協力する種 その35

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第9章 強い互恵性の進化 その3


ここまでで著者たちは単純化したモデルで利他罰の進化を説明した.ここから前提条件をより現実に近づける形で拡張していく,その場合には前節で見たような解析的な結果は示せないのでシミュレーションによることになる.

9.2 現実的な人口動態における利他罰


著者たちは,前節のモデルについて,集団が1世代のみで解散させられる点,rについて,0と0.07という値を外生的に与えた点が不自然だとして,そこを拡張して吟味するとしている.彼等の拡張モデルの説明は以下の通り.

  • 遺伝的同類性はあらかじめ固定せずにモデル内部で内生的に決まる.
  • サイズの異なる多くの集団からなるメタポピュレーションを考える.メタポピュレーションは10万世代以上存続する.
  • 個別の集団は平均30人(繁殖可能な成人のみを考察),8人以上である限り存続する.集団の数と総人口は変化しない.各集団のサイズと人口構成は成員の誕生,死亡,移住によって変化する.(第1ラウンド以降に誕生,死亡,移住が生じる,新規加入メンバーの戦略は不明になるが,新規メンバーの罰行使者を加えると集団の行使者数が閾値を超える場合には新規行使者はqをかけてシグナルする)
  • 罰行使シグナルのコストはq,閾値τは6で固定する.
  • 1世代25ラウンド(各個人は1世代の中で2回配偶者を得て繁殖する.人口不変によりラウンドごとの死亡率は4%),集団数250,人口7500人,移住は新規誕生者のうち30%がランダムに他集団に移住する,協力行動のエラー率は3%,罰行使者は初期設定0から始める,遺伝子の突然変異率0.001,突然変異で罰行使に変換する確率3%(7500人で100世代繰り返すと合計750人が突然変異体となり,うち22.5人が罰行使者となる).利得πは0〜1の範囲に収まるように線形変換して標準化し,πの淘汰係数を0.05とする.
9.3 強い互恵性の出現


ではシミュレーションの結果はどうだっただろうか.著者たちの説明を私なりに要約すると以下のようなものになる.

  • シミュレーションでは集団間の遺伝的差異が移住パターンや集団サイズの分布から生みだされた.パラメータを現実的な値の中でうまく選んで組み合わせると第6章で示したデータの平均値(r=0.08)を実現させることができる.これは前節のr=0.07を外生的に入れ込んだ解析の正当性を示すものだ.
  • τ=6で6000世代(15万ラウンド)シミュレートすると,初期値の罰行使者がほとんどいない状態から,2500世代を越えたところで罰行使者と非行使者が混在する状態への遷移が生じた.これは偶然,ほとんどの罰行使者が臨界上の集団(ちょうど7人の罰行使者がいる集団)にいたために生じたものだ.一旦この遷移が生じると罰行使者は0.4程度の頻度になり長期間存続できる.これはプライス則のグループ間淘汰の項βG・var(pj)((b-c)とグループ間分散の積)が正になったからだと解釈できる.
  • 罰行使者が閾値戦略を採らずに常に罰を与えるようにすると,行使者の高い集団があっても常に非行使戦略に侵入駆逐されることになるので,罰行使は進化できない.
  • 遷移が生じて協力が確立されるまでの罰は臨界点上の集団でのみ見いだされる.この場合には罰は利他的ではない(限界的な裏切りが集団内協力を崩壊させて結果的に不利益の方が大きくなるため).対照的に遷移が生じた後の罰行使者は臨界点より多くの罰行使者がいる集団にも所属しており,この場合には(非行使に転じた方が得になるという意味で)罰は利他的になる.
  • では行使者人数が閾値を超えた場合に非行使に転じて罰コストとシグナリングコストを回避する「機会主義」を加えるとどうなるか.機会主義は行使者人数が多いときに有利になるように思われるが,シミュレーションを行うと定着できない.非行使者ばかりの集団に機会主義は侵入して増えることができるが,そうすると罰行使者も増加する.一旦3者が混合すると,機会主義者は行使者に比べて協力崩壊の引き金を引くことが多くなり不利になる.
  • 以上の状況を避けるためのより複雑な機械主義戦略もあり得るだろう.機械主義者間で協力が可能なら彼等は高パフォーマンスを得ることができる.しかしその場合にはこの協力をいかにして保つかという深刻な2次のフリーライダー問題が生じる.
9.4 なぜ罰の連携は成功するのか

著者たちはこのシミュレーションの結果をこう解釈する.

