From Darwin to Derrida その101

 

第10章 同じと違い その10

 
ヘイグによる「相同」の考察.相同を遺伝子のコピーから理解する道を示したのち,形態的相同を復権させようとするワグナー本の書評に入り,その観念的な議論を批判する.特に問題なのはワグナーが自然淘汰についてよく理解できていないように見えるところだろう.ヘイグの批判は続く.

   

新規性と適応 その2

 

  • ワグナーは進化的な変化の方向の決定要因について,自然淘汰を方向性の唯一の決定要因とせず,変異の要因を重視している.特に彼は遺伝的ネットワークの再配線について,それは突然変異アレルにかかる自然淘汰により生じるのではなく,系統独自であり偶発的に活性化するトランスポーザブルエレメントの既往プロモーターのコオプションによるものだと主張している.彼はこう書いている.「トランスポーザブルエレメントが遺伝子制御ネットワークの進化において重要な役割を果たしているという証拠が,進化生物学で広く受け入れられている様々な斉一説的なアイデア(uniformitarian ideas)に影響を与えている.・・・であれば,ある系統の進化的な運命は,ゲノムに影響を与え続けている遺伝的寄生体の振る舞いに大きく影響を受け,それが他系統との違いをもたらしているという考えもそれほど奇妙とはいえなくなる」

 

  • ほとんどの適応主義者たちはトランスポーザブルエレメントによる挿入を「突然変異」の一部として認め,ほとんどの挿入は点突然変異と同じく淘汰上有害か中立だと強調するだろう.有害な挿入はネガティブな淘汰により排除され,中立な挿入は浮動にさらされ,そのうちに消え去るか有害変異をため込むだろう.挿入のうち極く一部がポジティブ淘汰により保存され,それが適応を強化するのだ.

このあたりのワグナーの議論は自然淘汰の材料としての突然変異の存在と,適応度最大化に向けての方向性を与える淘汰というレベルの違いがわかっていないように思える,トランスポーザブルエレメントが挿入されて何らかの表現型が変化したとしても,その頻度が上昇したり下降したりするには淘汰が重要になるはずだ.トランスポーザブルエレメントの挿入だからといって点突然変異と何か本質的に異なるわけではないはずだ.このあたりのワグナーの自然淘汰矮小化の議論は,「進化を説明するには自然淘汰より突然変異が重要だ」とする根井の議論と共通するところがある.発生学者と集団遺伝学者が同じような(誤った)議論に陥っているのは,ある意味この誤謬がヒトの直感に何らかのアピールをするということなのかもしれない.

 
ヘイグはもちろんまさにその点をついて厳しく批判する.そして分かりやすい電子回路のアナロジーを提示する.
 

  • 電気回路のアナロジーが理解を助けるだろう.トランジスタと集積回路は技術により可能になるものに革命をもたらした.しかしすべての回路がすぐに新しいデバイスに利用できるわけではない.ワグナーは適応主義者は制約のない自然淘汰の役割を強調しすぎており既往の回路や部品に注意を十分払っていないと示唆する.適応主義者は部品がエンジニアなしで自律的に新しいガジェットに組み上がるわけではないと主張する.彼等は回路の設計や部品の存在についてエンジニア(自然淘汰)の役割を重視するのだ. 

 
ヘイグはこの電子回路のアナロジーをいったん受け入れた読者に具体的なトランスポーザブルエレメントがかかわる変異と淘汰の例を提示する.哺乳類の子宮内膜と胎盤においてはトランスポーザブルエレメントの挿入による変異由来の進化が生じている.これをどう理解するかが問題になるのだ.
 

  • ゾウやネズミや霊長類の子宮内膜においてはプロラクチン遺伝子が発現するが,ウサギやブタやイヌやアルマジロやオポッサムでは発現しないという事象を考えてみよう.この発現にかかる3つの独立した起源があり,哺乳類の異なる進化時期に生じた4種類のトランスポーザブルエレメントの挿入がかかわっている.一部の挿入は生じてから何百万年もこのプロラクチンの発現に関与しなかった.これらすべての挿入は自然淘汰の篩を生き残ったが,プロラクチン遺伝子には疑いなくもっと多数の(保存されなかった)挿入があったに違いない.
  • プロラクチン遺伝子の子宮内膜での発現はすべての哺乳類で適応的だがウサギなどでは正しい種類のトランスポーザブルエレメントの挿入がなかったためにこうなったのだと考えるべきなのだろうか? それともこの発現は様々な系統で生じたが3つの系統だけで自然淘汰により保存されたと考えるべきなのだろうか? トランスポーザブルエレメントは新奇性の原因なのか,それとも創造性をもたらしたのは自然淘汰による挿入の篩い分けなのか? トランスポーザブルエレメントが制御ネットワークを書き換えたのか.それとも自然淘汰が便利な部品としてトランスポーザブルエレメントを使ってネットワークを書き換えたのか?

