書評 「仲直りの理」

仲直りの理

仲直りの理

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本書は進化心理学者大坪庸介による仲直りについての本である.仲直りの進化的な意味,究極因と至近因が非常に丁寧に解説されている.
 
「はじめに」において著者は夏目漱石の「坊ちゃん」における主人公と山嵐の間の対立と和解,シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」におけるモンタギュー家とキャピュレット家の間の対立と和解のストーリーを引きながら,和解せずにいがみ合うことのコストの高さと,それにもかかわらず和解が必ずしも簡単ではないことに注意を促す.そしてそれをヒトの進化の文脈で考えていこうというのが本書のテーマになるのだ.

第1章 動物たちの仲直り

 
進化の文脈で考えるということで第1章ではヒトに近縁な霊長類の仲直りを描く.有名なドゥ・ヴァールの霊長類の仲直り研究の概要が紹介され,標準的手法となったPC-MC比較法(ケンカ直後の行動とコントロール条件での行動を比較する)について解説がある.ドゥ・ヴァールやそれに続く研究者の研究により霊長類の多くの種*1で仲直りが観察され,仲直りの仕方(方法,どちらがイニシアティブをとるかなど)は多様であることが明らかになった.
霊長類以外ではイヌ,オオカミ.ブチハイエナ,ウマ,ヤギ,ハンドウイルカ,シャチ,ワラビーで仲直りが観察されている.さらに哺乳類以外ではセキセイインコのつがい間,ホンソメワケベラとその客の間で仲直りが観察されている.
大坪はここで多くの系統的に離れた動物で仲直りが見られることは収斂だと考えられ,何らかの適応的行動である可能性が高いこと,特に集団生活で重要であったのではないかと考えられることを指摘する.
 

第2章 行動の進化の理

 
ここは進化とは何か,行動の進化はどのように生じるかについての入門解説になっている.大坪はグラント夫妻のガラパゴスフィンチ研究,眼の進化についての進化シミュレーションを紹介したのち,知覚や認知の進化,行動の進化,ゲーム理論を概説する.
そこから囚人ジレンマゲーム,繰り返しのある囚人ジレンマゲーム,TFTと進化的安定性が解説され,TFTの挙動には「相手が協力してきたらすぐ相手を赦す」という側面があると解釈できることを指摘する.
 

第3章 赦すことの理

 
第3章ではいったん裏切った(あるいは攻撃を仕掛けてきた)相手を許すことが適応的である条件を考察する.
繰り返し囚人ジレンマゲームを用いた進化シミュレーション研究では,エラーがあるときにTFTよりも高い寛容さが進化しやすくなることが知られている.大坪はなぜそうなのか(エラーに起因する裏切りの連鎖を避けることができる)をシミュレーション結果を図示しながら丁寧に説明する.
次にケンカをした個体の特徴と仲直りの関係を扱う.これには膨大な社会心理学的な研究の蓄積があり,得られている知見は(1)血縁個体同士は仲直りしやすいというものと(2)普段から友好的な関係にあるもの同士は仲直りしやすいというものだ.またドゥ・ヴァールは仲直りの機能について価値ある関係を失わないためとする「価値ある関係仮説」を提唱している.大坪はここからこの仮説の検証研究となるカニクイザルを用いた実験,フルシュカとヘンリックによるシミュレーション,マッカローによるヒトを用いた実験*2を丁寧に紹介する.
マッカローたちの更なる研究により,相手のとの関係価値だけでなく搾取されるリスクも仲直りに影響を与えていることが明らかになった.これも適応的に解釈できる*3
これらを見た後で,大坪は,繰り返し囚人ジレンマゲームからわかることは(1)同じ相手と長期間付き合うなら,過去裏切った相手でも改心したことがわかれば赦してあげた方がいい,(2)相手の裏切りが何らかのエラーである可能性があるときは,そのうち一部は許してあげた方がいいということであり,さらに相手の特徴との関連では,(1)関係を続けていく価値がある相手の裏切りは赦してあげる方がいい,(2)裏切りがエラーであることが自明であれば赦しておいた方がいい,そして(3)いくら関係価値が高くても繰り返し裏切る相手は赦しても割に合わないということだとまとめている.*4
 

第4章 和解シグナルの進化

 
第4章では何らかの事情で相手を裏切ってしまった場合が考察されている.前章の結論を踏まえると相手から赦してもらうためには.相手に搾取リスクがないこと(つまり自分が二度とひどいことはしないということ)を信じてもらう必要があることになる.
ここもまず繰り返し囚人ジレンマゲームの進化シミュレーションから話が始まる.ボイドは悔恨の情を示す(自分と相手の評判を要素に入れ込み,自分の評判が悪いときの良い評判の相手の裏切りは受け入れる)TFTは実行エラーがある状況でESSとなることを示した.大坪はこの結果についてESSの概念とともに丁寧に説明している.
現実世界で考えるとこれは特定の行動(謝罪)とその解釈(改心を信じる)のセットになり,シグナルの進化ということになる.大坪はここで行動生態学に話を進め,ガゼルのストッティングの例と感覚便乗の議論,そしてヒヒにおける仲直り発声(平和的意図シグナル)の例を紹介している.
 