  • 利他罰が高いレベルで安定するための鍵は「正の同類性」にある.ただしそれは遺伝的な相関ではなく,クオラムセンシング(自分と同類のものを認知的に感知すること)により遺伝型と表現型に相関が生じたことに起因している.つまり「協力を選択した個人の割合」という表現型の特性と「罰行使者遺伝子を持つ個人の割合」という遺伝子型の特性が集団間で強く相関できたことにある.
  • この遺伝子型と表現型の相関は罰行使者が行動を連携することでさらに促進される.
  • 罰がうまくいくためには,「誰が協力で誰が非協力か」「罰行使しそうなのは何人いそうか」というような情報が誠実にコミュニケートされなければならない.つまりこのシミュレーションでは「情報が私的である」場合の解決ができたわけではない.
  • 仮に利他罰という形質が文化的に伝達されているのならば(そして実際にはそうであろうが),より協力は安定する.シミュレーションでは全員が罰行使者である集団が,非行使者に乗っ取られて協力が崩壊するという現象が見られる.しかし文化伝達が頻度に依存していれば崩壊までの速度は低下するだろう.模倣における同調傾向が利他罰と共進化しうることを示したリサーチもある.
9.5 非集権的な社会秩序
  • 罰を説明するには,非協力者に罰を与える戦略が少数しかいない状況からいかにして増加しうるのかを説明しなければならない.本章では(後期洪積世の人類にあったような状況下で)罰行使するものの連携によって罰行使戦略の侵入と増加が可能になることを示した.
  • もしこうした道筋で協力が進化したなら,コスミデスやトゥービイが示したような裏切り者検知の認知能力がヒトにあっても驚くべきではない.
  • ヒトは,連携や謀略,致死的な武器により小さなコストで裏切り者を罰することができる.
  • また我々の結果は(多くの行動実験の結果に示される)「何故ヒトは公共財への貢献自体より,その非貢献者への罰の方により熱心なのか」という謎の説明を可能にする.
  • 我々のモデルは.第4章や第5章で説明した繰り返しゲームアプローチとは異なる.まず我々のモデルは狩猟採集社会の経験的事実と矛盾しない.またフォーク定理による説明と異なり,我々の提示する規範逸脱者への利他罰は現実世界で広く観察されている.
  • ただし我々のモデルは情報が公的であることを前提にしていることには注意が必要だ.この前提は自己利益追求の前提とは衝突する.
  • 小規模な祖先集団では私的情報を公的情報に変換するための(現代社会の司法システムのようなものとは異なる)方法が考案されたのだろう.ゴシップ,集団での話し合い,人前での食事などはその例だと考えられる.これはフリーライダーへの罰と足並みを揃えて発達してきた可能性がある.これは個人が正直であるということではなく,「正直である」という評判が価値ある資産であったことを背景にしているのだろう.
  • 我々はここまで適応度最大化による説明を行ってきた.より至近的な説明を試みるなら,「恥」の感情により,将来の罰を避ける動機付けが行われているのかもしれない.このような社会的感情はこうした機能により進化したのだろう.これは次章以降で取り扱おう.


私の感想は以下の通り

  • シミュレーションの結果は以下のように考えることができるだろう
  • 非協力者のみの状態から始めて,ランダムな突然変異による罰行使がたまたま特定の集団に集積して臨界値に達すると,すべての個人が「罰行使者が集団に多ければ協力する」という前提からその集団に協力が生まれる.だからなぜ罰行使者が頻度を増やせるのかという問題については小集団について一定閾値に偶然達する場合があるからだという説明になっているのだろう.要するに集団内で罰行使者が多いと罰行使コストが下がるので,浮動により一旦閾値に達すれば後は協力による利益がついてくるということになる.
  • その時点ではこの罰行使は集団内で利己的に説明できる.その後さらに罰行使者が増えても罰行使者はすぐに縮小しない.これは集団間淘汰が正に効いている範囲で生じる.著者たちはこれをもっと強い互恵性の出現を説明できたとしている.しかし私の印象ではごく弱い集団間淘汰でカバーできるごく小さな連携罰コストについて限界的に説明できているだけにように思える.
  • そういう意味もあって,ここで著者たちはあまりマルチレベル淘汰による利他性の進化を強調はしていないのだろう.
  • この章の著者たちのポイントは,連携することにより罰のコストが非常に小さくなるというところにある.実際にうまく連携すれば罰のコストは小さいだろう.
  • もう1つ著者たちは正の同類性を強調している.ここでは協力と罰行使が「罰行使者が多い集団では協力が維持される」というメカニズムを通じて集団間で相関することを意味している.確かにこの場合に罰によるメリットは単なる血縁度を超えて罰行使者により向けられやすくなっている.ここはちょっと面白いところだ.
  • そしてこのシミュレーションの限界は前回コメントしたように前提の狭さにあるように思う.
  • 特に協力するかどうかは「罰を受けたかどうか」のみで決定する.これはかなり単純化した前提ではないかと思える.罰の効果が非常に大きい(村八分されると非常に厳しい)か,心理的に非常に大きなダメージを受ける(この場合なぜそういう性質があるのかについてさらに吟味が必要)ということが前提になっているということになるだろう.
  • そして一番気になるのは罰コストについて「報復リスク」をあまり考慮していないように思われることだ.謀殺や武器による罰に対して報復リスクがないと考えるのはあまりにもナイーブだろう.現実の世界は連携していれば大丈夫というほど甘くはない.少し想像しても,罰を受けそうな方は(その罰の効果が大きいならなんとかしてそれを避けようとし),臨界値近辺では報復リスクに耐えられそうにない一部の弱者に狙いをつけて強い報復を示唆し,連携を崩そうとするだろう.そしてそこからは様々なやりとりがあるだろう.いずれにせよ罰システムの進化を検討するなら報復リスクに対してより深い吟味が必要だろう.
  • 細かな点でいえば「裏切り者検知」は特にこのシナリオによらなくともいろいろな説明は可能だろうと思う.ここも我田引水的だ