日本進化学会2018 参加日誌 その5


大会第三日 8月24日 その1


大会第3日目は500キロも離れて西日本に上陸した台風が関東南部にも帯状降水帯を作って大荒れの天候下で始まった.シンポジウムは社会性コミュニケーション関連のものに参加

シンポジウム S14 社会性コミュニケーション創発のためのゲノム・脳・行動進化

趣旨説明 郷康広
  • このシンポジウムは新学術領域「多様な「個性」を創発する脳システムの統合的理解」(略称:「個性」創発脳 領域代表:大隅典子)と同じく新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」(領域代表:岡ノ谷一夫)の共催になる.
  • 社会的コミュニケーションは単細胞生物からヒトまで幅広く見られる.これについてどのように生じたのか,種を越える共通性はあるのかについて多層的なアプローチから迫りたいという趣旨になる.


霊長類ゲノム研究を通して社会性コミュニケーション創発あるいは欠如とは何か考えてみる 郷康広
  • 社会的コミュニケーションというと一般的イメージは「コミュ力」みたいなものだろう.これは自閉症スペクトラムと同じようなもので,高い方から低い方まで連続的になっているはずだ.ある意味精神的な個性であり,こころの多様性だ.この遺伝的基盤を研究している.
  • 認知ゲノミクスにより脳や心の個性,多様性を見ていきたい.しかし操作実験にヒトを使うにはいろいろと制限があるし,マウスでは認知能力に疑問がある.そこで霊長類を使っている.操作実験により単なる相関ではなく因果を調べたい.
  • インフラを作りながらゲノミクスとトランスクリブトームをやっている.
  • ゲノミクス:ゲノタイプからサルを網羅的に調べてヒトの認知に関連しそうなところをスクリーニングする.
  • マーモセットを966個体使って精神疾患と関連していそうな479遺伝子を解析した.個性の候補遺伝子は71個に絞り込んでいる.表現型としては視線異常などを用いる.
  • マカクでは831個体503遺伝子.53遺伝子が候補になっている.表現型としては早老症,自閉症などを使っている.自閉症というのは役割交替課題ができないことを指している.このような個体にはミラーニューロンが少ないという報告もある.
  • トランスクリプトーム:マーモセットで発生中の脊椎形成においてシナプスの刈り込みについての個体差を分析している.これはヒトにおいて統合失調症において刈り込みが強すぎ,自閉症で刈り込みが弱すぎるのではないかといわれているものだ.
  • おそらく心の個性において種を越えた共通性がきっとあるだろう.今はカタログ作りの段階で,操作実験はこれからになる.
精神疾患関連遺伝子からみるヒトにおけるうつ・不安症傾向の進化 河田雅圭
  • 霊長類,類人猿に比べてヒトに特異的な社会的コミュニケーションはどのように進化したのか.これには集団内の攻撃性の低下,親の世話の長期化,ペアボンドの強化,オスオス競争の低下などが関わっているだろう.
  • 関連した有名な知見には,ハタネズミにおいてバソプレシン受容体の変異でペアボンドの強さが決まり配偶システムに大きな影響を与えているというものがある.
  • ヒトにおいて神経伝達物質受容体のSNPとアンケート調査結果の関連を調べてみると,いろいろと見つかる.
  • どうやら線条体においてこれが効いているらしい.チンパンジーからヒトになってアセチルコリンが低下しドーパミンが上昇し攻撃性が低下し社会集団が容易に形成されるようになっているのかも知れない.
  • 精神的個性や精神疾患には遺伝的な相関がある.これに関連する遺伝子588を解析してみると正の淘汰を受け,かつ平衡淘汰が多型をもたらしている遺伝子が3つ見つかった.そのうち1つはSLC18A1で,これはシナプス間のモノアミントランスポーター関連遺伝子で,小腸のほか脳でも発現している.
  • またスレオニン関連遺伝子のある塩基がThu(トレオニン)→Ile(イソロイシン)となる変異は鬱などの精神疾患と関連している.Ile変異型が増え,セレクティブスウィープもあり,おそらく出アフリカ以降に正の淘汰がかかっている.しかしそれだけではTajima’s Dの値を説明できないので平衡淘汰もかかっているようだ.
