Enlightenment Now その71

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その1

 
ピンカーの啓蒙運動への擁護の最後のピースはヒューマニズムの擁護だ.これは価値の議論になる.自然主義的誤謬に陥らずにどう説明するかがピンカーの腕の見せ所ということになるだろう.

  • 科学だけでは進歩は生じない.科学は自然法則に禁じられていないことであらばそれを実現できるようにすることができる.生物学はワクチンも生物兵器も創り出すことができるのだ.そしてワクチンの開発を進め生物兵器を禁止するようにするには別の何かが必要だ.
  • 人類の繁栄(寿命,健康,幸福,自由,知識,愛,豊かさ)を最大化するという目的はヒューマニズム(humanism)と呼ばれてよい.これは価値命題「べし」を生みだす.
  • そして大文字のヒューマニズム(Humanism)で呼ばれ,意味や倫理から超自然や神を排除したものを推進する動きが勢力を増しつつある.その考え方は2003年の「Humanist Manifest III」にまとめられている.
  1. 世界の知識は観察,実験,合理的分析によって得られる.
  2. 人類は,(誰かに導かれたわけではない)進化によって生まれた自然の不可欠の一部である
  3. 倫理的価値は人類のニーズとインタレストからもたらされる
  4. 人生の充実は人道的理想への個人的参加から得られる
  5. ヒトは社会的な性質を持ち,関係性に意味を見いだす
  6. 社会のために働くことは個人の幸福を最大化する

 

  • この提唱者グループは「ヒューマニズムの理想はどの党派(sect)にも属していない」ことを強く主張している.ヒューマニズムには超自然や神を思い起こさせるものはないが,しかし宗教と相容れないわけではない.例えば東洋の儒教や仏教の多くの宗派は倫理の基礎に(神の指令ではなく)人々の幸福をおいている.ユダヤ教やキリスト教の多くの宗派はヒューマニズム的になり,超自然や教会の権威の主張をソフトにし,理性や人類の繁栄をうたうようになっている.
  • 人類の繁栄というヒューマニズムの理想は平板で当たり前のことのようにも思われるかもしれない.しかしそれは強いモラル的なコミットメントであり,ヒトの心に自然に生じるものではない.実際にこれから見るように,ヒューマニズムは宗教家や政治家だけでなく,芸術家やアカデミア,インテリからも激しく攻撃されてきたのだ.

 
まずここで擁護するヒューマニズムについては2003年の「Humanist Manifest III」の内容がよいまとめになっているとしてそれを紹介している.そしてそれが党派的主張でないことをまず強調する.それは(ほとんどの)宗教とも共存できるものであり,しかしそこには強いモラル的コミットメントがあるとする.そしてここから価値の議論になる.
 

  • スピノザの格言は道徳の基礎原則の1つである公平の原則となるものだ.それは「代名詞の『私』は自分の利益が他人のそれより優越する特権を持つことを正当化しない」つまり,私が私であるからといって特別なことはないということを意味する.公平は倫理を確立しようとする多くの議論の基礎になっている.スピノザの永遠の視点,ホッブスの社会契約,カントの定言命法,ロールズの無知のベール,そしてもちろん黄金原則(さらにその派生原則*1)がそれにあたる.
  • ただし,公平の原則だけでは完全ではない.自分自身のみが問題だと考えるソシオパスに対してこの原則だけでは説得できないだろう.そして公平の原則には中身がない.その原則は皆が欲するもの,そしてそれが人類の繁栄と言えるものが何かを語っていないのだ.
  • 長寿,健康などのリストを書く試みはあった.しかしその正当化はできるのだろうか.つまりヒューマニズムにモラルにより深い基礎を与えることができるだろうか.私はできると思う.

  

  • 人権宣言などでは生命,自由,幸福追求の価値は「自明」だとされている.このやり方にも問題がある.何が自明かは自明ではない.しかしこれは鍵になる直感を示している.モラルの基礎に命を持ってくることには何かしら説得力があるのだ.ネーゲルの「理性の正当性を考察すること自体が理性の存在を前提にしている」という超越的な議論に倣えば,それは確かに理性的考察者の生命を前提にしているだろう.
  • この考察はさらに科学,そのエントロピー,進化という2つのアイデアと共にヒューマニズムの正当化の扉を開く.伝統的な社会契約の分析は実態のない魂というべき考察者たちの会話に基づいている.この考察者たちを実際の物理的世界に生きているものとして議論を深めてみよう.

  
まず黄金原則を取り上げる.これは強力な原則だが,しかし価値の中身には触れていない.そしてそれを正当化をする試みをエントロピーと進化のアイデアから行うという.なかなかスリリングだ.

*1:シルバー原則は「自分にされることを欲しないことを他人にするな」,プラチナ原則は「他人からして欲しいことを他人にしろ」だそうだ