第5章 謝罪の理

 
第5章では前章の和解シグナルの議論を受けてヒトの謝罪を考察する.
まず謝罪には相手から赦してもらう効果があるのかが問題になる.謝罪の効果を調べた研究は多い*5.大規模なメタ分析によると謝罪により赦してもらいやすくなるという一般的な傾向は確かにあるそうだ.
確かに実体験でもたいしたことのないことであれば謝罪があれば相手を赦しやすいというのはわかるが,被害が大きければ口先だけ謝ってもらってもという場合もあるだろう.そのような場合にコストのかかる謝罪なら効果があるかというのが著者の問題意識になる.ここでシグナルの進化に話が戻って,利害に不一致がある場合のシグナルの進化としてコストが問題になること,先ほどのストッティングがコストのかかる正直なシグナルとして解釈可能であることを説明する.
するとコストが謝罪の正直さを担保しているとするなら,(1)謝罪者は相手との関係を重視しているほどより高いコストをかけてでも謝り,謝られた相手はコストがかかっているほどより誠意のある謝罪と解釈するだろうという仮説を考えることができる.そしてそれぞれの検証研究とその結果(いずれも仮説を支持する)が詳しく解説されている.またここでfMRI研究によるとコストのかかる謝罪を受けると社会的意図を処理する脳分野の活性が高くなることも紹介されている.
大坪は謝罪の機能は相手に誠意(あなたのことは大事に思っており今後は裏切らない)を伝えて赦しても大丈夫だと思ってもらうことであり,コストをかけることで相手を重視している程度を正直に伝えることができるとまとめている.
 
なお大坪は第4章,第5章とわけて信号の進化を扱い,第4章では感覚便乗,第5章でコストと正直性を議論している構成にしているが,敢えてこのような複雑な構成にしている意図は不明だ.信号の進化についてはまとめて扱い,利害が不一致であるときには,信号は相手を操作しようとするものになり,コスト(ハンディキャップ)があることによってのみ正直な信号が進化しうることをしっかり伝えた方が分かりやすかったのではないか*6と思う.
 

第6章 仲直りの至近要因

 
ここではまず究極因と至近因の区別を説明し*7,第6章と第7章では至近因を考えるとする.第6章のテーマは究極因の説明が「ヒトは常に何が適応的かを意識的に計算して行動している」ことを意味するわけではないということになる.これはしばしばある誤解であり,最近では「協力する種」において著者のボウルズとギンタスが完全にこの誤謬に陥っていたのが記憶に新しいところだ.また大坪は,章末のコラムでデイリーとウィルソンの継父母による児童虐待のリスク研究にかかるこの誤解について詳しく解説している.
 
私たちが行動するときには,基本的には「そうしたい」という感情(これが至近因になる)が生じて行動に結びつく.大坪は,相手について親密さを感じる感情,共感,罪悪感を取り上げ,それがどのように謝罪や赦しに影響を与えているかについて,検証実験を含めて丁寧に説明する.内容はおおむね以下の通りだ.(なおヒトが完全に計算ずくで謝罪や赦しを行うこともあることも補足されている)

  • 相手との関係価値は親密さに影響を与え,行動的には謝罪や赦しにも影響を与える(特定の目標を活性化させてからある相手への親近感を答えてもらうという手の込んだ実験が紹介されている).
  • 怒りと赦しは負の相関関係にあり.共感と赦しは正の相関関係を持つ.関係価値は直接赦し傾向に影響を与えるだけでなく共感を通しても赦しに影響を与えている.
  • 罪悪感は謝罪を動機付けると考えられる.関係価値は直接謝罪に影響を与えるだけでなく,罪悪感を通じても謝罪に影響を与えている.

