協力する種 その39

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第10章 社会化 その4


ここまで著者たちは,メリットのある規範があれば,(内面化コストがメリットの範囲内であれば)規範内面化形質が進化しうること,一旦そのような内面化形質が進化すればメリットのない規範も同調影響力が高ければ内面化されることを示した.ここからそのメリットのない規範が利他的なものであればどうなるかを考察する.

10.6 いかにして利他的な規範は内面化されうるのか
  • ここまでの分析でわかったことは,一旦内面化遺伝子が定着すると一定の条件が満たされるとメンバー個人にコストのかかる規範でも拡散してしまうことがあるということだ.そしてそれは集団全体にとって悪影響があってもそうなる.
  • 実際に長期間存続している社会を見ると,個人にはコストがかかり集団全体にメリットのある規範がしばしば内面化されている.何故そうなのかについては「弱い群淘汰」が有効な説明になるだろう.社会に利益がある規範を持つ集団の方が生存率と繁殖率が高いからだという説明だ.これは集団内では安定均衡になっているので,集団内でその個人が不利になっているわけではないことが背景にある.
  • ここで問題になるのは垂直伝達,斜行伝達,利得更新を持つこのようなシステム自体が規範保持均衡が可能なようなγやηのパラメータを持つように進化可能かということだ.(第7章,第8章では同じような問題に対して集団間の激しい争いという条件を見いだした.)
  • ここでは遺伝子型分布,表現型分布,規範学習に関するメカニズム(そしてγとηのダイナミクス)の点から検討する.課題は複雑であるのでエージェントベースのシミュレーションで検討する.
  • 12〜36人のサイズの1000集団がトーラス面で格子状に並ぶ.世代あたり移住率は25%で隣接集団にのみ移住可能.遺伝型の変異率は世代あたり0.01%.初期状態はbSDが95%,残りが各1〜2%という頻度とする.s=0.03, f=0.06, u=0.01, 利他行動がもたらす利益=0.05として固定する.γとηは社会的に決定される変数とし,初期値はランダムに決定し,制度として突然変異を生じてそれぞれ1%ずつ変動する.γの高い社会ほど利他的個人に高いコスト(sγ)が発生する(効果的な制度にはコストがかかる).ηが高い場合には利他的個人が影響を持つためによりコスト(s(1-η))を負担する.
  • 集団間の淘汰を以下のように設定する:集団サイズが最低限(初期値の1/4程度)まで減少すると隣接集団の中の最大のものに取って代わられる.毎世代小さな確率で集団は隣接集団と戦闘状態に入り,社会的利得の高い集団が勝利し,敗者は勝者のパラメータを受け入れる.
  • 世代数やパラメータを変化させてシミュレーションを繰り返すと,毎回同じような安定状態に急速に到達した.初期状態においてA型が少なくとも2%存在すると最終的には常に利他的な表現型を持つ個体が増加し,その比率は高いレベルで安定した.
  • γ維持のためのコストが非常に高くない限り,斜行伝達の強さは常に増加した.ηを減少させる淘汰圧は強く,それを減少させるためのコストを高く設定しないとその値は長期的に低下する.(この部分は難解だ.シミュレーションの結果からはγとηは初期値から一定値に向けて収束して行っているように見える.だから低下するか増加するかは初期値次第に思えるが,著者たちはこういう書き方をしている.ηが利己的な方向とは逆に進化することを強調したかったのかもしれないが,一定値に収束することをこういう書き方にしているのであれば,それは姑息だという印象を免れないだろう)
  • 移住により利他的な均衡が損なわれることはなかった.移住者は文化のみに反応するので,新しい集団でその社会的環境に反応したからだ.
  • シミュレーションからは,利他性が社会化されるシステムが進化可能であることが示された.


集団内でコストのかかる利他性規範保持均衡があって,集団間淘汰圧があれば,そのような規範がポピュレーション内で成功しうるというのは直感的にも納得できる.このシミュレーション結果の面白いところはγ,ηというパラメータが一定値に収束するところ,この利他性規範が(集団内とは異なり)ポピュレーション全体で頻度0にも頻度1にもならずに一定頻度で均衡することだ.おそらくγとηは集団内淘汰と集団間淘汰の力学の均衡で一定値に収束するのだろう.ポピュレーション全体で利他性規範の頻度が一定値に収束するのはより興味深い.ちょうどアミメアリのような力学で,集団内淘汰の方が速度が速く,次々に規範非保持の集団が生まれ,ゆっくり進む集団間淘汰で規範保持にひっくり返っていくのが引き合って安定するのだろうか.なぜボウルズとギンタスはこの面白いところを全く解説しようとしないのだろうか.
またγはすべての規範について同一であるというのが重要な前提になる.仮に規範によってγを変えることができるならシミュレーションの結果は随分異なる形になるだろう.

10.7 プログラムによって制御される脳
  • 規範の内面化には2つのコストがある.まず規範獲得のためのコスト(学習コストなど)がある.さらに規範通りに行動するとフレキシブルに対応できないなどの規範の内容にかかるコストだ.
  • では何故規範が一般的にみられるのだろうか.我々は,それは状況ごとに最適な行動を選ぶための計算コストを節約できるということだろうと考えている.
  • 規範内面化能力と文化伝達は,規範が個人にメリットを与える場合に共進化できることを本章で示した.我々の持つ規範がこれによって説明できるとしたら我々が規範によって得ている個人的メリットとは何だろうか.
  • (ヒト以外の)動物においては(自然淘汰の結果生じる)選好は適応度最大化行動をとろうとする傾向と近似している.しかしヒトは規範の文化伝達と内面化によりそこから逸脱可能になっている.
  • そしてヒトにおいては(規範の保持により)自然淘汰の結果より効果的に適応度増加行動を引き出すことが可能だ.そのひとつの場合は規範により集団内で不利な(利他的)行動が可能になり,それは集団間淘汰を通じて個人にネットで利益をもたらすことができる.
  • 本章では斜行伝達について伝達者の至近的なメカニズムを問題にしていない.次章では利他行動の至近的なメカニズムとしての感情を考えよう.


ボウルズとギンタスは規範の存在意義について計算コストの節約だと説明している.しかしここは,一定のルールに従った行動をとることにより相互作用の相手からみた場合の予測可能性が高まり,より相利的な協力が生みだされやすいという要素の方が重要ではないだろうか.

また規範による個人的メリットは集団の利益を通じてもたらされる利益だとしている.規範により(集団間淘汰がうまく働いて)単純なマルチレベル淘汰の結果よりさらに社会的ジレンマをうまく乗り越えることができるという意味だろう.確かにその可能性はある.しかし著者たちは操作の観点を無視しているように思う.一旦規範内面化が生じれば,(集団内淘汰の文脈では)各個人は自分に有利な規範を他人に埋め込んで利用しようとするだろう.規範が集団間淘汰のみの影響を受けると考える点で著者たちの態度は甘いのではないかと思う.