Virtue Signaling その1


 

本書は「The Mating Mind(邦訳:恋人選びの心)」「Spent(邦訳:消費資本主義!)」「Mate」などで有名な進化心理学者ジェフリー・ミラーによるエッセイ集.Virtue Signalingに関する様々な自身のコラムや論文が年代別にまとめられているものだ.
「Virtue Signalling」というのは割と最近アメリカのSNSや政治周りで使われるようになった用語で,「自分がいかに道徳的に優れているかの(時に空虚あるいは偽善的な)ディスプレイ」を指す.フェイスブックにいかに自分が環境に気をつけているか書き込むことや,アイスバケツチャレンジのようなものが典型的だが,政治的には2016年の大統領選で,互いの非難キャンペーンに用いられてからかなり使われるようになった言葉なのだそうだ.

ジェフリー・ミラーは(そういう用語こそ使っていなかったが)このような現象について,道徳の性淘汰の枠組みで遙か以前からいろいろ考察していて,それを今回一冊の本にしてまとめたということになる.

Preface 序言

序言はこう始まっている.

  • 私たちはみな「Virtue Signaling(道徳的徳についてのシグナル)」をする.私もするし,あなたもするのだ.そして特にあいつら,つまり自分が気に入らない政治的部族は「Virtue Signaling」をする(もちろん相手も同じように思っている)
  • そうじゃない振りをするのはやめよう.私たちはみなヒトであり,ヒトは自分のモラル的徳.倫理原則,宗教的信念,政治態度,ライフスタイルの趣味の良さを他人に見せびらかすのが大好きなのだ.

 
そして「Virtue Signaling」に関する自分の人生を振り返っている.ここはミラーの自伝的なコメントとしても興味深い.

  • 「Virtue Signaling」という言葉は2016年の大統領選挙以降広く用いられるようになった.しかし「Virtue Signaling」はヒトの道徳の起源,つまり何百万年前からあるものだ.そして私は高校生の頃から「Virtue Signaling」に愛と憎しみを抱いてきた.
  • 私は政治的に早熟だった.両親は食卓でよく政治の話をした.父はコロンビア大学で西洋文明の古典を学んでおり,軍事史と資本主義と共産主義のコンフリクトに強い興味を持っていた.母は地元の女性投票リーグを運営し,政治ディベートを主催し,投票登録推進運動を進めるような人だった.両親ともプラグマティックで中道派だった.そしてすべてのアメリカ人には情報に基づいた合理的な投票の義務があると信じていた.彼等にとって政治的な問題は(シグナリングするのではなく)リサーチして議論するものだった.
  • 両親は車に政治的なバンパーステッカーを貼ったりしなかった.サンクスギビングのテーブルで大勢のいとこたちがいるようなところで政治の話はしなかった.ソーシャルメディアはなかった.しかし静かにゾーニング規制の改善やランドマークの保存に取り組んだ.彼等の意見は時に食い違ったが,共通の価値観にしたがって協力した.多くの点で彼等は「Virtue Signaling」なしの効果的で規律を持つ市民のロールモデルだったのだ.
  • このような背景で育った私は80年代の後半に高校に進学し,そこで「Virtue Signaling」を目撃してショックを受けた.
  • 私は5年生までに多くのSFを読み,あり得べき将来を夢見た.そして高校に入るまでに「自由は良いことだ」「核戦争を防ぐのは重要だ」という2つの政治的信念を持つようになった.
  • 自由に関する信念から私は「自由のための若いアメリカ人」という組織に加入し,学校新聞に自由に関する記事を寄稿するようになった.私は内向的なオタクだったが,この活動は快かった.
  • 核戦争に関する信念を持った私はそのころの大人たちに絶望した.彼等は目の前の脅威から目をそらし,流行の政治テーマを追いかけていた.高校2年になる頃にはこの国は何もわかっていない大人たちに牛耳られていると考えるようになった.当時まだ「Virtue Signaling」という言葉はなかったが,あったら使いまくっていただろう.
  • コロンビア大学に進むと,周りの「Virtue Signaling」はさらに強度を増した.
  • 時はレーガンが再選された頃だ.私はレーガンが核戦争の引き金を決して引かないということについて信用していなかった.彼の地滑り的な勝利はアメリカはこれから性差別的父権的ファシズム的国家になりソ連と戦争する道を歩むように感じられた(これはちょうど今のトランプ政権についての感覚に似ている)学生寮は中絶の権利,ゲイの権利,グリーンピース,チェ・ゲバラ礼賛のポスターにあふれていた.当時の学生寮にも保守派的信念を持つ学生は多くいたはずだが保守派のディスプレーはどこにもなかった.私はフリースピーチとフリーマーケットを礼賛するリバタリアン的な意見を吐く唯一の学生だった.
  • コロンビアのコアカリキュラムには西洋文明の基礎についての素晴らしいコースがあった.心理学を専攻してからは政治的行動の認知的社会的基礎も学んだ.
  • スタンフォードの院に進み,デートした女性たちから「Virtue Signaling」の心理を深く教わることになった.そして「恥知らずのダーウィニアン」であることは社会的,性的なハンディキャップであることを知った.いくら女性の権利を擁護しようともダーウィニアンであることの前には何に効果もなかった.リバタリアン的な意見は反動的保守の意見だとされた.彼女たちは進化的な理由付けに生理的な嫌悪感をあらわにし,進化心理学は道徳的にナチの優生学と同じだと決めつけた.ブランクスレートドグマを否定すれば私の政治的意見は無視された.同じ政治的部族に属しているという「Virtue Signaling」に失敗すれば,間違った部族にいると見做されるのだ.
  • それ以降私は「Virtue Signaling」の刻印ともいえる道徳的偽善に魅せられるようになった.人々は情熱的にある意見を表明するが,現実に特に気にせずにそれに反する行動をとる.
  • 偽善は悪いことだから偽善シグナルはまずいはずだ.しかし本当にそうなのか.私の理解は信号理論を知ることによって複雑になった.院では性淘汰と性シグナルを学んだ.動物行動においては適応度シグナルは重要だ.そしてシグナルは性淘汰装飾だけではない.
  • 1996年,私は当時の進化ゲーム理論の中心地の1つであるロンドンのUCLでリサーチを始めた.そこでウェブレンの顕示的消費,マイケル・スペンスの知性シグナルとしての学歴の議論,そしてザハヴィのハンディキャップ理論を知る.「Virtue Signaling」を理解するための知的ツールがそろい始めたのだ.
  • シグナルにはいわゆる「チープトーク」とコストのかかる正直な信号がある.SNSでチープトークに信頼性を与えるように働く主な圧力は非難と村八分への恐れだ.「Make America Great Again」と書いた帽子をかぶるのに大したコストは不要だが,それは友情を失わせるかもしれないのだ.コストのかかるシグナルには何ヶ月もボランティアを続ける,莫大な寄付をするなどがある.
  • 「 The Mating Mind」を書きながら,チープトークとコストのある信号の違いについてよく考えた.子育てや家事への努力自体長期パートナーに対する正直なシグナルになる.学会の事務局で皆と協力して熱心で丁寧な仕事をするのも,社会性や開放性のシグナルになる.
  • さらに「効果的利他主義運動」に参加して,信頼できる「Virtue Signaling」の利益を知ることになる.私は信頼できる「Virtue Signaling」を行う効果的利他主義者と恋に落ちた.