  • 平衡淘汰のメカニズムは理論的にはいくつかある.変異と浮動のバランス,変異と淘汰のバランス,負の頻度依存淘汰,超優性,創発と絶滅のバランスなど.
  • このどれによるのかについて7500人のアンケート調査とゲノムデータを使って解析した.鬱傾向,不安傾向はThr型の方が高い.ちょっと乱暴だが,子どもの数を適応度として分析するとヘテロの方が適応度が高いという超優性型になった.これを素直に解釈すると,出アフリカ後何らかの要因で抗鬱・抗不安型が有利になりIle変異が頻度を増した.しかしヘテロの方がより有利だったので平衡淘汰がかかったということになる.不安についてはスレオニンだけでなくセロトニンも関連すると言われており,全貌はもっと複雑なのだろう.
  • ヒトにおける平衡淘汰については免疫などであると言われてきたが,我々のこの研究のように遺伝子レベルで調べたものはあまりない.ヒトは様々な環境の中で生きているために長期間では平衡淘汰になるものもいろいろあると思う.
父加齢の次世代行動への影響:進化に与える可能性についての考察 大隅典子
  • 個性の神経基盤を発生と進化から理解したい.これがこの学術領域を作ったときの思いだ.
  • 個性のメカニズムを科学的に理解し,その科学を確立し,データベースリンクによって国際的に貢献し,個性の理解を社会に還元したい.領域では「ヒトにおける個性創発」「動物モデルにおける個性創発」「個性創発のための計測技術と数理モデル」の3チームが活動している.是非ホームページを見て欲しい.http://www.koseisouhatsu.jp/index.html
  • ここではまず父マウスの加齢による仔マウスの個性への影響のリサーチを紹介する.
  • きっかけは自閉症スペクトラムだ.コミュニケーションの障害や情動性の欠如などがよく問題になるが,実は多様な合併症があることでも知られている.癲癇,成長遅滞,不安症,運動失調,多動,注意障害,感覚過敏,消化器症状などだ.そして1人1人で症状の組合せが異なるのだ.
  • 自閉症発症の生物学的要因としては,遺伝的要因,と環境要因がある
  • 遺伝的要因は一卵性双生児での遺伝率が80%から90%とされている.関連候補遺伝子は800にのぼる.
  • 環境要因としては,まずワクチンは論文不正が明らかになり否定された.育て方の影響も否定されている.残る要因として議論されているものに母胎感染,薬物の影響,そして両親の加齢がある.
  • 両親の加齢についてのリスクリサーチによると,母加齢は20代を1としたときに40代以上で1.15,父加齢は20代を1としたときに,40代で1.28,50代以降で1.66とされている.
  • 父加齢の影響はこのほか統合失調症(50代で2.96),若年性双極障害などにも報告がある.
  • ここでマウス実験を行った.3ヶ月父と12ヶ月父を若いメスと交尾させてF1を作リ,比較する.この結果加齢父の仔マウスには低体重,コール数減少,母子分離,感覚フィルター機能異常,空間学習テスト成績低下などが見られた.
  • さらに個々のマウスの個性について個体識別して行動解析を行っている.解析に用いたのは母仔分離超音波発声頻度.これは社会性に正,空間学習に負に相関する.そして5分で数千シグナルが採取できるのでビッグデータ解析が可能だ.
  • さらにこれが孫の世代に影響するかも調べている.影響があるならエピジェネティックスの効果が疑われる.そこで精子のメチル化を調べるといくつか違いが見つかっている.
鳴禽類ソングバードの歌学習個体差をつくる生得的学習バイアス 澤井梓
  • 個体差はどこまで生得的でどこまでが生育環境によるのか,これを神経科学的に考えている.
  • 感覚運動学習というのは感覚メカニズムと運動メカニズムの協調的な学習で,獲得される運動に明確な個体差がある.
  • モデルとしてソングバードのキンカチョウを用いる.キンカチョウを父の歌を聴いて真似をする.まず部分的な音素をさえずるようになり,洗練させていく,獲得には2ヶ月ぐらいかかる.同腹の兄弟でも父の歌との類似度に差が出る.またペットとして飼育され,純系ではないので個体差が大きい.
