることは指摘しておく.


大槻はプライス方程式がマルチレベル淘汰のために淘汰圧を分解する式であるかのように解説しているが,少し違和感がある.そもそものプライス方程式は,ある遺伝的形質の進化速度が集団内の形質と適応度の共分散により決まることを示すものである.
マルチレベル淘汰を表す方程式とは,プライス方程式を応用するとグループ内淘汰とグループ間淘汰の要因の強度を比較することに使えることに気づいたハミルトンが1975年の論文で「プライス方程式を再帰的に組み入れることにより定式化した方程式」が基本になる.学説史まで解説するなら,是非この基本方程式は血縁淘汰(包括適応度理論)産みの親のハミルトン自身が示したものであることにも触れておいて欲しかったところだ.


これがいわゆるプライス方程式の一般的な形になる.ここでwは適応度,zは形質値になる.定常的な個体群では適応度の平均は1になるから,方程式の左辺は形質値の変化速度を基本的に表していると考えることができる.


これは共分散を変形してこう書ける.ハミルトンは1975年の論文「Innate Social Aptitudes of Man: An Approach from Evolutionary Genetics」の中ではこの形を用いている.


上記プライス方程式を再帰的に適用すると(グループの添え字をi, その中の個体の添え字をijとすると)以下のようになる.


ハミルトンが論文で示している式は同じく共分散を変形し,最後の残差を省略して以下のようになっている.この右辺の第1項がグループ間淘汰で第2項がグループ内淘汰を表すことになる.これがプライス方程式を利用してハミルトンが導出したマルチレベル淘汰の基本方程式だ.


ここで血縁淘汰とマルチレベル淘汰の関係については,大槻の言う通り,この2つは数理的に等価なのだから,どちらが上位かを争うことは無意味であり,リサーチャーが有用であると思う方を使えばよいと思う.そしてここではウエストが教条主義者であるかのようにまとめられているが,ウエストの主張も基本的には同じで,ただこれまでのリサーチをみると包括適応度理論の方が圧倒的に有用であり,ウエストはそれを踏まえて「不必要」だと指摘しているというのが私の理解になる.