Enlightenment Now その77

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その7

 
ピンカーによるヒューマニズム擁護.有神論的道徳論からの批判への反論の最後にはイスラム教の問題を扱っている.ここは政治的には大変剣呑な部分なので,ピンカーとしても腹を括った上での指摘ではないかと思われる.
  

  • 有神論的道徳が西側で有害であるとして,それは現代のイスラムではさらに悪い状況を招いている.イスラム世界は世界の進歩傾向において(健康,教育,自由,幸福,民主制,富いずれにおいても)劣後しているのだ.2016年のすべての戦争はイスラム国家かイスラム主義者グループが絡んでいる.女性解放,個人の自由,言論の自由などの解放的価値はイスラム圏で劣後している.同性愛や魔女や涜神の犯罪化,残虐な刑罰の点で人権擁護の程度も低い.
  • これらのうちどれだけが有神論的道徳に原因があるのだろうか.まずイスラム自体に原因があるわけではない.イスラム文明は科学革命の先駆けとなったし,歴史を通じて寛容でコスモポリタンで,圏内はキリスト教圏より平和だった.女児割礼や名誉の殺人はイスラム法からではなく,西アジアやアフリカの部族的慣習から来ている.進歩阻害要因の一部は権威主義的政治から,一部はオスマン帝国の崩壊の際の西洋の干渉から来ているだろう.
  • しかし進歩阻害の一部は宗教的信念から来ているのも間違いない.イスラムの教義を文字通り受け取るとそれは非常に非ヒューマニズム的になる.コーランには不信心者への憎悪,殉教者への賛美,聖戦の神聖性があふれている.飲酒への鞭打ち刑,同性愛や不貞への石打ち刑,イスラムの敵への絞首刑,異教者の性奴隷化,幼児の強制結婚の許容なども定められている.
  • もちろんキリスト教の聖書も非ヒューマニズム的記述にあふれている.問題はどこまで文字通りに受け取るかだ.イスラムにも比喩や限定を巧みに用いる解釈学がある.しかし問題はこの微妙な偽善的技術が(キリスト教やユダヤ教に比べて)遙かに未熟なところなのだ.
  • また片方でイスラム世界では,自分をイスラムだと規定する人の大多数が自分を「非常に強く宗教的」と考えている.
  • この2つの組合せを考えると,イスラム世界の問題をすべて石油,植民地の過去,イスラムへの偏見,オリエンタリズム,シオニズムに求めるのには無理があると考えざるを得ない.定量的に調べると,国家間でも個人間でも父権主義や非リベラル的価値はイスラム要因と強く相関している.

 

  • これらの問題はかつてはキリスト教圏でも見られたものだ.しかしキリスト教圏では啓蒙運動に端を発して政教分離を進めてきた.しかしイスラム圏では政教分離の動きはほとんど見られない.(イスラムも含む)歴史家や社会科学者はイスラム教と政府や市民社会の強い融合がいかに彼等の経済的政治的社会的進歩を阻害してきたかを示してきた.
  • 問題を悪化させているのはサイイド・クトゥブに始まりアル・カイーダに受け継がれている「預言者の時代から初期アラビア文明時代の栄光の再現を目指す」反動的イデオロギーだ.このイデオロギーの信奉者は,十字軍に始まり現代の容赦なき世俗化まで含む西洋からの屈辱を噛み締め,厳格なイスラムの実践を目指す.
  • 有神論的道徳のイスラム世界における問題は明白であるにもかかわらず,西洋のインテリたちは,抑圧や女性差別や同性愛差別が(それが自分の文化圏で起これば容赦ない批判を浴びせるのに)イスラムの名の元に行われると奇妙に弁護的になる.彼等の態度は,一部はイスラムへの偏見を持っていると思われないためのもの,一部は文明の衝突を煽るのを避けようとしてのもの,一部は敵をロマン化する西洋インテリの伝統にしたがうものから来ているのだろう.しかこの弁護的態度の多くの部分は「信仰の信仰」主義者,第2文化にある宗教的なものに対する弱点,そして啓蒙運動ヒューマニズムにオールインすることへのためらいから来ているのだ.

 

  • 現代イスラム信念にある非ヒューマニズム的特徴を指摘することは,イスラムへの偏見でもなければ文明破壊的でもない.これによる被害はイスラム者が受けているのだ.イスラムは人種ではないし,宗教はアイデアでありそれ自体が権利を持っているわけではないのだ.それは基本的に共和党の政策を批判するのと同じなのだ.
  • イスラム世界に啓蒙運動を持ち込めるだろうか.イスラムの非ヒューマニズムを擁護する多くの信仰親和的インテリはそれは難しいと主張する.彼等によると,西洋は平和と繁栄と教育と幸福を享受できるが,イスラムはそのような快楽主義には染まらず,中世の信念と慣習にとどまるのだということになる.しかしこの恩着せがましい意見についてはイスラムの歴史自体が反例となっている.古典的イスラム文明は科学と世俗的哲学の繁栄を享受したし(16世紀のムガール帝国の事例が引かれている),今日のイスラム世界にもチェニジアやバングラデシュやマレーシアのようにリベラル民主制に向かって舵を切っているところもあるのだ.多くのイスラム国で女性への態度はゆっくりだが改善している.西洋でうまく働いた解放的な力(連結性,教育,流動性,女性の進出)がイスラム世界をバイパスしているわけではない.
  • そしてアイデアこそが問題になる.イスラムのインテリたち,作家たち,行動家たちはイスラムのヒューマニズム的革命を主張している.(いくつかの例が紹介されている)
  • 当然ながら新しいイスラムの啓蒙運動はイスラム者自身により広められなければならない.しかし非イスラムにも役割がある.世界のインテリネットワークはつながっており,西洋のアイデアと価値は様々な形でイスラム世界に流れ込みうるのだ.(いくつかの驚くべきつながりが紹介されている)

イスラムの内部の問題としては,政教分離が進んでなく,敬虔で教義を文字通り受け取る信者の割合が高いところにあるということになるだろう.ピンカーは指摘していないが,私としてはイスラム教は特に教義的に政教分離が難しいという部分があるのではないかと思う(キリストは政治権力を持ったことがなく「カエサルのものはカエサルに」という言い方をしているが,ムハンマドはまさに政教一致の政体を創りあげ,それを教義化しているということがあるだろう).
そしてここでも上から目線で偽善的な西洋のインテリの鼻持ちならない態度が厳しく糾弾されているということになる.