次に大坪はストレスを取り上げる.大坪は霊長類研究で提唱されているストレスを解消したいという動機付けが仲直りの至近因とする仮説を紹介し,ニホンザルやヒヒにおいてそれを検証した実験を紹介する.大坪はヒトの場合もストレスが至近因となっているだろうとし,幼児を用いた実験を紹介している.すると赦しはストレスを低減させ健康的にもメリットがあることになる*8
 

第7章 仲直りする力

 
引き続きの至近因についての第7章では,進化した適応的な行動は「固定されていて変更不可能なもの」ではないことが扱われる.ヒトは意識的な計算によって行動を変更すること(セルフコントロール)ができるし,そもそもの適応的な行動は基本的に環境条件依存的になっていることが多いということだ.そしてこれもしばしばある進化的議論への誤解になっている.
大坪はセルフコントロールについて,まず呼吸を意識的に止めることができることを例にあげて説明する.そして諸般の事情で関係価値が低いと感じられる相手とも仲直りした方が良い場面があれば怒りや忌避感情を抑える方が良いことになる.そして実際に感情が二重に制御されているいくつかの証拠があること,建設的対処方略(対話を試みたり,衝動的に行動せず事態の好転を待つなど)をとった方が仲直りがうまくいきやすく,この建設的対処方略とセルフコントロールに正の相関があること,謝罪ができることとセルフコントロールにも正の相関があることを解説する.
大坪は次に行動が環境条件依存であるなら,環境条件に介入することにより仲直りをしやすくすることが可能だと説き,赦しセラピーにより共感を上げる方法の有効性,国家間での商業的平和についての研究をここで紹介している.
 
章末のコラムではセルフコントロールに関して有名なバウマイスターによる実験(チョコクッキーのいい香りの中ラディッシュしか食べられなかった被験者はセルフコントロール能力が下がる)により報告された自我枯渇現象の再現性の問題が取り上げられている.マッカローによる再現性がないのではないかという問題提起があり,その後の追試のメタ分析によると自我枯渇現象には再現性がなさそうだということになっている.ただ大坪はストレスをどのようにどの程度与えられたかについては追試によりばらつきがあり,より広い「ストレスがかかると自己制御が困難になる」という命題についてはなお調べるべきだ(そのような研究がタブー視されるのを恐れる)とコメントしている.
 
最後の「おわりに」で大坪は本書の議論をもう一度振り返って概要を示し,さらにコンパクトに「私たちは関係価値の高い相手のとの関係を維持するために,そのような相手を赦したり,そのような相手に謝罪する心の働きを持っている.それは関係価値の高い相手には共感しやすかったり,相手を傷つけたときに強い罪悪感を経験しやすかったりするからだ.だけど,セルフコントロールなどで仲直りを調整することもできる.」が仲直りの理だとまとめ,本質がわかれば仲直りは簡単そうで難しく,安易なハウツーはないのだとコメントし,誰かと仲直りしたいなら相手が自分にとってどんなに大切なのかについてあらためて思いを致し,本気で仲直りに取り組んでみるとよいと結んでいる.
 
本書は「仲直り」にテーマを絞り,進化心理学的な視点で考察し,緻密に構成し,細かいところまで丁寧に解説した良書だと思う.素晴らしいサイドリーダーとして進化心理学に興味を持つすべての人に強く推薦できる.

*1:母系のつながりの強い社会を形成するワオキツネザルでは仲直りは観察されていない.ゴリラもオス同士,メス同士,子ども同士のケンカでは仲直りが観察されない.

*2:誰かに傷つけられた経験のある被験者を募集し,相手との関係,赦すまでの日数などをアンケート調査する手法で行われた

*3:なお大坪はこの先行研究のアンケート内容に工夫を加えてより細かく分析した.その結果関係価値と搾取リスクが仲直りに与える関係が単純相加的なのかそうでないのかについて日米に差があること(どちらも関係価値が高いほど,搾取リスクが小さいほど赦しやすいが,搾取リスクが高くなるほど赦さなくなる傾向が関係価値が高いほど顕著というパターンが米国でのみ見られる)を見いだしているそうだ.理由はわからないとされている

*4:章末のコラムではマダラヒタキが意図的非協力と非意図的非協力を区別することを示した実験が紹介されている.なかなか興味深い結果だ

*5:調査方法の詳細も解説されていて面白い.主に仕込んだサクラによるドッキリカメラ型,シナリオを読んでもらう手法,過去にあったことを思い出してもらう手法の3種類があるそうだ

*6:感覚便乗をここで説明する必要があったのだろうか.するにしても(特に利害が不一致の場合)それは最初のきっかけだけを説明するものという扱いにした方がよかったのではないかと思う

*7:大坪は究極要因,至近要因という用語を用いている.なお大坪はここでこの概念の提唱者としてマイアを挙げているが,ヘイグ本を読んでいることもあって,ここではマイアを持ち出すより,ティンバーゲンにしておいた方が良かったのではと感じてしまうところだ

*8:なおここでは,加害者が自分を赦すことについてもとりあげられていて,健康的にはメリットがあるが真の反省のない赦しについては社会的に望ましくないかもしれないなどの議論が紹介されている.また大坪は最後に関連トピックとして修復的司法についても取り上げている.