 
そして本書への導入としてこうコメントがある.

  • 「Virtue Signaling」はヒトの本能の最良の部分と最悪の部分を併せ持つものだ.
  • 最良というのは,「Virtue Signaling」はヒトの道徳の最良の基礎になるからだ.それなしでは利他主義の進化は非常に困難だが,その困難を飛び越えるように働くのだ.
  • 最悪というのは,それは政治的分断を悪化させるからだ.それは人々を検閲,魔女狩り,村八分に駆り立てる.
  • 「Virtue Signaling」が科学への好奇心,価値と視点についてのオープンな心,優先順位についての合理性,手段と目的についての戦略的な手腕と組み合わされれば素晴らしいことが起こる.しかしそうでなければロベスピエール的恐怖政治につながりかねないのだ.

そして本書の構成について説明がある.本書は7つのエッセイからなっていて,それぞれ1996年から2018年にかけて様々な場所で発表されたものになる.長さもまちまちだが,すべて「Virtue Signaling」がテーマになっているものだ.ミラーは最後にこうコメントしている.
 

  • 私たちの子孫が火星に,そして星々に広がったとき,どうか彼等が長寿を楽しみ,繁栄しますように.そして私たちがここまでやってきたやりかたより,より自覚的に,より合理的に,より相互理解の元に「Virtue Signaling」をしますように.

 
 
ミラーの本


ヒトの様々な特徴が性淘汰産物として理解できることを説得的に論じた本.私が初めて読んだのは2001年頃だが,まさに目からウロコだった.


同邦訳


進化心理学的視点から見たマーケティングについて,そしてそれが個人差のディスプレイであると考えるとうまく理解できることについての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967


同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384



男性オタクのためのもてるためのハウツーが詰まった実践的進化心理学応用本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180101/1514810891