  • まず科研費の範囲で飼育できる鳥を飼育し,片方で歌の個性を視覚的にパターン化して提示する手法を開発した.
  • ここでピーター・マラーの1980年のリサーチがある,これはSwamp SparrowとSong Sparrowを使って,ヒナの耳を塞いで歌を獲得させ,歌の学習には種特異的な拘束があり,その上で学習することを示したものだ.
  • そこでキンカチョウとカノコスズメを使い,雑種の歌獲得を調べることにした.この両者は近縁で6.5百万年前に分岐したと言われている.学習元は父を使わずに人工的な音源でそれぞれの歌をランダムにプレイバックさせる.
  • この結果雑種ヒナの約半数は中間的な歌を,1/4はキンカチョウ的な歌を,1/4はカノコスズメ的な歌をさえずるようになった.さらにこの獲得過程を24時間自動録音で解析した.すると獲得音素に最初からバイアスがあることが見つかった.
  • ではこのバイアスは認知のところなのか運動のところなのか.それを調べるために今度はどちらかの歌だけを聴かせて比較してみた.その結果やはり中間的な歌,キンカチョウ寄りの歌,カノコスズメ的な歌に分かれた.これは運動バイアスだと思われる.
  • この同じモデル音声でも獲得する歌が異なるという個性はどのように発現するのか.獲得した歌のパターンでグループ化して比較してみると,クチバシの形態,鳴管の形状,脳の関連部位の大きさともに差が無い.そしてどういう親だったのかのところにバイアスがある.つまり遺伝的に決まっているのだ.
  • ここから遺伝子の探索に入った.するとアレリックインバランスが見つかった.インプリンティングほど極端ではないが,父経由の遺伝子と母経由の遺伝子で発現がいつも1:1ではない.そしてこれが発達の過程や部位で変わっている.
社会との相互作用下で創発する霊長類のコミュニケーション 香田啓貴
  • 言語の進化の研究ではハウザー,フィッチ,チョムスキー2002の論文がよく引用される.この論文ではヒトの言語はほかの動物のプロト言語と連続性があることを認めている.私たちはヒトの言語になるためには「階層性」と「意図共有」が後押ししたのだろうと考えて,研究している.それが新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」になる.
  • 階層性とは何か.それは1次元に連続的に並ぶ単語のマージの構造により無限の複雑性を生みだすものだ.ヒト以外にはあまり見られない思考経路だ.また意図共有は互いに相手の意図を推測しながら相互作用をするもので,これもヒト特有だ.この2つの要素で新しい構造が創発すると考える.キーワードは,社会における「相互作用」になる.
  • 社会とコミュニケーションの相関のよい例は霊長類の社会にある.まずテングザルでは性淘汰の影響で,オスの鼻の大きさ,コールの低さ,ハレムナイのメスの数が相関する.テナガザルではモノガミーの核家族社会で母と娘が同期して歌を歌う.このような社会とコミュニケーションの関係を通じてコミュニケーションの進化を考えたい.
  • ここで個体内個体間の相互作用をコントロールして,どのようなコミュニケーションが創発するかを観察した.
  • ヒヒとマーモセットで分割パネルの中で赤く光ったところを押していく課題を設定する.そしてある個体がミスしたときに次の個体がそのミスをどう解釈して,次にどこを押すかを観察する.ヒヒでは覚えやすいパターンに収束していく.マーモセットではランダムウォークのような動きが創発する.


個性について様々な視点からいろいろな取り組みがあることが眺められて面白いシンポジウムだった.確かにヒトやその他の動物の行動傾向やパーソナリティの多様性の説明は興味深い問題だ.すべてが頻度依存淘汰で説明できるのか,本当に超優性のようなことが効いているのか.アレリックインバランスの話も興味深い.まだとっかかりの段階と言うことだろうが,今後の進展を期待したい.


シンポジウムが終わることには台風の影響の雨風も収まってきた.