 

  • トランスポーザブルエレメントが実際に子宮内膜と胎盤の制御ネットワークを書き換えたということが示唆されている,トランスポーザブルエレメントの挿入は(眼のレンズで発現する)クリスタリン遺伝子も含むゲノムのどこにでも起こりうるが,(脊椎動物の進化において様々な遺伝子がクリスタリンにかかわってきたという経緯にもかかわらず)クリスタリンのプロモーターがレンズにおいて特有な振る舞いをしたとか,レンズの制御ネットワークを書き換えたとかいう報告はない.
  • 子宮内膜や胎盤には何か特別の性質があるのだろうか.子宮内膜や胎盤に特有なプロモーターにはレトロウイルスがかかわっているに違いない.なぜならこれらの組織におけるレトロウイルスがかかわった遺伝子の発現は母子間のレトロウイルスの感染を増進させうるからだ.
  • 子宮内膜や胎盤はレンズより速く進化しているように見える.ワグナーはこの母子インターフェイス器官の加速された進化を生じさせたのはトランスポーザブルエレメントによる跳躍的変異だとするだろう.適応主義者はこの素早い進化を母子間の子宮内膜の母親の遺伝子発現と胎盤の子の遺伝子発現にかかる拮抗的な淘汰,胎盤における母由来遺伝子と父由来遺伝子の拮抗的淘汰,さらにレトロウイルスの適応と母子のホスト側の防衛の拮抗的淘汰によるものだと考える.

 
このあたりの畳み掛けと論理の展開は読みどころだ.子宮内膜と胎盤において(他の器官に見られないような形で)トランスポーザブルエレメント挿入による表現型変異が生じそれによって急速な進化が生じている.ワグナーはこれが自然淘汰で説明できるとは思いつきもせず,トランスポーザブルエレメントの重要性,そして跳躍的進化の可能性を誤って認識したということになる.しかしこれは適応主義的に説明できるのだ.子宮内膜や胎盤は,母から子へのリソース供給器官であり,(より多くリソースを子に渡したい)父方由来遺伝子と(次の子のためにある程度はキープしたい)母方由来遺伝子において利害のコンフリクトが生じやすい場所となる.つまりそこはまさにゲノミックコンフリクトの主戦場となるからだ.
 

  • ダーウィンの数多くの美しいメタファーの1つに,淘汰と変異の関係についてのものがある.
  • 私は淘汰の素晴らしい力について話してきた.しかしそれでもその活動はまだ私たちがよく理解できていない突発的あるいは偶然の変異性に多くを負っている.
  • 建築家が断崖から落ちてきたような未整形の岩だけで建築物をつくるように強いられたとしよう.彼がそれでも見事な建築物を造ったなら,そのために整形された石材を与えられた場合に比べて,私たちは彼の技術をより称賛するべきだろう.
  • 淘汰においても(それが自然淘汰であれ人為淘汰であれ),変異は必須の要素ではあるが,私たちが複雑で素晴らしい適応産物を見るとき変異は重要性において淘汰よりいちだん低く評価されてしまう.それはこの建築家の技術に比べて個々の部材の形がそれほど注目を集めないのと同じことなのだ.

The Variation of Animals and Plants under Domestication, volume 2. 2nd ed.

 

  • トランスポーザブルエレメントがゲノム中にばらまくプロモーターは,過去の淘汰によって形作られた既成の機能的エレメントのソースだ.それはダーウィンの例によれば,建築家が崖から落ちてきた岩を使う代わりに古代ローマ建築で使われていた石材を選ぶようなものだ.建築家の仕事は疑いなく容易になるだろう.これは新しいガジェットをつくるために古いガジェットの部品を再利用するようなものだ.ダーウィンはバネや車輪や滑車を用いて同じようなメタファーを挙げている.
  • 私がここでお気に入りの不満を述べるのを許されるなら,それは最近の流行の新語「外適応:新たな機能のために過去の機能のための進化産物を利用すること」についてのものになる.この外適応という語には,まるでこれが適応とは区別されるべき過去認識されていなかった進化原則であり,それを示すための新しい用語だという含みがあるのだ.

 
そして最後にここで(外適応という用語の提唱者である)グールドが顔を出す.ヘイグにとっても自然淘汰たたきの文脈における典型的敵役ということになるのだろう.

昨日邦訳が刊行されたグールドの進化理論本.ものすごいボリュームだ.